●24 突然の悪夢の始まり 4
当たり前だが、王城の敷地に踏み入ってもなお、抵抗らしき抵抗はなかった。
実を言うと、ほんの少しだけ驚いていたりする。
いい意味ではなく、もちろん悪い意味で。
人間という種が魔族や魔物と比べて脆弱なのは、もちろん知識や肌感覚などで知っていたつもりだった。
だが、この現状は正直予想外というか、思った以上に脆かったというか――
ぶっちゃけ、多少の期待があったのだと思う。
ほんの少し前まで自分が所属していて、戦技指南役として兵士を鍛えていた立場だっただけに。
もう少しこう、意地というか、矜持というか。
そういったものを見せてくれるんじゃないかと、心のどこかで期待していたのだ。
そういった意味では、先刻のヴァルトル将軍は立派だった――と言って然るべき、なのかもしれない。
同時に、例のピアスの影響も強かったのだろうから、あまり評価できないとも思うのだが。
ともあれ、かつて俺が守護していたセントミリドガルという国は、思った以上に惰弱だった。これは慚愧の念に堪えない。
「というか、人の気配がほとんどないんだが……」
王城の中に足を踏み入れた俺は、生体反応を感知する理術を使いながら独り言ちた。
正門へと続く石橋は俺が壊してしまったため、ガルウィン達には別のルートから王城に来るよう指示してある。俺も既に力を抑え込んで威圧感を消しているので、今なら常人が近付いてきても安全だ。
だというのに。
「……逃げたのか? まだ戦闘も起こってないのに?」
広い廊下に俺の靴音だけが響く。
理術で感知できる生体反応は、そのほとんどが王城の中枢部に集中している。が、その数は明らかに少ない。
単純に考えて、人口密度の高い場所に国王のオグカーバや王太子のジオコーザがいるはずだが、それにしたって護衛の層が薄過ぎる。
百人どころか、十人いるかどうかだぞ。
おかしいと思って理術の感知範囲を広げてみると、なるほど、王城の敷地から多くの気配が逃げ出しているのがわかった。
混乱している様子はない。どいつもこいつも、整然と外に向かって移動している。
この時点で、何となくの予想はついた。
なにせ、これまでがこれまでだ。ちょっと考えればわかることである。
果たして、セントミリドガル王城の中枢――執務室兼、緊急時の司令室である場所に辿り着いた俺を待っていたのは、何とも物悲しい光景だった。
「……来たか、アルサル」
扉を開けた俺に最初に声を掛けてきたのは、奥まった席に置物のごとく鎮座しているオグカーバだった。
心なしか、以前よりも体が小さく見える。いや、王としての威厳が減衰した――と言った方が正確か。
だが、それ以上に印象的というか、衝撃的なのは、
「……ジオコーザ、お前なにしてるんだ?」
部屋の中央で膝をつき、両腕をだらりと垂らし、放心状態で天井を見上げているジオコーザの姿だった。
明らかに生気がない。というか、魂が抜けている。
目尻から頬、顎にかけては血涙が流れ落ちた痕。
だらしなく開いた口の端からは涎が垂れ、床に小さな水溜まりを作っていた。
「――――」
ジオコーザは無反応。聞こえていないのか、瞬きもしないまま、じっと頭上を見上げている。
「……ジオコーザ様はつい先程、突然大声を上げて叫ばれ、その声が収まった途端、動かなくなられました……」
結局、俺の問いに答えてくれたのはジオコーザの近くの席に座っていた高級武官の一人だった。かつての同僚なので、顔に見覚えがある。
「大声?」
とオウム返しにすると、執務室に残っている他の武官らも揃って、ぎこちなく首肯した。
事前に理術で調べたのでわかっていたが、やはり執務室には十人程度の人間しかいない。本来なら、ここは三十人ぐらいが入っても余裕の広さがあるというのに。司令室としての機能を果たすために用意された座席にも、ほとんど人が座っていない。
実質、もぬけの殻、と言っても過言ではない状態だ。
とても戦争中の国の臨時司令室とは思えない。
「追い詰められて、精神が崩壊したのじゃろう。余が言うのも何じゃが……あっけないものじゃな……」
本当にどこか他人事のように囁くオグカーバの声を聞きながら、俺はジオコーザに歩み寄る。顔の前で手を振ってみるが、瞳に反応なし。
「ああ、確かにこりゃ……イってるな」
王城に乗り込む前までは、ジオコーザと顔を合わせたらまたイキって怒濤のごとく悪罵誹謗を浴びせてくるのだろうな、と予想していたのだが。
どうも俺が思っていたより、ジオコーザの心は脆く小さかったらしい。
俺が近付いてくる――その圧力だけで潰れてしまったのだ。
「なんつうか……ひどいオチだな……」
完全に心神喪失状態のジオコーザが、それでも呼吸だけはしっかりしているのを確認しつつ、俺は呟いた。
これだけのことを仕出かしたのだから、再会したら一発ぶん殴ってやろうと思っていたのだが、流石にこの状態では無体に過ぎる。
「これじゃ、拳で思い知らせてやることもできねぇじゃねぇか」
はぁ、と溜息を一つ。
この瞬間――俺の中の〝傲慢〟が、ドクン、と脈を打った。
「――なんて言うとでも思ったか?」
と、フェイントをかけてから俺は無造作にデコピンを一発。
ジオコーザの額にぶちかます。
「ぅぐわあぁっ!?」
