ワイルドスピード
会長付きで仕事をするようになってから、会長から何度か言われたことがある。
『やっぱりバスの運転手はダメだなぁ。』
何がダメなのか。
安全運転や、マナーを守った運転がダメなのである。
あるいは交通法を守ることがダメになることもあった。
いくつか例を上げよう。
会長が良く行く寿司屋が浅草にあり、そこへ向かっているときのこと。
浅草通りから一本入った所にあるその店へ行くため、右折の信号待ちをしていた。
右折してすぐの所にその店はある。
対向車の流れが切れ、次の車は50メートルくらい先にいたので、曲がれるかと思って右側を確認すると、ベービーカーを押した歩行者が横断歩道を渡っていたので、やり過ごすことにした。
その途端、
『何で行かないんだ!』
『いえ、歩行者がいるので……』
『そんなの関係ない!……だからバスの運転手はダメなんだ。』
意味が分からない。
このオッサンは、歩行者を跳ねろとでもいうのか。
タイミング的に、対向車が迫ってくる状況では、歩行者の前をかすめるようにして右折するか、逆に歩行者の後ろを通るには、前進してくる車の直前を右折するしかない。
どちらにしても、かなりのGがかかるから、後部座席に乗っていたら体が振られるだろうし、直進車にも強めのブレーキを踏ませることになる。
そんな運転をしたら注意する位が普通ではないのか?
全く理解できなかった。
プロドライバーとして、他車(者)に迷惑をかけない、不用意なブレーキを踏ませないというのがプライドでもあるのに、それを全否定されたのだ。
日々、時間をかけてゆっくりと……
別の例では、首都高速2号線から都心環状線内回りに入るのに、右側車線が詰まっていた。
ハザートを着けながらゆっくり減速すると、
『何やってんだ!左から行け!』
と言われ、後方を確認して左車線に入る。
すると、分岐直前になってから、
『ここから入るんだよ!』
車線はすでに黄色で車線変更は禁止されている。
『いや、でも……』
『いいからから行け!……全くバスの運転手は……』
あんたはいいかも知れないが、キップ切られるのは俺なんだぞ。
確かに、関東はマナーがいいからそういう運転する人は比較的少ない。
それでも、そうやってギリギリで車線変更したりすることを『俺は運転がうまい』と勘違いしている人間も中にはいるが、それはマナー違反であり危険行為に他ならない。
だから、素人はやっても、プロはあまりしないものだ。
出来ないのではなく、しない。
特に緑ナンバーで会社の看板を背負っていたら……
そう考えると、その時乗っていたのは、劇団所有の車なので白ナンバーであり、いかついセンチュリーだ。
無理矢理入ってもクラクションを鳴らされることは無いだろう。
だとしても、俺の矜持が許さなかった。
しかし、会長はそれまで見たこともない程せっかちな人で、回りもそれを認識している。
折り合いをつけるため、ある程度先まで行き、他車に迷惑にならないように気を使いながらウインカーを出し、譲ってくれたら、入ってハザードを三回は点滅させる。
心の中では『ごめんね』と思いながら。
そんな運転をするようになった。
それでも分岐の直前(車線が黄色くなってから)ではないので、会長は不服そうだったが。
また、ゴルフの接待で神奈川県の茅ヶ崎にあるゴルフ場に行ったときの話。
フルのラウンドで回ると言っていたので、待機しながら昼飯どうしようと考えていたら、会長から電話があった。
『これから浜松町行くから車回してくれ。』
浜松町には劇場がある。
どうやらハーフで上がってくるらしい。
時間は11時半だった。
そして会長が着替えて出てきたのが11時50分過ぎ。
乗ってくるなり、
『1時15分までに着けてくれ。』
どう考えても無理だ。
そこから浜松町に行くには、ラジオの交通情報などでもお馴染みの1号線の『原宿交差点』を通らなければならないが、当時はそこを回避する有効な抜け道等もなく、だからこそいつも大渋滞をしていた。
そこ以外にも、いくつも渋滞ポイントがあるのだ。
しかし、いくら説明しても聞かない。
『抜け道使えばいいだろう。』
有効な抜け道がないこと。空いていても時間的にかなり無理があることを伝えても、『とにかく急げ!』の一点張り。
もう知るか!
地元なので、片っ端の抜け道を駆使して横浜新道まで出た。
渋滞は回避したが、時間的にはそれほど変わらない。
しかし、黙って渋滞にはまっていたら何を言われるか分からない。
横浜新道に出ると、ライトを着け、ハイビームにしてパッシングしながら猛スピードで車と車の間を蛇行しながら抜けていった。
車線を譲ってもらうと、追い抜き様にハザードを炊き、謝意を表しながら。
さながら映画のワイルドスピードみたいな運転になってしまう。
センチュリーは、スピードモードというのがあり、これにすると加速してからあっという間に100キロに達し、リミッターのかかる180キロまで一気に加速していく。
それでも覆面やオービスなどは気にしながら走って行った。
首都高速もそんな感じで、かなりの無謀運転だったから、これでクビにしてくれという思いもあった。
ミラーに写る会長は手すりをギュッと掴み、到着するまで一言も発しなかった。
さすがに1時15分には着くわけもなく、それでも1時半にはならずに到着した。
さぁ、クビにしてくれ!
そう思っていたが、会長は、
『いやぁ、レースみたいで面白かったよ。』
と言って笑顔で降りていった。
子供か!
強がっているような様子に、ツッコミを入れたくなる。
あてが外れた俺は、今更ながら事故を起こさずに済んだことに安堵していた。
一体いつになったらクビにしてくれるんだ……
この頃はそんなことばかり考えていたのである。
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