第10話 白黒彼女は野球がしたい
茉白さんが転校してきてから、もうすぐ一ヶ月。
最初は騒がしかった教室もようやく落ち着いてきた…と思った矢先のことだった。
「はい、みんなー席ついてー!ホームルーム始めるぞー!」
担任の先生が、妙にテンション高く教壇に立ち、満面の笑みでこう言った。
「来月のクラスマッチに向けて、体育の授業では“野球”の練習を行いまーす!」
(……は?)
突然すぎて頭が追いつかない。
周囲の生徒たちも「えっ?」「野球?」「まじで?」とざわついている。
「うちの高校は“クラスの団結力”を育てるために、チームスポーツのクラスマッチをやってます。今年の競技はそう、野球! ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神を育もう!というわけで、2チームに別れてください」
用意された原稿をそのまま読み上げた先生はチーム分けを生徒に一任した。
「千尋、一緒にやろうよ!」
隣の席から声をかけてきたのは凛だ。
「まあ、別にいいけど」
「よっし、即決!じゃあさ、茉白さんも誘ってみよう!」
「え?おいおい……」
凛は僕の制止も聞かず、一直線に茉白さんの席へ。
「茉白さんも、一緒にやらない? 絶対楽しいよー!」
「え?…お誘いありがとうございます。私でよければ、ぜひ」
優雅な微笑みで頷く茉白さん。
そんな茉白さんと同じチームになりたい男子たちが一斉に騒ぎだした。
「俺も茉白さんと同じチームがいい!」
「ずるい!」
「俺、ピッチャーやるから!」
先生が「男女比を考えてチーム分けしまーす」と割って入らなければ、たぶんクラスが割れていた。
それくらい彼女の人気は凄まじかった。
そして翌週の体育の授業。
校庭に出た僕たちは、さっそくポジション決めをすることになった。
「ピッチャーやりたい人ー?」
「はーい、私やるー!」
凛が即座に手を挙げた。
「大丈夫か?経験あるのか?」
「ないけど、まぁ何でもそれなりにできるし!」
実際、凛の運動神経はかなりいい。器用すぎて敵に回したくないタイプだ。
「次、ショートやりたい人?」
「私、やってみたいです」
茉白さんが控えめに手を挙げた瞬間、ざわっ、と周囲の空気が変わった。
「ショートって難しくない?」
「茉白さん、運動もできるのか?」
そんな外野の声に対して茉白さんは答える。
「テレビでプロ野球を見てて、動きがかっこよかったので……少し真似てみたいなって。ダメですか?」
その返答に思わず見とれてしまう男子続出だった。
真実を知っている僕でさえ、目を奪われるレベルだ。もちろん誰も断ることなく決定した。
「じゃあ……灰原、お前キャッチャーな」
「え、なんで僕!?」
「女子が暑そうだからやりたくないってさ。あと、地味だけど大事なポジションだから、お前向いてると思うぞ」
(それってつまり、目立たず空気読めってこと……?)
納得しかけたけど、なんか違う気もした。
実戦形式の練習が始まった。
マウンドに立つ凛が、笑顔で言う。
「いっくよー、千尋!ナイスキャッチしてね!」
軽く振ったとは思えない投球が、まっすぐ僕のミットへ。
(……普通に速い)
ピッチングフォームも様になってる。やっぱりこいつ、化け物か。
「ナイスボール!ほんとに未経験者か?」
「昔千尋と野球のゲームしたでしょ、えーと、パワ〇ロ…だっけ?あれのマネしてみた!」
褒められてえへへと元気に笑う凛。
ゲームだけで上手く慣れれば練習なんて必要ないんだけどな。
続いて守備練習が始まった。
茉白さんの番になると――
「いきます!」
ノックした打球が勢いよくショート方向へ。
茉白さんは冷静にグローブを構え、低い体勢でボールをすくい上げ、きれいなモーションでファーストへ送球。
「え、上手すぎんか……?」
「お淑やかで清楚な美少女が、なにそれ反則……」
周囲が騒ぐ中、茉白さんは淡々と答える。
「テレビで見ていただけなんです。でも、動き方は覚えちゃって……」
(いやいや、テレビで見て出来るもんじゃないから!)
ノック終わり茉白さんが僕のもとへ歩み寄り、ふいに小声で囁いた。
「……ほんとはね、私も昔パワ◯ロやり込んでたからだけどね。隠しステータス発動中、ってやつ♪」
僕にだけわかるようにイタズラっぽくウィンクする。
そんな茉白さんを普通に可愛いと思った。
僕はグローブを落としそうになりながらも、何とか耐えた。
不意に見せる素の彼女は破壊力が高すぎる。
それと、ゲームだけでそんなに上手くできたら苦労しないわ。
最後にバッティング練習。
「ピッチャー、変化球も投げていいですかー?」
と凛が突然提案してきた。
「変化球って、お前投げられんの?」
「実はこっそり動画で勉強してきたんだよね。名づけて……フォーク!」
(名付ける必要あった?)
