表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/32

竜退治

 ハイラントを発って2週間。ルディウスは、3つ目の所領へと隊を進めていた。


「あとひとつ終われば、ハイラントに帰れますね。けっこう順調なんじゃないですか」


 ルディウスの隣で器用に馬を操りながら、ゼノが声を弾ませる。黒目黒髪の年若いこの兵士は、今回シメオンの代わりにルディウスに同行している。


「そうだな」


 2つの領地の説得が終わり、日程上はまずまず順調である。

 どちらも穏便な説得とは言いがたかったが、ひとまず領主からの承諾は得た。最低限の目的は達したと言っていいだろう。

 

 ひとつ目の貴族の所領では、ルディウス達は予想通りかなり警戒された。

 領主である男爵は自らの領地に余所者が立ち入るのをひどく嫌う男だった。

 見張り台の建設を願い出た時、この男は苦々しく顔を歪めた。


『私の領地にそんなものは必要ない』


 50歳くらいの領主は、鬱陶しそうに首を振る。この反応は、ルディウスの想定していたものだった。


『しかしバラキア帝国が侵攻すれば、この領地は甚大な被害を受けることになります。軍が駐留していれば、被害を最小限にできるかもしれません』

『相手は遥か遠くの蛮族だろう。そんなに警戒する必要があるのかね? 我が国が蛮族などに、負けるわけがない』

 

 そう言って、男は鼻を鳴らす。

 実はこうしてバラキアを蛮族と侮り、甘く見ている人間は決して珍しくない。貴族の大半はこの男のように、その脅威を差し迫ったものだとは思っていないのだ。

 ルディウスは真面目な顔で説得を続ける。


『その蛮族に、既に10を超える国が滅ぼされているのですよ』

『野蛮な東の国々や軟弱な小国ばかりだろう。我が国のように文明の進んだ大国を相手にしたことなど、バラキアにはないのではないかね』


 この男爵の中では、バラキアは文明の未熟な未開の国という印象が出来上がっているらしい。既にバラキア帝国は、広大な領土を持つ大国である。無論文明が遅れているとも、ルディウスは思わない。

 けれどここでいくら帝国の文明や軍隊について説いた所で、この男は聞く耳を持たないだろう。

 それを見て取り、ルディウスは説得のやり方を変えることにした。


『……卿の言うように、戦になれば我が軍がバラキアに負けることはないのかもしれません。しかし最初に彼らが侵攻するのが、この領地であったらどうします。彼らの略奪を受け、住民がひとり残らず殺された町もあるのです』

 

 バラキアに滅ぼされた国のうち、最も凄惨な被害を受けた町がある。他国への見せしめとして、とりわけ悲惨な末路を辿ったのだ。


『男達は首を切られ、女達は凌辱されました。赤子であっても生きたまま土に埋められ、町には火がつけられた。――とりわけむごい殺され方をしたのは、領主だったそうです』


 淡々と話すルディウスに、いつの間にか男爵は無言になっている。


『彼は見世物のように広場ではりつけにされた上、バラキア兵の無数の槍で串刺しになって殺されたそうです。臓腑が飛び散り、目を背けたくなる光景だったとか』


 ルディウスはバラキアの残虐な一面を、ことさら強調してみせる。男爵がバラキアを蛮族だと見下しているならば、その偏見を利用することにしたのである。


『遺体を禿鷲はげわしに食べさせたなどという話もございます。彼らに我々の言葉は通じず、価値観も倫理観も異なります。侵入を一度でも許せば、軍が到着するまでに何をされるか――』


 自身の悲惨な最期を想像したのだろう。話を聞きながら男爵は青ざめて、ややあってから口を開いた。


『……見張り台くらいなら、許可してやらぬこともない』


 最後にその一言を引き出して、ルディウスは微笑んだ。



 2つ目の所領では、別の意味で苦労した。領主の男はルディウスの正体を知るなり、歓心を得ようとおもねりだしたのだ。

 一もニもなく見張り台の建造と兵の駐留に承諾を得られたのは良かったが、その後が大変だった。

 領主はしつこくルディウスを引き止め、領外に出ようとするのを渋ったのである。

 兵士達をねぎらう宴を開くからそれまでは領内にいてくれと懇願されて、ルディウスは仕方がなく頷いた。本当は一刻も早く次の所領に向かいたかったが、断ってせっかく得られた同意を翻されても困ると思ったからだ。

 しかし宴の準備に3日もかかると言われた時には、流石に閉口した。

 それでも何とか我慢すること3日。

 宴の席には、酒と湯気を立てる様々な料理が並んだ。兵舎では滅多に口にできない、豪華な食事だ。

 兵士達は久々の贅沢に、顔をほころばせている。

 もしもこの宴が純粋な厚意によるものであったなら、ルディウスは素直に感謝していただろう。

 しかし領主の言動を見る限り、何か別の意図があるのは明らかだった。


『閣下はアレス陛下の忠臣。ぜひこれを機に、これからも懇意にしていただければ……』


 宴の途中、隣の席に座っていた領主はルディウスにそう言った。

 やはりそれが狙いかと、ルディウスは内心溜息をつく。ルディウスを介して国王への伝手を得たい、ということだろう。


『それで、今回特別にご用意したものがございまして』


 領主が2度手を叩くと、広間に入って来たのは20人程の女性達だった。

 派手な化粧と肌を見せつけるような服装、色気をたっぷりと含んだ流し目。それが娼妓だと分かって、ルディウスは眉を顰めた。


『閣下、気に入った娘がいれば後で寝所に向かわせましょう』


 下卑た笑いでそう耳打ちされて、ルディウスは酒盃を叩きつけるようにテーブルに置いた。ダンッと大きな音がその場に響き、領主はびくりと肩を震わせる。


『卿は私がアレス陛下の妹君を降嫁された事を、ご存知ないようだ』


 ルディウスはにっこりと微笑んだ。


『そうでなければ、婚約者のいる男に不貞を勧めるような真似をなさるはずがない』

『……え、ええと』


 ルディウスの声に明確な怒りを感じ取り、領主の男はしどろもどろになった。


『ユニス殿下を裏切るということは、私を信じて託されたアレス陛下をも裏切ることになるのですから。そのような事を私に勧める者がいると知ったら、陛下は酷くお嘆きになるでしょう』

