表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/77

スランプ色々 引き算

「まずですね。大前提なんですが」

 所沢はホワイトボードをガラガラと持ってきながら話した。

 このホワイトボードを見ずに、相手の目を見て話しながら運んだり書いたりするのは、世良がよくやる動きだ。


 先の打ち合わせで世良から『お客様はトレーニング中はノートを取らない』と指摘されて思いついた。お客様が取れないなら自分が書けばいいと。そうした時に真っ先に手本としてイメージしやすいのは世良だった。

 実際世良は、会議でもトレーニングでもホワイトボードを多用している。


「スランプということは、かつては出来ていたわけですよね?」

「はい。成績が落ちたのはここ数が月です。でもキャプテンになってから、ずっとフワフワしてたかもしれません。漠然としてすみませんが」

「いえ、貴重な情報です」 


 そう会話しながらも、所沢は板書をする。


 前提:・スランプ→出来ていたことができなくなった

    ・軸がおかしいと指摘された→体幹が弱い?


「先ほど、『体幹』って色々な要素があると言いました。その要素の中で筋力的なものは除外していいと思います。日々練習されているのであれば、フィジカルが弱くなったというのは考えにくいので」

 山中は無言で頷く。

「その他の要素で弱い部分をまずは調べていこうかと思います。大まかに言うと、こんな感じです」


 体幹

 ・筋力 → ×

 ・バランス → 検査 

 ・全身の連動 → 検査

 ・柔軟性 → 検査


「この検査というのは、実際に体を色々と動かしてもらいます。片足でバランスディスクに立ったりとか、連動はジャンプや反復横跳び、アジリティトレーニングなんかです」 

「はいはい」

「柔軟性は全身をペアストレッチします。その中で、課題がありそうな部分を見つけたらお伝えしますので、最後にその中でバッティングに影響しそうなものを相談し、そこの強化メニューをやりましょう」

「はい!でも何が影響するかなんて、分かるかな?」

「それは感覚でいいですよ。難しい理屈より、本人の感覚の方がスランプには影響しますから」

 それを聞いて山中は何かを考えた。

 そして、意を決したように言った。

「分かりました!お願いします!」


 山中は所沢の想定を大きく超えて優秀だった。

 立ち幅跳び、垂直跳び等、数値として出るものは同年代の女性の平均を大きく上回る。

 バランスディスクに片足で立つ等も、難なくこなした。球技系のアスリートは競技特性上左右差があるものだが、顕著なものは見られなかった。

 何より、何をするにしても姿勢が良く、所作が美しい。長年の運動部の指導で染みついた物もあるのだろが、自身でもそうとう勉強し、努力してきたことが伺える。

 ストレッチポールに仰向けに寝て片手、片足を上げて動かすようなマイナーなバランス運動も左右問題なく出来てしまったことは、所沢も少なからず驚いた。


 所沢はつい、鏡に映った自分を見てしまう。


(山中さんの方がトレーナーっぽいな)


 所沢は内心苦笑した。 

 この仕事をしてから気を付けてはいるのだが、どうしても学生の頃のボクシング部で繰り返し染みついた、半身、猫背、内股で顎を引くクセが要所で出てしまうのだ。


(ん?)

 所沢は何かが引っ掛かった。


(それでいいのか?)

 現役を退いて久しい自分の方が競技のクセが抜けていない。彼女はフィジカルトレーナーではない。多少のクセはあって当然だ。

 しかし、どの体幹トレーニングも左右差無く見事にこなす。

 それって・・・


(頑張りすぎなんじゃない?)


 その思いが更に強くなったのは、パートナーストレッチをしていた時だ。

 胸鎖乳突筋が随分固そうだ。世良に指摘された部分なので、余計に目が行ってしまう。

 可動域の検査をしてみると、やはり首の柔軟性は低い。

 それを見て所沢は、ある仮説が思いついた。しかし、なんと説明したらいいか?


