令和の夏のマラソン練習 フィールドワーク
早朝の調査練習を終えた後、世良はシャワーを浴び、水分補給と朝食の代わりにプロテインシェイクを飲み干した。
そして着替え、黒須スポーツ新港北台店に出勤する。
夕方までは店舗業務を行った後、閉店までの作業を部下の佐々木に指示を出し、外出した。
待ち合わせの公園に着くと、既に青田が手持無沙汰な感じで携帯をいじっていた。
ユニフォームのジャージを着ているので良く目立つ。
「悪い!待った?暑いね」
「いえ、大丈夫です。暑いですね」
世良を見つけると、青田の表情がパッと明るくなった。
「思ったより大きい公園だな」
周りを見渡しながら世良が言う。
「はい。さっき少し回ってみましたが、園内も走れそうです」
「そうか。じゃあまず、その辺を走ってみるか。走りながら話そう」
「はい!」
二人はまず公園内を見ながら軽くジョギングを始めた。
走りつつ世良は今朝作った練習の方針を説明する。そして、それに合わせて二人は、公園設備を見ては『ここではこんなエクササイズが出来る』『ここで水分補給が出来る』等と確認しながら走っていった。
「けっこう、この時間は人が多いんだな。女性が一人で走るには、あまり集中しづらいかも」
「まだ夏休みですからね。たぶん昼は暑すぎるから、子供も夕方から外にでるんじゃないですかね?」
子供が多いので、ボール遊び、ラジコン等様々な遊びをやっている。
園内はスケボー禁止という看板はあるが、あまり守られてはいないようだ。
「それに案外日陰も多くないな。ちょっと出てみようか。大通り沿いは歩道も広いし、片側は日陰だったから」
「はい!」
ここは、クライアントの田中の生活圏で、自主トレするならこの辺りがいいと田中からオーダーを受けた場所だ。
マラソンの練習はとにかく量が必要だ。パーソナルトレーニングはあくまで練習方法の指導と進捗確認であり、実際の練習の9割は自分でやってもらうことになる。
今回のような特殊なケースでは、実際にクライアントの生活圏を調査した上でメニューを組むこともある。
「この時間にこの匂いは拷問だな」
公園を出たら、鰻の蒲焼きの匂いが漂ってきた。
「そういえば、私、今年まだ鰻食べてないです」
と青田。
「オレもだよ。しかし、なんか、ここ、誘惑多いな。。」
今度は唐揚げ屋の前を通りすぎた。様々なフレーバーがあるようで、カレー味の唐揚げの匂いが際立っている。
かと思えば、前方からは、部活帰りの高校生のような3人組が、手にフラペチーノを持って歩いて来た。
「なんか仕事中に世良さんと、こんな場所を走ってるって不思議ですね!」
青田が言う。
「意外に楽しいだろ?こういうのも」
「はい。なんか、文化祭の前の準備しているみたいです」
青田は仕事でこういうフィールドワークをやるのは初めてなようで、今日は少しテンションが高い。
「あー、実行委員とかな。ああいうの、面倒だけど、やってみると結構楽しいんだよな。委員同士で仲良くなるし」
「そうなんです!そこで、けっこうカップルが生まれたり!」
「若いなぁ。もうオッサンになると、そういうのは眩しすぎる」
「またぁ!30代の人って、やたらとオジサンぶりたがりますよね。内心はそんなこと思ってないクセに」
めずらしく青田が突っ込んで来た。
「・・・鋭いな。これは何でなんだろうな?」
世良は舌を巻く。そして、青田はクライアントでオジサン受けが良いのも頷けた。意外に男の傾向をよく理解している。
「なんでなんですか?」
軽く流そうと思ったが、意外に青田が追及してきたので世良はしばらく考える。
「一般論はさすがに分からないが・・・たぶん、オレの場合、ある種の防衛戦略だ。『自分はそこまで若くないので野望も欲もありません。安心してください』みたいな。そういうことを示したいとき『オジサン』を使っている気がする」
「なるほど・・・」
青田は理解を示しつつ、少しテンションが落ちた。少しボカしすぎただろうか?その様子を見て世良はもう一歩だけ踏み込んだ。
「特に若い子と二人とかになると気を使うんだよ。お客さん相手ならもちろんだし、上長的立場になると対スタッフでも色々あるから」
セクハラは論外として、仕事での色恋沙汰もご法度なのだ。ただ、実際は社内結婚も、お客様との結婚も事例は多い。それに対する非難は無いので、正確には『色恋沙汰のトラブル』がご法度という感じだろう。
ともかく世良は、恋愛話になりそうな時は、自然にぼやかし、避けるのが身に付いている。
しかし、今日の青田はそれで許してくれなかった。
「端的に言うと女性に対して『下心ありませんから、ご安心ください』ってことですか?」
世良は一瞬『おおっ』と呟いた。
「言語化すごいな。たぶん、そんな感じだ」
世良は観念して素直に認めた。
「なるほどね・・・」
青田は小さく呟いた。そして言った。
「田中さん相手には気を付けた方がいいですね。色々誤解を招くタイプなので。まぁ彼女はワザとやってるんでしょうけど」
「だよな」
世良はそう返しつつ、チラりと横で走っている青田を見た。確かに田中は同性に敵が多そうなタイプに見えるが、青田がこういう毒を吐くのは珍しい。
青田は世良の視線に気付いているのか、いないのか、ただ前を見て軽く息を弾ませ走っている。
そして、前を見たまま言った。
「私にはそんな気使わなくていいですよ」
「・・そうか。ありがとう」
世良は嫌な間が出来ないよう、とりあえず肯定的に答えた。なぜ気を使わなくていいかの理由は置いておいて・・・
この後、二人は一通りランニングコースとメニューを確認し、近くの店舗に向かい、ゲームでのボクササイズを実施する。
「ランニングと連続してやると、ゲームでもいい感じですね。アキレス腱に関してはエアロバイクより良い刺激が入る感じがします。ただ・・・」
「ただ?」
「アキレス腱はいいんですが、骨盤が前傾になるのが、フォアフットで走る時と角度が違いますね。しっかり指導しないと悪いクセつくかも」
「ほう!その発想は無かった。確かにな」
意外に鋭い青田の指摘に世良が感心した。
「それから、ボクササイズって股関節の動きが、捻りメインなんですよね。腿上げや腿下げの動作がないのが物足りなく感じます」
「それか!」
世良が唸る。今朝、世良もなんとなく不十分感を感じていた。だが『それは自分が初心者じゃないから』と思考停止していた。それを見事に言語化されたのだ。
「確かに腸腰筋と殿筋の刺激が足りないよな。ランニング中の階段ワーク増やすか、やっぱり時々エアロバイク入れるか」
世良は即座に補完案を考える。
「ゲームのインターバル中に腿上げしてもらうのはどうでしょう」
青田も案を出す。ボクササイズはずっと動きっぱなしというわけではない。時折インストラクターが次の動作を説明する小休止が入る。青田はその時間を使うことを提案した。
「いいな。オレもあのインターバルは、マラソン練習には邪魔だと思っていた」
世良が賛同する。マラソンは動きながら休む競技なので、練習の間は何かしら動いていたい。
「ですよね!」
「よし、じゃあ腿上げや、他にもインターバル中にやる軽い運動のパターンをいくつか作ってしまおう!」
「はい。じゃあ、こういうのどうですか?最初言った仙骨、骨盤の角度に対する矯正の意図で・・・」
小気味良く意見、提案が出てくる。
(頼もしくなったなぁ・・・)
世良は、今日は青田に驚かされっぱなしだった。




