環境が変わる時 プロローグ
パーソナルトレーニングのクライアントは、最初は様々な目的を持ってやってくる。
ダイエットが一番多い。他は筋肉を付けたい、基礎体力をつけたい、競技力を向上したい等。
しかし、ある程度効果が出てからも継続して通っている方は、次第に別の目的になる。
一番多いタテマエは、改善した体を維持する為。そして、既にトレーニングが生活習慣の一部になっているから、それを変えたくないというものだ。
ただ、実際は気晴らしに来ている方も多い。
後藤もその一人。最初の目的はダイエットだった。しかし、その目標は既に達成しておる。
「自分は世良さんと世間話をしに来てるだけだから」
そんなことを堂々と口走っている。
彼はストレッチ系リラクゼーションサロンのエリアマネージャーをしており、仕事柄、世良と話が合う。悩みや愚痴も通じやすいので、メンタルのカウンセリングに通うような感覚なのだという。
それを把握しているので、世良もメニューは有酸素運動やパートナーストレッチ等、話がしやすいものを必ず入れるように組んでいる。
「ここってスタッフさん変わらないよね」
エアロバイクを漕ぎながら後藤が言った。
傍らでトレーニング日誌を記載していた世良は、一瞬ドキっとする。
「そうですか?」
言葉の真意を把握する為、世良は一旦保留するような返答をした。
「たぶん、私がこっちに通うようになってから、誰も辞めてないでしょ?」
(ああ、そっちか)と納得し、世良は答える。
「そうですね。でも、たまたまですよ。やっぱり業界的に人の入れ替わりは多い方だと思います」
「やっぱり?離職率ってどんなものなの?」
「企業秘密なので、はっきりとは言えませんが・・・」
と言いつつ世良は、おおよそ察することが出来る程度のヒントを示した。
「やっぱり、そんなものか・・・」
後藤は独り言のように呟いた。
「離職でお悩みですか?」
踏み込んで世良が聞く。
「そうなんですよ。新卒がもう、けっこうな人数辞めててね」
「退職理由はどんな感じですか?まぁ、本人が話す退職理由なんて9割が嘘だとは思いますが、会社が推察している理由は?」
「『思ってたのと違った』がまぁ言われますね。それと、やっぱりサービス業は土日休みじゃないのは相変わらずストレスではあるようです」
「それはウチもそうですよ。新卒はまだ以前の友達との付き合い続いてる子多いですからね。友達と休み合わないって」
「ね。続ければ次第に交友関係も変わってくるんだけどね。職場に居場所が定まらないうちは、『旧友』という居場所は大事なんでしょう」
後藤はため息を付く。
「しかし、何が『思ってたのと違った』んでしょうね」
世良は矛先を変えてみた。
「いや、それは、なんとなくですよ。今は携帯で様々な情報が得られるでしょ。だから逆に自分の都合のいい情報だけ集めて理想化している傾向は前より強いんだと思います」
「ああ、わかります」
世良が深く頷いた。すぐに調べる習慣があると言うのは、今の若者のアドバンテージではある。しかし問題は、自分の意見に合う情報だけを無意識に集めてしまう者が少なからずいることだ。
それは周りから指摘しても、なかなか受け入れては貰えない。特に『老害』という言葉が一般化してからは、年長者の実体験よりもネット上の情報の方が彼らにとっては真なのだ。
しかし、世の中に出ると、自分と違う意見に触れるとは多い。その際に『ネット情報が真』という理屈を見直すことが出来なければ『周りは老害だらけ』ということになる。そうなると絶望しかない。
「そう言われると昔と逆ですね」
世良が何かに気付いたように言った。
「逆?」
「ええ。昔はよく若者は『普通のサラリーマンになりたくない』とか言ってたじゃないですか」
「はいはい」
「でも『普通のサラリーマン』なんて仕事は存在しない。会社員の仕事って千差万別だから」
「ですね」
一昔前は、会社員が何をするかなんて学生には何の情報も無かった。だから漫画やドラマからのイメージで、デスクに座ってハンコを押したり、営業先でペコペコしたり、夜は接待したりと、そんなイメージだけを持っていたものだ。
「確かに。『普通のサラリーマン』って負け組だと思ってたもんな。でも会社員の現実を知ると『普通のサラリーマンになりたくない』って言ってる若者が急にガキに見えて、自分が大人になったような優越感がありましたね」
後藤は深く納得する。
「そう。『普通のサラリーマン』という仕事を知らなかったからこそ、なってみると色々発見が合って面白かった。まぁこれは自分の場合はですけど」
「いや、わかりますよ」
後藤が頷いた時、エアロバイクのアラームが鳴った。
予定では、この後は筋トレになる。しかし、後藤が提案した。
「すみません。この後のメニュー変更出来ません?」
「かまいませんけど、何か調子悪いですか?」
「いえ、この話、もう少し続けたい。筋トレじゃなくて、外でも走りませんか」




