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六十三話 湖の中心で哀を叫ぶ

大変に遅れました。待っていてくださった皆様、大変申し訳ございません。次は来週くらいか、早ければ月曜には上げたいと思います。

「ふぬぬぬぬぬ……ッ!」

 

 うららかな日差しが木々の合間を縫って差し込む森の中にある、透き通った清らかな水を湛えた湖のほとり。

 魔物達の徘徊していない僅かな安全地帯に、メナドが踏ん張る声が響く。

 

 その後ろでは、セルマがぱんぱんと手を叩いて応援していた。

 

「頑張れ、頑張れー!」

「ぜえ……ぜえ……何でこんな目に……!」

 

 彼女の手は辺りにに生える木の中の一本、その幹から膨れ上がる様に滲み出る琥珀色の蜜の様な物体に突っ込まれていた。

 これこそ衝撃を与えると即座に固まる性質を持つという樹脂である。

 

 これに、メナドは迂闊に手を突っ込んだのだ。

 

『ふーん、なんだか蜂蜜みたいね……えい』

 

 そんな様な事をほざきながら、ぺちっと。

 

 衝撃というのを殴る、蹴るの範疇でしか考えていなかった彼女のミスである。この樹液は、ひ弱な少女の小突き程度の衝撃でさえ変質してしまうのだ。

 

 結果、彼女の手は指の付け根まで手袋ごと飲み込まれる。異変に気付いて必死に、両足を木に押し付けて引っこ抜こうとするその様はまるで——

 

「なんか、メナドちゃんアレみたい。かぶとむし」

「うッッッさいわよッ!」

 

 彼女の怒号に、セルマはにこりと微笑みつつ手を差し伸べる。慌てふためく彼女を見ていたかったセルマだが、メナドの顔に泣きが入ってやっと腰を上げた。

 

「ふうう……セルマぁ、たすけてよぉ」

「あわわ、ごめんね。よいしょ……」

「あっ、ちょ、優しく……」

 

 小さな背中に回り込み、脇の下から彼女を抱きかかえ、一気に引っ張る。

 

「ゔッ?」

 

 大地に深々と根を張る大樹と、その幹から滲むがっちりと固まった樹脂。そしてセルマの巨大な十字架を軽々と振り回す豪腕。その両方の力が同時にメナドの、主に腕に襲いかかる。

 

「……ぃだだだだだ!? 腕抜けるッ! 腕抜けるって! セルマ、ストップ!」

「ふーん! ふーん!!」

「セルマーッ!!!」

 

 ずぽんっ。

 

 渾身の力でもって引っ張られた事により、メナドの手は手袋から引っこ抜けてようやく解放された。

 樹脂には、置き去りにされた手袋からひらひらと風にたなびいている。

 

「あらら。メナドちゃん良かったねえ、手袋してて」

「も、もうちょっと助け方ってモンがあるでしょ! なんかこう、めしめしって聞こえてたんだから!」

「あはは、ごめんごめん次からは慎重にやらないとね」

「ほんとよ、全く……こっちの身がもたないわ」

 

 ぷらぷらと腕を振るメナドを置いて、今度はセルマがふんすと腕をまくって樹液へと向かう。

 小脇に抱えた採取用の壺をそっとその表面に当て、手袋をはめた指でゆっくり、ゆっくりとこそぐ様にして壺の中に注ぎ始めた。

 

「あら、上手じゃない」

「ふふーん。力持ちはぶきっちょっていうイメージを覆す女、セルマなのでした」

 

 得意気に鼻を鳴らす。そんな彼女の鼻の下を、風に乗った木の葉が絶妙な具合にくすぐった。

 

「ふぇ……へーちょ! へーちょ!」

「あ、ばか!」

「あ……」

 

 くしゃみにより、セルマの手も樹脂に飲み込まれてしまった。二人の間を、季節に似合わぬ寒々しい風が吹き抜ける。

 

「……何のイメージを覆すですって?」

「……忘れちゃって欲しいな」

 

 その後数時間にわたってあたりの木々を巡り、樹脂と壮絶な格闘を繰り広げる二人。支給された手袋はすっかり底をついてしまったが、もう少しで納品に十分な量になる所まで漕ぎ着けた。

 しかし、辺りはすっかり夜の闇に包まれてしまっている。これ以上の活動は危険と判断した二人は、適当な所で切り上げて野営の準備に取り掛かった。

 

 セルマは辺りに魔物避けの聖水を撒き、その間にメナドは火を起こして食事の準備を。

 

 十字架を地面に突き立て、縄を括り付けた鍋をぶら下げて即席の料理台を作り、川の水を沸かす。

 

 二人の周りを聖水で引いた線が一周する間に、干し肉やら塩漬けの野菜やらを放り込んだスープが鍋の中でコトコトと仕上がっていた。

 

「すんすん……はああ、いい匂い。お腹空いちゃった」

「簡単なので勘弁してね。帰ったら美味しいの作るから」

「メナドちゃんが作るやつなら

、何でも美味しいよ」

 

