やる気の技術 ワクワク
深沢孝太郎は、合宿所の食堂で夕食を食べながら、合宿のスケジュール表を眺めていた。
スケジュールは次のようになっている。
1日目
・9:00 MTG
・10:00 条件付きランニング30分(心拍数155以下、1分間のピッチ180以上)
・12:00 昼食
・14:00 エアロバイク60分(負荷無し、心拍数150以下、ケイダンス95以上)
・15:00 昼寝
~16:00
・18:00 条件付きランニング40分(心拍数155以下、1分間のピッチ180以上)
・19:00 夕食
・22:00 消灯
2日目
・6:00 条件付きランニング40分(心拍数155以下、1分間のピッチ185以上)
・7:30 朝食
・11:00 エアロバイク60分(負荷無し、心拍数150以下、ケイダンス100以上)
・12:30 昼食
・14:00 昼寝
~15:00
・18:00 条件付きランニング60分(心拍数155以下、1分間のピッチ185以上)
・19:00 夕食
・22:00 消灯
3日目
・6:00 条件付きランニング40分(心拍数155以下、1分間のピッチ185以上)
・7:30 朝食
・11:00 エアロバイク60分(負荷無し、心拍数150以下、ケイダンス110以上)
・12:30 昼食
・14:00 昼寝
~15:00
・17:00 タイムトライアル
・18:00 MTG 解散
jogとはジョギングのこと。ケイダンスとは、1分間に自転車のペダルを何回転させるかという数字だ。
ペダル1回転の間に、左右の脚で1回ずつ踏む動作が入るので計2歩。つまりケイダンス95~110というのは1分間で200歩前後のリズムに慣れる練習らしい。
特に記載がない時間帯は自由時間だ。昼寝は必ず1時間寝るように義務付けられているが、次の練習までずっと寝ていてもかまわない。
パット見、ビッシリと埋まっているようだが、初日を終えてみるとやっているとそんなに辛くはない。
むしろ楽すぎる。
なにせ1日3回練習があるが、一つ一つは長くても1時間で終わる。
そしてそれぞれの練習の身体的強度が、驚くほど軽いのだ。
というよりも、全ての運動に心拍計を付けて、心拍数が管理されているのでキツイ練習がやりたくても出来ない。
孝太郎が本気で走る時の心拍数は170~180程度なので155以下の心拍数を保つというのは、遊んでいるレベルに感じられた。
「辛くないのが大事なの」
と絵里奈は言っていた。
「辛くないからこそ、フォームを意識する余裕が生まれるでしょ。ピッチを上げると言ってもただ脚を速く動かすんじゃ駄目。まずは腿上げする方の腸腰筋と踏み込む方のハムストリングスをリズムよく同時に動かすこと」
言われた通り意識していると、確かにピッチを上げてもリズムが安定してきた気がする。
「良くなってきたね。それが出来たら腹斜筋、小胸筋を腸腰筋のリズムに合わせて腕振りの連動も作るの。そうすると腿、腕、胸筋、頭が同時に前に出るから推進力が変わってくるから」
確かに体が進む。
しかしそうやって意識する筋肉を増やすと、途端に心拍系がピーピー鳴った。
「はい、落として。ただし体の使い方は変えないでね。出力だけ抑えて心拍数を下げてね」
(んな無茶な)
と思いつつも心拍計と並走している絵里奈が煩いのでなんとか初日はこなした。
(こんなんで大丈夫か?)
朝のMTGを終えた時、父の耕作はえらく上機嫌だった。
「面白そうじゃないか。このスケジュール通りやってみなよ。最終日のタイムトライアル見に来るから」
基本的に学校行事には否定的な耕作が、こんなことを言うのは長らく記憶に無い。
やめろと言われるよりはマシだが、乗り気になられたらなられたで引っかかる。
別に父親が見に来るからって関係ない。普通に走るだけと、何度も自分に言い聞かせるがどうしても、もやもやが残った。
せっかく課題が明確で、手段も明確なんだから、もっとしっかり追い込んだ方が、結果が出るのではないだろうか?