バチコーン! と我ながらデコピンとは思えない音が響き、ジオコーザの体が大きく仰け反り、吹っ飛んだ。
少年の小柄な体が机にぶつかり、もろともに倒れる。
やはりか。叫び声が出たあたり、完全に精神が破壊されたってわけではなさそうだ。
一瞬の後、ジオコーザは襲い来る激痛に悶え苦しみ出した。
「ぉお……ぐぉおおおおおっ!? がぁああああああっ!?」
床に転がった状態で手足をバタバタと暴れさせる。
そら見たことか。怪しいと思ったのだ。精神が崩壊している割には糞尿を垂れ流しているわけでもなし。床に倒れ伏しているわけでもなし。
おそらく一時的に深い茫然自失に陥っていただけだったのだ。
「よう、目が覚めたかよ? ジオコーザ殿下」
あっけない終わりで済まなくて残念だったな、と皮肉を込めて挨拶を投げかける。
すると、
「――!? き、貴様は……アルサルッ!? 何故ここに貴様が……っ!?」
両手で額を押さえながら、実に間抜けなことをほざきやがった。ずっと目の前にいたってのにそんな台詞が出てくるってことは、さっきのはまるっきり演技だったわけでもないらしい。
「というかお前、目の充血やばいな……ちゃんと寝てるか?」
敢えてジオコーザの問いには答えず、どうでもいい言葉を返す。
途端、わかりやすく激昂しやがった。
「きっ、貴様ぁぁああああああああああ――――――――ッッ!!」
痙攣じみた動きで素早く立ち上がるジオコーザ。おお、今の動きはなかなかいい感じだぞ。そうだ、敵を前にして尻をついたままでいるのはまったくの悪手だからな。すぐにでも立ち上がらないとな。
と、内心では元教え子のことを褒めてやるが、無論おくびにも出さない。
「お、やる気か? いいぞ、俺はそのためにここまで来たんだからな。わざわざ」
はっ、と笑って片手を上げ、くいくい、と煽ってやる。
本来のジオコーザならここで怖じ気づくところだったろうが、耳につけたピアスがそうはさせなかった。
「こッ……! こぉのぉ不敬者めがぁ――――――――ッッッ!!」
いまや俺がムスペラルバード王であることを当然知らないジオコーザは、やはり的外れな憎悪を燃やして殴りかかってきた。
言うまでもないが、かつては八大竜公のブレスだのを相手にしていた俺である。つい先刻に至っては超弩級の聖具ミドガルズオルムと一戦交えた俺が、こいつの拳程度で動じるはずもなく。
寸前まで顔に届きかけたジオコーザの拳打を、パン、と手の甲で弾くと、逆の掌でカウンターの平手打ちを叩き込んでやった。
「バァ――!?」
大声で叫びながら突っ込んできたせいで、頬に掌打を喰らったジオコーザの口から変な声が飛び出る。
「あっ……」
しまった、という意味で声が漏れた。
手加減したつもりだったが、それなりの威力が出てしまったらしく、その場でジオコーザの体が立体的に回転した。
即ち――一瞬で頭が下へ、両足が上へと来るような高速回転。
もちろん回転が一度で終わるわけもなく、まるで空間そのものに突き立てられた虫の標本みたく、腰のあたりを中心として三度ほど体の上下が入れ替わった。
「ぶべらばっ!?」
遠心力で揉みくちゃにされたジオコーザは、最終的に顔面から床に落ちた。そのまま脱力して倒れ伏し、得も言えない変なポーズで停止する。
終わりだった。
「……大丈夫か? 死んでないよな?」
たった一発の平手打ちで再び沈んだジオコーザに声をかける。
幸い、息はあるようだ。今度こそ完全に気を失っているようだが。
なんとも、あっけないオチである。
「……ったく、最初からこうしておけばよかったぜ……」
しゃがんで気絶しているジオコーザの顔を見下ろしながら、俺は小さく呟いた。
今更の話で、こんな悔恨に意味などまったくないが、それでも思ってしまう。
事の発端――俺がいきなり処刑だの国外追放だのと言われた際、こうして力尽くでジオコーザを叩きのめしていれば、少なくとも今現在、人界に広がっている戦乱は起きなかったのではなかろうか、と。
わかっている。どうせ考えても詮無きことだ。
第一、俺に責任のあることではない。
聖神ボルガンの介入があったとはいえ、人界大戦と称しても過言ではないこの状況が生まれたのは、他でもない人類の手によるものだ。
俺が国を出たことが原因の一端にはなっているだろうが、あくまで一端だ。全てではない。
だから俺の気に病むところではないのだが――
「はぁ……」
こうして万難を排してジオコーザをぶん殴っただけでことが済んでしまうと、こんなことなら最初からやっときゃよかった、と思わずにはいられないのだった。
「――んで? 他の奴らはどうした? どうしてこんなに人が少ない?」
先程ジオコーザの状態について親切に教えてくれた武官に向かって、質問を投げかける。
中年の武官は苦み走った顔を歪ませ、
「……他の者は皆、逃げました……もう、ジオコーザ様にはついていけない、と……」
大方予想通りの答えをよこした。俺は、ふーん、と頷き、
「それで、残っているのはお前らだけ、と。それだけ忠義に篤いのか、もしくは逃げ遅れた口か? どっちにせよ、難儀なことだな」
結果として、滅び行く王朝の陣営に残ってしまったのだ。明るい未来は望めまい。
「で、あんたはそれを黙って見てたってわけか、オグカーバ国王」
