14 そして明智正五郎は最後の言葉を告げる
12月23日、午後1時。
そういえば柊と会うのは、いつもこの公園だった。
それしか彼女との『人間としての』接点がないのだから、不自然と言えばそうだが、自然と言えば自然なことなのだが。
やってくる大きな影と小さな影。
俺は息を大きく吸い込み、
「よう、JK」
ししゃもにここまで、強制的に連れ出された柊を視界に収めると、軽く右手を挙げた。
「猫も。久しぶりだな」
「にゃあ」
ししゃもは白々しく鳴いてみせる。
「おじさん」
「おう」
「まだ仕事……決まらないの?」
「いや、だから辞めてねぇから。休職中だって」
まっとうと言えばまっとうだが、どこか肩すかしを食らう発言に俺は思わず苦笑した。
柊はベンチに腰掛けると、少し色づいた微笑みを浮かべた。
「おじさんは、私がいつも迷っていると、必ず現れるね。なんなの? 神様?」
「神なんていう低俗な奴と同列において欲しくはないがな……まあ、心配するな。俺も迷ってばかりだ」
「またわけがわからないこと言う」
柊は、心から可笑しそうに笑う。
「本当におじさんは、私にとってのヒーローだよ」
「俺なんか、力こぶも作れない。プロレスラーも倒せなくて、世界平和も守れないさ」
「何それ、トビがあるね」
「昔流行った曲に、そういう歌詞のがあるんだよ」
「ふーん」
柊はベンチに腰掛けたまま脚を動かすと、地面に「の」の字を書いて見せた。
「おじさん、聴いてくれる? 私が、人を殺したときのこと」
「もちろん、そのつもりで、今日は来たんだ」
「なんでそのつもりなのよ……わけわからない」
「わからなくて良いんだよ。要は俺も、お前さんに興味がわいていると言うことだ」
「ストーカー?」
「ばか。冗談だよ」
俺が肩をすくめると、柊は困ったように微笑んだ。
「話しても?」
「どうぞ」
「……うん。あのね、私、去年、いじめられている子を助けようとしたことがあるの」
「ふむ」
「その子がいじめられることはなくなった。だけど、今度は私がいじめられるようになった」
「よくあることだな」
「うん。よくあること。でも、そのとき、私をいじめる立場になった娘達の中に、私が助けようとした娘が、当然のように混じっていて、それで、人間不信みたいになった」
「まあ、無くはない話だな」
そこまでは、俺も知っていた。だが、柊は次に語ったのは、それよりももっと人間の醜さ直面させられた出来事だった。
「私に対するいじめはね、そう長く続かなかったの。何故だと思う?」
「皆目見当も」
「私を率先して、酷いちょっかいを出してくるのは、他ならない、私助けようとした娘だったから。自業自得と言えばそうなんだけど、やり過ぎた彼女――ゆかりに、再び排除の力が加わることになった。『今までの立場を忘れて調子に乗ってる』、『助けられたはずなのになんか気持ち悪い』ってね」
「……なるほど」
子供社会では、十分起こりえることだ。さらに、女子の場合、人をハブるのは相当に意地が悪く行われると聴いたことがある。そうすると、ゆかりは、いじめられっ子の最底辺から、バブルのようにいじめっ子の中心人物になり、また最底辺に落とされたということか。
あまりにも醜悪な権力のシーソーに、大人である俺ですら、戦慄を覚える。
「ゆかりはまたいじめられるようになった。それも、以前より、ずっと陰湿に、悪質にね。私も『復讐』に誘われたけど、もう疲れ切っちゃっててさ。やりたい奴だけ勝手にやってれば? って感じだった。結局、それで友達がいなくなっちゃったんだけどね」
「…………」
「ゆかりは、それから、何回も私の席まで来て、私の機嫌を取ろうとしたり、友達になりたいとか、仲直りしたいとか持ちかけるようになった。でも、私、彼女の内面……ううん、一面だよね、きっと。醜い部分を見てしまったから、もううんざりして、ずっと無視を決め込んでた」
「…………」
「そしたらね、去年の12月。いじめが常態化している日常の中で、ゆかりはついに首を吊った。私に何回も助けを求めたのに、私が見殺しにしたんだよ」
「お前さんのせいではないだろう。悪いのは、いじめてた奴らだし、そのゆかりという奴にだって問題はある」
「でも、私はあのとき、ゆかりがまたいじめられるようになったのが心の奥では嬉しくもあったんだ」
「お前もいじめられていたんだろう? そう思ってしまうことの、何を責められるって言うんだ?」
「そうじゃないんだよ。事の本質はね、私が『ゆかりを助けよう』なんて思って、勝手に憤って首を突っ込まなければ、ゆかりはいじめにも耐えられたかも知れない。いじめを拡大させて、なおかつゆかりを追い込んだのは、他ならない、私なんだよ」
結論を言い終えるように口を噤む柊に、俺は大きく息をついて応えた。
