二十六話 霧の向こう
ちょっと短めです。
「はーい、着いたっすよ。起きて下さいよ、二人共ー」
御者が台から降り、がちゃりとせっかちそうに戸を勢いよく開け放つ。その音で、四つの閉じていた瞼が同時にぱちりと開かれた。
「ふぁ……あ、もう着いたんですね。ありがとうございます。ほら、メナドちゃん。起きて」
「起きてるわよ。はわわわ……」
揃ってあくびを放つ二人。まるであくびの輪唱だ。涙が滲んだ目をこすり、周りを見回す。
一行がいるのはロウリュ郊外にある山肌に、ぽっかりと空いた洞窟。二人の背後には、ステルダの街とは違う街並みが小さく見える。
「んん? なんか霧が……」
洞窟を見るメナドが、ふと訝しげに声を上げた。
視線の先にある、暗く大きく開かれた入口からはもうもうと白い霧が立ち込めている。まるで巨大な怪物の口から、得体の知れない気体が吐き出されているかのようだ。
その光景に目を奪われている二人に、一人の褐色に焼けた肌の男が近づいていた。その足音に振り向いた彼女らと目が合うと、二人に陽気な声色で話しかける。
「貴方達が、依頼を引き受けてくれた方ですか?」
「はい! 依頼人の方ですか?」
「ああ、申し遅れました。私はヴィヒタ。ロウリュの温泉宿組合の会長をしております。この新しい温泉には街の内外からご期待を頂いておりまして……是非、この洞窟を開放していただきたい」
慇懃な口調で手もみをしながら話すヴィヒタ。街の経済の中心である温泉の組合長という事は、街の権力者であるという事を意味している。
そんな彼がわざわざ挨拶に出張ってくるということは、それだけこの依頼が大きな物であるという事だ。二人もそれに気づいたのか、ようやく顔が引き締まる。
「任せて下さい! さ、行こメナドちゃん! ごーごー!」
「あ、こら! 待ちなさいよ!」
そう言って、意気揚々とやかましく白い霧の中に消えていく二人。残された御者とヴィヒタは、その背中を不安げに見守っていた。
メナドの持つ松明の明かりを頼りに、洞窟内へと足を踏み入れた二人。同時に、しっとりと体に纏わりついてくる霧の正体に気づいた。
「……これ、湯気?」
霧の正体は、岩盤の隙間から漏れ出る湯気であった。地熱により暖まった水脈は、この洞窟の真下に位置している。
それにより絶えず吐き出される湯気は、二人の衣服をぺたりと湿らせて肌に張り付かせる。
「ふへぇ、むしむしする。気持ち悪い……」
胸元をぱたぱたと扇ぐセルマ。メナドも、湿気って跳ねる髪をいじりながら前へと進んでいく。
——すぐ後ろに迫る、何かの気配にも気付かずに。
からり。
二人の背後で、小石が跳ねる。
「ッ!」
二人同時に振り返り、戦闘態勢をとる。しかし、視線の先には何もない。ただ白く煙る湯気が漂っているだけだ。
「んん、気のせ——」
「! メナドちゃん後ろッ!」
一足早く前に向き直っていたセルマが声を上げる。彼女の視線の先には、巨大な鉤爪で壁面を這い回る魔物が一体。暗闇に、赤く光る眼球の軌跡が走る。
魔物は、まず背を向けているメナドへと狙いを定めた。鉤爪を振り上げ、無防備な背中を切り刻むべく壁を蹴り、一瞬で距離を詰めた魔物は腕を振り抜く。
「危ない!」
爪の軌道上に割って入ったセルマが、メナドの体を抱えて背中を盾にする。瞬間、ローブが裂けてその下の肉から赤い血が迸った。
「いぎッ……たぁ……ッ!」
苦痛に悶えながら、口の中でリジェネレイトの呪文を呟きつつ裏拳を飛ばす。
しかしそれは手応えなく、虚しく湯気を裂く。そんな彼女を嘲笑う様に魔物は縦横無尽に壁面の間を乱反射して撹乱を図った。
「早い……!」
「だったら!」
狼狽えるセルマを半ば押しのける様に前に立ち、両手を前方に揃えるメナド。瞬間、目の前の空間に吹雪が吹き荒れる。
通路を丸々包み込む致命的な冷気。それにより筋肉の動きが鈍った魔物はバランスを崩してぼとりと地面に落ちる。
そこへすかさず叩き込まれる巨大な十字架。地鳴りとともに地面が赤く染まる。びくびくと痙攣していた魔物は、やがて物言わぬ肉塊と化した。
「っつぅ……」
不意に、メナドが左腕を抑えて顔をしかめる。右手が抑えているその下からは、うっすらと血が滲み出ていた。セルマを巻き込まない様にとわざわざ前へ出たせいで鉤爪が掠ったのだ。
回復が出来ない上に、火力の調整が出来ないせいで何をするにもテンポがずれる。強敵を前に、彼女達の弱みが露呈した瞬間だった。
「わ、だ、大丈夫? 待ってて、今回復薬を……」
「いや、かすり傷よ。包帯だけでいいわ。それよりもあんたの方は……」
自分などよりも遥かに重傷を負っていたはずの、攻撃を受けて大きく裂けた背中を見るメナドは浮かない表情だ。
「ね、ねえ。本当に大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ? まともに受けたのが私でよかった」
傷はとうに塞がっている。しかし、布地と肌にこびり付いた大量の血はそのまま。それを見る度、メナドは自分の背中にも疼く様な痛みが走る様な気がしていた。
その心配そうな瞳に気付いたセルマは、何でもない風ににこっと笑う。
「もー、心配性だなあ。大丈夫だよ。決めたでしょ? 私が受けて、メナドちゃんが攻める。そういうパーティなんだよ。私達は」
「それは……そうだけど」
「うん。じゃあ、この話はお終い! 先は長いよ、急がなきゃ」
自分達の行く先を見据える二人。行く手には、一寸先も見えない深い闇。今倒した魔物は、この闇の中に潜んでいるであろう群れの先触れに過ぎない。
彼女らが受けた依頼は、洞窟内の魔物の掃討。戦いは、まだ始まったばかりだ。
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