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●45 新世界の魔王






 この世界が聖神らによって生成された箱庭で、何もかもが『作り物』であることについて、別にいなやはない。


 昔から疑問だったのだ。


 何故、魔王なんて存在がいるのか?


 何故、勇者を始めとした英雄達の伝説なんてものがあるのか?


 何故、迷宮の奥深くには宝箱があって、その中に貴重なものが入っているのか?


 何故、魔物を倒しても倒しても、絶滅することなく新たに出現してくるのか?


 ――その全てが聖神の手による『作り物』だったというのなら、なるほど、納得しかない。


 どれもこれも、ゲームには必須みたいなものだからな。


 迷宮にキーアイテムがなければ誰も潜らないし、魔物が全滅したら魔王との闘いまで間が持たない。


 わかる。とてもわかる。わかるとも。


 ふざけんな、とも思うが。


 理術や魔術、聖術なんかもそうだ。非科学的で、不思議なことが起こって当たり前の世界。理屈なんて関係ない。必要ない。そういう設定なのだ。何も不思議なことではない。ただ、それだけのこと。


 結局、創造した聖神にとっても、ここに住まう人類にとっても、都合がよかったのだ。色々な意味で。


 だから、文句はない。そういうものだ、と割り切れる。


 しかし。


 俺達四人が【殺せないはずの魔王を殺した決定打】である『八悪の因子』については、その限りではない。


 ヘパイストスを筆頭として、聖神らの反応を見る限り、どうやら八悪の因子とは奴らをして未知のものであるらしい。


 あり得ないそうだ。俺達のような『住人』が箱庭の根幹に影響を与えることなど。


 そして、そのような干渉を可能とさせる概念が存在することも。


 その点を加味して考えると、俺達を箱庭から排除しようとしていたヘパイストスの行動にも、ある意味で納得がいく。


 はっきり言おう。


 ヘパイストスのやり口は、実に【しょぼかった】。


 いや、確かに効果的ではあったのだ。俺の社会的地位は見事に剥奪されたし、エムリスは工房を焼かれ、シュラトは望まぬ暴走をいられた。まぁ、暴走に関してはニニーヴも含め俺達全員がそうさせられたとも言えるが。


 聖具をもちいた世界の混乱も、なかなかのものだった。魔王軍への対抗手段としてかつて人類に授けられた、超弩級の古代聖具。肝心の俺達にとっては大したことない代物ではあったが、乱れに乱れた人界の様相には、かなりの影響を与えた。


 極めつけは、イゾリテのような自爆要員だ。聖術士ボルガンに扮したヘパイストスは、俺だけでなくエムリスやシュラト、ニニーヴの関係者にも満遍なく自爆用の道具を手渡していた。何ならジオコーザやヴァルトル、アルファドラグーンのモルガナ王妃がつけていたピアスも、その一種であったのだ。


 結局の所、ブラックホールを生み出す例の爆弾は、俺に傷一つ負わせることも出来なかったが。


 そう、逆に言えば、【その程度】でしかなかった。


 ヘパイストスが画策した無数の策は、どれも俺達に致命的な打撃を与えるまでには至らなかった。


 色々と困ったり、面倒なことになったり、苦労はさせられたが――所詮はその程度でしかない。


 何の痛痒もないとまでは言わないが、かと言って俺達が本気で追い詰められたかというと、答えはノーとなる。


 故に、大言壮語の割には『しょぼかった』というのが、こちらの総評だ。


 とはいえ、である。


 もし仮に、俺に八悪の因子が宿っていなかった場合――アレはなかなか効果的な攻撃だったことが判明している。


 そう、あのブラックホール爆弾は、魔王エイザソースにすら痛手を与えるほどの威力を有していたのだ。


 ヘパイストスの箱庭に関する技術力はオリュンポス随一だという。そのヘパイストスが苦心の末に編み出したのが、箱庭で最大の破壊力を発揮しつつ、その効果範囲を限定的に絞り込む爆弾――つまり、件のピアスやペンダントに仕込まれていた自爆兵器だったわけだ。


 ヘパイストスにとっては、これ以上ない最終兵器だったといえよう。完全無欠と称していい魔王にすらダメージを与える究極の爆弾――これに耐えられる箱庭の住人など、絶対にいない。死ぬことがないのは、不死属性を与えられた魔王のみ。故にこそ、炸裂すれば例え英雄ユニットすら即死する――その様子を思い描き、ほくそ笑んでいたに違いないのだ。


 だが、ヘパイストスは八悪の因子を知らなかった。俺達が魔王を殺し、討伐の旅から生還せしめたのは、他所よそ神社かいしゃの不法介入によるものだとばかり考えていた。


 だからこそ、見誤った。


 まっとうな方法で俺達を殺せるものと。


 勘違いするのも、むべなるかな。無知は罪なり、という。個人的にはなかなかの暴論だと思うが、この件に限ってはまさにその通りとしか言いようがない。


 エムリスが外部世界から呼び寄せた八悪の因子は、ヘパイストスの想像を超える力を有していたのだから。


 正直、俺達自身もこれほどまでとは思っていなかった。当時は単純に『魔王を倒せるのならそれでいい』としか考えてなかったのだし。


 いや、もっとぶっちゃけよう。魔王を倒しさえすれば後はどうにでもなれ、とさえ考えていた。なにせ各々が元の世界に戻ることすら諦めていたのだから。魔王と差し違える覚悟で、俺達は文字通り【悪魔に魂を売り渡した】のだから。


 そんな思いで手にした力が、よもや世界を創造した神々をも超える次元だったとは。


 当の俺達ですら予想だにしていなかったのだ。事情を知らないヘパイストスおよび聖神らが見誤ったのも、当然と言えば当然の話。


 とはいえ、今もなお八悪の因子の正体については、わからずじまいだ。


 エムリス曰く、


『アルサルから聞いた話を総合すると、高次元である聖神の世界よりも更に上位――ことによると、上位の上位の次元から来た力かもしれないね。まぁ、それを定かにするすべはないのだけれど。いや、ない、と断言するのは違うかな。〝今はまだわからない〟と言った方が正確かもしれない。何にせよ、八悪の力を呼び寄せたのは他でもないこのボクだ。いつかきっと、その正体を曝いてみせるとも』


 とのことで、これからも絶えず研究を続け、必ず真相を突き止めてみせると決意を新たにしていた。






 さて。


 自分で言うのも何だが、結果として俺は『支配者』というものになってしまったらしい。


 さもありなん。


 箱庭と呼ばれるこの世界を創造した聖神を眷属とし、支配下に置いたのだから。


 つまり、俺こそが神。


 唯一神にして絶対神というわけだ。


 馬鹿馬鹿しい。


 そも、俺はスローライフを送るつもりでセントミリドガルから出奔したのである。


 日々をのんびり過ごして生きようと考えていたのだ。


 それが、どうしてこうなったのか?


 いや、言うまい。そして考えるまい。


 どうせ自業自得だ。俺も大人になった。流石にそれぐらいもうわかっているのだ。


 すでに覚悟は決めていたのだ。とうに腹は括ったのだ。


 イゾリテを取り戻すと、誓いを立てたその時に。


 だから文句を言うつもりはない。自分が選んだ結果だ。粛々と受け容れようではないか。


 まぁ、ものには限度ってものがあるので、そこを超えた事象については例外とさせてもらうが。






 そんなこんなで、あれからどうなったかについて語ろう。


 艱難辛苦を乗り越え、イゾリテを取り戻した後の顛末だ。




 ざっくり言うと、大抵のことは【力尽くで解決した】。




 いや、もちろん、こんな一言だけで済ますつもりはないので安心して欲しい。


 まず、気になっているであろう聖神の扱いについて。


 言うまでもなく、まずは全員に『お仕置き』を執行した。


 全員というのはもちろん、奴らの言葉を借りれば『希臘式きろうしき神社かいしゃオリュンポスに所属する聖神すべて』を指す。


 例外はない。


 社長だかCEOだか知らないが、トップのゼウスから始め、底辺の下っ端にいたるまで、一人残らず全員を対象とした。


 どんな『お仕置き』をしたのかって? 決まっている。こっちでポセイドンやアテナにぶっ込んだのと似たようなものだ。


 心が折れるまで延々となぶる――畢竟ひっきょう、ある意味ではまっとうな命を持たず、時の流れの概念も関係なく永遠を過ごす聖神には、これ以上の仕打ちはないのである。


 というか、肉体的苦痛が意味をなさないのであれば、精神的苦痛を与える他ないではないか。


 一応、殴る蹴る以外にも『アバターに宿った状態で狭いところに長期間閉じ込める』という手も思いついたが、これは流石に残酷すぎるので封印した。まぁ、無抵抗の相手に暴力を振るうのも大概なので、偉そうなことは言えないが。