「なぁ、消灯までって自由時間だよな」
孝太郎は一緒に食事をしている部員に話しかけた。
「だと思うよ。自主練でもやるの?」
「やる気だねぇ」
「やる気ってほどじゃないけど、気持ち悪くね?こんなヌルい練習ばっかりしてると」
「確かに」
「自主練やるなら付き合うよ」
「でも、意図してこんな練習してるんだろうから、あんまり追い込んじゃいけないんじゃないの?」
「だな・・・」
「それは聞いた方が早くね?」
「だな」
意外にも、全員一致で自主練をする方向ですんなり話がまとまった。絵里奈に聞いてみると
「お好きにどうぞ。ただし消灯時間と明日のメニューは変わらないから、しっかり自己管理して」
とのこと。
今日一日の細かすぎるぐらい具体的な指導とは対極的なあっけない回答だった。
「先生!」
やはり、もやもやが残る孝太郎は尋ねた。
「なに?」
「心拍計はつけなくていい?」
「つけた方がいいけどね・・ストレス溜まった?好きに流したい?」
「うん。ゆるいことしかしてないから、なんか気持ち悪い。刺激だけでも入れたい。本気の走り方忘れそう」
「そっか・・・」
絵里奈は少し考えた。
「じゃあ1kmを2本までならいいよ。そしてトータルでも30分までにして」
「分かった!ありがとう!」
「それじゃ、あとは任せるから。ここの片づけもしっかりやってね」
そう言うと、絵里奈は明日の準備があるからと、部員たちを残して食堂を後にした。
絵里奈はMTGルームに向かった。
今日の反省会と、明日の打ち合わせを世良達と行う為だ。
努めて普通に歩いて食堂を出て、最初の角を曲がって2歩ほど進んでから大きく息を吐いた。
早くなった心臓の鼓動に見合う酸素が足りてないのだ。もう冷静を演じる必要が無くなった絵里奈は、息をはずませ、速足になっていた。
「彼ら自主練するそうです」
MTGルームのドアを閉めてから、絵里奈は抑えつつも力強い声で言った。
「よしっ!」
先に部屋に入っていた世良と佐々木も抑えた声で反応し、抑えた音でそれぞれハイタッチした。
「これで初日は大成功です」
世良は話した。
「何度も言いますが、とにかく技術練習と言うのは回数を重ねるのが勝負です。長時間ぶっ続けではなく、やって休んでというサイクルをいかに多く繰り返すかが大事。休んでいる最中に練習での経験を脳が整理することで技術が体にしみこんでいきます」
「今日だけで既に4回練習してますので、既に通常の4日分の練習をしたことになる。明日も自主練をするようであれば、合宿の間で11回。たった3日で2週間程度のトレーニング効果が出せますね」
と佐々木。
「しかも、そのうち2回はやらされではなく自主的にやってますからね。正直こんなにうまくいくと思っていなかったので、あらかじめ夜練組んでおいた方が確実かと思っていましたが、今になってみると1日4回やらされるのは、やっぱり精神的に重いですね」
と絵里奈。
「そうなんです。そしてもっと重要なのが・・・」
「ワクワクですね!」
絵里奈は言った。
「そう。何かいつもと違うことが起きそうな気がする。それも良いことが。その手ごたえがワクワクです」
「つまり、彼らは自分たちでも記録を伸ばせそうな手ごたえを感じ始めているんですよね!」
「それだけじゃありません」
世良が言う。絵里奈は、世良が言わんとすることは分かってはいたが、あえて自分では口に出さなかった部分だ。
今回、世良が生徒を指導するのではなく、絵里奈に合宿の進行方法を指導するという形にした狙いについての成否に関してである。
世良は、労いを込めてハッキリと言葉にした。
「先生の違う一面が見れた驚き、そして、先生についていけば、記録を伸ばせそうな手ごたえを感じているんです。このワクワクは、外部講師じゃ出せません。更に言えば、先生に対するワクワクなので、合宿が終わってからも継続できます」
3人は改めてハイタッチをした。




