変わらないでほしい日常
「婆ちゃん、いる?」
「ニャンゴかい? 入っておいで」
いつものように裏口から声を掛けると、いつものようにカリサ婆ちゃんの声が聞こえる。
これだけで、何だか凄くホッとする。
「どうしたんだい、ニャンゴ。何かあったのかい?」
「えっ、いやぁ……そう、兄貴の仕事がそろそろ終わるかなぁって思って、ちょっと様子を見に来たんだよ」
「あぁ、そうだったのかい。フォークスは随分と頑張ってくれたみたいで、村の人からも頼りにされてたみたいだよ」
「そうなんだ……」
俺はオークやゴブリンの討伐に参加したり、鹿やイノシシなどを仕留めるようになって村の人からも声を掛けられるようになっていたが、村にいた頃の兄貴は人付き合いが殆ど無かったと思う。
兄貴本人が人付き合いが下手だったのもあるが、猫人だから侮られていたのだ。
それが、村の人から仕事が評価されて、頼られるまでになったのかと思うと、ちょっとジーンとして涙が出そうだった。
「兄貴の仕事も終わったらしくて、明日にはイブーロに戻るって言ってた」
「そうなのかい、そりゃご苦労様だったね」
「うん、でも兄貴も村の役に立てて嬉しかったと思うよ。そうだ、婆ちゃんにお土産買って来たんだ」
「何だい、気を使わなくていいんだよ」
「えっとね、これが干した貝柱で、こっちが干した小エビ。貝柱は戻してスープにすると美味しいよ。小エビは軽く煎って食べても良いし、玉ねぎと一緒にかき揚げすると美味しいんだ」
「いつも、すまないねぇ……」
「ううん、これはイブーロの市場で見つけて、美味しかったから、婆ちゃんにも食べさせたかったんだ。それと、こっちはターシェルの花のお茶だよ」
「高かったんじゃないのかい?」
「ううん、兄貴がゼオルさんの所に居候してるから、そのお礼に買ったついでだから」
「そうなのかい、それじゃあ有難くいただこうね」
「うん、香りが飛んじゃう前に、ドンドン飲んでね」
買って来たお土産は、本当は全部婆ちゃんのために選んできたもので、ゼオルさんはついでだったりするんだけど、それは内緒だ。
「そうだ、村長の家の裏で、イネスとキンブルが作業してるのを見てきたよ」
「二人とも一生懸命だったろう?」
「うん、イネスが真面目に草取りしててビックリしちゃったよ」
「ふふふ……イネスも尻に火が着いてきたからねぇ」
「うん、でもまだキンブルに面倒見てもらってる感じだったけどね」
「あぁ、キンブルは良くやってくれてるよ。あの子が採集して、イネスが調合するようになれば良いと思ってるけど……なかなか思うようにはいかないからねぇ……」
俺が薬屋に出入りする前に、弟子入りした人もいたらしいが、以前の婆ちゃんは言い方がキツかったりしたらしく、薬師として独り立ちした人はいないそうだ。
今の婆ちゃんは、俺が村を出る前よりも丸くなった気がするから、イネスでも何とか続けられるんじゃないかな。
「フォークスがイブーロに戻るんじゃ、近いうちにダンジョンに向かうのかい?」
「えっ……うん、そうなると思う」
その話題をどう切り出そうかと思っていたら、婆ちゃんの方から言われてしまった。
「同じパーティーのライオス達は、年齢的にダンジョンに挑戦できるギリギリだと思ってるみたいなんだ。焦っている訳じゃないみたいだけど、現地に行ってから詳しい情報を集めて、準備を整えるのにも時間が掛かるみたいだからね」
「何事も、始める前の準備が肝心だよ。私は薬を作るしか能が無いけど、調合の作業をするには、材料を整え、その日の気温や湿気、数日後の天気なんかも考えてから作業を始める。準備がシッカリ出来ていれば良い仕上がりになるし、そうでない場合にはそれなりの物しか出来やしない」
「うん、ライオス達はベテランだから、準備は怠らないと思う」
「そうかい、それなら安心だね」
「うん、まだ行ってみないと分からない事ばかりだけど、半年に一度ぐらいは帰ってくるよ」
「無理しなくてもいいんだよ」
「親父と一番上の兄貴があの調子だから、実家も心配だしね」
「そうだよ、ちゃんと家族の所にも顔をだしておくんだよ」
「うん、分かってる」
まぁ、実家にいる時間は、婆ちゃんの所にいる時間の十分の一にも満たないけどね。
「さっき村長とも話してきたんだけど、プローネ茸の栽培は俺が言い出したことなのに、途中で放り出して婆ちゃんにお願いすることになっちゃうんだけど……」
「あぁ、いいよ。私がどれだけ役に立つか分からないけど、イネスやキンブルにも手伝ってもらうから心配しなくていいよ」