 当然ながら、一件の主犯であるヘパイストスには特に念入りに『お仕置き』を執行してやった。


 元はと言えば全部あいつが悪い。あいつが余計なことをしなければ、こんなことにはならなかったはずなのだ。


 まぁ逆に考えれば、あの馬鹿のおかげで〝勇者システム〟なんてふざけた仕組みを撤廃てっぱいすることができた、とも言えるのだが。


 雨降って地固まるというか、災い転じて福となすというか。


 とはいえ、それはあくまで結果論だ。


 しかもヘパイストス自身がこうなることを想定したわけでもない。よって、奴を褒め称える理由にはならない。


 聖神に、これまで人類を含めた多くの生命をもてあそんできた罰を与えた後は、もちろん贖罪の時間である。


 罪をあがなうと言っても、特別なことをさせるわけではない。


 俺は奴らに『これまで通り【しっかり】箱庭を運営すること』を命じた。


 そう、今度こそは〝勇者システム〟なんて余計なものに頼らない、まっとうな箱庭運営を――だ。


 そもそもの問題は、箱庭を見世物にしていた点にある。


 奴らにとって、箱庭運営の対価としてユーザーから得られる『娯楽ポイント』とやらは、言ってしまえば自己満足のための代物でしかない。


 なにせ聖神は情報生命体。いわゆる『星幽アストラル体』には死の概念がなく、よって餓死もない。稼ぎがなくて野垂れ時ぬ、なんて事態はあり得ないのだ。


 ただ単に人気を取りたい、有名になりたい、チヤホヤされたい――そういった『目立ちたがり屋』の欲求と何も変わらない。


 神社かいしゃを運営している聖神らが名声を得て悦に入る――ただそれだけのために、数多くの英雄と魔王が生み出され、殺し合い、果てていったのだ。


 いや、過去形ではない。


 オリュンポス以外の神社が運営している箱庭では、今もなお勇者と魔王の不毛な争いが続けられている。そして、それらを止めない限り、これからも同じことが繰り返されるのだ。何度でも。


 ふざけるな、と言う他ない。


 命というのは、そんなに軽々しいものでは絶対にないのだ。


 いずれは他の神社もどうにかしてやろうと思いつつ――


 ともあれ、今は目の前にある箱庭を優先するしかない。


 箱庭運営の建て直しについては、専務のアポロンに一任した。


 お察しの通り、ゼウスとヘラの二柱ふたりはお話にならないからだ。


 おおよそ聖神の格としては最上位に位置する連中なのだろうが、それだけに能がない。細かい雑事は下々の者に任せてきたせいか、見事なまでに何の業務も遂行できないのだ。


 君臨するだけの無能――それが主神と副主神に対する俺の総評である。


 ひるがえってアポロンは実に有能な聖神だった。ゼウス&ヘラの馬鹿夫婦から無茶振りばかりされてきたせいだろう。経験豊富な上、頭も切れる。ゼウスがお飾りの主神しゃちょうだとしたら、実質的な主神はアポロンと言えよう。


 殴り込みで見かけた際の印象は間違っていなかった。アポロンは役に立つ。業務の処理能力なら随一の有能聖神だ。


 そういえば、そのアポロンがこんなことを言っていた。


『なんかですね、理屈はよくわかんないんですけど、すごいことになりました。ほら、オレ達ってアルサル様の眷属になったでしょ? 驚いたことに〝眷属化〟の効果が出ているらしくて。つまり――【パワーアップ】、しちゃってるみたいなんですよね』


 あくまで勇者および英雄ユニットの〝眷属化〟は、箱庭内でこそ発揮できる機能のはずだった。しかし、俺はその制限を超えて『世界の外』――即ち聖神の拠点である高次元でそれを行使した。


 結果、理屈はよくわからないが〝眷属化〟の効果は順当に発揮され、各々の聖神は俺に従属しつつ、さらにはガルウィンやイゾリテがそうだったように、各種の能力が著しく向上したらしいのだ。


 これは正直、予想の範囲外だった。よもや情報生命体である聖神に、【成長】などという概念が通用するとは。


 しかし、考えてもみれば聖神の中でも格差があり、上下が定められていたのだ。肉体といった不安定なものを排除した聖神といえど、完全に不変というわけにいかないのは、なるほど道理である。


『でもって〝眷属化〟でパワーアップできちゃったおかげか、何か平気なんですよね。ユーザーからのクレームとかお叱りとか罵詈雑言とか。あとアルサル様にフルボッコにされたこととか。なんて言うんですかね? 特にトラウマにならないっていうか、メンタル強くなったっていうか? もう別に娯楽ポイントとかもらえなくてもいいやー、みたいな? そんな精神状態でして。いや、これっていいのか悪いのか判断に困るんですけどね。マジ意味不明ですよ』


 とりあえず、影響としては良い方向へと転がっているらしい――と俺は結論づけた。


 元々、聖神の自尊心を満足させるために必要だった娯楽ポイントだ。それがなくともメンタルが安定するのであれば、実に喜ばしいことではないか。


 これは、あれか。普通の人間ならガルウィンやイゾリテのように肉体的な能力が向上するところを、聖神は肉体を持たないが故に精神の方が強化された――という感じか。相手によって効果まで変わるとは、恐るべし〝眷属化〟。


 まぁ、精神的な死がそのまま存在意義の消失となり、情報的意味を喪失してゴミデータの群れと化す聖神にとって、メンタルの充実は必要不可欠な要素だ。


 方針を変え、娯楽ポイントを積極的に求めない箱庭運営をしていく上で、これは嬉しい誤算である。


 そうそう、パワーアップと言えばだ。


 俺はもちろん八悪の因子を全て取り込み、〝勇者〟でありながら〝魔王〟だの〝神将〟だの〝覇者〟だのと不特定多数の属性を得てしまった結果、まさしく別次元の存在へと昇華してしまったわけだが。


 どうも、その影響が聖神だけにとどまらず、元から俺の眷属だったガルウィンは当然のこと、何故かエムリス、ニニーヴ、シュラトと言った仲間達、ひいてはその眷属のイゾリテにまで及んでしまっているようなのだ。


 無論、シュラトの眷属であり妻でもあるレムリアとフェオドーラも同様に。


 特にガルウィンとイゾリテの二者はそれが顕著だった。何故かというと、


『王族ユニットだからですねー』


 というのがアポロンの弁。


『どの箱庭でもそうなんですけどね、王族ユニットは基本的に高い能力が設定されているんですよ。そういうデザインなんで。ほら、場合によっては王族にして勇者とかアリな展開でしょ? そういう時のために最初からキャパシティ多めに設計されているんですよね』


 他にも遺伝属性がどうのと専門用語を交えて説明してくれたが、要するに箱庭において『王族の血統は特別』ということらしい。道理であの二人が俺とエムリスの眷属になった際、解放された潜在能力が予想以上に大きかったわけである。


 王族の肉体――聖神が呼称するところの『王族ユニット』は通常のそれより強いポテンシャルを持つ。


 そのせいか英雄の眷属になった際の効果も大きく、また主たる俺やエムリス、シュラトの力が増大した場合、その波及はきゅうもまた強くなる。


 つまり何が言いたいのかというと――ガルウィンとイゾリテ、この二人の力と権限が『スーパーアカウント』に匹敵するものになってしまったのだ。


 かてて加えて、俺は〝魔王〟としての属性を得ている。それもあってか、二人には『魔族』としての属性が付与されてしまっていた。


 いや、うん。なんというか――もう滅茶苦茶だ。アポロンが言っていた通り、マジで意味不明である。


 とりあえず詳しいことを調査するようアポロンに命じてはいるが、根本原因はおそらく八悪の因子と思われるため、完全解明は不可能だろう。


 とりあえず判明していることをわかりやすく羅列すると。


 俺、滅茶苦茶すごくなった。


 仲間達、何故か俺につられたように、超絶すごくなった。


 それぞれの眷属、どういう理屈かわからないが、とにかくすごくなった。


 ――我ながらなんて頭の悪い話だろうか。


 いや、一応だが理屈がないこともない。


 今でこそ八悪の因子は俺の中でひとまとめになっているが、それまでは仲間達の内部に宿っていた。それ故、受け渡し――というか〝強欲〟で奪ったわけだが――の際に、俺達四人の間に不可視のリンクが出来てしまったのではないか、と予想している。


