令和の夏のマラソン練習 エピローグ
田中の走行距離は順調に伸びている。
8月は5kmが最長で、日々の練習は3km前後。
9月は7kmが最長で、日々は5km前後。
10月は先日10㎞を達成した。連日の練習も8kmはこなせている。
また、9月に初めて5kmの市民マラソンレースに出場して完走した。10月は10kmのレース、11月はハーフに出場する予定だ。動画のネタという側面もあるが、12月の本番までに少しでもレースの流れと雰囲気に慣れるという意味もある。
「10月中に15kmまでは行けそうだな」
世良が言った。
「サポート着けば20kmでも行けますよ。この前8kmの後にゲーム60分やっても、翌日にそこまでハリは残っていなかったので」
青田が答える。
「ランとゲームで、8月から有酸素運動の量をこなせたのは大きいな。心肺のベースが出来てきた」
「それに、アキレス腱も強くなってきました」
今日は二人ともトレーナー用ではなく各々のジャージを着て走っている。
「うかうかしてられないな」
と世良。
「はい。プレッシャー感じてきました。並走するトレーナーの方が苦しそうな顔してたら、シャレになりませんから・・」
青田自身、フルマラソンは数回完走したことがある。日常的に5km~10km程度は走っているので基礎体力もある方なのだが、それでもトレーナーとして余裕を持ってフルを走るには不安が残る。だから彼女自身も練習が必要なのだ。
今日はその為の自主練をしている。
「速いな。ちょっと落とすか」
世良がペースの指示を出した。
「すみません!難しいですね・・・」
「ゆっくり走る方がシンドイだろ?」
「はい」
並走には独特の技術が必要になる。ある程度走力のある者はスピードを出した方が楽なので、初心者に合わせてゆっくり走ると、かえって疲れるのだ。
90分ほど走ってコンビニに寄り、小休止を取る。青田はスポーツドリンクと栄養補給ゼリーを購入した。世良はトマトジュースとナッツ入りのチョコ。それにホットスナックのフライドチキンを買った。
「そんなの食べて走るんですか?」
イートインコーナーでドリンクを飲みながら青田が質問する。予定では、この後まだ90分は走るからだ。
「ああ。内臓がベストじゃない状態で走ることに慣らすんだよ。フルマラソンってベストコンディションで走れることの方が少ないからな。いつもより早く起きたりとか、会場混んでて思うように準備できなかったりとか、トイレが行列だったり・・・ましてや、サポートで走るなら諸々が自分よりクライアント優先だろ?」
そう言って世良はチキンにかぶりつき、ものの数十秒で完食してしまった。
そして、口の周りを紙ナプキンで拭きながら、思い出したように付け加える。
「ただ、体には悪いから、真似しなくていいよ。効果の根拠も特に無い。オレは気分の問題でやってるだけだから」
「でも、そういう理由を聞いちゃうとなぁ・・・」
青田がレジ横のチキンを眺めた。
「なら、これ食べな。さすがに、いきなりチキンはやり過ぎだ」
小ぶりのナッツチョコを数個渡す世良。
青田はお礼を言って食べる。
「おいしい!」
青田が驚きの声を上げた。
「だろ。発汗や疲労でミネラルと糖分が不足している時、ナッツチョコって異様に美味いんだ。たぶん後半のエイドにもあるから、田中さんがバテてたら勧めてあげな」
「はい。エイドの食べ物って、取ったことないんです。どうせ吸収されないし、なんか、おなかが苦しくなりそうで。。。でも悪くないですね」
そう言って、二個目のチョコを口に入れる青田。
「そうなんだよ。オレも人のサポートするまでは食べなかった。でもゆっくり走る場合、給水だけだより、うまく給食入れた方が気力が持つんだ。理論上、食べた栄養自体は走るのには使われないけどさ、この『美味い!』って脳刺激がバカにならないんだと思う」
そう言ってトマトジュースをグビグビと飲む世良。これも塩分と水分とアミノ酸なので、スポーツドリンクに飽きたら美味いのだという。
「やっぱり違うなぁ・・・」
青田がつぶやいた。
二人はコンビニを出て、また走り始める。
「やっぱり、世良さんも一緒にサポートしてもらった方が良い気がします」