この場において最大の責任者の名を、俺は呼んだ。
往年の威光はどこへやら、すっかり老いさらばえた男は無言のまま、身じろぎ一つしない。
俺は重ねて、
「なにがしかの事情があったんだろうってことは、わかってる。だが、あんたが何もしなかったおかげでコイツはここまで暴走しちまった。わかるだろ? まさか自分には何の責任もないとは言わないよな?」
事ここに至って責任逃れなど許すまじ、と舌鋒を突きつけると、ふ、とオグカーバは小さく笑ったようだった。
「――見くびるな、小童が。誰に向かって口を利いておる。余はこの国の王なるぞ」
出し抜けに老人の体が大きく膨張したような錯覚を、俺は覚えた。
ほう、と軽く内心で唸る。
腐っても一国の王か。老いたとはいえ、そういえば俺の〝威圧〟にも気絶せずに耐え抜いた男だ。
ここに来て、まだこれだけの迫力を発せられるとは。
だが、それは燃え尽きる寸前の蝋燭が、最も激しく燃える様と酷似してはいないだろうか。
「――だが、そう……確かにおぬしの言う通りじゃ。全ての責任は余にこそある。何もかもが余の過ちじゃ。異論はない」
王氣とでも言うべき雰囲気を纏ったオグカーバは、しかし随分と潔く自身の罪を認めた。
まるで、とうの昔からこの瞬間が来るのを覚悟していたかのように。
ピンときた俺は、質問を放つ。
「――ジオコーザの耳についているピアスについて、話せることはあるか?」
「ない」
即答だった。まぁ、予想通りではあったのだが。
アルファドラグーンのドレイク国王もそうだったが、どうやら相当な箝口令が敷かれているらしい。
「言えばジオコーザが死ぬ、ってか?」
「…………」
オグカーバは無言。じっと俺の顔を見つめ返すだけで、首を動かしたりもしない。ただ右手だけが、その豊かな顎髭を梳かし撫でている。
だが否定しないってことは、つまり【そういうこと】だ。
なので、俺は更に一歩、より深く踏み込んでみた。
「――今から俺がこいつの耳を斬り飛ばすが、文句あるか?」
右手に銀光を収束させ、いわゆる長剣サイズの〝銀剣〟を形成する。
アルファドラグーンでは流石にやるわけにはいかなかったが、この状況だ。俺に躊躇はない。
今この瞬間、この空間にいる全員が、俺に生殺与奪の権を握られているのだから。
常識的に考えて、オグカーバに拒否権などないのだ。
「……好きにするがいい。もはや余もジオコーザも敗者。勝者はアルサル、おぬしじゃ」
そのあたりはオグカーバも理解していたのだろう。ややの間があったが、抗議はしてこなかった。
「最悪ジオコーザが死ぬかもしれないが、いいんだな?」
「くどい。こうなることは覚悟の上じゃ」
いまやオグカーバとジオコーザは、俺に首を刎ねられても文句の言えない立場である。いや、より形式にこだわるなら、民衆の前に引っ立てて、公開処刑するのが妥当だろうか。
なにせ当人らが先だって俺にやろうとしていたことだ。敗者となった今、文句を言える道理などなかろう。
故に、この場で殺されるようなことがあっても仕方のないこと――オグカーバはそのように理解しているのだ。
ただ、それでもピアスについての回答を避けたということは、どうせ息子が死ぬとしても、出来れば自らの手は汚したくない――と、そういうことなのだろうか。
まったく、どこまでも親バカな爺さんである。その歪な愛情のせいで、命を失った者が何人いることか。
「……ダメだった時は恨んでくれていいぜ」
そう告げて、俺は銀剣を緩く持ち上げた。
先程も言ったが、敗戦国の王族であるオグカーバとジオコーザは、もはやまな板の鯉も同然。
本来なら問答など無用なのだ。さっきからいちいち質問をして確認を取っている俺こそが、むしろ優し過ぎると言っても過言ではなかったりする。自分で言うのも何だが。
「――!」
視界の端で窓の位置を確認してから、銀剣を一閃。
気絶しているジオコーザの耳――独特なデザインのピアスをつけたそれを、刹那で切り裂く。
あまり鋭利に斬り過ぎると耳が切断部から離れないので、敢えて少しだけ太刀筋をブレさせた。
すると元からそういうパーツだったかのように、容易にジオコーザの右耳が切り飛ばされた。
この時点で、特に特異な手応えはなし。
理力、魔力の反応も共になし。
俺の感知能力の鋭さは知っての通り。しかも、今は全神経を注ぎ込んで観察している。少しの漏れも見逃さない。
「……?」
違和感。
オグカーバやドレイク国王といった、聖神のピアスをつけた人間の周囲の反応を見るに、秘密を話したり強制的に外そうとすれば爆発でもするのかと思ったのだが――
いや、待て。
――嫌な予感がした。
この時、別に何かしらの兆候があったわけではない。
斬り飛ばしたジオコーザの耳が宙に浮いているのを見つめていた。ただそれだけだった。
なのに突然、特に理由もなく背筋に悪寒が走ったのだ。
「――!?」
おそらく無意識下で、次のような思考が走っていたのだろう。
これまでの出来事の累積、伝え聞く聖術士ならぬ聖神ボルガンのやり口、オグカーバやドレイク国王の反応――
総合して判断するに、根拠はないが、しかし【確信があった】。
こんなの、めちゃくちゃロクでもないことが起こるに決まっているだろうが――と。
転瞬。
我ながら大人げないほどの神速の反応。