 例えるなら――因子そのものは俺の中へと集約されたが、それぞれの【所有権】は未だ仲間達のものなのではないか、という考え方だ。


 今は俺が各因子を【借りている】だけであり、あくまで所有権はエムリスやシュラト、ニニーヴのままである――と。


 その結果、俺達四人の間には観測不可能なネットワークが構築され、それをもって情報の同期がなされているのではなかろうか。


 よって、俺の身に起きた変化と同じような影響が、仲間三人にも出ている――と。


 あくまで仮説だ。だが、他に考えようがない。あるなら教えて欲しい。マジで。


 しかしそう考えると、俺達の眷属にも影響が出るのも当たり前の話なわけで。


 おそらく俺を発端として、正体不明かつ意味不明かつ理解不能な力が、目に見えないネットワークを介し、隅々にまで拡がっているのだろう。


 敢えて自分を棚上げにして言うが――なんとはた迷惑な話か。


 ちなみに俺が超絶パワーアップした影響がどれほどかと言うと。


 例えばイゾリテで言えば、魔力が魔光を放つまでに強化されてしまっている。


 先程ガルウィンとイゾリテには『魔族』属性が付与されたと言ったが、魔光を纏えるとなれば、もはや上級魔族も同然である。


 人類としての限界を遙かに超え、なんなら魔王を討伐した頃の俺達に匹敵する能力を得ているまである。


 いっそ〝勇者〟の称号と立場をガルウィンに譲渡できないものだろうか――そんなことを頭の片隅で考えてしまうほどだ。


 一方、俺の仲間三人はというと――


 簡単に言えば、聖神とほぼ同等の権能を持つにまで至った。


 そう、いまやエムリス、シュラト、ニニーヴの三人は八悪の因子のブーストがなくとも、聖神のいる高次元へ昇華シフトすることが可能となっている。


 しつこいようだが――うん、意味がわからない。


 何がどうなってこうなったのか、さっぱり理解できない。


 できないが――実際に出来てしまうようになったのだから、仕方がない。


 そういうものだ、と受け容れる他なかった。


 これまたアポロン曰く、


『……はっきり言って、皆さんゼウス主神しゃちょうよりも格上ですね。もう比べるまでもないというか、見た瞬間に確信できるというか。ああ、このことが伝わったらまたヘラ副主神がまたうるさくなるなぁ……あ、アルサル様、その時はまたどうにかしてくださいね、マジで。あの女神ひとヒスったらマジ面倒くさいんで』


 とのことで、俺ほどではないが三人の格――いわゆる〝神格〟というやつだろうか?――は、神社かいしゃ主神しゃちょうクラスを遥かにしのぐものだということがわかった。


 考え方を変えれば、八悪の因子がなくとも並の聖神以上の存在になれたということで。


 それなら『再び八悪の因子を各々に戻してもいいのでは?』という話にもなった。


 というわけで実際に〝怠惰〟と〝残虐〟をエムリスに、〝色欲〟と〝暴食〟をシュラトに、〝憤怒〟と〝嫉妬〟をニニーヴに返却したところ。


 なんと、因子の影響がほとんど出ないことが判明した。


 これは何故かと言うと、エムリスの推察曰く、


『おそらくはこれまでのボク達の肉体――つまり、この箱庭におけるアバターだね。その規格が、あまりにも八悪の因子と合っていなかったんだろうね。いや、【レベルが低すぎた】、と言うべきかな? 子供用の三輪車にレーシングカーのエンジンなんて搭載したら、当然ながら目も当てられないことになる。これまでのボク達はちょうどそんな感じだったんだろうさ』


 過剰性能オーバースペック


 外部世界から招来した八悪に秘められた力は、まさしく別次元。そんなものを矮小な人間の身に宿していたのだ。


 制御なんてまともにできるはずもなかったというわけさ――そう言って、エムリスは自嘲気味に笑った。


 先述の通り、八悪は聖神ですら把握できない強大な力を有する。


 だというのに、聖神よりも下位の肉体アバターしか持たない俺達に、八悪をどうにかできる道理など最初からなかったというわけだ。


 逆に言えば、聖神を超越した存在へと昇華した今なら、それが叶う。流石に完全とまではいかないが、俺達は八悪の因子をある程度なら制御できるようになっていた。


 具体的にどう上手く制御できるようになったかと聞かれると、説明は難しいのだが。


 しいて例えるなら、独楽こまのようなものだと思って欲しい。


 そう、高速で回転させることで倒れなくなる、あの独楽だ。


 独楽の回転を安定させるためには、高い回転数が必要となる。回転が速ければ速いほど独楽の芯は安定し、ブレなくなる。逆に回転数が落ちてくるとバランスが崩れ、やがては無様に倒れてしまう。


 八悪の因子もこれに近い。こいつらの力は抑えるのではなく、むしろ積極的に活性化させた方が安定しやすいのだ。その結果、それぞれの特性に応じた影響も軽減され、限りなくゼロに近くなる。


 このおかげで俺は〝傲慢〟や〝強欲〟の影響をほとんど受けることがなくなった。


 まぁ、だからと言って性格が劇的に変化した――なんてこともないのだが。


 だが、一番違いが出たのはエムリスだろう。


 なにせ一番やっかいだった〝怠惰〟の影響がなくなったのだ。


 何もかも昔通り――というわけにはいかないが、限りなくかつての性質に戻ったように思える。


 十年前は頭の固い委員長タイプだったエムリス。当たり前のことだが、やはり十年という時を経て多少は丸くなったのだろう。〝怠惰〟と〝残虐〟の影響を受けなくなってなお、幼かった頃の口うるささは、その鳴りを潜めていた。


 同時に、魔道への探求心はいささかも衰えておらず、むしろ〝怠惰〟という足手まといがなくなったことで、その意欲は天井知らずに燃え上がっていた。


『なぁに、時間ならたっぷりある。八悪の因子については、いずれこのボクがその全容を解明してみせるとも』


 などとうそぶき、研究に没頭している。あの調子では、いつかは元の世界に戻る術さえ見つけ出すのではなかろうか。それも、誰にも迷惑をかけることのない方法で。




 閑話休題。




 そんなこんなで、一連の事件というか騒動というか事変というか、未曾有の大難を乗り越えた俺達が現在どうしているのかというと。


 順に行こう。


 とりあえずインパクトの薄い方から。


 まず、ガルウィン。


 俺の直属の眷属ということもあって、もはや人間を超越した新人類と化した。まぁ、元より王族ということで才能はあったのだろうが、その限界すらも超えてしてしまったという感じだ。


 その有り余る力、およびカリスマを存分に発揮してもらった結果、ガルウィンは見事、人界統一を成し遂げた。


 歴史上初、完全統一国家の誕生である。


 そして、歴史上初の『皇帝』の誕生でもあった。


 まぁ、元々セントミリドガル国王に即位してもらった時点で、人界統一の下地がほぼ整っていたのは、ご存じの通り。


 南のムスペラルバードはとうにセントミリドガルの属国となっていたし、東のアルファドラグーンは魔王を自称していたエムリスが無血征服していた。北のニルヴァンアイゼンはシュラトが単騎で陥落させ、西のヴァナルライガーも――詳細は後ほど語るが――ニニーヴの働きによって併呑へいどんされることとなった。


 とはいえ、だ。流石にいきなり全ての国境を廃して一つの国になる、なんてのは無茶な話で。


 いったんは連邦国として運営し、完全統一はその内に――なんて運びになっているそうだが、正直言って政治の話はよくわからないし面倒なので、そのへんはガルウィンに一任している。


 ガルウィンはもちろん、当初は世界統一王――即ち皇帝になることを拒もうとした。


 セントミリドガルの王になったことについては納得しているが、しかし統一国家の主席ともなれば、やはり話も変わってくる。


 今なお『アルサルこそが世界の頂点に相応しい』といった思想に変わりはなく、ガルウィンは改めて至尊の地位を譲ろうとしてきたのだが――


『大丈夫だ、安心しろ。なにしろ俺は神様になったんだからな』


 などと適当に言ったところ、なんと秒で納得してくれた。


 いや、嘘である。もちろんイゾリテにしたように、こちらの事情やら聖神のことやらをきっちり説明した。


 その結果として、ガルウィンは皇帝となることを承諾してくれたのである。


 というか、ガルウィンは感激のあまり号泣しながら、


『ア、アルサル様が、神の領域に……! いえ、神の中の神に……! 至高の方が自分の想像を遥かに超えた極地へ……ッ! う……ぅぅぅぅううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああぁぁぁぁッッッ!!!!』


 最初は目に涙を浮かべながらプルプルと震えていたのだが、ポツリポツリ何事かを呟くと、いきなりガルウィンは天高く慟哭どうこくした。


 盛大すぎる叫喚きょうかんは、セントミリドガル王城を揺るがしたほどだ。その後も俺に向かって何かしら喋っていたようだったが、完全に涙で潰れてしまっていたので、何を言っていたのかは定かではない。おそらく俺を賛美する言葉だったとは思うが。