「なるほど、な……。それが、お前さんが物事に首を突っ込むべきときには必ず躊躇していた理由か」
「……うん。結局、ゆかりの葬式には誰も行かなくて、行けるわけがなくて、私にも訃報一枚しかこなかった。ゆかりの命に関わっていたのに、その関係はたった一枚のはがきにしかならなかったんだよ」
「そのはがきは、今も持っているのか? しまっている場所とか、覚えてるか?」
「まだ、あるよ。私が使っている机の一番上の引き出しにね……って、そんなこと聞いて、おじさんどうするの?」
俺は肩をすくめた。
「いや、お前さんは、その『ゆかり』とやらの家に、線香の一本でもあげに行ったのかな、ってな」
「行ってないよ、行けるわけない」
「それなら、なおのこと行くべきだと思うがな。その一事ができなくて、お前さんはずっと過去に縛り付けられているのだから」
「まあ……そうなんだけどね。決心、つかないよ」
「そうか」
「うん……」
「でもまあ、それにな、もう一つお前がそうしなきゃいけない意味がある」
「ん?」
「お前さんが今苦しんでいることだよ。過去の自分がお前さんの行動を阻んでいる。そんなことがあるんじゃないか?」
「……すごいね。たまにおじさんのこと、超能力者か何かだと思うときがあるよ」
柊は空を見上げて嘆息する。そして、大きく息を吐き出しながらくの字に身体を折ったかと思うと、背筋を伸ばせしてベンチに浅く腰掛け直した。
「……友達がね。複雑な家庭事情を抱えているみたいなの。それで、どうやったら助けてあげられるかなって」
俺はフン、と鼻を鳴らした。
「馬鹿げてるね」
「馬鹿かな、やっぱり」
「『助けてやる』というのは、上からの目線の言葉だとおもうけどな。でも、とにかく、大切な奴なら、四の五の言わずに手を差し伸べてやれば良いんだよ。お前は、一度は失敗したのかも知れない。でも、それは、今回も手を差し伸べなくて良い理由になんか、ならないと思うぞ」
「……そっか、そうだよね」
「まあ、詳しくはわからん。俺もそういう時の『友達のありよう』なんて、本の中で学んだだけだからな。本当に、くだらない青春を歩んできたんだ」
「くだらない青春?」
「ああ、暗黒時代だった」
「そっか……それでも、たくさんのこと学んだんだね。おじさんの言葉は、いつも私の心臓を蹴りつけてくるんだよ」
「ひどいたとえだ」
「うん……」
柊は、寂しそうに笑った。
「あの娘は……美玲は私をどん底から助けてくれた。表現はどうあれ、私は助けてもらったと思ってる。だから、やられたことをして返すだけ。今度は私が恩返ししたいんだ」
「もしかしたらその子は、そんなこと望んでないかもしれないぞ」
俺は、あえて突き放す。
「うん……結局は、自己満足なのかもしれない。でも、友達を諦めることで、人間を諦めることで、二度と戻ってこないものを失うことの辛さに、私は打ちのめされたから」
ゆかりのことか。俺は肩をすくめた。
「……って、おじさんも手を差し伸べてやれって言ったんじゃん」
「そうだったかな? 何にせよ、人に言われたからやる、というのは無しにしとけよ」
「うん……でも、それは無理だと思うよ。私は、いろんな奴らに囲まれて、考えて、行動できるようになったから。きっと、それが今の自分なんだと思う。おじさんに初めて会った時から、私の周りには、本当にいい友達がいてくれる。皆が皆、私のササクレだった心を癒やしてくれた。だから、友達が辛い時は、私も力になってあげたいんだ」
「……そうか」
「おじさんも、その中に含まれてるよ」
「――馬鹿。頑張ったのは、お前自身だ。いい友達がいるのなら、いい友達を作った自分を褒めてやれ。そして、そのことだけは否定するな」
「そんなこと……ううん、そうだね。私、頑張ったよね。頑張ってる」
そういって、儚げな笑顔を俺に向ける。
「でも、今はまだ、おじさんに、そう確認されることが必要なんだよ」
「よくわからんな」
「そっか、わからないよね」
――わかりすぎるほどわかる。
人は、悩む生き物だ。
自分の選んだ道が果たして正しいのかどうか、常に迷う。
そんなとき、肯定も否定もせず、重荷も期待も背負わせず、ただ、自分の行為を確認してくれる人が居れば。
それだけで、人は大きな力を得ることが出来る。
社畜だった俺は、毎日、自分の行動がなんなのか、自分が何をして、どういう位置にいるのかもわからないまま、ただただ激務に流され、目の前の仕事に追われる毎日だった。
俺の存在を確認してくれる人なんて、同僚も、上司も家族も、誰ひとりとしていなかった。
多分、自分のことを認識してもらえて、確認もしてもらえない人間は、生きていない。
生きながらに、死んでいる。
柊はどうだろう?
