第63話 進級
(……あ、これ)
土産物のあるコーナーで僕は足を止めた。
……良い匂いがするハンドクリーム。
英美に何をあげようかと考えていた。キーホルダーは前もらったし、お菓子や置物は良くないと思った。
彼女は指が綺麗だ。
冬なのに全然乾燥した様子がない。
……でも、なんとなく彼女に似合うと思った。
白いパッケージのものを一つ手に取り、籠に入れた。
「え!?泉それ…もしかして彼女に!?」
「嘘、みんなの王子様泉くんが…!?」
「違うって。」
女子達も目を見開いて驚いている。
僕はふいっと顔をそらし、英美の笑顔を思い浮かべた。
「英美、あげる。」
「ん?」
彼女が不思議そうに、でも何かに気付いたように声を上げた。
何も言わず袋を開ける。
「ハンドクリーム……?」
「……うん。」
僕は恐る恐る彼女の顔色を窺った。
「へへっ、ありがとう!嬉しい。」
「…良かった。」
彼女はそれを掲げ、光の下に晒した。
「……私が白好きってこと覚えててくれたんだね。」
「…まあ。」
「ふふっ」
彼女は嬉しそうに笑った。
□
冬が過ぎ、春休みも僕たちは何回も会った。怖い話もした。
「……僕が小学1年生の頃、夜中にトントンって起こされたんだよね。目を開けたら、お母さんがいて。仕事着のスーツだったけど、様子がおかしかったんだ。笑い方がいつもと違うし。ニヤッて感じで。でも当時の僕はそんなこと気付かなかった。」
『えっと……名前は?ここに住んでるんだよね?』
『お母さん、僕の名前忘れちゃったの?悠人だよ!当たり前じゃん!』
『……うん。そうだね。えっと、冷蔵庫にご飯入れといたから朝になったら食べてね。』
『分かった!』
「次の日の朝、冷蔵庫を見たんだけど、作られたご飯なんてなかった。いつも通り机の上に皿があって、ラップが巻かれてる。その日、『冷蔵庫に入れたって言ったよね?』って聞いたら、そんなこと言ってないって。僕と話してさえいなかったって。」
「ホラーじゃん!」
「うん。誰だったんだろうね。」
春休みが終わるのは短かった。
僕たちは中学3年生になった。
「……悠人。恐ろしい話していい?怖いんじゃなくて、恐ろしいやつ。」
「うん。どうした?」
「……中1のときの担任が、今回私の担任になった。」
「えっ……」
それは確かに恐ろしい話だった。中1のときの担任は、英美に理不尽なことをしたと聞く。
「もう受験終わったかも。絶対私に良い印象持ってない。他の先生たちの印象も変わるんだろうなぁ。」
「………。」
僕は、彼女の痛みに気付くことができなかった。
「………なんかね、私もう生徒会じゃないのに、呼びかけしろって言われるんだ。みんなちゃんとしてるのに。あはっ、明日がなんか怖いなぁ」
「小学生の時にね、美術の時間で制作した絵を全部持って帰ったの。私は母に褒められたくて見せに行って、最初は母も褒めてくれてたんだけど、なんでかな、急に機嫌が悪くなって。ベランダの外に…6枚くらいかな。絵を投げ捨てたんだ。私はゴミ箱に捨てたんだと思ってて、あとから自分で取りに行けって。無理やり行かされたそこにあったのは、車に轢かれてビリビリになった絵だった。」
「悠人!見て見て!初めて習熟度テストで100点2個獲ったよ!偏差値がすごかった!」
「痛いな…。殴られた場所も、傷つけられた心も。」
思えば、彼女はSOSを常に出していた。それに気付いたところで僕は何をすべきだったかは分からない。でも、何とかなったんじゃないかって思う。
僕たちは無力だ。
年齢と、単純な頭のせいで何も変えることができない。
かといって、みんなが平等に扱われるべきだとも思わない。環境は、人それぞれだから。
そうして、受験の時期に近付いて行った。