 ともあれ、ガルウィンの涙が至上の喜びからきたものであることは間違いなかった。


 おのあるじと見込んだ相手が想像以上に立派になったことで、嗚咽が止まらなくなるほど感動したらしい。


 我がことのように喜んでくれるのは俺も嬉しく思うが――いかんせん聖神を超越する存在とやらになりたくてなったわけでもないので、なんとも微妙な気分である。


『言われてみれば確かに、体の奥底から無限に力が湧いてきます! これがアルサル様の眷属として与えられた、自分の新たな力なのですね! お任せください! アルサル様の直属の眷属として、この力を存分に用い、大神アルサル様の世界を完璧に治めてみせましょう! どうかご観覧ください!!』


 別段、ガルウィンを人界初の皇帝にするために眷属にしたのでもなければ、統治のために強力な力をさずけたわけでもないのだが、結果的にはそうなっているわけだし、本人もたいそう喜んでいるようなので、余計なツッコミはいれないことにした。


 なんにせよ、人類を超越したガルウィンの能力は箱庭世界において比類ないものだった。元来の明るい性格もあって味方を得やすく、振舞いも公明正大。きっと千年も繁栄する盤石な国家を作り上げるに違いない。大した価値などないだろうが、この俺が太鼓判を押そう。




 次に、イゾリテ。


 これは少々言いにくいことなのだが――イゾリテは、主に俺と一緒に行動している。そう、皇帝となってしまったガルウィンとは違い、引き続き俺の臣下を続けているのだ。


 もちろん、俺はガルウィンの傍について人界初の皇帝を補佐することを勧めた。厳密に言えば違うが、それでもイゾリテはガルウィンの妹なのだから。


 しかし、イゾリテは固辞した。


『アルサル様は私に約束してくださいました。ずっと傍にいる、と。ですから、私はアルサル様のお側を離れません』


 その一辺倒で。


 いや、確かにそのような約束をしたような憶えがないわけでもない。


 しかし正しくは、


『お前の気持ちはよくわかった。約束する。俺は、お前を置いていかない。勝手にどこかへ消えたりしない。ちゃんと傍にいる』


 というもので、俺がイゾリテの前から勝手にいなくなったりしない、という意味だったはずなのだ。


 しかしどういうわけか、イゾリテの中では『俺がずっとイゾリテの傍にいる』という約束をしたことになっており、いくら弁明したところで頑として聞いてくれない。


 俺としては状況に応じて距離感を調節しようと密かに考えていたのだが――あるいは、その意図を見抜かれていたのかもしれない。


 そういうわけで、イゾリテは今なお俺の側に仕えている。まぁ、その卓越した執務能力をもって色々と面倒なことを請け負ってくれるので、助かってはいるのだが。


 いや、改めよう。そこは冗談抜きで本当に助かっている。マジでありがたい。


 イゾリテは俺の眷属ではないが、エムリスを介してやはり人類としての枠を逸脱している。アポロンの話によると、ただでさえ高性能な王族ユニットがたぐまれなる強化を受けた結果、寿命すら延びているのだそうだ。


 というか、先程も言った通り俺の元教え子たる二人は【魔族化】――見た目は変わらないのだが――もしている。ご存じの通り、魔族の寿命は人間のそれとは比べものにならない。


 つまり、永遠とまではいかないが、イゾリテもガルウィンもかなり長生きすることになった。先程、ガルウィンが千年王国を建てるかもしれない、と言ったが、それもあながち冗談ではないのだ。




 本筋に戻ろう。


 お次はエムリスについて。


 先述の通り、元から人間をやめていた俺達はとうとう神の領域にまで足を踏み入れてしまった。〝蒼闇の魔道士〟エムリスもまた聖神の主神を超える権能を手に入れ、もはや〝蒼闇の女神〟とでも呼ぶべき存在へと昇華したわけだが――


 特に何も変わっていなかったりする。


 しいて言えば、先刻も話した通り〝怠惰〟の影響が無視できるほど軽微になったおかげで、研究の鬼となったぐらいか。


 俺がアルファドラグーンへおもむく前と同じように、自身の工房へと引き籠もっているが、それは自堕落に過ごすためではなく、取り戻したやる気という燃料を盛大に消費し、旺盛に研究を進めるためであった。


 ただし、その研究工房は今現在、魔界にあるわけだが。


『やはり魔道士たる者、魔力の濃いエリアに住まうべきだね。人界と魔界とじゃ濃度が桁違いさ。それに、ボクはよんどころない事情があったとは言え、一度は魔王を名乗った身なのだからね。何事もなかったかのように人界へ戻るわけにもいくまいさ』


 飄々としてはいるが、自分の行動がどれだけ破天荒なことだったかには、それなりに自覚があるらしい。


『ま、ほとぼりが冷めるまで人界を離れておくよ。そうだね、ざっと百年から二百年ほどあれば……きっとボクの悪行も人々の記憶から消えていることだろう。なぁに、その程度の時間、研究していれば【すぐ】さ』


 それはもはや『ほとぼりが冷める』というより、記憶や記録が【歴史】になるスケールの時間経過であろう。そして、もし魔王エムリスの所業が歴史に刻まれてしまった場合、何百年経とうが消えない傷跡になると思うのだが。


 とはいえ、たとえ世界を救ってもたった十年で忘れ去られてしまうのが世の常だ。その頃にはエムリスの言う通り、夢幻のように記憶も記録も消えてしまっているかもしれない。


 というわけでエムリスは日夜、様々な研究に邁進まいしんしている。


 新開発した【移動式】の工房で。


 そう、なんと新たな工房は――【移動可能】なのだ。


 どうもアルファードやミドガルズオルムといった、古代聖具を研究した恩恵らしい。


『もっとも、聖具とは違ってこれは魔力で動くのだけれどね。ボクは聖力が使えないのだから、動力源が違ってくるのも致し方なしさ』


 正直、初めて聞いた時は耳を疑ったし、マジか――とも思った。


 何故なら、聖具はどう見たって機械だ。動力源こそ非科学的なものだが、仕組み自体は電気式とそう変わりないはずだ。少なくとも俺にはそう見える。


 だというのに、エムリスはそれらの構造を理解した上で、応用までやってのけたのだ。


 魔法、魔術の研究とは一体何なのか。それは機械工学と領域を同じくするものなのか。違うはずだ。俺はそう思う。違うはず――なのに。


 いや、深く考えるのはよそう。


 そもそも意識を無数に分割して、大量の思考を同時並行してのける奴に常識など通用しない。通用するわけがない。


 実際にエムリスは己の魔力および魔術と魔法を、聖神の技術と融合させ、全く新しい領域を開拓してみせたのだ。


 なんだ、ただの天才か。


 それで納得しようではないか。


 大体、あちらからすれば俺も大概だろうしな。エムリスが天才なら、俺は神の中の神だ。むしろ『ちょっと待て』と言われるべきは俺の方かもしれない。


 そんなわけで――空をけ、大地を走り、海上を疾駆し、果てには海底に潜ることすら可能という超便利な移動工房を手に入れたエムリスは、魔界を中心としてあちこち動き回りながら研究を続けている。


