第68話 疑問
『見えてはいけないもの』が声を出した。
「……今日は、そろそろお別れかな。悠人、ちゃんと寝てよ?睡眠って、すごく大切なんだから。」
「分かった。」
僕たちは笑い合う。
そして立った。
「またね、悠人。」
「うん。またね。」
『見えてはいけないもの』と英美は消えた。
僕は自分の家に戻って眠ると、次の朝に学校に行った。
右目はやはりぼんやりとしか機能しなかった。でも別に良かった。
「泉、お前なんか明るくなった?俺の気のせい?」
「………。」
同級生の言葉も無視して、レジデンス白夜に向かった。今日は塾がない。
「うん?あれ、泉くん。どうしたのかい?」
管理人のおじいさんは俺に気付くと手招きした。
「おじいさん、最近体調が良くないとかありませんか?管理するのが辛いとか思いませんか?」
「急にどうしたんだ、まあ私も年だし、たまに大変だと思うことはあるけどねえ。住人も少ないからなんとかやっていけるよ。」
「あの、おじいさん、僕にこのマンションの管理をさせていただけませんか。」
「え????」
おじいさんは目を見開いて僕を見た。相当想定外だった様子だ。
「心配でしたら、当分の間は2人体制で。管理人の名前だけはおじいさんのもので大丈夫なので!お願いします!」
「……そこまで言われたらねえ。いいよ、慣れるまでは私が教えるよ。」
「…ありがとうございます!」
まだ共同という形だが、一応管理権はもぎとった。
それから僕は、マンションの管理について色々と学んだ。
24時前後には、404号室を訪れた。
「あ、悠人。こんばんは。」
「英美。こんばんは。っていっても、もう日付は超えそうだけど。」
僕がそこに行くと、いつも英美が待っていた。たまに『見えてはいけないもの』も無表情で隣にいて、心臓が縮みそうになる。
「ね、悠人。私、伝え忘れてたことがあった。」
「うん、何?」
「悠人、私に『なんでそんなこと知ってるのか』、『どうしてそんなに落ち着いてるのか』って聞いたでしょ?」
「うん。」
「…私ね、死ぬときは複雑な気分だったんだ。ああ、これで地獄のような日々から解放される、という気持ちもあれば、私の最期はこれなんだ、怖いなぁ、痛そうだなぁ、なんで私が、って。……刺された時は、すごく、すごくとっても痛かった。もう2度とあんな思いはしたくない。」
「…………。」
英美の悲痛な気持ちが伝わってくるようだった。
「最初は殴られてたの。えっと……そうだ、お前の努力が足りないから落ちたんだ、恥をかかせやがって、とか。とっても悲しかったんだけど、もう死んだら許せない、としか感じないな。その後は包丁を持って脅してきて、またいつもの虚言か、と思ったら切っ先が腕をかすめて。しまいにはお腹も刺されて、でも死ねなくて。どうせなら心臓を刺してほしかったなぁ。いや、一番いいのは刺さないことだけど。」
英美は胸を軽く押さえた。
「しょうがないから移動したの。その時は何も考えられなくて、本能だった。推理小説を読んだ時のことを思い出したんだ。なんか、返り血を浴室で洗う、とか。私が死んだら掃除する人は大変だ、って思って浴室まで這っていって、多分そこで息絶えた。もう、本当に痛かったんだから!
……でも母は、あいつは、最悪刑務所に入れられて、世間の人からバッシングを受けるだけで終わるんだろうね。私の痛みはそれじゃ釣り合わないのに。」
彼女は壁を触った。
「……そして、この事件も忘れられていく。
別に事件のことはどうでもいいの。……私の痛みに、絶望に、気付いて欲しかった。
担任も、あの子も、クラスメイトも、知ってる人が亡くなった、それも殺人で、ってなるとパニックで泣いたのかもね、でもそれはそのうち優越感に変わっていく。」
「……うん。」
英美の言う通りだ。あの事件からまだそんなに経っていないのに、今みんなの記憶の片隅にあるかどうかさえ分からない。
「殺されたのは被害者自身が悪かったから、それに比べてちゃんとしてる私は偉い!…ってね。家族が第一なこの世界では、親が子供にどんなことをしてもリアリティーがない。家族を大切にするのは悪いことじゃないよ?ただ、暴言を言われたり、暴力を受けたりして家庭が怖いものになっていくのは違うってだけ。」
僕は彼女の目を見ながら話を聞いていた。
「……だからね、知ってもらいたいって思ったの。私の苦しみを。
視界が白く染まっていくなぁ、痛いなぁ、眠いなぁなんて思った次の瞬間、私は『見えてはいけないもの』の…潜在意識、はちょっと違うか。意識みたいなので、そういうことを知ったの。
ふふっ、どういう方法かは聞かないでね?」
「うん。それで…?」
「それで。なんでこんなに落ち着いてるのかっていうと………なんか、性格としかいいようがないかも。」
「性格か…。」
「心残りと言えば、復讐したいのと、あと悠人と一緒にいれなくなったことだったかなぁ。………ゆっくりと、復讐したいね。時間はかかるけど。」
「そうだね。これから一緒にいるんだから、僕にできることがあればいつでも言って。」
「うん、ありがとう。」
□
それから誕生日を迎えるごとに視力は低下していった。でも毎回英美が祝ってくれるから嬉しかった。
英美にはもう、常に触れることができるわけではない。本人曰く、体は返してもらおうと思ったら返ってくるが、疲れるからあまりしたくないらしい。
管理人の仕事ももう任せてもらえた。
そして僕は、大学1年生のときに眼帯をつけた。




