第263話 天界へ行きました
私とヴァルギスは普段着のまま、幕舎の中にあるダブルベッドに座ります。
ヴァルギスがポケットから薬を2錠取り出して、1つを私に渡します。ナトリが水を持ってきてくれたので、準備はできました。
薬を片手、カップを片手に、私とヴァルギスはお互いの目を合わせます。
「覚悟はできてるか」
「できてるよ」
その表情は、緊張しながらも、これから起こることの全てを待ち受けているかのような笑顔でした。
私とヴァルギスは、最後にキスします。お互いの唇を強く押し付けます。
それが終わると、薬を口に含めます。水を飲んで、カップをナトリに返します。
私たちは横になります。
まだ意識が残っている間、ヴァルギスと布団の中でぎゅっと手をつなぎます。
「怖いか?」
ヴァルギスが尋ねてきたので、私は首を振って否定します。
「ヴァルギスと一緒なら、どこへでも行けるよ」
「妾もだ。アリサがいるだけで心強い」
そうしているうちにだんだん眠くなってきます。
いつもの眠気ではなくて、意識が無理やり削り取られていくような、全身動けなくなるような、抵抗力が削がれるような感じでした。
私もヴァルギスも目を閉じて、黙ってそれを受け入れます。
自分の呼吸が少しずつ弱くなっていくのを感じます。心拍も少しずつ間隔が長くなって、やがて聞こえなくなっていきます。
◆ ◆ ◆
「‥あれ?」
気がつくと、私は空き地のような場所で横になっていました。隣りではヴァルギスがまだ目を閉じたまま横になっています。
私は身を起こして、周りの様子を確認します。真っ白な壁、真っ白な道、真っ白な建物。何もかも白で統一された、まるで異世界のような空間です。
「‥うん?」
ヴァルギスが目をこすりながら起き上がります。よく見ると、ヴァルギスの服も、さっきの服ではありません。真っ白になっています。私の服も真っ白です。
私とヴァルギスは立ち上がります。
「天界に着いたみたいだね」
「うむ」
「天界に着いたら、デグルを探せばいいのかな」
「うむ、そうだな。地上ではデグルと名乗っているが、天界では確かジュギルという名前だった、人に聞く時はジュギルと呼ぼう」
「分かった」
私たちは空き地を出て、近くを歩く、パーマのかかった赤い髪を肩まで伸ばしている少女に尋ねます。
「すみません、ジュギルさんにお会いしたいのですが」
「ジュギル様ですか?そしたらこの先の建物にお住いになっています。よろしければ私が案内しましょうか」
「ええ、お願いします」
そうやってその少女が私たちの先頭に立った時、少女は「ふふっ」と笑い出します。
「え、ええと、どうしましたか?」
私が尋ねると、少女は振り返って私に尋ねます。
「ねえ、アタシの顔、見覚えない?」
「えっ?」
そういえばこの顔も声も、どこかで聞いたような気がします。
「あ、久しぶりだな」
ヴァルギスは一足先に気づいたようです。ええー!