まだ頭部から切り離されたばかりのジオコーザの片耳を右の爪先で蹴っ飛ばす。
わりと本気の蹴りだ。一瞬の数十分の一という短い間に、耳は苺ゼリーみたいに赤く潰れて飛散した。
が、件のピアスは砕けない。
言っちゃ何だが俺の蹴りだ。魔王を倒した〝勇者〟の一撃だ。自慢じゃないが宝石だって砕く自信がある。
なのに砕けない。
罅一つ入ることなくピアスは弾丸よりも速く飛ぶ。
前もって位置を確認しておいた執務室の窓めがけて。
もっとも、これほどの勢いならどんな分厚い壁であっても容易くぶち抜いていったかもしれないが。
小さなピアスが窓ガラスを貫通し、外へ。
稲妻のごとき速度だ。
ほんの数瞬で王城から遠く離れて、高い空の彼方へと飛翔し――
もはや俺の肉眼でも見えないほどの距離まで行ったところで、突如としてそれは起こった。
大空に、闇が生まれた。
青空に忽然と現れた、大きな穴のような漆黒の闇。
でかい。
まるで黒い月がごときそれは――しかし蒼穹に開いた穴などでは決してない。
それは、光でさえ逃げられなくなるほどの超高重力場――俺のいた世界で言うところの【ブラックホール】だった。
ジオコーザの肉体から離れたことを感知した聖神のピアスが、直後に城一つを簡単に呑み込むほど巨大なブラックホールへと化けたのだ。
いや、化けたというより――繋げた?
空間を歪曲させ、あらかじめ形成させておいた超高重力場を、ピアスを媒介として召喚させた――のだと思われる。
だからこんなにも顕現が速い。
「――っぶねぇ……!」
堪らず素で声が出た。
我ながら慢心せずピアスを注視しておいて本当によかった――と心の底から思う。
無警戒でいたら、今頃セントミリドガル王城がまるごとブラックホールに呑み込まれ、俺以外の奴が全滅していたところだ。
無音のまま展開した巨大なブラックホールは、しばし闇色の超高重力場を広げていたが、やがてエネルギーが尽きたのか、ゆっくりと萎んでいった。
終始、静かなまま消失する。
後に残るのは、何事もなかったかのように平穏な青空だけ。
安全になったのを確認してから、俺は口を開いた。
「……こうなることを知ってやがったな、ジジイ」
もちろん、詰問する相手はオグカーバのクソジジイである。
こいつだけはブラックホールが展開している間も、変わらず澄ました顔でそこに座っていたのだ。
「――そうじゃな。今となってはおぬしの問いにも答えられよう。【その通りじゃ】。流石は〝銀穹の勇者〟、見事な対応じゃったの。大いなる空はどんなものでも受け入れる、といったところか」
ピアスが消え去ったことで〝縛り〟がなくなったのだろう。オグカーバは笑みさえ浮かべて、軽口を叩く。
「――っざけんなぁッ!」
反射的に怒声が口を衝いて出た。
「テメェ、ここにいる全員を【道連れ】にしようとしやがったな!? 俺だけならともかく、テメェの臣下も、城も、息子も!」
俺はいい。大抵のことなら何とかなる。たとえブラックホールに呑み込まれても生き残る自信がある。
だが、ここにはオグカーバの実の子であるジオコーザはもちろんのこと、こんな状況だというのに側に残っていた武官だっていた。
間違いなく死ぬことがわかっていたというのに、何もしないなどふざけている。しかも、当の本人は死を受け入れた状態で悠々(ゆうゆう)と構えていたのだ。命を軽んじるにも程がある。
しかも、知らないこととは言え、今現在この敷地内にはオグカーバの隠し子であるガルウィンだっているのだ。流石に看過できなかった。
「ジオコーザはともかく、他の連中には事前に避難命令でも何でも出せただろうが! なに平然と巻き込もうとしてやがんだ! それでも民を守る国王か! どこまで耄碌してやがる、このクソ野郎が! 心底見損なったぞ!」
色々と問題も欠点もあったが、それでもかつてのオグカーバは、賢王と言っても差し支えない君主だった。
もちろん、当時は幼い子供だった俺達四人を無慈悲にも魔王討伐に差し向けた件については、現在でもなお許し難い所業だと思っている。だが同時に、当時の状況を思えばオグカーバがそうせざるを得なかったことも、大人になった俺は理解している。
個人的に思うところはあれど、冷静に第三者の立場から見れば、オグカーバは常に妙手を打つ優れた指導者だったと言える。
だからこそセントミリドガルは五大国の中でも頭一つ抜けた強国でいられたのだ。
その一点においては、尊敬すらしていた。
だというのに――なんだ、この体たらくは。
そりゃ腹も立つし、文句もつけたくなるってものである。
俺の駑馬にしかし、オグカーバは鷹揚に頷き、
「……ああ、その通りじゃ。わかっておるとも。余はこの国、史上最低の王じゃ。誰に言われずとも、余自身が一番に理解しておる。この地上でもっとも愚かな王とは、即ち余のことよ」
自嘲の笑みすら浮かべて、あっさり肯定しやがった。その上で、
「……ふぅ……」
全身を使って、大きな溜息を一つ。その所作に、どうしようもなく〝老い〟が感じられ、俺は一瞬だけ言葉に詰まってしまった。
そういえば、俺がこの世界に召喚されて十年になるが、その時からオグカーバの顔はこんなにも皺だらけで、首元の皮膚は紙のように薄く、骨がくっきりと浮かび上がっていただろうか?
