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泳げるまでの壁 息継ぎ

「・・・と、そんな話があったんですよ」

 ホワイトボードの前で世良が、本店での出来事を説明した。

 場所は黒須スポーツ本社の会議室。参加者は世良、広報部部長の渡辺、副部長兼トレーナーの古田、トレーナーの佐々木、青田、所沢。


「で、どうしたの?」

 古田が聞いた。

「とりあえず、お子さんに今がどんなレベルで、どこを目指しているか聞きました。スクールに通わずに習いたいってのは、要は『泳ぎが得意じゃないけど、ある程度出来るようになりたい。そこまで本格的じゃなくていい』ぐらいかなと思って。それなら、やりようあるし」

 世良はポイントをいくつかホワイトボードにメモしながら、全員に向けて話した。


 所沢は当事者なので、少し知った顔で深く頷いて聞いている。青田はメモを取りながら聞いている。古田と渡辺は興味本位で聞いている感じ。佐々木は無表情。新港北台店勤務で、つい最近まで世良の部下だった彼は、ある程度事前に聞いているのだろう。


「やっぱり、聞いてみたら15mぐらいは泳げるとのこと。でもなかなかそれ以上行かないので、なんとか25mは泳ぎたいとのことでした」

「それなら、なんとかなるかな。泳法指定はある?」

 と古田。

「クロールだって」

「息継ぎでしょ?」

「さすが!」

「あるあるだもん。ストリームラインに戻せないからキツくなるパターン」

「そうそう」

 世良と古田が矢継ぎ早に会話する。少し周りを置いて行っていることに気が付いて、世良が一旦呼吸を置いた。


「・・・という会話についてこれない人います?」

 世良が挙手を求める。トレーナー畑じゃない渡辺だけが手を上げた。

 それを見て世良は「おーさすが!」と声を上げる。


「じゃあ、ナベさんに少し説明します。他の人は復習と思って聞いてて」

 と世良。

「ありがとう」

 と渡辺。


「まず、水泳には一番浮きやすいポジションというのがあります。ざっくり言うと、水面に対して平行になることです」

 そう言って。世良はホワイトボードにサラサラと絵を書いた。

挿絵(By みてみん)

「横から見たらこの形で、上から見ても真っすぐというのがストリームラインと言って、この形を作るのが水泳の基本になります。この形なら浮きやすく、進みやすいので速いし疲れない」

 世良は書いた絵を指しながら説明する。


「でも、ずっとこの姿勢ではいれないですよね?息継ぎが必要ですから、定期的にこの形は崩れます。崩れたらまた戻せばいいのですが、息継ぎの苦手な人は、これが戻せていないんです。どうなるかというと・・・」

 世良は再び絵を描く。


挿絵(By みてみん)

「このように頭が上がって、お尻が沈みます。この形は浮かないし、水の抵抗が強いので進まない。だから必死にバタ足なんかしたりして、余計に疲れてしまう。それで力尽きて足を着くという形になります」

「ああ、確かに泳げない子はそうなってるね」

 渡辺が納得したように言った。


「技術的な話で言えば、息を吸ったら意図的に頭を深く鎮める練習をすればいい。理想は水平ですが、最初はどうしても頭が上がりがちなので、あえて頭をお尻より深く鎮める意識をするのもいいですね。こんな感じで。そうすると自然にお尻が浮いてきますから」

 世良はまた絵を描きつつ説明をする。


挿絵(By みてみん)


「ただ、根本原因は、頭が上がっちゃう人は、休憩のタイミングが逆なんですよ。息継ぎが苦手な人は息を吸うタイミングで休憩しようとする。だから思いっきり顔を上げてしまい、お尻が沈みます。でも楽なのはこの姿勢の時なんです」

 世良は最初に書いた水面と並行の姿勢の絵を指した。

「この時が一番楽に浮いていられるので、この、顔を水に着けている時に、息を吐きながらリラックスして休憩するんです」

「なるほどね」

 渡辺が頷く。

「逆に、これらが出来ない内に無理やり泳ぐ距離を伸ばそうとすると、どんどんフォームが崩れるので逆効果です。まず、息を吸ったら一回この姿勢に戻り、リラックスして浮いてみる。そして、『意外に楽だ』と体感する。これが大事。そういう練習を何度か繰り返すと、そのうちリズムが掴めます。そうしたら、距離は勝手に伸びます」

 世良は泳ぐゼスチャーをしながら説明した。


「『リズム』を掴むんですか?『コツ』じゃなくて?」

 カリカリとメモをしていた青田が細かい部分を確認する。

「そう、リズム。ここで言うリズムとは『一定のパターンの繰り返し』のこと。持久的な運動はこれが大事になります。例えば・・・なんでもいいんだけど・・・」

 と言いつつ、世良はホワイトボードに数字を書いた。


 1234 1234 1234 1234・・・


「こういうリズムで動くとする。息継ぎが出来ない人は、『1』が来る度に毎回違う体勢になるんだ。くどいようだけど、どんどん頭が上がってお尻が下がる。これじゃ本当の意味でのリズムは取れていない。リズムとは、意識でカウントを取るだけじゃダメなんだ。体も正しく最初の体勢に戻れることが大事。そして・・・」

 世良は書いた数字の『2』と『3』にアンダーラインを引いた。


「持久系の運動は、このリズムの中に休憩のタイミングがある。例えば『1』で出力して『2、3』は休み、『4』で次の『1』に備えるみたいな。だから疲れない。厳密に言えば疲れないんじゃなくて、動きながら休憩して疲れを回復させている。このリズムが出来てしまえば、理論上体内のエネルギーが枯渇するまで動き続けられる」

 世良の説明に熱が入ってくる。

 青田は熱心にメモを取っていた。渡辺と戸塚は頷きながら聞いている。佐々木は無表情。


「そんなことを、そのお客様にも説明したの?」

 古田が聞いた。それを聞いて世良は、話が逸れはじめたことを自覚した。

 本当にこの男はバランス感覚が鋭いと思う。古田が一人いるだけで、会議が随分やりやすい。

 世良は頭で少し軌道修正を考えつつ答えた。

「いや、さすがにここまでは話していない。息継ぎがネックの可能性が高いこと、見るポイントは頭とお尻の深さなこと、無理に距離を延ばさず、息を吸ったら一回伸びて休憩する練習をしてみるといいことぐらいを伝えた・・・よね?」

 世良は所沢を見る。

「はい!」

 所沢は得意気に返事をした。


「それで、お金頂いたの?」

 と古田。やはり勘所を掴んでいる。

「いや、10分も話してないからね。さすがに、これだけじゃ貰わなかった」

「でもお客様は『おいくらですか?』って聞いてきました。『いいこと聞いた!』っておっしゃってましたし、言えばある程度頂けたんじゃないかと思います」

 世良が対応したことなのだが、なぜか所沢が自慢げに話す。

「そう、それが集まってもらって本題なんだ」

 世良は全員を見渡した。

 そして言った。 


「こういう指導って、もうちょっと味付けして中身を充実させたら、商品になるんじゃないかって思ってね」


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― 新着の感想 ―
世良さんの新たなる挑戦、新たなるビジネスの形……所沢くんがキーマンになるなんて意外でした。でも、彼にしかできない「商品」作り上げてくれそう。
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