 すると、かつて部活の顧問に言われたことを思い出した。

 

 所沢は少し考えて一つの質問をした。

「今更、そもそもの質問ですみません。バッティングなんですけど、来る球が読めるけど打てませんか?それとも読めなくなりました?」

「えっ?」

 山中は意表を突かれた質問に考え込んだ。

「読まずに来た球を打つタイプですか?」

「いえ、そうなりたいですけど、そんな天才じゃありません・・・」

 山中はしばらく考えた。


 トップレベルの女子ソフトボールの投球は、リリースから約0.4秒でキャッチャーのミットに入る。

 それに対し、人間の反射神経の反応速度は0.3秒。つまり、単純に来た球に合わせて打とうとすると、見極め時間は0.1秒しかない。

 それは極めて難度が高いので、たいていは投手の特性、配球、投球フォーム、その他心理戦で、ある程度来る球を予測して打つ。

 予測し、狙い球をしぼり、狙い通りに来たら打つ。来なければ見送る。

 山中も本来狙い球を絞るタイプだ。

 しかし・・・


「読めてないかもしれません。。」

 というより、読んでいただろうか?スランプを意識してからの打席で、何を考えていたかの記憶がそもそも無い。

 打たなければ!キャプテンだから!フォームが!軸が!体幹が!・・・そんなことばかり考えていた気がする。しかし、それを今更止めることは出来るか?

 無心、集中、ゾーン、言葉で言うのは簡単だ。でもそれ出来たら苦労はしない。


 山中が、そんなことを考えていると、所沢は意外なことを言った。


「やっぱり。首が固いんですよね。バッティングって、待ってる時は半身だから、これだとピッチャーや、ボールを両目で見れてないんじゃないですか?視覚情報が不十分なら読みが上手くいかないです。だから、何も考えずに、首だけ楽にして両目でピッチャーよく見てたら、案外打てるかもしれませんよ」

 この説明は完全ではない。以前の戸塚なら、もっと色々語っただろう。特に首の緊張はストレスと関係するとかを長々と語っていたかもしれない。

 しかし、それは自分の知識自慢だ。

 山中は明らかに真面目だ。真面目で考え過ぎる。こういう人の思考に必要なのは足し算ではなく引き算だ。


 ポカンとする山中に、所沢はもう一言だけ添える。

「首が固いと傍目からはギコチナイというか、軸がぶれてるようにも見えますから、コーチのおっしゃってたことは、そういうことかもしれません」

 会ったことは無いが、コーチを絶対に否定してはいけない。否定して苦しむのは選手だから。とくに山中は苦しむタイプだろう。


「なるほど!少しいいですか?」

 山中は、立ち上がり、軽くその場跳びをして体をほぐし、首を軽く回す。そうして持参したバットを数回振ってみた。そうして二度三度頷く。

「やってみます!」

 彼女は、本日一番の笑顔を見せた。


(でも、これじゃ今回も営業成績にはならないよな)

 所沢はそんなことを考えた。

(まぁいいか)

 所沢はトレーニングの締めくくりに入った。


「すみません。色々やってみたんですが、優秀ですよ。気になるのは首ぐらいです。ただ、今日やったようなトレーニングはセルフチェックにも使えますので、よかったら参考にしてください」

 戸塚はそれだけを言った。

 自分の営業成績を上げるなら、ここで何かしら課題を示して、継続来店をしてもらうようアピールした方が良い。しかし、首のストレッチの為に通えというのも無理がある。

 他に無理やり課題を作れないこともないが、それをしたら彼女はスランプから抜けられないだろう。


 そんなことを考えてお見送りをしようとした時、山中が深々とお辞儀をして言った。


「ありがとうございました!教わったことを試してみます」

 そして続けて言った。


「来週の土曜って所沢さん、いらっしゃいますか?色々やってみた上で、また相談に乗って貰いたいんですけど・・・」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