環境が変わる時 スタートダッシュ
世良と後藤は馬彦運動公園の1周1kmのコースを周回している。地元では定番のランニングコースなので、様々な人が様々な速さで走っている。
不意に後ろから激しい足音が聞こえ、高校生ぐらいの集団が二人の横を駆け抜けていった。
「速いな。でも、持たなそうだな」
後藤が呟いた。
「ですね。フォームが陸上部ではありません。他の運動部のインターバルトレーニングかな?」
実際、彼らは100mほど先で歩きだした。
それを再び追い越して、しばらくしてから世良が口を開いた。
「就職ってマラソンなのに、なんでスタートダッシュさせるんでしょうね?入りがオーバーペースなら、息切れして当然だと思うんです」
「・・・その発想は無かったな・・・でも確かに!」
後藤が頷く。
「もちろん、全ての企業がそうとは言いませんが、人材育成や囲い込みを、ちゃんとマネジメントしようとしている会社ほど、その傾向があるんじゃないでしょうか?」
少し言葉足らずの問いかけだが、後藤にはそれで通じた。
「そうですね。今は新人から結構しっかりと目標設定しますね。その目標の進捗を週間や月間でしっかり追って、管理するのがマネジメントだと言われています」
「マネジメントが流行る前、新人は『仕事を覚えること』と『顔を覚えてもらうこと』が最優先だったと思うんです」
「その『仕事を覚える』を具体化して管理しようというのがマネジメントなんでしょうね。タテマエは」
「そう!タテマエなんですよ!」
世良が後藤の言葉に強く賛同した。
「多くのマネジメント論の一番の問題は、タテマエは正しいけど、それをブレずに具体化・実行することが、酷く困難なことなんです。『仕事を覚える』指標としての目標ならいいのですが、そうはならないことって多いですよね」
「はいはい。どうしても数値化すると、ついでに営業予算達成に紐づけますね。それが正しいという風潮もある」
「全員がやっている数値管理を新人もやるならいいんです。それは『仕事を覚える』の範疇なので。でも新人だけ『導入教育』や『囲い込み』と称して、他の社員がやってないような目標管理や進捗管理してません?大きな声では言えませんが、ウチはやってます」
「やってますね」
「他の社員がやってないなら、その管理はオーバーペースじゃないんでしょうか?マラソンが走れる走り方じゃない。新人にだけ余計なスタートダッシュをさせているかもしれません。そして、他の社員がやっていないなら、新人は職場にいながら他の社員とは『別の場所』にいるんです。だから職場に『居場所』が出来ない」
「確かにね。様々囲えば囲うほど、他のスタッフも『コイツは新人』と意識するかもしれませんね」
後藤は噛みしめるように言う。
「でも、それをマネジメント論者に言うと、『それは目標設定が悪い』とか『目的が曖昧なのが悪い』、『そもそもマネジメントを分かっていない』とか言われますよね。要はマネジメントは悪くない。使う人が悪いんだって」
「それを言っちゃいますか!」
後藤が笑った。
「正直私は前職でも今の職場でも、マネジメントを上手く使っている人は数人しか見たことありません。現実的に、ほとんどの人が上手く使えない道具に拘る意味なんて、無いんじゃないかと最近思うようになりました」
世良が少しヒートアップする。
「世良さんて前職は何してたの?」
後藤はヒートアップした世良を楽しむように眺めつつ、話を広げた。
「IT企業に5年ほどいたことがあります。一応一部上場企業だったんで、タテマエはしっかりマネジメントしていた方だと思います。ただ、その時の先輩の言葉を今でも覚えていまして・・・」
「どんな?」
「『PDCAとかマニュアル化、見える化とかは、昔から言われているけど、昔からどこも出来ていない。マネジメントが上手く出来といると言われている所は、結局現場の要領がいいヤツが、上手く出来ている風の報告書を作っているだけだったりする』って」
「過激だなぁ。でも分かるかも。私も色んな場面で随分鉛筆なめたからね」
「つい先日も、ウチの取締役が店長会議で言ってたんですよ。『コンサルタントは基本的に同じことしか言わない』って。ということはやっぱり、同じことがどこの会社も出来ていないとも言えます。その、どこも出来ていない方法論って、はたして正しいのかな?って聞いてて思いました」
それに対しては後藤は答えず大笑いした。
「・・・ただ、現実的には、今更マネジメントをやめるわけにも行きません。そうすると、今の枠組みの中で上手いことやるしかなくて・・・これは、まだ私の頭の中だけの案なんですが・・・」
世良は少し話がそれたことを自覚し、何とか軌道修正しようとする。
「おっ、世良理論ですね」
後藤もそれに合わせる。
「はい。まだ何の実績も無いので、そのつもりで聞いてください。まず、後藤さんの所は新人に専属の教育担当みたいな人つけてます?名称は『メンター』とか『ブラザー』とか『サポーター』とか色々ありますが」
「いますよ。ウチはブラザーって言ってます」
「そのブラザーの人の指導項目に、『仕事のサボり方を教える』って項目を加えるのはどうか?って思うんです」
二人は周回して、先ほどの高校生らしき集団を再び抜いた。彼らはまだ歩いている。
「サボリ方ですか!」
「はい。マラソンの技術って、走りながらサボることですから」
世良が言った。実際フルマラソンを完走するような人は、42.195kmをずっと必死に走っているわけではない。走って疲れたら休む。ただし、速度を落としつつも走りながら休む。即ち、彼らは勝負所の走り方とは別に、休憩用の走り方という技術を持っているのだ。
「仕事を続けるための技術は、仕事の技術とは別にあるということか」
後藤が噛み砕きつつ、自身の言葉を加える。
「具体的には、マネジメントの数値管理をやらせる一方で、『ここは大事じゃない。体裁を整えるのはこうすればいい』とかの裏技も教えちゃう感じですかね」
「なるほど。上手いヤツは実際そうしてますね。それをオフィシャルにしちゃうってことか」
「はい。リスクは上手くやらないと、どんどん悪ベテランの方に引っ張られることです。要は、走りながら休むんじゃなくて完全に歩かせてしまう。そうしない為にもオフィシャルにして、線引きまでしちゃった方がいいかと」
「『このサボリは許容する』『ここは妥協しちゃダメだ』ってラインを作っちゃうってことですね」
「はい。なんならブラザーを集めた研修で、そのラインを話し合って作るようなワークをしてもいいと思います」
「面白いですね」
「ありがとうございます。そして何より」
世良はそこで言葉を切った。
「先輩が一緒にサボるという共犯関係は、新人に居場所を作ることにもなると思うんです」
「なるほど」
後藤は、一旦言葉を受けて噛みしめた。そして自分の言葉でも言語化を試みる。
「『居場所』は『力が抜ける場所』であり、「サボる場所」ってことか」
「確かにそうですが・・・そう定義すると少し困りますね・・・」
世良が苦笑いした。
「『居場所』が『サボる場所』なら、私は店舗にいる間、ずっとサボっていることになります・・・」
後藤はカラカラと笑いながら「それもいいんじゃないですか?」とだけ答えた。