「ん?一緒に走るじゃん」
「いや、カメラマンじゃなくてトレーナーとして」
当日世良は撮影クルーとして参加する。だから物理的にはランニング中もアドバイスをすることは可能だ。ただ、今までも青田のコーチングが始まったら世良は裏方のスタンスは崩さない。前後の打ち合わせで青田にアドバイスはするが、クライアントの前では口を出さないのだ。
しかし、こうして一緒に準備をすればするほど、力量、経験の差を感じてしまう。
「もちろん、ヤバイことになったら口は出すよ。でも、そうならないようにするのがトレーナーの腕だろ」
「そう言われると、何も言えませんが・・・」
「いや、正直言うと、ちょっと苦手なんだよ。向いてないんだ。こういう企画」
世良がバツが悪そうに言う。
「そんなことないでしょ!」
と青田。
「だって、こういう企画って、ドラマ性が求められるだろ?」
「うん・・・まぁ、そうですね」
世良の説明に青田が聞く姿勢を作る。『向いてない』はただの謙遜だと思っていたのだが、理由がありそうなので興味を示した。
「でもさ、『ドラマ』って要は浮き沈みだろ?でも、フルマラソンって浮き沈みが無ければ無い方が良い。ドラマなんて無ければ無い方がトレーナーとしては勝ちなんだ。そういう思想だからね、オレは。だから、一緒にどう盛り上がって良いかが、イマイチ分からない」
「そんなもんですか・・・?」
分かったような分からないような青田。
「その点、青田は上手いよ。サヤカさんにしろ、田中さんにしろ、オレがスルーするような細かいリアクション丁寧に拾って、盛り上げてる」
「出来てますかね?その自覚無かったです」
「出来てるよ」
即答する世良。青田は自分のそんな所が評価されているのを初めて知って、意外な気持ちになった。
「それとさ」
世良がニヤリと笑って言った。
「動画の出演者としてオレは『マニアック過ぎて一般受けしない』って評価だから」
これは、黒須スポーツで初めて動画企画をやる際に、共演するインフルエンサー側からリサーチを受けた結果のことを言っている。
実際には『マニアック過ぎて人を選ぶ』なのだが、世良は自虐ネタとして、多少誇張してよく話している。
「確かに一般受けはしませんけど・・・」
当初は誇張した自虐にツッコミを入れていた青田だが、もう慣れたのでそのまま受け入れるようになった。
そして、受け入れつつも見解を述べる。
「一部の熱狂的ファンからは需要ありますよ」
ーーー
本番当日、田中は見事完走した。
10kmまでは楽しそうに走り、20kmから「キツくなってきたけど頑張る!」というキャラで走った。
30kmからはキャラが無くなり、そこからゴールまでは、今まで動画では見せたことが無い田中と青田が映されていた。
動画は今までで一番好評価。
田中と青田に多数の称賛のコメントが寄せられた。
その中で、『これ、カメラマンすごくね?ずっと撮影しながら走ってたんでしょ?』というコメントを見つけた世良は、それを青田に見せびらかした。
お読みいただきありがとうございます。
この後も連作短編の形で続きますので、よかったらご覧ください。
■内容についての蛇足
作中に登場したゲームは、ニンテンドーswitchの「フィットボクシング」というものがモデルになっています。
これ、ホントにいいですね。普段からゲームをやっている人間にとっては、「ゲーム機を起動する」という、とっかかりのプロセスが、「教則DVDや動画を再生する」というプロセスより敷居が低いので、続けやすいというのもメリットだと思っています。
本作では、そもそも使用者が製品広報という設定なので、そこは触れませんでした。
5km等の大会参加に関しては、『黒須スポーツが参加枠を持っていた大会から選んで参加した』という裏設定です。
市民マラソンはたいてい半年前ぐらいまでに申し込みが必要なので、こういう裏ルート?でないと急な参加は難しいのですが・・・あまり本筋ではない設定を書きすぎると煩いので端折りました。。
(私自身、懇意にしていた企業から余った枠を貰って出場したことはあるので、一応、現実には可能です)




