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対面

 ユニス達は一旦馬から降りると、城内に移動することになった。ここには人目があり過ぎると、ルディウスが判断したからだ。

 廊下を歩きながらユニスはきゅっと唇を引き結ぶと、顔を強張らせた。ファリオン・デュカリスという名は、ユニスを動揺させるのに十分な威力を持っていた。

 実際に会ったことはないものの、彼の身に降り掛かった悲劇を、ユニスはよく知っている。

 引き裂かれた恋人達の悲恋と、その後に続く母の死。人目をはばかるように囁かれていたものから、故意にユニスの耳に届いた噂話まで、幾度となく耳にしていた。

 母リディアが生涯愛したのは、ファリオンただ一人であったと。


「いかがなさいます」


 部屋の扉を閉じながらシメオンが訊ねると、ルディウスは即答した。


「お引き取りいただく」


 断固とした口調に、シメオンは困り顔になった。


「……しかし、相手は侯爵ですよ」


 城代とはいえ、ルディウスの身分はファリオンよりも低い。戦時中など非常事態においては城代や将軍の権限は身分より優先されることになっているが、平時においては理由なく無視できない。


「あちらが身分を盾に取って主張を通すつもりなら、ユニスが拒否していると言えば済む」


 ルディウスの答えは簡潔だった。

 ハイラントにおいて最も高い血筋を持つユニスが会いたくないと言えば、誰も異を唱えることなどできない。


「……けれど、デュカリス卿は私に何か伝えたいことがあるはず」


 わざわざハイラントへ来てまで、何を言いに来たのだろう。ユニスの呟きに、ルディウスは首を振った。


「聞く必要はない」

「でも」


 己はファリオンの告げる言葉から、目を背けてはいけないのではないだろうか。それがたとえ、ユニスにとって辛く苦しい話であったとしても。

 ユニスが訴えるような目を向けても、ルディウスは首を縦に振らなかった。


「俺はあなたを守ると言った。あれは半端な気持ちで口にしたわけじゃない」


 怖いほど真剣な声音に、ユニスは以前ルディウスが口にした言葉を思い出した。


 ――この先は俺があなたを守ろう。あなたがこれ以上、傷つかずに済むように。


 旅の道中、ルディウスはユニスにそう言った。


「あの言葉は、ただ命を守るという意味で言ったわけじゃない」


 分かるだろう、とルディウスはユニスを見つめる。

 ユニスへ向けられるあらゆる悪意から、その心を守ること。ルディウスの言葉には、そんな決意が込められているのだ。

 真摯な瞳に、ユニスは言うべき言葉が見つからなくなった。ルディウスの言葉があって尚、ユニスは迷っていたからだ。

 ルディウスが何を心配しているのかは、分かっていた。ユニスはファリオンとリディアの間に起こった悲劇の、象徴とも言うべき存在である。

 ファリオンがユニスに抱く感情は好意よりも、むしろ憎しみや悪意であろうと考えるのは、ごく自然な流れである。故にわずかでもユニスが傷つかぬようにと、ルディウスはファリオンを遠ざけようとしてくれているのだ。

 ユニス自身、ファリオンを前にすれば決して心穏やかではいられないだろうと思う。

 だが同時にファリオンに会ってみたいという思いもあった。18年前に起こった真実を、ファリオンの口から聞きたかったからだ。これまでユニスが耳にした話はどれも噂と伝聞ばかりで、当事者の話をユニスは知らない。

 ファリオンが何を思ってユニスとの面会を望んでいるのかは分からない。だがこれを逃せば、ファリオンから話を聞く機会は永遠に失われてしまうのではないか。


「ユニス」


 口を閉ざしたユニスに、ルディウスは諭すような口調で呼びかける。

 二人の間に流れる空気が張りつめているのを感じて、場をとりなすように口を開いたのは、シメオンだった。


「……今すぐ結論を出す必要はないでしょう。デュカリス侯爵は城下の宿にしばらく滞在するそうですし、どんなに早くともお会いできるのは明日以降ですから」


 少し時間を置かれてはいかがですか、と穏やかに告げられて、二人はどちらからともなく頷いた。


 

 その後、自身の居室に戻ったユニスは、落ち込んでいた。


「……きっと、ルディウスを呆れさせてしまったわ」


 先程のやりとりを思い出して、椅子に座ったユニスはうなだれた。ルディウスの言う通りにした方が安全だし、余計な心配をかけずに済むことはよく分かっているのだ。

 けれど同時に、自分がこの世に生を受けることになった経緯を詳しく知りたいという思いも捨てきれない。


「閣下は呆れたのではなく、心配なさっているのでしょう。楽しい話になる可能性は低そうに思えますから」


 話を聞き終えたテレサが、ユニスの髪をとかしながら口を開く。


「……テレサもデュカリス卿には会わない方がいいと思う?」

「そうですね。殿下が傷つく恐れがある以上、賛成とは申しません。ですが殿下にとっては大切なことでございましょう?」


 問われて、ユニスは静かに頷いた。テレサは優しい顔になる。


「私は今回のことは、お二人の今後の為にはむしろ良い事かもしれないと思っているのですよ」

「何故?」

「これまでは殿下が閣下の言うことに反対したことは、一度もございませんでしょう。それはそれで良いのかもしれませんが、そのうちご結婚されるのですもの。ご自分の考えをきちんと相手に伝えられるようになることは必要かと」


 意見の相違はあまり好ましくないのではないか、とユニス自身は思ったが、口には出さなかった。テレサは何かを思い出したように、ふっと笑みを浮かべる。


「最近は閣下のお名前を呼ぶ事にも、慣れてきたようですし」


 指摘をされて、そういえばとユニスは思い至った。最近はごく自然にルディウスの名前を呼べているということに。

 最初の頃は緊張して、なかなかその名を口にはできなかったのに。


「そういうことを繰り返して、少しずつ人と人との仲というのは、深まっていくのではないでしょうか」

 

