スランプ色々 手応えと結果
所沢は久しぶりに手ごたえを感じていた。
お客様の反応が良い。
30代、女性。もともと剣道部だった等、運動は好きで体にも興味があるようだ。
今はランニングを始めたという。
ただし、膝を傷めやすいことと、自分の走り方が悪い気がして見て欲しいという要望だ。
「小林さんの場合は、右の腸腰筋と左のハムストリングスが強いんですよ。だから右足を前に出した時のストライドが長くなるんです」
「へぇー!でも言われてみればそうかもしれません!」
所沢の解説に彼女は驚きの声を上げる。
「おそらく剣道のクセですね。剣道は右足前で構えますよね?だからこのスタンスがしっくりくる体になっているんだと」
所沢は右足を前に出し、剣道の構えを取って見せた。
「そして、右足を上げることはあっても、左足はほとんど上げないですよね?だから腸腰筋や大腿筋膜張筋の使い方に左右差があって、それがクセになってるんでしょう」
実演しながら話す所沢。
「はいはい。そう、そんな感じです!凄いな。先生も剣道やられてたんですか?」
「いえ、自分はボクシング部でした。だから逆です。右利きの場合、ボクシングは左足前なんです」
所沢はボクシングの構えを取って見せる。
「カッコイイ!プロなんですか?」
「いえ、そこまで強くないです。高校3年間アマチュアでやって勝率は5割ぐらいでした。ただ友人でプロはいます。そいつは今も現役で、私はそのジムのフィジカルトレーナーもやってるんです」
「凄い!やっぱり本格的な方だったんですね」
彼女は雑談にもよく乗ってきた。
「とにかく、こういうクセがあるのに形だけまっすぐ走ろうとすると、膝や股関節、足首を痛めやすいんです。また、接地時間も左右差が出ます。小林さんは右足を着いている時間の方が長いんですよ。走るリズムが『タッタッタッタ』ではなく『ター、タッ、ター、タッ』ってなってますね」
「なってます!そういうことだったんですね!凄いな。やっぱり専門家に見てもらうと全然違いますね!」
全ての指摘に対して彼女は驚きの声を上げている。
相手が女性と言うこともあり、つい、調子に乗ってニヤけてしまいそうだが、ここで戸塚は気を引き締めて真剣な顔を作り直した。
「膝は具体的には右足の鵞足という部分と、左足の腸脛靭帯に負担がかかりやすいです」
所沢は自らの脚の該当箇所を指しながら説明をする。
「なるほど」
「更に言うと、首ですね。右足前で立つことに癖がついているので、正面より軽く右を向いた方がしっくりくる状態なんですよ。胸鎖乳突筋の固さに左右差があります。こういう場合はこめかみの頭痛も出やすいですね。どうですか?」
「言われてみればあるかもしれません」
所沢は次々と彼女のクセを言い当て、必要な運動を詳細に提案していった。
また、普段の生活で気を付けることを次々とアドバイスしていく。
「ありがとうございました!本当に勉強になりました!」
彼女は終始にこやかにトレーニングを終えた。
だが安心はできない。
この所のスランプから、所沢は自分でクロージング(会計と次回来店の予約取り。回数券やサブスク等の営業)に入る勇気が無く、他のスタッフに頼んでしまった。
それを遠巻きに様子を伺っていると、不意に声を掛けられた。
「手ごたえはどうだ?」
世良だった。
「悪くないですが・・・見てたんですか?」
「ああ。だいたいな」
所沢が動揺する。
黒須スポーツのパーソナルトレーニングは完全な個室ではない。密室でトレーナーと二人になることに、恐怖を覚える方もいるからだ。もちろん気が散らない程度の遮蔽物はあるが、それにしても見られていたことに、所沢はまったく気が付かなかった。
「何か・・・ご指摘ありますか?」
所沢が恐る恐る聞く。
「いっぱいあるな。すぐに修正した方がいい」
世良は真顔で即答した。
まったく容赦のない答えに所沢は困惑する。
お客様の反応は良かった。もちろん社交辞令もあるだろう。しかし、そこまで酷評されるような内容だろうか?
そう考えている時、遠くから帰りの受付をしている小林の声が聞こえた。
どうやら次回の予約を取っていかれているらしい。満足はいただけたのだと思う。
しかし、次に続く言葉が絶望的だった。
「次回は、女性のトレーナーさんにお願いしたいんですけど」