いや、違う。俺の第一印象としては、年齢に似合わずやたらと強健な爺さん、というものだったはずだ。
それが今や、加齢によるものか、それとも心労によるものか。枯れ木のように衰えてしまっている。
豪奢な礼装で隠してはいるが、服の下の肉体はほとんどが骨と皮だけになっているに違いない。
「……殺せ。おぬしにはその権利と義務がある」
覇気というものが一切ない声音が、唐突に告げた。
「へ、陛下……!?」「な、何をおっしゃるのです……!?」「お待ちください、国王陛下!?」
途端、俺よりも先に臣下達が騒ぎ出した。
いや、まったくの同感ではあるのだが。突拍子もない――とは状況的には言えないが、それにしたって短絡的な結論である。
「此度の事態、全てにおいて余に責任がある。息子の専横を許し、広がる戦火を止めもせず、世界中を混乱に陥れ、あたら多くの命を散らせた……」
臣下の声を無視して、オグカーバは自らの罪状を読み上げた。淀みない口調は、以前から脳内に台本を用意していたかのようだ。
「よって、我が命をもって贖罪となそう。アルサルよ、そのよく切れる剣でこの首を斬り落とすがよい」
何やら憑き物が落ちたような、どこかスッキリした様子でオグカーバが宣うので、俺は遠慮なく、
「誰がするか馬鹿。いらねぇよ、テメェの命なんざ。ボケるのはもう少し後にしろ、クソジジイが」
にべもなく一蹴してやった。ぺっ、と唾を吐きたいところだったがそれは我慢する。ドクン、ドクン、と俺の中の〝強欲〟が活性化していくのを感じる。
「――……な……?」
一瞬、俺の言葉が本気で理解できなかったのだろう。オグカーバは心底不思議そうな表情を見せた後、凍り付いたように硬直した。さっきからずっと顎髭を撫で梳いていた手がピタリと止まる。
俺はその顔を指し示し、はっ、と鼻で笑う。
「今更テメェみたいなジジイの命に何の価値がある? あるとしたら生きていてこそだろうが。今回の全部が自分の責任だって言うんなら、ちゃんと後始末をしてから死にやがれ。なに当たり前みたいにこっちへ丸投げしようとしてやがんだ。ざけんじゃねぇぞ」
そう簡単には楽にはしてやらねぇぞ、と言ってやった。
そうなのだ。この局面で死なれても普通に困る。
というかだ。
「そもそも、何がどうなってこうなったのか、テメェには説明責任ってもんがあるだろうが。このまま秘密を墓の中にまで持っていくつもりか? なめんな。そんなふざけたこと絶対に許さねぇぞ。エムリスに精神操作の魔術を使わせてでも、何から何まで全部白状させてやる。覚悟しとけ」
そう。ジオコーザとヴァルトル――そういえばあっちのも後で外しておかないとな――のつけていたピアスや、聖術士と名乗る聖神ボルガンのこと、国境付近に配備されていた巨大聖具など、聞きたいことは山ほどある。
似たような状況にあるアルファドラグーンのドレイク国王からは詳しい話を聞き出せなかったので、今回こそ絶好の機会なのだ。
死んでもらうわけにはいかない。殺すなどもってのほかだ。
それに、
「あと、テメェにはやってもらわなきゃいけないことがたっぷりあるんだ。【この国をこのまま続けて行くためにも】、な。そのためにも生きていてもらわなきゃ困るんだよ。普通に。どうしても死にたいっていうなら、やることやってからにしてくれ。それなら俺も文句はねぇから」
我ながら口が悪いことだと思いつつも、一切改める気になれない。やりたいことだけやって――というか、やらかすだけやらかして、悲劇の主人公を気取ったまま死なれたんじゃ、後に残されるこっちはいい面の皮だ。
優しくしてやろうだなんて微塵も思えないな。
「……それはどういう意味じゃ、アルサル。余やジオコーザの事情はともかく、余の首を落とさずしてどう事態を収める? 余が言うのも何じゃが、おぬし以外の者はそう容易く納得はせんぞ。少なくとも『セントミリドガル王家』は制裁を受ける必要があろう?」
おっと、このあたりは賢君だった頃の名残か。なかなか鋭い指摘をするじゃないか。
「ああ、もちろんだ。アンタやジオコーザの命はともかく、今度ばかりは【セントミリドガル王国に滅びてもらう】。そのつもりだ」
「ならば――」
「だから話は最後まで聞けって。国を亡ぼすと言っても、何も国土を焦土と化す必要はないだろ? 国の滅亡っていうのは、つまるところ主権の喪失だ。今回で言えば、セントミリドガル王国の主権が失われれば、それで国家の終焉ってことになる」
この時、執務室のあちこちから生唾を嚥下する音が響いた。セントミリドガルの高官達だ。
さもありなん。さっきから何度も『セントミリドガル王国を終わらせる』といった旨の発言を繰り返しているのだ。当事者らとしては気が気ではないだろう。
「――けどまぁ、いったん失われた主権ってのは取り戻すのが大変だ。なにせ実際に存在する物質じゃなくて、概念だからな。他国が認めなければ、それは〝主権〟とは言えない。特に五大国筆頭セントミリドガルのそれともなれば、尚更だ。一度でも滅びて主権を失えれば、他の四大国は二度とその復活を認めない。何が何でもな」