 本人曰く、必要があればどこへなりともおもむく所存だという。場合によっては西の果ての聖神界であっても候補に入るのだとか。


 これまでの反動か、引きこもりが一転して、根なし草になってしまったらしい。


 ちょっと羨ましい気もする。


『その内、宇宙にだって進出してみせるさ』


 とはエムリスの豪語だが、それが大言壮語でないことを俺が誰よりもよく知っている。


『だってアルサル、君にだってできたんだ。ボクにできない道理はないだろう?』


 俺のことを小馬鹿にしているのか、それとも自分を過大評価しているのか、あるいはその双方か。


 移動型工房がそのまま宇宙船になる日も、そう遠くないのかもしれない。




 続いて、シュラトについて。


 何と言うべきか、エムリスやニニーヴとは違い、シュラトにはこれといった趣味がない――らしい。


 なので強烈なこだわりなどなく、人畜無害の権化のような男だ。


 しいて望みを言うなら、自らを鍛えること、そして新たに迎えた二人の妻を幸せにすること――その程度が精々らしい。


 個人的には前者はともかく、後者はとんでもなく難しいことだとは思うのだが。


 ともあれ、特にやりたいことがない、というのであれば俺にとっては重畳ちょうじょうである。ちょうど頼みたいことがあったのだ。


 俺はシュラトに、人界を陰ながら守護することを依頼した。


 別段、ガルウィンのことを信頼していないわけではない。皇帝となったあいつの手腕は、おそらく人類史上、最も際立っている。そこに不安はない。


 だが、何事にも例外はある。実際、これまでがずっと異例尽くしだったのだから。


 何かの拍子に、またぞろガルウィンを含めた人界の勢力ではどうにもできない事態が発生するかもしれない。その時は真っ先に対処してくれるよう、俺はシュラトに申し入れた。


『わかった』


 たった一言だったが、シュラトならそれだけで充分だった。


 簡易に過ぎる了解の言葉。だがシュラトのそれには、値千金の価値がある。


 ちなみに、非常時以外はどう過ごすのかと聞くと、


『レムリアとフェオドーラ、二人を幸せにする』


 という実に抽象的な目的のもと、三人で人界を旅するとのことだった。


 また、いい土地が見つかればそこに居を構えようと思う、とも。


 普段は人目のつかない場所に隠れ住み、必要があれば表舞台に立つ――そのように備えてくれると、シュラトは約束してくれた。


 ある意味、隠れた人界の守護者――いわゆる〝陰の実力者〟とでも言おうか。そういう存在に、シュラトはなってくれた。


 事情によって人界にいられなくなった俺にとって、こんなにも心強いことはない。


 やはり持つべきものは友、と言うべきか。


 思えば、シュラトは俺と同じく永劫の時を往く仲間であり、唯一の同性だ。


 そう考えると、大事にしなければなるまい。


 そういえばまだ結婚祝いを渡していなかったな。今度、何かしらいい感じのものを見繕って贈っておこう。




 さて、次はニニーヴだ。


 東の魔界にエムリス、中央の人界にシュラトとくれば、当然ニニーヴは西の聖神界である。


 いや、当然と言うのは少し語弊があるかもしれない。


 元々、ニニーヴは西の大国ヴァナルライガーで聖女の地位にあった。


 知っての通り聖神ヘパイストスが元凶の大騒ぎ――即ち〝第一次人界大戦〟によって、世界最大の宗教団体『聖神教会』を擁するヴァナルライガーもまた、争いの当事者となった。


 もっとも、その第一戦の相手はなんと人間ではなく、魔王を自称したエムリスが率いた魔族と魔物の軍勢だったわけだが。


 戦いの結果は言わずもがな。虎の子の古代聖具フェンリルガンズを持ち出すも、紆余曲折の果てに壊滅。


 無論、それはそれで大打撃ではあったろう。しかし、ヴァナルライガー軍の主力はまだ温存されていたし、聖神教会が誇る聖堂騎士団もまた健在だった。


 そう、つまり、あの時点ではまだヴァナルライガーは戦争を続けることが充分にできた。


 しかし。


 先述の通り、ニニーヴの働きによってヴァナルライガーはあっさりセントミリドガルに併呑されることとなった。


 事の次第は、実に単純。


『ウチもそろそろ、おじいちゃんらのご機嫌とるのにも飽きてきてなぁ』


 即ち、聖神教会の頭を張る三大頂――教皇、総大司教、枢機卿。三つの大派閥を成す狡猾なジジイどものご機嫌伺いにうんざりしたニニーヴが、そのてのひらをあっさりひるがえしたのである。


 元より実力から言えば、ニニーヴの方が圧倒的に上だったのだ。


 権力とは所詮、武力あってのもの。


 たとえヴァナルライガー軍と聖堂騎士団が結託したところで、救世の英雄〝白聖の姫巫女〟たるニニーヴ一人に敵うはずもなく。


 古色蒼然とした中身空っぽの権力しか握ってこなかった三人のジジイは、ろくな抵抗もできずに失脚した。


 もちろん血は一滴たりとも流れていない。ニニーヴが緩やかに反旗を翻した途端、ヴァナルライガー王家も聖神教会の幹部連中も揃ってこうべれたという。


 誰だって上司になってもらうなら胡散臭いジジイよりも、綺麗で可愛い女の子の方がいいに決まっている。それが強くて、清らかで、賢いなら尚更だ。


 この華麗な政変は、後に〝白き聖女の下剋上〟と呼ばれるようになったとか、ならないとか。


 斯くして、ヴァナルライガー王家と聖神教会を傘下に置き、国のトップに躍り出たニニーヴは、そのまま流れるようにセントミリドガルへと身売りした。


 言うまでもなく、俺の考案した人界統一計画に協賛してくれたのだ。


『ごめんなぁ。ウチは静かに暮らしたいんよ。邪魔くさいことはもう飽き飽きなんやわ。堪忍しておくれやす』


 突然の反逆に納得いかず歯ぎしりする教皇、総大司教、枢機卿の前で、ニニーヴは【のほほん】と告げたという。


 そのあまりの悪気のなさに、怒り狂っていた三人のジジイも流石に毒気を抜かれて、そのまま膝を折って崩れ落ちたとか。


 長年の苦労が、突然あっけなく、しかも無邪気な小娘の手によって水泡と帰したのである。気持ちはわからないでもない。


 とはいえ、権力に固執した老人らのおかげでヴァナルライガー内部に、かなりの膿が溜まっていたのもまた事実。


 凝り固まった古い伝統ごと一掃したことで、国内の風通しは間違いなくよくなった。


 むしろ、これまで腐臭を漂わせる澱みを作ってきた連中には相応の報いをくれてやるべきだとも思うのだが――どいつも老い先短い身であることを考慮して、ニニーヴは容赦してやったらしい。


 しかしながら、特に聖神教会の黒歴史を掘り起こすと、歴代の教皇、総大司教、枢機卿がそれぞれ万死に値することをやらかしまくってきた事実があるのだが――ニニーヴとしては頑として譲れないという。


『ウチが言うのもなんやけど――ううん、ウチが言うからこそ、なんかな? 人間な、怒りに呑み込まれてしもうたらあかんのよ。自分をなくしてしまうだけなんよ。そうなってもうたら、もう誰も幸せになられへん』


 これは八悪の因子〝憤怒〟と〝嫉妬〟を宿していたニニーヴの発言だからこそ、含蓄に富んでいるのではなかろうか。


 暴走している時の豹変ぶりがすごすぎたので説得力は薄いかもしれないが、本来ニニーヴは、怒りやねたそねみといったマイナス感情とは無縁の少女だった。


 いつだって楽観的。悲観など持ったためしもない。ある意味では、常にどっしり構えた不動の心の持ち主だった。


 初めて出会ってすぐの頃――つまり〝勇者〟として召喚されて間もない頃だ――とある流れで街のチンピラに絡まれたことがあったのだが、その時も笑顔で電撃銃のトリガーを引いて武力制圧していた姿を、今でも鮮明に思い出せる。


 そんなニニーヴをして、あのように烈火のごとく怒り狂い、言葉遣いも乱暴かつ下品になっていたのだから、改めて八悪の因子の恐ろしさには戦慄せざるを得ない。


 もっとも、今となっては因子の影響も制御可能となったので、杞憂にしかならないのだが。


 果たして、一時はヴァナルライガー全土を手中に収め、しかしすぐ手放したニニーヴは現在どうしているのかと言うと――


 ヴァナルライガーよりさらに西の地、聖神界にいたりする。


 魔界とは真逆の方角にあるという聖神界。十年前は知る由もなかった、その実態は――


 ご存知の通り、運営側ではない聖神――即ち【ユーザー】が下界ダイブして楽しむためにしつえられた土地エリアである。


 わかる御仁にはわかるだろうが、いわゆる〝MMOゲーム〟的な遊戯のために用意された空間だ。


 当然ながら、箱庭の住人は足を踏み入れることまかりならない。


 ヴァナルライガー王国と聖神界の間には、『果ての山脈』と比べても遜色ない峻険しゅんけんな山脈が横たわり、只人ただひとの侵入を拒む。


 無論それだけではなく、『龍脈結界』よりもなお堅固な防壁が張り巡らされており、たとえ巌々(がんがん)とした山を越えたところで、聖神界へ侵入することは決して叶わない作りになっている。


 防備が固いのも当然のこと。


 聖神界はいわば、箱庭世界の秘密を一つ所に集めた聖域なのだから。


 箱庭に下界ダイブしたユーザーは原則的に限られたエリアでのみ遊ぶことを推奨されているが、知っての通り、例外も存在する。


 プレイの一環として、聖神界を出て人間界、魔界へ赴くことは、決して禁じられてはいない。


 だが、聖神界を出る場合、いくつかの禁則事項が課せられる。


 その一つが機密情報保護だ。


 簡単に言えば――聖神および聖神界、そして箱庭について決して口外してはならない、という禁則である。


 当然だ。どれもこれも箱庭の住人には重すぎる真実なのだ。情報が漏れ、流言飛語となって知れ渡った日には、箱庭全土が混乱に陥る。


 人界だけではない。魔界だって大騒ぎになるはずだ。


 なにせ自分達と相反する存在が、対等どころか遥か上位の存在であり、世界がその手によって作られたものだと言うのだから。無駄にプライドの高い魔族どもが黙っていられるわけがない。