 それは良い変化だと、テレサは言う。ユニスは少し考えた後で、口を開いた。


「私、もう一度ルディウスと話してみるわ。まだ自分の思いを、ちゃんと伝えていないもの」

 

 ちょうどその時ノック音が響いて、二人は会話を止めた。取り次ぎの兵の声がして、聞けば、訪ねて来たのはルディウスであるという。


「どうやら閣下も、殿下と同じ事を考えていたようですね」


 ユニスは慌てて立ち上がると、急いで扉の方へと向かう。廊下に出ると、バツの悪そうな顔のルディウスが立っていた。


「……すまない。少しいいだろうか」

「私も話したいことがあったの」


 頷いてルディウスとともに階下へ降りる。二人は中庭に出ると、長椅子に並んで腰を下ろした。

 そうして先に口火を切ったのは、ルディウスだった。


「シメオンに言われて、頭を冷やした。冷静になってみて、さっきはユニスの意見も聞かず、一方的だったと反省した」


 思いがけない言葉に、ユニスはそれはちがうと首を振った。


「私の方こそごめんなさい。私の為に、言ってくれたのに」


 うなだれるユニスを見つめながら、ルディウスは静かに問いかけた。


「……それでも、デュカリス卿に会いたい?」


 手元へ視線を落としたまま、ユニスは頷いた。


「今会わなければ、もう二度と18年前の話を聞く機会はないと思うの」


 父も母もすでにこの世を去っている。当時の事を知る者は、もうファリオン以外にいないのだ。


「デュカリス卿は、ユニスを傷つけようとするかもしれない」


 ルディウスの言葉は、物理的な意味ではなく、精神的な意味でということだろう。ファリオンが悪意を持っているのなら、わざとユニスを傷つけるような言葉を使うかもしれない。

 

「……それでも、知りたいと思う」


 落ち着いた声音で、ユニスは告げた。

 何故、自分がこの世に生を受けることになったのか。何故、父キーランはあれほどまでにユニスを疎んじるようになったのか。

 ルディウスが痛ましそうに顔を歪めたのを見て、安心させるようにユニスは微笑んだ。


「それに今なら、デュカリス卿は私を決定的に傷つけることはできないもの」


 その言葉に、ルディウスがもの問いたげな顔をした。ユニスは穏やかな口調で言葉を継いだ。

 

「もしもデュカリス卿が私の存在を否定したとしても、今の私は自分の生を呪うなんてできない。大切で、一緒にいたいと思える人がいる。――ルディウスがいてくれたから、今はそう思えるの」


 ルディウスがユニスの生を肯定してくれたから。ユニスの事を知りたいと、そう言ってくれたから。

 たとえファリオンが何を告げたとしても、その言葉でユニスを絶望させることはできないのだ。

 もしも今、ユニスの心に決定的な深手を負わせることができる者がいるとすれば、それはルディウスだけだろう。だからファリオンに会うことでユニスが傷つき、絶望する心配はない。

 そのような事を言ってルディウスを見れば、彼はひどく真剣な面持ちでユニスを見つめている。

 想像していた反応と違う事に、ユニスは戸惑った。ルディウスはいつものように穏やかな顔で、ユニスの言葉に頷いてくれるものと思っていたからだ。

 ルディウスの瞳は複雑な色をしていて、その全てを読み解くことは、ユニスにはできない。その色の中に、ちらちらとくすぶる熱のようなものが宿っていて、ユニスを落ち着かない気持ちにさせた。

 何か変なことを言っただろうかとユニスが不安な顔をしていると、ルディウスはゆっくりとユニスの方へ右手を伸ばした。

 ユニスの白金の髪を一房指に絡めると、ルディウスはそれがまるで神聖なものであるかのように、そっと唇を寄せて口づけた。目を固く閉じ、何かを誓うような、祈るような表情で。

 それを目にした瞬間、ユニスの心臓は大きく脈を打った。みるみる頬が上気して、全身が熱くなる。


「……分かった。デュカリス卿に会おう」


 瞼を開けてそう告げたルディウスに、ユニスはただ頷くことしかできなかった。

 


 ファリオンとの対面が実現したのは、それから2日後のことである。

 従者を宿に残すこと、城に入る前にその身をあらためることを条件に、ファリオンは登城を許された。

 面会の為に用意されたのは、ユニスとファリオンとの間に十分な距離がとれる広間だった。

 会話の内容を考慮して、立ち会うのはルディウスとシメオンの二人だけになったが、扉の前には非常事態に備えて武装した兵士が待機している。ルディウスはファリオンを警戒していることを隠そうとせず、むしろそれを本人に示すことで、良からぬことをすれば命はないと牽制しているのだった。

 謁見の為に用意された部屋へユニスが足を踏み入れた時、ファリオンは既に膝を折り、顔を伏せた状態で待っていた。

 

「顔をあげて」


 ユニスが声をかけると、ファリオンはゆっくりと顔を上げる。はしばみ色の瞳が、ユニスへと向けられた。

 すっと通った鼻梁に、涼しげな目元。肩まで届きそうな灰色がかった茶色の髪は、きっちりと後ろで一つに括られている。

 ファリオンはリディアより2つ歳上で現在37歳であったが、若かりし頃社交界を賑わせた容色は、いまだ衰えてはいない。

 これが母の愛した人なのかと、ユニスは奇妙な感慨を抱きながら、ファリオンを見つめていた。

 ファリオンはまっすぐにユニスを見つめながら、口を開いた。


「ファリオン・デュカリスと申します。――拝顔の栄を賜り光栄です、ユニス殿下」

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