構える僕に向かって、凛が振りかぶり――
「んっ……とうっ!」
ボールは一瞬浮かび上がるような軌道を描いたあと、ストンと落ちてミットに収まった。
(……おい、マジでフォークになってる!?)
周囲がどよめく中、バッターの男子は三振し、頭をかきながら戻っていった。
「やっぱ変化球ロマンだよね〜」
凛は超ゴキゲンだった。
そして茉白さんの番が回ってきた。
「バッター、茉白さん!負けないよ~」
バットを構える彼女は、どこかぎこちなく、それでいて妙に様になっていた。
「頑張れー!」という女子の声援の中、凛が初球を投げる。
「っ……!」
見事な空振り。
でもそのスイングは、実は芯を食いそうなスピードだった。僕じゃなきゃ見逃していたね。
二球目。ボールはインコースにズバッと決まり、見逃し。
打撃練習なはずなのに厳しいコースをつくあたり、真剣勝負を2人はしているのかもしれない。
三球目。
「えいっ!」
かすかに当たった――けれど、打球は勢いよく三塁ファールゾーンへ。
「ファールー!でもナイススイング!」
周囲から拍手が上がる。
茉白さんは捉えきれなくて悔しそうな顔をしている。
そして四球目。
「んっ……とうっ!」
ボールはミット目掛けて低めに真っ直ぐ来ていた。
茉白さんは今度は捉えたとばかりにバットを振った。
ボフッ。
バットは空をさき、ボールは何とかキャッチャーミットに収まっていた。
なぜギリギリミットに収まったかと言うと、ボールが変化したからだ。
ストレート軌道できていたが突如下へ急降下していった。
それは凛が先程投げていた、フォークボール。
なんとか反応して止めれたのは奇跡だったかもしれない。
「ナイスー千尋ー!」
「危ねぇだろ!急に変化球投げんな!」
「私は常に全力勝負なのよー!……それに…後から来た人に負ける訳いかないじゃん…」
凛は意味不明なことを言っていて、最後の方はあまり聞き取れなかった。
茉白さんも「負けたッ」と悔しそうに呟いていたし、2人は勝負をしていたのかもしれない。
水分補給の時間。ベンチに座ると、凛が嬉しそうに言った。
「なんかさ、意外といいチームじゃない?」
「だな。予想外にまともに機能してる」
「えへへー。私たち、けっこう名バッテリーになれそうじゃない?」
「……バッテリーって言うほど、僕は活躍してないけどな」
ふたりで笑い合っていると、少しだけ離れた場所で、茉白さんが静かにその様子を見ていた。
その視線に、少しだけ陰があることには、このとき僕はまだ気づいていなかった。
放課後。
「ちょっと寄り道してこー!茉白さんも行こ行こ!」
珍しく部活がない凛に引きずられる形で、やってきたのはバッティングセンター。
「よーし、私のパワー見せてやるー!」
そう言って立ち位置に構えた凛は、ブンッとバットを振りぬき――
カキーン!!
「ホームラーン!!」
打球はホームランマークまで一直線に飛んでいった。
「なんで簡単に打てるんだよ」
「ふふん、尊敬していいよ?」
次に打席に立ったのは、茉白さん。
「じゃ、私も……」
最初は空振りが続いたが、数球目に――
カキーン!
「……やった、当たった!」
打球はセンター前ヒットクラス。思わず茉白さんは笑顔になる。
「やったじゃん、茉白さん!」
「ふふっ、私だって……負けてられませんから」
嬉しそうに微笑む茉白さんの横顔。だけどそのあと、凛が僕の肩をバンバン叩いて「千尋もやれー!」とはしゃいでいるのを見たとき――
茉白さんの笑みが、ほんの少しだけ曇ったように見えた。
僕の気のせいかもしれないけど。
「カッコイイとこ見せろよ千尋ー!」
「頑張って!」
美少女2人に応援されたが結果はかろうじてバットに当てたぐらいだ。
「かっこ悪~」
「次、がんばろう?」
2人の言葉がよりいっそうダメージを与えた。
帰り道。
歩道を並んで歩く茉白さんと僕。
凛はジュースを買いに行くとかでコンビニに寄った。
「……ねぇ、灰原くん」
「ん?」
「クラスマッチ……ちゃんと勝ちにいこうね。絶対に」
「おう、もちろん」
僕がそう答えると茉白さんはふふっとら笑った。
その笑顔が、どこかドキッとするくらいまっすぐで、綺麗だと思った。
クラスマッチが、ただの行事では終わらなそうな予感がする。
これは“彼女”にとっての、大切な勝負でもあるのかもしれない――。