 故に、秘密は厳守されなければならない。よって、聖神界を出るプレイヤーには幾重にも禁則事項が課せられ、強制的に問題ある言動を封印する処理が施される。


 これにより、物理的にも精神的にも束縛され、秘密を口外するどころか、そうしようとする意思の発生すら防がれる。いわゆる『阻止暗示処理』というものだ。


 このため、聖神界は長い間――というより、この箱庭世界が創世されてからずっと完全無欠の禁足地だったわけだが。


 今となっては、その前提からして崩れている。


 もはや聖神は――少なくともこの箱庭においては――神のごとき存在ではなく、単なる上位存在に過ぎない。


 いやまぁ、『単なる上位存在』というのもおかしな言葉だが、そういう他ないのだから仕方がない。


 いまや聖神とは、名ばかりの存在でしかない。なにせ、この俺が必要以上の干渉を禁じているのだ。余計なことは何もできなくなっている。


 可能なら聖神の存在そのものを箱庭から消し去りたいぐらいなのだが――


 とはいえ、だ。


 流石に一般ユーザーの下界ダイブを禁止するのは勘弁してほしい――とアポロンたっての嘆願もあり、それだけは許可している。


 前置きが長くなってしまった。


 つまり、ニニーヴが現在何をしているのかというと――聖神界を管理しているのだ。


 管理と言っても、何かしら特別な仕事があるわけではない。


 箱庭に下界したユーザー達が聖神界から出ないよう、監視してもらっているのだ。


 いや、監視というより、実際に結界を張って何人たりとも出入りできないようにしてくれているわけだが。


 これはニニーヴだからこそ任せられる役割だ。エムリスも結界を張れると言えば張れるが、畢竟ひっきょう、あいつが得意なのはどちらかと言うと【防壁を破る方】だったりするからな。


 かてて加えて、聖神教会の関係者であり、何かにつけて聖神界に忍び込んで情報収集していたこともあって、上位存在である聖神との融和性が高い。


 その上、いまや力関係は逆転しているのだ。聖神界を任せるのにこれ以上の人材は他にいないだろう。




 最後に、俺ことアルサルについて。


 ここまで原則、インパクトの強い順番に顛末を紹介してきたわけだが――それはあくまで【俺の主観的に】という話であって。


 であれば、やはり俺自身に関することが最もインパクトがあるのも当然なわけで。


 実を言うと、今の俺は人界を去り――なんと魔界に身を置いていたりする。


 そう、かつては〝銀穹の勇者〟として世界を救った男が、いまや魔族や魔物、そして魔王の本拠地であった場所にいるのだ。


 俺もエムリスのことは言えない。


 ご存知の通り、色々と度を越してしまった俺には〝魔王〟という属性まで付与されてしまった。


 そう、他ならぬ、この【俺】にだ。


 もはや俺達の知る魔王が復活することはない。


 何故なら、その席には俺が座っているのだから。


 同時に、新たな勇者が誕生することもない。


 理由は以下同文。


 先述の通り、俺がこんな風になってしまった結果、眷属として繋がりのあるガルウィンやイゾリテまでもが魔族としての特性を得てしまった。


 そんな俺が『我こそは救国の英雄でござい』とばかりに人界に居座るなんてことができようか。


 いや、別にいたって構やしないのだろう。わかっている。実際に、俺からの影響を受けているガルウィンやシュラトが人界に残っているのだ。上手くやれば問題などきっとあるまい。