政治に明るくない俺でも一応、基本的な知識ぐらいはある。
国家の存在というものは、主体的であると同時に相対的なものだ。自ら主張し、他がそれを認めないことには存在し得ない――それが〝国家〟という概念である。
故に、おいそれと失わせるにはいかない、貴重なものなのだ。
「……首を挿げ替えるつもりか」
「ご名答」
早くも結論に至ったオグカーバに、俺は指を鳴らして肯定した。
「アンタの王位を正式な手順で譲ってもらう。簒奪は簒奪でも、平和的かつ他から文句をつけられない形での王位簒奪だ。だからアンタには生きていてもらわなけりゃ困る。アンタが死ねば王位は自動的にジオコーザのものになるはずだが、こいつの精神はピアスの影響でどうなってるかわかったもんじゃない。老いさばえたと言っても、まだアンタの方が話が早いはずだ」
これは実際、シュラトがムスペラルバードで行ったことでもある。
強大な武力を盾に王位を譲れと迫り、相手を殺すことなく正式な手続きをもって王座につく。
もちろんナイフの刃を喉につきつけながら――つまり脅迫しながらのことなので、褒められたものではないが。
しかし先程も言ったように、国家の主権とは【認められること】こそが何よりも重要なのだ。
一度でも喪失した主権は、『在る』と主張しても反対される。だが、現在進行形で存在するものをそのまま譲り受けたとあれば、他からの反対は封殺できる。
何故なら、既にある主権を否定することは、即ち国家の全否定。
いわば戦争への一本道。
君主が狂ってでもいなければ、外交上では決してとらない手法なのだから。
ま、そうは言っても現在のセントミリドガルの現状を考えれば、大した差はないかもしれないのだが。
なにせ東西南北の大国と全面戦争の最中だ。まさに四面楚歌。さらには、今は俺の傘下に入っているとはいえ、反乱を起こした貴族軍の存在もある。
よくもまぁここまで国を壊したものだ、と気絶しているジオコーザを見てしまうが、そもそも元凶は聖神のピアスだ。
そういう意味ではこいつには罪がないのかもしれないが――いや、どうだろうか。
アルファドラグーンのモルガナ妃もそうだったが、完全に操られているというより、理性や建前をかなぐり捨てているだけで、割と本性が剥き出しになっている感があったしな。
本音に正直になったというか、人目を気にしなくなったというか。
ま、ジオコーザの処遇はともかくとして――
「つまり、正規の手順でおぬしに王位を譲ってから死ね、と。そういうことか?」
「大筋ではその通り。だが、ちょっとだけ違うな」
俺の思惑を端的かつ底意地の悪い解釈に変えたオグカーバに、俺は人差し指を立て、チ、チ、チ、と揺らす。
その時だ。
外の廊下からバタバタと騒々しい足跡がやって来たのは。
「――アルサル様ッ! 遅ればせながらガルウィン・ペルシヴァル、ここに参上いたしましたぁ!!」
バァン! と重厚な扉を蹴破って飛び込んできたのは、俺の元教え子にして眷属、そして目の前の老王の落胤であるガルウィンだった。その後ろには、率いられてきたムスペラルバード兵がずらりと並んでいる。
うん、まぁ理術で居場所を把握していたので、こっちに近付いて来ていることはとうにわかっていたのだが。
俺はガルウィンに振り返り、思わずニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「――? アルサル様……?」
意味深な俺の表情と目線に、ガルウィンが呆気にとられる。あるいは既に執務室が制圧済みなので、肩透かしを食らったようでもあった。
そんなガルウィンに構わず、俺はオグカーバへと向き直り、
「喜べ、ジジイ。王位を継ぐのは俺じゃない。ここにいるアンタの隠し子、ガルウィンだ」
そう言った瞬間、部屋の空気がガラスのように硬直したのがわかった。
さもありなん。自分で言うのもなんだが、俺の発言は爆弾そのものだった。
「――――」
オグカーバは絶句。
「え……?」
ガルウィンは愕然。
そして、セントミリドガルの臣下らは総じて顔面を蒼白に染めていた。
無論のこと、これらの反応は予想できたので俺は構うことなく続ける。
「こいつなら血筋的にも問題ないはずだ。なにせアンタの実の子な上、ジオコーザよりも早く生まれているしな。ある意味、正統な後継者だろうよ」
前にも言ったが、オグカーバに隠し子がいることは公然の秘密である。つまり、誰もが知っていて、誰もが知らない振りを決め込んでいた禁忌なのだ。
だからこそ、俺はここでそれを突きつける。
これは他でもない、お前が撒いた種なのだ、と。
文字通り、まさに。
「アンタの王位はこいつに譲ってもらう。本来なら国民の反対もあったかもしれないが、状況が状況だ。肌の色が違うと言っても、今ならむしろ歓迎されるはずだぜ。戦争の引き金を引いたジオコーザに比べたら、な」
平和な時だったのなら国民の反発は強かっただろう。
だが今は平時ではなく非常時だ。
