17. 酔っ払いだった
その後、奈々さんとの買い物を終わらせた私は、朝比奈さんの家に戻って晩御飯の用意を済ませ、リビングのソファーに座りながら同居人の帰りを待っていた。
なのに──。
「遅いなぁ、朝比奈さん」
朝比奈さんは「八時くらいには帰ってくる」と言っていたのに、もう約束から一時間も過ぎている。電話をしても繋がらないし、何かあったのかな。
ご飯は、先に食べる気分にはならなかった。冷めないようにとラップを掛けたけれど、それももう意味はなく、完全に冷めきってしまっている。
どうせなら一緒に食べたいから、我慢して待っているけれど……流石に遅すぎる。
「本当に、何かあったとか……」
朝比奈さんは唯一、私に優しく手を差し伸べてくれた人だ。まだ心を許せるほどではないけれど、助けてくれたことには感謝している。今はただ一人の同居人だ。
だから、そんな彼女の身に何かあったらと思うと、居ても立っても居られない気持ちになった。彼女が居なくなったら私は、また──。
いつの間にか、私の中で朝比奈さんは大きな存在になっていた。『依存』していると言っても過言ではなくて、彼女が居なくなることを考えると……怖くなる。
「朝比奈さん。早く、帰ってきて……」
俯き、寝転がる。
やがて私は、ゆっくりと目を閉じた。
ドタドタと廊下を歩く音で意識が覚醒する。
どうやら、いつの間にか眠っていたようだ。時計を見ると、あれから針が一時間も動いていた。もう眠るにはいい時間帯だ。……いや、もう寝ていたけど。
「たらいまぁ〜!」
「お邪魔します」
扉が開かれて、陽気な声がリビングに響いた。
入ってきたのは見知らぬ黒髪の女性と、その人に全体重を預けた朝比奈さん。その顔は赤く染まっていて、先程の大声を上げたのも朝比奈さんだったことに私は驚きを隠せず、何があったのかと駆け寄る。
「あ〜、あずさちゃんだぁ。ん〜、今日もかわいいねぇ……んちゅ〜」
「うっわ、酒くさっ」
抱き付かれ、あまりの酒臭さに顔を背ける。
「飲み過ぎですよ。何がどうしてこんなになるまで飲んじゃったんですか?」
「んふふぅ、あずさちゃん大好きだよぉ? キスしよ、キスぅ」
「その酒臭さがなくなったらしてあげますよ、ったく……」
人の話を聞いていないし……もう完全に出来上がっちゃっているなぁ。
酔っ払ったら人は面倒なことになるって聞いたことがあるけれど、これは確かに面倒臭い。非常に、面倒臭い。
突っぱねて遠ざけても力尽くで抱きついてくるし、挙句にはキスをしようと顔を近づけてくる。酔っていても朝比奈さんの顔はとても綺麗で、それが至近距離に迫っているのはドキッとするけれど、それ以上に……ウザい。
それは私一人じゃ手に負えないと諦め、朝比奈さんの肩を持つ女性に助けを求める。
「あの、だいたいの予想は付くのですが……何があったか聞いてもいいですか?」
「こちらも詳しく話したいところですが、この状況です。まずはこの酔っ払いを運ぶのを手伝っていただけますか?」
「わかりました……こちらへどうぞ」
「ありがとうございます。ほら社長。もう少しですから、ちゃんと歩いてください」
「ん〜? うへへ、かおりん抱っこ〜」
「その名前で呼ばないでください!」
「かおりんの方が絶対に可愛いよぉ〜」
「次、その名前で呼んだらぶん殴りますからね」
運ぶと言うよりは引きずるに近い形で朝比奈さんをソファーに寝かせ、やがて彼女がすやすやと寝息を立て始めたことで、私達はようやく一息つくことが出来た。
知らない人だけど、一応客人で朝比奈さんのお知り合いだ。
私だけでもおもてなしをしなければと思い、冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注いで、女性の前に差し出す。
「お茶、どうぞ」
「ありがとうございます。……それと、急な訪問となってしまい、申し訳ありません。私、朝比奈社長の秘書をしています。立花香織と申します」
「あ、六条梓です。……秘書?」
「社長のサポートが主な仕事だと思っていただければ、それで構いません」
改めて、朝比奈さんって社長なんだな。
……いや、別に疑っていたわけではないけれど。
「あの、どうして朝比奈さんはあのように? 飲みがあるから遅くなると聞いていたのですが、帰りが二時間も遅いし、あんなことになっているし……」
立花さんはどう言ったものかと顔を歪ませた。
素直に言ったほうがいいのか、朝比奈さんの尊厳を保ったほうがいいのか。その狭間で揺れているようにも見える。
「社長はお酒に弱いのです。少し飲んだだけでも酔っ払うのに、今日は会議のせいで機嫌が悪く、後先考えずにジョッキを一気飲みした結果……あのようになりました」
結局、素直に答えることを選択したようだ。
朝比奈さんってお酒に弱いのか──じゃなくて。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「いえ、社長と飲む時は大抵こうなるので、もう慣れました。……と言っても、こうも酷くなるのは久しぶりですね。いつもは彼女自身も、酔いやすい体質だと理解しているのでストッパーを掛けているのですが、今日は特に荒れていて……」
心底疲れ切ったその顔は、哀愁が漂っていた。