 だが、そういう話ではないのだ。


 俺自身の心の問題として、【そういうの】は据わりが悪いのだ。


 あと、単純にパワーバランスの問題もある。


 人界にシュラト、聖神界にニニーヴ。魔界にはエムリス――がいることにはいるが、あいつは研究に没頭しているため数には入れられない。


 となれば、俺が魔界に腰を据えるしかないではないか。


 実際、生き残っている魔族らには監視の目を光らせる必要がある。


 人界は皇帝ガルウィンのもとに統一されたが、『果ての山脈』を境界線とした魔界側はその範疇にない。


 そして、先程も言ったように現在の〝魔王〟は他でもない【この俺】だ。


 ――というわけで、俺は今、魔族国家『エイドヴェルサル』の央都おうと『エイターン』のど真ん中に屹立する魔王城にいる。


 かつて魔王エイザソースがいた――というか【封じられていた】魔王の間に玉座を据え、そこに鎮座している。


 そうとも。


 俺こそが魔王。


 聖神の手を離れ、新しく生まれ変わった世界――〝新世界の魔王〟とは、まさに俺のことである。




「……………………どうしてこうなった?」




 広く【がらん】とした魔王の間で、呆然と呟く。


 玉座に無造作に腰かけた俺の隣にかしずくのは、琥珀色の髪と、緑の瞳を持つ少女――イゾリテ。


「すべて、アルサル様の御心が導いたことです。もう何度目でしょうか、そのようにぼやかられるのは」


 いつものように恬淡てんたんと俺の愚痴を受け流すイゾリテは、いわば『魔王付きの秘書』という立ち位置である。


 この箱庭世界が創成されてどれほどの時が流れているかは知らないが、秘書を傍に置く魔王など、俺が史上初に違いない。


 なにせ魔王とは怪物の別称。死を撒き散らす破壊の権化なのだ。そんな奴に秘書など最初から必要なかったに決まっている。


 そもそも、そんなだから魔王特有の仕事などあるはずもなく、俺がこうして玉座に座ることも、イゾリテが側で仕える必要も一切ないはずなのだが――


「世界は変わりました。アルサル様が変えたのです。であれば、この魔界も相応しい形へと変化していくのが自然の理ではないでしょうか」


 とイゾリテは、俺に魔王たらんことを猛烈に求めてくる。


 いや、理屈はわかるのだ。


 こう言っては何だが、世界には『危険』が必要不可欠だ。世界というより、人類には、だろうか。


 人界は統一され、国家は一つとなった。だが、それで完全平和が訪れるかと言うと――違う。


 争いの火種はそう易々と消えるものではない。


 いや、永遠に消えることはない、と言っても過言ではなかろう。


 何故なら、人間そのものが争いを好む、ひどく度し難い生物だからだ。


 俺は知っている。人間という生き物の欲深さを。


 たとえ聖神の作ったピアスで増幅されていたとしても、俺やエムリスを国から追放したジオコーザおよびモルガナ王妃の『感情』は、紛れもない本物だった。


 ピアスによる増幅は、一を十にすることはできるだろう。だが、ゼロには何をかけてもゼロだ。


 そして実際に俺を追放したのは、ピアスに操られていたジオコーザではなく、その意を汲んだ父親のオグカーバだった。


 ピアスに感情をいじられていなくても、人は狂うことができる。できてしまう。どうしようもない状況に押し流され、あるいは自ら狂気に身を投じることさえある。


 愚かなのだ、人間というものは。


 愛と平和と正義と希望を高らかに謳いながら、しかし同じ口から罵声や暴言を吐き散らす。その手は地獄の悪魔よりなお残虐な行為を平然と実行する。


 いいところだってもちろんある。たくさんある。だが同時に、悪い点もまた多いのだ。


 人間の内面とは、光と闇、善と悪が混在する、混沌の坩堝るつぼなのである。


 よって俺は、人類の善性だけを信じることはできない。


 人の中には善性と同程度、あるいはそれ以上の悪性が潜んでいるのだから。


 故にこそ、人類が一つであり続けるためには【敵】が必要となる。


 魔王を筆頭とした魔族、魔物といった決して相容れない『外敵』が。


 外部に不倶戴天の仇敵が存在すれば、人々の目はそちらへと引きつけられる。直近の敵に対して意識を集中させ、味方同士の結束は否応なしに強まっていく。


 しかし外敵がいない場合、どうなるか。


 簡単だ。【人間は敵を求める】。〝外〟にいなければ、次は〝内〟に目を向けて【敵を探し始める】のだ。


 そうして内輪もめが始まる。


 闘争は終わらない。


 どれだけ平和になろうとも、あらそいさかいは縮小再生産を繰り返し、決して終わることはない。


 そしてある日突然、小さな火種が些細なことをきっかけに大きく燃え上がり、今度は拡大再生産を繰り返すフェーズへと突入する。


 寄せては返す波のごとく、戦争と平和を繰り返すのだ。


 だが『外敵』がいれば、そのような不毛な反復は生まれない。


 蛇に睨まれた蛙が微動だにしないのと同じく、『外敵』という危機に晒された人類は、内輪もめなどという迂闊な真似ができなくなる。


 ならば、その『外敵』に俺がなろう。


 決して揺らがず、消えず、そして排除できようもない強大な『外敵』に。


 そうすれば人間は一つにまとまり続ける他ない。


 少しでも気を抜けば、あっという間に世界を滅ぼせる存在がすぐ隣にいるのだから。


 だから、俺は魔王となった。


 かつて『天災の魔王』を討伐した〝銀穹の勇者〟にして、今度は世界を滅ぼさんと雌伏する〝新世界の魔王〟に――




「いや、そうはならんやろ」




 思わずニニーヴみたいな口調でセルフツッコミが出た。


 残念なことに、なっとるやろがい、と小気味いい相槌を打ってくれる相手はいない。


 イゾリテがすぐ近くにいるが、その手の返しをしてくれる性格ではない。実際、まるで俺の愚痴などなかったかのように泰然としている。


 そのため俺は大きめの独り言をこぼす、ただの道化でしかなかった。


 もちろん、これまで語ってきたことは嘘ではない。


 人類の『外敵』――というか【天敵】になることで世界平和を実現させようという思想は、俺自身のものだ。誰に吹き込まれたものでもない。


 何故なら――今の俺の守護すべき対象は、もはや【人類だけではない】のだから。


 繰り返しになるが、俺はもう〝勇者〟という単一の属性を持つ存在ではない。


 魔王、神将、覇者、聖王、神帝、王者、雷閃、神祖、白面、闇影、氷炎、真人――エトセトラ、エトセトラ。


 ぶっちゃけ勇者と魔王、聖王以外の属性についてはよくわからない。何かしらの意味があるだろうことはわかるが、詳細は不明だ。


 逆に言えば、勇者、魔王、そして聖王についてはわかる。前者二つは知っての通りだが、三つ目の〝聖王〟についてはご想像の通りと言おう。


 聖王――即ち聖神界のトップを意味する称号だ。


 つまり、下界している聖神の長――要は『運営側の管理人』という意味である。


 聖なる王なんていう大層な名前のせいで大仰に思うかもしれないが、何てことはない。聖神の組織の中では、よくて中堅どころの役職でしかない。


 とはいえ、そんなことを言えば人界も魔界もどっこいどっこいである。


 どこもひっくるめて、箱庭世界の一部なのだから。


 斯くして、俺は〝勇者〟にして〝魔王〟であり、同時に〝聖王〟でもある立場となった。


 で、あるならば。


 俺が守護すべきものは――【その全て】となる。


 人界はもちろんのこと、魔界や聖神界までもが俺の守護の対象となったわけだ。


 これまでは人界のみを護り、その他は切り捨て、場合によっては殲滅することもあったが――これからは違う。


 俺は人界、魔界、聖神界の全てをひっくるめた【箱庭】の守護者たらんと、自己を定義した。


 もっとも、この箱庭に『外敵』と呼べるような存在はいない。唯一そうなり得たであろう聖神は、もはや俺の手中に落ちた。


 よって俺の新たな使命は、箱庭内の治安を維持することになる。


 ――言い方が少し迂遠うえんだっただろうか。


 要するに、これからは人間のみならず、魔族や魔物、さらには箱庭に下界ダイブしているプレイヤーの聖神さえもが、俺の守護まもるべき存在となったわけだ。


 そのための『必要悪』として、俺は【魔王をする】ことになったのである。


 というか、各エリアのパワーバランスを考慮した結果、こうするのが一番手っ取り早く、かつ確実だと判断せざるを得なかったと言うべきか。


「――アルサル様、お時間が近くなって参りました」


 内心ここに至るまでのことをかえりみて、思いを巡らせていた俺に、イゾリテが端的に告げた。


「……やっとか」


 本来ならこうして玉座――しかも〝魔王〟としての――に腰を下ろすなど到底受け容れがたい俺なのだが、それでもこうして大人しく座っているのには理由がある。


 今日は戴冠式なのだ。


 誰のかって? 俺に決まっているではないか。


 お察しの通り、俺自身はまったく望んでなどいない。


 だが、イゾリテが断固として主張したのだ。


「何を置いてもまず戴冠式を行うべきです。たとえそれが〝魔王〟の座であろうと、アルサル様が王位に就くのです。魔界にいる人間が私一人であろうと関係ありません。上級魔族をこの広間を埋め尽くすほど招集し、アルサル様が新たな王であることを知らしめるべきです」


 イゾリテは言う。俺のモットーが『君臨すれども統治せず』であろうとも問題ない。


 だが、支配下に置く民衆には顔を見せ、自分達の主人が誰であるかを周知徹底することは絶対に必要だ――と。


 確かに一理ある。


 畢竟ひっきょう、俺が魔王の座についたのは全世界への【抑止力】となるためだ。


 そのあたりはセントミリドガルで戦技指南役をしていた頃と変わらない。


 俺という【最終兵器】が睨みを利かせることで、世界を安定させようというのだ。


 イゾリテの言う通り、そのためには率先して顔を売らなければ何も始まらない。


 実際、ここ十年はそれを怠ってしまったばかりに、生じた隙を聖神ヘパイストスにつけ込まれてしまったわけで。


 同じ轍を踏むわけにはいかない。


 今度こそ間違うことなく抑止力となり、無駄な争いのない世界を作り上げなければ。


 たとえ、それが恐怖の象徴であろうとも。


「――お時間です」


 厳かにイゾリテが告げた。俺は神妙に頷く。


「よし、開け」


 俺が言うが早いか、イゾリテが魔力を走らせた。エムリスほどではないにせよ、既に人類最高峰の魔術師と言っても過言ではないイゾリテの魔力操作は完璧の一言に尽きた。必要充分な量の魔力が玉座の間全体を駆け巡った、次の瞬間。


「これより、アルサル様の、アルサル様による、アルサル様のための戴冠式を開始致します」


 イゾリテの言葉と同時に、玉座の間の大扉がひとりでに動き始めた。


 錆び付いた歯車を無理矢理動かすかのような大音を伴い、大型の魔族でも余裕で通れるサイズの大扉が開いていく。


 玉座の間のすぐ外で待機していたのは、今日まで魔界を代表していた上級魔族の歴々だ。


 もちろん先頭に立つのは、かつて『七剣大公セブンスター』と呼ばれていた魔王軍の最高幹部。


 と言っても、その数は七に満たない。完全に名前負け状態。何故なら、七剣大公の筆頭と云われていた破軍大公アルカイドを始め、三名がこの箱庭世界から退場したからだ。


 名の挙がった破軍大公アルカイドとは、俺とエムリスが暴走したシュラトと戦っている最中、突如として割り込んできた〝激烈態げきれつたい〟のことである。


 知っての通り、あいつは飛び込んできたタイミングが最悪だった。禁呪を開放していたエムリスによって即座に〈ジ・エンド〉を叩き込まれ、破軍大公アルカイドは俺達と言葉を交わす間もなく消滅した。


 残る二名は巨門こもん大公メラクと、武曲ぶごく大公ミザール。


 まず武曲ぶごく大公ミザールは、エムリスが魔王軍を傘下に収める際、当然のことながら反抗し、見せしめの一環として粛清された。


 次に巨門こもん大公メラクは表向き魔王エムリスに服従していたが、裏で寝首を掻く算段を立てていたのを看破され、面従腹背の罪でこれまた粛清された。


 ――いや、よく考えたらどいつもこいつもエムリスの手による虐殺ものじゃねぇか。なんだあの魔道士。八悪の因子の影響もあったろうが、実績だけ見るとかなり滅茶苦茶やってやがるぞ。


 まぁいい。今となっては旧魔王軍の最高幹部であろうと、俺にとっては大した存在ではない。文字通り【次元が違う】のだ。七剣だろうが四剣だろうがどうでもいい。


 そんな大公どもの後ろに続くのが、侯爵や伯爵といった中堅貴族に、子爵や男爵といった下級貴族の面々。さらには知能を有し人語を解する上級魔物の代表などなど――


 若い頃の俺が見たら絶望で軽く気絶できるような面子が、ゾロゾロと群れを成して玉座の間へと雪崩れ込んでくる。


 約百体ほどだろうか。なかなかの数だが、玉座の間は広い。余裕で収まるだろう。


 無秩序に入室してきたように見えたが、どうやら事前にイゾリテから指示があったらしく、人によく似た魔族も、異形の魔物も、統率の取れた動きで広間の特定の位置へと移動し、奇麗に整列していく。