有事の際は、平穏な時には忌避されるであろう選択が、むしろ喜ばれる。
直系ではない、しかし王家の血筋であれば、地盤のしっかりした安心感とともに、革新的な期待感もまた生まれる。
オグカーバとは似ても似つかぬ浅黒の肌も、こうなっては利点でしかない。
南国ムスペラルバードの流れを汲むガルウィンの容貌は逆に、セントミリドガルの国民に熱く新しい風を感じさせることだろう。
少なくとも、国民の痛みを無視して大戦争を引き起こしたジオコーザに比べたら、ガルウィンの方が遙かにマシだと思うはずだ。
「そうなれば、アンタもジオコーザも晴れて失脚だ。後は好きにすればいい。どっかに引っ込んで親子でひっそり暮らすのもいいし、死にたいのならどこぞで野垂れ死ねばいい。ああ、俺もガルウィンもアンタらとは違って、いきなり処刑だのなんだのとは言わないから安心してくれていいぜ? そういうのはそっちの専売特許でいい。もちろん、これからのガルウィンの邪魔さえしなければ、の話だけどな」
と、俺が調子よく話していると、
「あ、あの、アルサル様っ!?」
「ん? どうした、ガルウィン? いや、ガルウィン国王ってか?」
律儀に挙手しながら声を上げたガルウィンに、俺は振り返ってニヤニヤと笑いながら続きを促す。
予想通りガルウィンは周章狼狽の体で、
「ど、どういうことですか!? 一体何の話なのです!? 王位!? わ、私が国王!? 意味がわかりません! 何も聞いていませんよ!?」
最後のは、事前に話を通してもらっていないぞ、という意味だろう。美貌の偉丈夫が今にも泣きそうな面をしている。
「そりゃ言ってないからな。でもま、もう決まったことだ。諦めて受け容れてくれ」
そう言ってガルウィンの抗議を一蹴する。あちらとは正反対に、満面の笑みで。
そう、これこそが俺の目論んだ計画。
国王なんて重くて面倒な地位を捨て、再びスローライフの旅に出るための起死回生の秘策。
即ち――『世界の王』なんて柄でもない立場なんぞガルウィンやイゾリテに任せて、俺はのんびりスローライフな人生を送る作戦! である
俺は親指を立ててウインクを一つ。
「よろしく頼むぜ、【世界の王】ガルウィン様!」
「そ、そんなぁ……! お考え直しくださいアルサル様!? そんなの無茶ですから!? あのアルサル様ッ!? アルサル様ッ!? 聞いておられますかアルサル様ッ!?」
もちろん聞いてない。聞く耳など持たない。持ってやるものか。お前だって前に俺相手に似たような対応していただろう?
「はぁ……これでようやく肩の荷が下りる……」
俺はガルウィンの声を完全に無視して、安堵の息を吐いた。
正直ここまで来るのはちと面倒だったが、結果は上々だ。
ジオコーザの暴走を止め、オグカーバの公然の秘密もぶちまけた。
ガルウィンが俺の指示に背くことなどあまり考えられないし、駄々をこねるようなら『なら俺は上皇ってことで。君臨すれども統治せずってやつで。細かいことはお前やイゾリテに任せる』とでも言えばいい。
実に順調だ。
全て終われば、俺は心置きなく旅に――
と思った矢先だった
『 やあやあ人類の諸君! お元気かい? ハローエブリバディ! 』
出し抜けに妙な声が空間そのものに響き渡り、正真正銘、俺は度肝を抜かれてしまった。
「……は!?」
しかも、どこか聞き覚えのある声音だったので、余計に不穏な空気しか感じられない。
「――何事じゃ?」
俺の『ガルウィンをセントミリドガル国王』作戦を聞いて硬直していたオグカーバまで、予想外に過ぎる事態に椅子から腰を浮かせ、辺りを見回す。
「へ、陛下! あれを……!」
と言って窓の外を指差したのは、理術で遠見のスクリーンを展開していた武官の一人。
その人差し指がつい先程、俺がジオコーザのピアスを蹴飛ばして外へ放り出したのと同じ窓を示している。
果たして、ちょうどピアスが巨大ブラックホールに変じたのと同じ座標あたりに、これまた大きな映像スクリーンがいくつも浮かび上がっていた。
どうも、どの方角から見ても映像が見て取れるよう複数枚のスクリーンを同時展開しているらしい。
そこに映っているのは――
『 知っている人もいるかもしれないが知らない人も多いだろうからね、自己紹介しよう! ボクの名はエムリス! そう、今から十年前に魔王エイザソースを倒した勇者一行が一人! 〝蒼闇の魔道士〟エムリスだ! どうか以後お見知りおきをってね! 』
マジでエムリスだった。
冗談抜きで本物のエムリスだった。
なに横ピースとかしてやがんだアイツ。
意味がわからない。
「……はぁ!?」
堪らず変な声が出た。
大空に浮かぶいくつもの巨大スクリーン、そこに映る笑顔の旧友に対して、得も言えぬ感情が爆発しそうになる。
「なにやってんだアイツ!?」
俺の知っているエムリスは、こんな目立つことをするような奴ではない。
なにせ、あいつの中には〝怠惰〟の因子が宿っているのだ。このような、明らかに面倒事になりそうなことをするなど、通常では考えられない。
いやマジでなにやってんだ、アイツは?