俺という存在の価値を認めてくれているのはありがたいが、そんなこと抜きにしても、最初に出会った時からの成長には、目を見張るものがある。
柊は、既に自分の道を、なんやかんや言いながら自分で考え、歩こうとしている。それが、「他者」に支えられたものであっても、その助力をひっくるめて、自分のことを自分だと言えるようになっている。
だとするならば。
前を向いて歩く子供に、大人ができることなんて、ひとつしかない。
軽く、ぽんと背を押してやればいい。
人生のところどころにある、岐路に立って迷うこともあるだろう。だが、見守ってくれる誰かがいれば、子供は、それだけで成長していけるのだ。
そして、成長した時、かつて自分が歩んできた人生の困難に立ち向かう、子供の背を押すことで、自らが大人になれるのじゃないのだろうか。
波風立てずに。
他人と深く関わらない。
ルール通り、言われる通りのことだけに耳を傾ければいい。
そんな、『大人の常識』を守るのが、大人になるってことだなんて、きっとそうじゃない。
「独りで生きていく」ことと、「自分一人で生きられるようになる」ことは違うように。
子供である時間は、そんなめんどくさい、些細だが重要な違いを学び取るためにある。
逆に言えば、それを学び取らなければ、子供も、大人も、いつまでたっても『大人』になれない。
迷子の子供が、迷子のまま、背丈だけ大きくなった姿を晒しているだけなのだ。
なら、俺は。
今、俺にできることは。
「なあ、柊」
「ん?」
「おまえ、友達が大切か?」
「あたりまえじゃん」
「そうか……」
――なあ、柊。
俺が『大人』になって、いや、『大人になりきれずに』、無くしてしまったものを、お前は今、沢山手にしているんだ。
それは「友達」であったり、「自分自身」であったり、「人生に青臭い期待を持つ」と言うことだったりするのかも知れない。
そんなかけがえもない宝物を、決して手放すな。
大切なのは、過ぎ去った過去ではない。
紛れもない、今なんだ。
過去が今の自分を決めているのではない。
今の自分が過去を見て、今を生きるための教訓として過去を決めているんだ。
そしてそのことこそ、俺自身が猫になってから、繰り返し繰り返し、学んできたことだったんだと思う。
「……それなら、柊。自分を、人を信じろ。お前が築き上げてきたもの、お前が与えられてきたものに頼れ。お前が言ったように、友達を諦めないようにな」
こんな事を言う資格が俺にあるのだろうか?
俺は、友達どころか、人生自体を諦めていたはずだ。
だが、柊たちと……こいつらの青春を間近で見てると、その有様が、どうしても心にくすぶっていた何かを、ぱっと燃え上がらせるのだ。
「一人で立って、生きていくためには、たくさんの人の支えが必要なんだ。だが、一人で生きていくことと、ひとりぼっちなのは全然違う。お前は、そのことを既に学んできているだろ?」
柊は目を見開いて、俺をまじまじと見た。
「おじさん……」
俺は軽く肩をすくめた。
「ちょうどいいことに、この時期には仲を深めるのに、おあつらえ向きのイベントがある。わかるだろう?」
「……うん」
「だよな」
俺は柊の頭をに手を伸ばすと、不器用に、くしゃりとなでた。
「せめてクリスマスくらいは、奇跡を起こしてもいいんじゃないか?」
そう言って、足下にいるししゃもにも無骨なウィンクを向けると、その灰色の塊も、
「にゃん」
と嬉しそうに賛同した。