 余談だが、上級の魔族、魔物ともなれば自身のサイズを変更するなど自由自在の変幻自在だ。どいつもこいつも、顔つき――当たり前だが、魔物は特に異貌が多い――はともかく、今は全員が人間大のサイズに揃えているらしい。


 結果、俺の眼前に広がるは、それなりに壮観な光景だ。


 居並ぶ魔界の実力者達。そいつらが一兵卒のように等間隔で並び、背筋を伸ばして玉座の俺を見上げているのだ。


 途端、圧倒的なまでの強者のオーラが周囲を漂い、火を点ければ爆発せんほど玉座の間に充満していく。


 普通の人類がここにいれば、数秒とつまい。あっという間に意識を失って昏倒し、そのまま死に至るだろう。それだけの〝圧〟が、ここにはあった。


 何なら、ここにいる奴らを一つの部隊にして人界を襲えば、それだけで攻略できてしまうのではないか――そんな仮定すら頭の隅をよぎる。


 といっても、それは詮無きことだ。知っての通り、魔族も魔物も本能的に協調性に乏しい生物。


 そんなこいつらが徒党を組めるのは、共通の巨大な敵がいる時か、魔王によって自由意志を奪われている時のみ。


 自意識や縄張り意識の強さでは人間以上なのだ。流石は種族名に『魔』という文字が入るだけある。


 先程は人類のことを『放っておけば内輪で争い始める愚かな種族』みたいに評したが、魔族や魔物はそれ以上の愚物という他ない。


 だからこそ、人類以上に俺が見張ってやらなければならないのだ。


 玉座の側に控えるイゾリテが、おもむろに拡声の魔術を発動。口元に小さな魔法陣が出現し、イゾリテの淡々とした声を増幅する。


『ここに降臨なされた新たな魔王にして神アルサル様に拝謁する栄光を賜ったことに感謝し、総員その場にて拝謝はいしゃの意を示せ』


 ――なんだって?


 いや、イゾリテの言っていることの意味がわからないわけではない。確かにそこそこ早口ではあったが、決して聞き取れないものではなかった。


 しかし――いや何だ、今のは? もちろんイゾリテの高圧的な口調も珍しくてちょっと新鮮だったわけだが、それはそれとして台詞の内容よ。


 何だあの仰々しさは。


 降臨なされた新たな魔王にして神? 拝謁する栄光? 感謝して拝謝の意?


 突っ込み所が多すぎるだろ。


「――――。」


 だが咄嗟に言葉が出てこない。


 というか何かもう戴冠式が始まっているっぽいので、迂闊に割り込めない。


 むしろ、俺が突っ込みを入れたところで何も変わらない気もする。


 どうせ言うだけ無駄なら、黙って静観する他ないではないか。


 と、参列する魔王軍幹部の一人が一歩前へ出て、声を張り上げる。


「神聖にして不可侵なる新たな魔王にして神たるアルサル様! その拝謁のえいもくすことに感謝し、総員平伏ッ!!」


 おそらくは貪狼大公ドゥーベと思しき魔族が叫ぶや否や、その場にいる全員が一糸乱れぬ動きで一斉にひざまづいた。


 かと思えば、次の瞬間。


 片膝をつくどころか、その場に正座し、両手を床について頭まで下げる始末。


 そう、魔王軍幹部総勢による――【土下座】である。


『ははぁ――――――――ッッ!!』


 声を揃えて畏敬の念を奉じる。


 かしこまるにも程があった。


 何だこの異様な光景は。


「…………」


 ふと隣を見ると、普段は無表情なイゾリテがどこか満足げな笑みを浮かべている――ように見えなくもない顔をしている。本当に微妙な、ミクロン単位での変化だが。


 どうも【コレ】もイゾリテの仕込みらしい。


 だが、文句をつけるわけにもいかない。イゾリテはあくまで俺のためにやってくれているのだ。しかも、こうして魔王の座につくことを決めたのは他でもない俺自身。それを積極的に手伝ってくれているのだから、そも不満を垂れる筋合いなど俺にはない。


「……はぁ……」


 とはいえ、流石に溜息は禁じ得なかった。俺は玉座の肘掛けに片肘をつき、足を組むと、掌で口元を隠しつつ吐息を一つ。


 溜息を隠したのは、それがイゾリテや居並ぶ魔族魔物らに『俺が落胆している』と誤解を与えないようにするためだ。


 おそらくだが、既に魔王軍の幹部共はイゾリテによって洗脳――いや、調教――いやいや、教育が徹底されている。


 つまり今、俺の前で完全平伏している連中は全員がガルウィンやイゾリテレベルの狂信者――否、信奉者と言っても過言ではないだろう。よって、俺は言動には細心の注意を払わねばならない。


 というか、もう下手なことは言えない。何を言っても影響は激甚げきじんだ。


 故に俺は言葉を使わず、身振りだけで応じた。


 肘をついてない方の手を上げ、そのまま拳を、ぐっ、と握り込む。


『アルサル様が〝面を上げよ〟と仰っております』


 何故かイゾリテが通訳してくれた。いや、そういう意味でやったわけではないんだが、まぁいい。任せよう。


 幹部らが一斉に顔を上げる。一体残らず表情が強張っているように見えるのは、気のせいではあるまい。


 何故なら――自分で言うのも何だが、今の俺の全身からほとばしる〝威圧〟は以前の比ではない。


 ぶっちゃけ、これでも抑えている方だったりする。まだ〝勇者〟だった頃は、その気になれば常人並に装うことも出来ていたのだが――今となっては、それももう出来ない。流石に完全に押さえ込むのが無理になってしまった。


 どうしたって〝圧〟が漏れ出てしまうし、たとえそれが何千、何万分の一にまで抑えた片鱗であっても、わかる奴にはわかってしまう。


 なにせ今の俺は、【魔王】でもあるのだから。


 かつての天災の魔王エイザソースがどれほどの怪物であったかは、幾度も語った通り。呼吸一つが死の風となるような化物だった奴の称号が、いまや俺のものとなっているのだ。


 抑えきれるわけがない。常識的に考えて。


 正直、俺が人界を離れて魔界に居を移したのも、これが理由の大半だったりする。


 現在の俺は、冗談抜きで、人界で深呼吸するだけでも人類を滅亡させかねない化物なのだ。


 危なすぎて人界に近寄る気にもならない。


「…………」


 自分が今、どのような表情を浮かべているかについては、一応の自覚はある。さぞ厭世的えんせいてきな面構えになっていることだろう。まぁ、外野から見ればいかにも魔王然とした顔付きになっているとは思うのだが。


 そんな俺に数多あまたの視線が集中し、得も言われぬ静けさが漂う。


 無論、俺の言葉待ちの沈黙だとわかっているが、前述の通り迂闊な発言は禁物だ。


 よって俺は先程握った拳を開き――やや考えた後、グッと親指を立てる所謂いわゆる『いいね』ポーズをしてみた。適当な気分で。


『――ぉぉおおおおおおお……!!』


 途端にどよめく幹部衆。何だろうか、この一挙手一投足に注目されている感じは。好きな奴はもちろんいるとは思うが、俺にとってはなかなかの苦痛だ。やっぱり『王』とか上に立つ地位は、俺には向いていないらしい。


『――これより、アルサル様の戴冠式を行います』


 たっぷりの間を置いて、イゾリテが凜とした声で開式を宣言した。


 これは結局のところ形式だけのもので、言ってしまえば形骸化した儀式ではあるのだが――俺以外の奴がこれをすることで納得するというなら、致し方なし。


 これも一種の『有名税』とでも言おうか。


 斯くして、中身のない戴冠式が始まった。


 司会進行をイゾリテに一任して、俺は傍観者よろしく事の推移を見守るのみ。


 イゾリテの淡々としていながら要点要所を押さえた煽動は、実に効果的に魔族魔物らを盛り上がらせた。


 いつしか魔王軍の幹部らは勢いよく拳を突き上げ、雄叫びを上げていた。


 新たな魔王となった俺を言祝ことほぎ、賛美さんび賞賛しょうさんしているのだ。


 大いに高揚し、玉座の間の気温が上昇していく中、やはり俺の気持ちは真逆に冷めていく。


 何の因果か、世界を救った〝勇者〟が今は魔界の玉座に腰を下ろし、魔王として称揚しょうようされているのだ。


 世の無常を嘆きたくもなろう。


 俺は再び掌で口元を隠し、多分に諦めの籠もった声で呟いた。


 まるで本の一節をなぞり読むように。


「……勇者を舐めるなよ……」


 一体誰に向けての言葉だったのか、自分でも判然としない。


 だが、どこか他人事じみた言葉は、あるいは自分自身に向けてのものだったのかもしれない。


 結局の所、俺が一番〝勇者〟というものを愚弄していたのかもしれないのだから。






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