 草むらの上に腰を下ろしたセルマに、スープを注いだ器を手渡す。


 有り合わせの間に合わせで作った一品は、家で食べる物よりも少し物足りなく見える。しかし、それを頬張る二人の顔には不満の色は一切無く、幸せを噛みしめる様な表情だ。

 

「ん、やっぱり美味しい。さっすが私のお嫁さんだね」

「あら、お気に召しました様で光栄ですわ、旦那様」

 

 言っていて恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめて少しの間沈黙する二人。おほん、と咳払いをしたメナドが、再び話し出した。

 

「とりあえず、明日には樹脂は集まり切ると思う。問題は……」

 

 ちらり、と近くの木に視線を滑らせる。

 

 焚き火の明かりに照らされるのは、樹脂に取り残されたままの手袋。

 彼女たちの手を保護していたそれはもう全て使い切っている。よって、明日の採取には素手で臨まなければならないのだ。

 

「明日は本気で慎重にやらなかったら、このまま森暮らし直行よ。お互い気をつけましょ」

「ん、そうだね……ところでさ、水浴びとかしたくない?」

「あー……」

 

 樹脂の採取は結構な重労働だ。当然汗もかく。一日中四苦八苦した彼女らの体は、それはもう汗でべたべたなのだった。

 

「うーん……明日の朝起きたらにしましょ。今日はもう眠くて、ふわわ……」

「んん、それもそだね……」

 

 汗を流したいという欲求は、丸一日神経を使い続けた疲労感と、食事で温まった事による眠気にたやすくねじ伏せられた。

 明日の分が焦げないよう鍋を火から下ろすと、二人は示し合わせたかのように眠りにつく準備を始める。と言っても、小さな毛布に二人でくるまるだけだが。

 

「もうすぐ夏なのにまだちょっと寒いわね……セルマ、もうちょっとくっついてよ」

「ん、りょーかい」

 

 求めに応じてメナドの小さな体をきゅっと抱きしめ、更に足で挟み込む。自分の柔らかいところ全てで包み込む構えだ。この極上の肉布団に、寝惚け眼は更にとろとろとまどろむ。

 

「ふわ……あふ。あったかい。おやすみ……」

「ん。おやすみ……」

 

 程なくして、二人のかすかな寝息が木の葉の擦れる音に溶け込む。安らかな眠りに包まれた二人は、折り重なって互いに体を預け、深い眠りへと沈んでいった—— 

 

 ——瞼を朝日が照らし出す頃、メナドは肌寒さに目を覚ました。

 

「……んぅ? セルマ?」

 

 自分を包んでいたはずの温もりが無い。のそりと体を起こして彼女の姿を探し始める。

 やがて、少し遠くの木の前にその姿を見つけた。樹脂の滴る木に向かい、手を動かしているセルマ。その彼女の元へ、毛布を纏ってふらふらと歩み寄る。

 

「ふああ……何よ、早いわねセルマ」

「あ、おはよ。起こしちゃった?」

 

 笑顔で振り返るセルマ。その右手は、琥珀色でべったりと汚れている。ついさっきまで採取していたようだ。

 

「気にしないで。それよりも、大丈夫なの?」

「ふふん、意外とコツ掴んで来たんだよ! 早起きした甲斐があったね!」

 

 どやっ、と得意げな顔をするセルマ。それに感心したようなメナドは、未だに眠気で覚束ない足取りでふらふらと近寄り始めた。

 

「へぇ……ちょっとそのコツっての教えてよ。ふわぁあ……」

 

 一際大きなあくびを放った、その瞬間。

 

 ずりっ……。

 

 彼女の足は、湖の淵に踏み込んだ。そして朝露に濡れた草に導かれるようにして横滑りを起こし、がくりと姿勢を崩す。

 

「あ、ひゃっ……!」

「メ、メナドちゃん!」

 

 咄嗟に地面を蹴り、跳躍するセルマ。ゆっくりとした時間の流れの中、彼女の手は反射的に伸びたメナドの右手を掴みとる。そして、二人揃って湖へと飛び込む形となった。

 

「ぶはっ! メナドちゃん大丈夫!?」

「ぷはっ……!」

 

 水面に浮上したメナドの目は、ぱっちりと丸く見開かれている。少なくとも、もう眠くは無いようだ。

 

「び、びっくりした……!」

「もうだめだよ。ちゃんと起きなきゃ……」

「そ、そうね。ありがと……手、離しても大丈夫よ。泳げるから」

 

 水の中でセルマの体温を感じながら、手を離すよう求める。しかし、それに応じる声は返って来ない。

 そして、何故か彼女の目がざばざばと泳ぎ始めている。顔も青い。

 

「……えと、怒んない?」

「何がよ」

「今から言う事……」

「モノによるけど」

「くっついちゃった」

「は?」

 

 水面から、繋いだままの手をざばりと手を引き上げる。二つの手の接合面には、琥珀色の物体がはみ出していた。

 

 何が起きたか、メナドもようやく察したようだ。

 

「……てへ」

「はあああああ!?」

 

 静かな森の穏やかな湖の中心で、獰猛な獣のような雄叫びがこだました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

良ければ、評価などぽちぽちっと。

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