『その、私は陛下を裏切るつもりなど――』

『ええ、卿は知らなかったのですから仕方がありません。知っていてそのような事をするなど、叛意はんいありと疑われても言い逃れのできぬ振る舞いです』


 ユニスの降嫁は貴族社会はもとより、全国民が知っている。

 この男が知らなかったはずがない。そうと分かっていて、ルディウスは言葉を重ねた。

 領主の額からは、汗が吹き出している。


『卿は降嫁の話を知らなかった。そうですね?』


 とどめのように念押しすると、領主はこくこくと頷いた。


『ええ、勿論。……すぐに女達は下がらせましょう』


 ルディウスに媚びるような表情は消え、男はすごすごと引き下がった。



「あの領主、最後は吐きそうな顔をしていましたよ」


 ゼノは思い出したように笑う。


「まぁ、もっと脅してやっても良かったと思いますけど」

「あれでもかなり我慢したんだ」

「分かっています。閣下、本気で怒っていたでしょう」


 当然だ。あの領主のやったことは、ルディウスに対してだけでなく、ユニスに対する侮辱でもあったのだから。

 無言でルディウスが肯定すると、ゼノが楽しそうに相好を崩した。


「早く殿下の所に戻らないといけませんね。閣下も心配でしょう」

「ああ」 


 ユニスの身の安全という点においては、ルディウスはそれほど心配をしていない。ハイラントを守る一万の兵士と、副官のシメオンがそばにいるからだ。

 ルディウスの胸を占める気がかりは、別の所にあった。


 ――今頃、泣いてはいないだろうか。


 誰にも知られぬようにひっそりと、涙を流してはいないだろうか。

 ただ、それだけが心配だった。

 ルディウスを送り出した時の、不安を押し殺した表情を思い出す。


 ――あんな顔を、させたくはなかった。


 自らの責務を考えれば、あのままハイラントに残ることはできなかった。ルディウスには軍を指揮し、東方の地を安定させる責任があるからだ。

 それでももう少し、ユニスの気持ちを和らげる方法はなかったのかと考える。 

 或いはハイラントを発つ前に、想いを伝えていれば良かったのだろうか。


 ――君の事を想っていると。


 ユニスの寂しさを減らすことはできなくても、もう少し安心させることはできたかもしれない。

 ユニスを守りたいという思いは、既に義務感からくるものではなくなっている。ユニスに対する恋着を、ルディウスは自覚していた。

 

 ――だが気持ちを伝えれば、ユニスには選択肢がない。


 ルディウスはユニスの婚約者であり、庇護者でもある。そんな男から愛を告げられれば、本心がどうであれユニスには拒めない。

 ユニスがルディウスに寄せるひたむきな好意。あれを恋愛感情だとみなしてよいのか、ルディウスには分からなかった。もしもユニスの胸の内にあるものが、親愛の情でしかなかったとしたら。

 ルディウスが思いを口にすれば、ユニスを悩ませることになるだろう。

 そんな風にユニスの気持ちを尊重したいと思う一方、言わなかったことを後悔してもいた。 


 ――親愛の情などでは、もう満足できないくせに。


 ユニスが兄に対するようにルディウスを慕っているのだとしても、それではもうルディウスの心は満たされない。


 彼女の心が欲しい。


 その感情は、ルディウスの中で無視できぬ程大きくなっていた。

 だからいっそのこと想いを告げてしまえば良かったのではないかと思うのだ。

 もしもユニスの気持ちが親愛でしかなかったとしても、あっさり引き下がることなどできないのだから。ユニスがルディウスを男として意識していないなら、時間をかけて振り向かせるつもりだった。

 やはり出発前に想いを伝えていれば良かったかもしれない。それでユニスがわずかでも安心して、ルディウスの帰りを待てるのならば。


 ――顔が見たい。


 できれば泣いていなければいい。こうも遠くにいては、彼女の涙を拭えない。


「早く帰らねばな」

 

 ファスの手綱を握りながら、ルディウスは誰に聞かせるでもない呟きをこぼした。



 最後の領館に到着した時、ルディウス達は意外な歓迎を受けることになった。門番の男は、軍服の隊列を見るなり飛び上がらんばかりの喜色を浮かべたのである。


「ようやく来てくださった!」


 早く旦那様にお伝えしなければ、と門番は興奮気味である。


「さぁ、早く中へ」


 ルディウス達の名前も聞かずに門を通そうとする男に、ゼノが声をかけた。

 

「待ってください。何か誤解があるようですが」


 ゼノの困惑した表情に、門番の男が「え?」と間の抜けた顔をした。男はルディウスの顔と軍服とを交互に見ると、首を傾げる。


「……あなた方は、竜退治に来てくださったのでしょう?」


 意外な言葉に、ルディウス達は顔を見合わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