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跳箱と最適解 次なる課題

 その日、世良はパーソナルトレーニングの台帳を確認していた。

「今日のパーソナルトレーニングの新規の予約って、電話取った人誰?」

「自分です」

 スタッフの佐々木が答える。

「新規だけどオレ指名なの?誰かの紹介?」 

 通常新規が指名になることは少ない。そもそも、初めてなら誰が良いか分からないから。

 だから新規の指名は、誰かからの紹介のことが多く、その確認だ。


「あっ、すみません。それ、孝太郎のお父さんです」

 佐々木が答えた。佐々木は、絵里奈の陸上部のトレーニングに時々関わっているので、孝太郎のことはよく知っている。

「お子さんの跳び箱について相談って言ってました。相談ならトレーニングじゃなくてもって言ったんですけど、『お時間取らせるのでお支払いはします』と。それでトレーニングで枠取ってます」

「あの人らしいな・・・」

 世良は孝太郎の父、耕作のことを思い出していた。直接は挨拶程度しか話したことないが、絵里奈が合宿でロジカルに計画の話をした時、一番食いついたのが彼だったからよく覚えている。反抗期の孝太郎が話すには『頭は良いのは分かるが、理詰めでウザい』とのこと。


「なんだろうな?詳細聞いている?」

「いや、『世良さんに、息子の跳び箱の相談と言えば分かると思います』ってことなので、それ以上は聞きませんでした」

「雰囲気はどう?怒ってた感じある?」

 世良は直感的に何かのクレームなのかな?と思った。

「いや、普通でしたよ。何かやらかしたんですか?」

 佐々木の疑問は当然だ。不要と伝えたお金を払ってまでの相談ということなので、普通はクレームであるはず無い。しかし、何かが気になる。

「そんなつもりは無いんだがな・・・まぁいいや。分かった。ありがとう」

 耕作の来店時間は今日の19:00。絵里奈や孝太郎にヒアリングをしたいところなのだが、その余裕もないので、世良はいくつか想定だけして臨むことにした。

 

「おかげさまでね、あの翌日には跳べるようになったんですよ!」

 耕作は開口一番は上機嫌だった。

「孝太郎から聞きました。『出来ない子の心理を考えたら登場人物は増やさない方が良い』ってご判断、素晴らしいです。あれを無償で聞いてきたとのことなので、今日はちゃんとお支払いしたくてですね。無理を言ってすみません」

 そういうことかと世良は一つ納得した。

「とんでもない。良かったです。孝太郎さんが弟さんを本気で心配している話を聞いて、ちょっと感動しましてね。協力したくなってやっただけですから」

「年が離れているせいか、本当にアイツは弟の面倒をよく見てくれましてね。それだけに・・・」

 耕作は一旦口ごもる。どう話を切り出そうか考えているようだ。

「何かスランプとかですか?」

 世良は想定していたことを聞いた。耕作は不思議そうな顔をする。

「よく分かりますね!」


「跳箱って、結構複雑な動作なので、ちょっとしたことで出来なくなることがありますから」

 世良が答える。実際、走る、踏み切る、跳ぶ、手を着く、飛び越える、着地するという様々な動作の切り替えが短時間で発生するので、どこかの歯車が狂うと出来ていたものが出来なくなることはある。

「おっしゃる通りです」

「その解消のご相談ですか?」

「いや、原因は分かっているんですけどね・・・先生のご意見をお伺いしたくて」

 ここで耕作は、はっきりと不機嫌な顔になった。

「これを見てもらえますか?」

 耕作は持参してきたタブレットを取り出した。


 耕作は、孝太郎と弟ー伸太郎の練習動画を細目に撮っており、それを時系列に見せた。

 練習前、世良の予想通り、完全に脚で跳んでいる。思いっきり助走して幅跳びの勢いで跳び出し、申し訳程度に手を付いている。

 無理やり形だけ手を付いているので空中姿勢が悪く、着地は布団に転がりこんでいた。

 その後、世良が指示した練習をする動画が続く。頻繁に『いいね!今のいいよ!』という孝太郎の声が入っているのが微笑ましい。

 そして、伸太郎は見事に段ボールの跳箱を飛び越えた。『おおおおぉぉ!すげぇぇ!』と孝太郎の声の方が大きい。伸太郎は、はにかんでモジモジしていた。

「かわいいっすね。。。」

 世良は思わずこぼした。こんな弟なら孝太郎が必死になるのも無理もない。 


 その後、いくつか違う大きさの段ボールで挑戦し、成功している。

「これ、作ったんですか?」

「はい。私と孝太郎で作りました。空き段ボールに、古い毛布を切って詰めてます」

「これなら、4段ぐらいは跳べるんじゃないですか?」

「そうなんです。実際、保育園でも4段までは跳べたみたいです。伸太郎も『6段までは跳びたい』と意気込んでました」

「で、スランプになったと」

「はい。今はこれです」 


 それは、最初から違和感があった。スタート前の握りこぶしに妙に力が入っている。

 走り出す。必死に走っているが、何かギコちない。

 踏切の直前で失速した。

 そして踏切。どんと着地して完全に膝が曲がっている。そこで動作が一拍止まる。これでは助走の意味もなければ、踏切の意味も無い。

 当然十分に尻を上げることも出来ず、跳び箱の上で尻もちをついた。


「もっと高く跳びたいと言ったら、保育園の先生に『大股で走れ』と言われたようです」

「『大股で』ですか・・・」

「はい。『前はもっと大股で速く走っていた』『跳べる子はそうしている』とのこと」

「・・・」

「本当は孝太郎に全部やらせてやりたいのですが、私が出てきた理由がこれです。保育園の先生に話をしようかと。その為に世良さんのご意見をお伺いしたく」 


 世良はめまぐるしく思考を巡らす。


 耕作は「話しをする」と言っているが、気持ちとしてはクレームに近いだろう。それで『伸太郎が前より跳べなくなった』という問題は解決出来る。しかし、それが伸太郎にとって最適な選択なのだろうか?


 確かに保育園の先生の指導は、『トレーナー視点では』今の伸太郎には向いていない。

 そもそも6段ではまだ助走はさほど重要ではなく、踏切板で正しく跳ねることの方が重要だ。まだ全体動作に慣れてない伸太郎は、小股の方が踏切のタイミングが合わせやすく、ここを無理に矯正したら歪みが出る。


 しかし、保育園という役割を考えればトレーナーレベルの指導を求めるのは酷だし、これはこれで意義もある。

 ただ、跳べなくなくなった当事者にとては・・・

 いや、結局は問題はシンプルだ。シンプルに考えよう。


 世良は、努めて明るく言った。

「大丈夫!これなら6段跳べるようになります!保育園への相談は待ってもらえますか!」


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