「ヴァルギス、この子、誰?」
「覚えてないのか、魔王城で1年間も一緒にいた子だろう」
「えっ‥‥あっ、もしかしてラジカちゃん?」
「うん」
ラジカがうなずきます。
「え、ええっ、ツインテールじゃなかったから気づかなかったよ」
「うん、ちょっとイメチェン、みたいな?ジュギル様から、アリサ様と魔王を連れてこいって言われて」
「あ、そういう」
私とヴァルギスがいつ天界に来るかは、デグルにあらかじめ把握されていたみたいです。さすが先を読み通す力です。
私たちはラジカに連れられて、天界を歩きます。ちなみに私は浮いています。天界でも普通に魔法が使えるみたいです。
「ラジカちゃん、元気にしてる?」
「うん」
「えっと‥ニナちゃんのことはどう思ってる?」
「何とも思ってないよ。アタシの友達」
「良かった」
私がほっと息をつくと、ラジカは「ふふっ」とまた笑います。
「もしかして、気にしてた?」
「うん。ラジカちゃんとニナちゃんは合祀したけど、やっぱりニナちゃんが殺したから‥」
「アタシは気にしてない」
ラジカの笑顔を見て、私は安心します。
それを見計らったのか、それともただの気まぐれなのか、ラジカはそっぽを向いてぼそっとつぶやきます。
「‥‥問題はニナだけど」
「えっ、何か言った?」
私の質問を聞いたラジカは、急に歩く速度を速めます。
「‥今は気にしてる場合じゃない。行こう」
「う、うん」
私とヴァルギスも、一緒にラジカへついていきます。
◆ ◆ ◆
ナトリから話は聞いていましたが、デグルの家の中は、まるで神殿みたいでした。天井の見えない上のほうから伸びてくる立派な柱、立派な赤い絨毯の向こうに、そのデグルはいました。
私は浮遊の魔法をやめて、ヴァルギス、ラジカと一緒にひざまずきます。なぜかデグルの前では、こうしていなければいけない気分にさせられるのです。地上では何ともなかったのですが、これが天界のデグルなのですね。
「ジュギル様、ただいま参りました」
先頭になった私が言うと、デグルは玉座のような立派な椅子から立ち上がって、一段一段階段を降りてきます。
「おお、聖女にヴァルギスか。よく来てくれた。ラジカよ、道案内ご苦労」
「はい」
ラジカはひざまずいたまま、背中を丸くして頭を下げます。
「うむ‥それで、聖女、ヴァルギス。君たちに頼みたいことがある。切実な願いだ」
「悪魔の討伐ですね」
私が顔を上げると、デグルはうなずきます。
「うむ。あやつは少し前に天界へ来て、ここから少し離れた向こうの方で、天界の住人を次々と襲っている。悪魔を倒せるのは君たちしかいない。場所はラジカに伝えている」
「分かりました。まおーちゃん、ラジカちゃん、行こう」
「うむ」
私たちは立ち上がって、デグルに深く礼をした後、その部屋を去ります。
◆ ◆ ◆
「あのあたり」
家の外に出てラジカが指差した先には、空の上に文字通り真っ黒な小さい雲が浮かんでいました。
「あの雲の下に悪魔がいるってことだね」
「そういうこと。でもあのあたりは道が入り組んでいて大変だから、アタシが案内する」
「分かったよ」
ラジカが小走りで歩き出します。
「少し遅い、走ってくれないか」
ヴァルギスが言うので、ラジカは無言でうなずいて、走り出します。浮きながら移動している私も、急いでそれを追いかけます。
私はラジカを追いかけながら、あの黒い雲を遠巻きに眺めながら、思いました。
もしあの悪魔がいなければ、クァッチ3世は呪われることはなかったのでしょうか。
クァッチ3世は呪われる前の7年間は本当にすばらしい政治をやっていたということですから、きっとそれが続いて平和な世界になっていたのでしょうか。
クァッチ3世は無数の国のことを思ってくれる家臣、何の罪もない民衆たちを殺して、奸臣や佞臣をのさばらせ、ウィスタリア王国を混乱に陥れました。
私が故郷エスティクを追われ、ハールメント王国に亡命しなければいけなかったのも。戦争で大勢の人命が失われたことも。ニナやラジカが死んでしまったのも。クァッチ3世のせいでもありますが、もとは3世に呪いをかけたこの悪魔のせいなのです。
その反面、いいこともありました。
私はこうしてヴァルギスと出会えて、結婚を前提に付き合っています。
ナトリ、ハギスをはじめ、何人かの信頼できる仲間ができました。
マシュー将軍、ルナなどいろいろな人に出会いました。
ともにウィスタリア王国打倒を目指して、協力し合いました。
戦争という悲しい手段を用いたとはいえ、この瞬間を一生忘れることはないでしょう。
でも、私は。
この世界の悪というものを、戦争というものを生み出したあの悪魔を許しません。