『 さて、突然で驚いた人も多いことだろう。だがボクは謝らないっ! あ、でも寝ていた赤ちゃんが起きてしまったのならごめんなさい。そこは謝るよ、ほんとごめんね? 』
「……何言ってんだお前……」
わざわざ魔術――規模からすれば大魔術とも超魔術ともいえる――を使ってまで、どうでもいいことを言うんじゃない。
というか、さっきの『やあやあ人類の諸君!』から察するに、もしかしなくても世界中の主要都市の上空に映像を投影しているのか?
そういえば魔界というか『果ての山脈』でも似たようなことをやっていたな。昔はこんなこと全然やってなかったはずだが、もしかして好きなのか? こういう演説じみたパフォーマンス。
『 早速だが本題に入ろうか。耳の穴をかっぽじって、ようく聞いてくれたまえ。このボク、〝蒼闇の魔道士〟エムリスは全人類に告げる 』
すっ、とエムリスの表情が引き締まった。
途端、おちゃらけた雰囲気が霧散する。
というか、エムリスの背景にある赤い空、もしかしなくても魔界か?
嫌な予感しかしない。
『 これよりボクは君達人類に対して宣戦布告する! 我が軍勢は魔界の軍勢! 即ち元魔王軍だ! この意味はわかるね? 』
ニヤリと実に露悪的な笑みを浮かべ、仄かに青白く輝く双眸を弓形に反らす。
『 そう、ボクこそが新たなる魔王! その名も魔王エムリス! というわけで、これから君達を滅ぼすために侵略戦争を開始しようと思う! せいぜい頑張って抗ってくれたまえよ! 』
想像以上の爆弾発言に、俺の頭の中は真っ白になった。
「――――」
絶句というか、開いた口がふさがらないとはまさにこのことだ。
言っている言葉の意味はわかるが、その意図がさっぱり理解できない。
スクリーンのエムリスは一転して、にっこり、と笑顔を浮かべ、さらには可愛らしく両手を振り、
『 イエーイ、アルサル見てるー? そういうわけだから、人類側の統率はよろしく頼むよー? せいぜいボクの軍勢に負けないよう頑張ってねー? 』
よりにもよって世界同時中継で俺の名前を出しやがった。
それも、めちゃくちゃフレンドリーな態度で。
これ絶対、世界中の人間が誤解したぞ。
色んな意味で最悪だ。
『 それじゃあまず最初の標的はアルファドラグーンだね。聞こえているかな、ドレイク国王にモルガナ妃? あー特にモルガナ妃、前にボクのことを〝魔女〟呼ばわりした件についてはまだ忘れてないからね? どうか首を洗って待っていておくれ。言うまでもないけれど、ボクはどこぞの〝勇者〟とは違ってさほど優しくはないよ? なにせ〝魔道士〟――【魔の道を往く者】なのだからね 』
うふふ、とどこか蠱惑的に笑うと、エムリスは仰々しい動作で右の掌を前へ突き出し、
『 さあ、開戦の狼煙だ! 派手にいこうじゃあないか! これから『果ての山脈』に大きな風穴を空けてあげよう! 〝龍脈結界〟ごと吹き飛ばす、この魔王エムリス一世一代の爆発ショーさ! 』
エムリスの現在地はおそらく魔界、それも『果ての山脈』の付近で。
そして俺の現在地は人界の中心部に近い、セントミリドガルの王城で。
お互いの間にはアルファドラグーンという国一つが挟まれており、距離で言えば途方もない開きがあるはずなのだが――
空恐ろしいことにこれだけ離れていながら、エムリスの魔力が冗談事ではない勢いで膨張していくのがわかってしまった。
遠く離れた土地で、しかし吐き気を催すほどの魔力制御が実行されているのを感じる。
それはさながら、山向こうに広がる、稲妻を孕んだ真っ黒な積乱雲を見つけたような気分で――
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
『 BANG☆ 』
いつか『果ての山脈』に大きな穴を穿った時と同じように、無駄に可愛い子ぶりっ子した声でエムリスが言った。
片手を拳銃の形にして、何かを撃つような仕草と共に。
この日、世界全土が揺れ、『果ての山脈』は山脈ではなくなった。
中央部分を大きく抉り取られ、連なりが断絶してしまったのだ。
まるで大空に棲む巨大な悪魔が、その大きな手で山脈の真ん中を削り取り、持ち去っていったかのごとく。
残されたのは、干上がった大河のごとき峡谷。
それは魔界にいる魔王軍からすれば、格好の進軍路に他ならない。
谷の幅は百万の魔物の軍勢が悠々と通り抜けられるほど広く、『果ての山脈』全体に張り巡らされていた〝龍脈結界〟も、エムリスの言葉通り大きく破損してしまった。
もはや、人界を守る防波堤は失われてしまったのだ。
そう。
それはあまりにも突然過ぎる――
悪夢の始まりだった。
第四章 完
いつもお読み頂き、誠にありがとうございます。
作者の国広仙戯です。
これにて第四章、完結です。
混沌とした展開になってまいりましたね。おのれエムリス。
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そして、大変申し訳ありませんがここでストックが尽きました。
また書き溜めてから、投稿を再開したいと思います。
それでは、また投稿再開時に新たな章の始まりにて、お会いいたしましょう。