「ごめんね。イブーロの学校で植物の研究をしているルチアーナ先生にも事情を話しておいたから、婆ちゃんを訪ねてきたら色々と話をしてあげて」
「はいよ、分かったよ」
話のキリが良いところで、カリサ婆ちゃんはよっこらしょと立ち上がると、台所へと歩いて行った。
「もうそろそろイネスとキンブルが戻って来るから、お焼きでお茶にしようね」
「やった! 婆ちゃんのお焼きだ」
「ニャンゴの好きなクルミのお焼きだよ」
「婆ちゃん、何か手伝う?」
「大丈夫だよ、そこでゆっくりしておいで」
婆ちゃんの家の居間からは、開け放した窓の向こうに裏の畑が見える。
薬草の採取をやってた頃は、山から帰って来ると、ここの縁側で婆ちゃんのお焼きを食べたものだ。
まだ村を出てから一年にもなっていないのに、なんだかとても懐かしく感じる。
寝泊りこそしなかったけど、ここで本当に多くの時間を過ごした。
村を出た時には、婆ちゃんの将来が心配だったけど、キンブルとイネスの二人が弟子入りしたし、ゼオルさんもちょくちょく顔を出してくれているみたいだから大丈夫だろう。
「婆ちゃん、夕食のおかずに魚かモリネズミでも獲ってこようか?」
「いいよ、そんな心配いらないよ」
「うん、でもたぶんイネスが肉を食わせろって言うだろうし……」
「そうかい? でも、お焼きを食べてゆっくりしてからでいいよ」
「うん……にゃっ、ヤマドリだ!」
ぼんやりと窓の外を眺めていたら、裏の畑にヤマドリが舞い降りた。
畑の一部は何か作物の収穫を終えて、新たに耕されている。
耕したばかりの畑では、土が剥き出しになっているのでミミズや虫などを捕まえやすいのだろう。
窓からステップを使って飛び出して、素早くヤマドリの周囲を空属性魔法の壁で囲んだ。
「囲んだところで……雷!」
「ケェ……」
ヤマドリは、小さく声を洩らしながら体を硬直させて倒れ込んだ。
近づいたところで、再度雷の魔法陣を使って止めを刺したら、足を掴んで婆ちゃんの家に戻った。
「婆ちゃん、ヤマドリ捕まえた。今夜はこれ食べよう!」
「おやおや、名誉騎士様が村の子供みたいだねぇ」
「ふふーん、これならイネスも納得するでしょ」
「そうだね。今夜はみんなで夕食にしようかね」
「ゼオルさんと兄貴も呼んでいい?」
「いいよ、呼んでおいで」
丸々と太ったヤマドリならば、みんなで食べられるけど、これだけだと寂しいから魚も獲りにいってこよう。
夕食の計画を立てていると、イネスとキンブルが帰って来た。
「お婆ちゃん、ただいま!」
「お帰り、イネス」
「あっ、ニャンゴ! ねぇ、お肉は?」
「もう、いきなり肉の話かよ……ヤマドリを捕まえたから、みんなで食べよう」
「やった! ニャンゴ大好き!」
「はいはい、お肉大好きね」
鍬とか桶とか、農具は全部キンブルに持たせて戻ってくるあたりは、さすがイネスって感じだね。
「てか、イネスびしょ濡れじゃん。水遊びでもしてきたの?」
「そんな訳ないでしょ! こ、これは……汗よ、汗にきまってるでしょ!」
「そうなんだ、イネスずいぶん汗っかきになったんだね」
「そ、そうよ……いえ、それだけ真面目に働いてるって事よ」
イネスはドヤ顔で胸を張ってみせるけど、びしょ濡れになった経緯は全部見てたんだよね。
まぁ、本人が汗だと言い張るならば、そうしておいてあげるか。
婆ちゃんのお焼きを食べた後、ゼオルさんの所にはキンブルに知らせに行ってもらい、俺は川に魚を捕りに来た。
婆ちゃんのところに六匹、実家に四匹、計十匹のノルマは日暮れ前に何とか達成した。
魚は川原で捌いて、串に刺して塩を振っておく。
四匹を自宅に届けて、残りの六匹を持って婆ちゃんの家に戻った。
「婆ちゃん、魚も獲ってきたよ。裏で俺が焼くね」
「はいよ、よろしく頼むね」
婆ちゃんの家の裏手で魚を焼いていると、ゼオルさんと兄貴がやってきた。
「おぅ、ニャンゴ。良い匂いをさせてやがるな」
「今夜はヤマドリもありますから楽しみにおいて下さい」
「ニャンゴ、何か手伝うか?」
「今夜は兄貴の慰労会も兼ねているから、ゆっくりしていってよ」
「そうか……じゃあ、そうさせてもらうかな」
お腹に香草を詰めて、婆ちゃんがジックリと焼き上げたヤマドリ、レバーと茄子の炒め物、魚の塩焼き、キンブルの家で採れたトウモロコシ、ゼオルさんが持ってきた葡萄酒。
気の置けない人達との夕食会は、和やかに少し遅くまで続いた。





