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男の産後ダイエット プロローグ

 黒須スポーツ本社ビルの3階のエレベーターのドアが開き、世良と所沢が降りてきた。


 3Fは開放的なスペースでフリーデスクとなっている。黒須スポーツでは経理、人事、経営企画といった機密性が強い情報を扱う部署を除いて基本的に自席というものが無い。

 出社したら空いている好きな席に座る。目的は二つで、一つは部署間のコミニュケーションを円滑にすること。もう一つは個人デスクに情報が滞留することを防ぐこと。

 実際、こうなる前は契約書の控えが個人のデスクのキャビネットにあるような事が度々あったと言う。


 世良はオフィスを見渡して、奥の4人掛けの丸テーブルで一人で作業している渡辺を見つけた。


「お疲れ様です」

「あっ、もう、そんな時間か。所沢君も参加なの?」

「たまたま本社の玄関で合っただけなんですけどね。なんか興味持って着いてきたので、同席させていいですかね?」

「うん。もちろん世良君がいいなら僕は問題ないよ。ただ、ごめん、あと15分ぐらい大丈夫?」

「大丈夫です。ここで少し作業していいですか?」

「もちろん」

 世良は自分のバッグを開けてノートPCを出した。

「お前も何か適当につぶしてて」

「はい」

 所沢もノートPCを出すだけ出した。といっても15分程度に時間でどれだけ仕事をするかは怪しい物である。


「今日は人少ないですね」

 PCをカタカタ打ちながら世良が言った。

「会議が無い時はこんなもんだよ」

 渡部が言う会議とは店長会義とか経営会議等の定例会議のこと。会議の日は人が集まる。人が集まるから別の打ち合わせや面談も設定しやすく、更に人が集まる。必然的に定例会議がある日はオフィスが混み合うのだ。


「意外に本社も快適ですね。たまに来ようかな。こっちの方が割り込み入らないから雑務が捗りそう」

 世良は普段、店舗のバックヤードで雑務をこなすことが多いのだが、店長と言う立場上、ひっきりなしにスタッフに捕まるのだ。

「でしょ。いいと思うよ。人がいる時は自分の仕事出来ないからね」

 渡部はPCから目を離さず、キーを叩きながら言った。

 今日は周りには世良の知っている広報部の人員はかなり少ない。部長という立場の渡辺も世良と似たような境遇なんだろう。


「ナベさんはいつも忙しそうですよね」

 世良はオフィシャルには『渡辺さん』と呼ぶが、周りに身内しかいない時は『ナベさん』と呼ぶ。

「人に仕事振るのが下手だからね」

 渡辺が答える。

「振るぐらいなら自分でやった方が早いってタイプですか?」

「そうそう」

「分かるなぁ」

「世良君もそのタイプでしょ」

「間違いなく」

 世良と渡辺は話しながらもキーを打つ手は止めない。むしろ会話にあまり加わっていない所沢の方が手は動いていない。

 おそらくネット記事でも読んでいるんだろうと世良は思いつつ、特に詮索はしなかった。


「嫌ですよね」

 世良が言った。

「何が?」

「いつからですかね?沢山仕事抱えて忙しい人を『仕事を人に振るのが下手』って言うようになったのは?」

「ああ。マネジメント論とかが流行りだしてからかな?いや、もっと前からかな?」

「なんか、こういう言葉ってある種武器ですよね・・・一度誰かが作ったら、誰でも手軽にその武器使って人を攻撃できてしまう。攻撃された側は『お前に言われたくねーよ!』と思いつつ、言葉自体は正しいから反論できない。ホント、凶悪な武器ですよ」

「確かにね」

 渡辺は理解した。

「でも、仕事が振れないのは、しょうが無い部分ってあると思うんですよ。あっ、すみません。煩いですよね」

「いや、いいよ。今やってるのは広告のチェックだからね。むしろ喋ってた方がいいんだ」

「そうなんですか?」

 所沢がやっと会話に参加した。


「うん。上がって来た広告案に赤書きしてるんだけどね。そもそもWeb広告なんてじっくり見ないでしょ?」

「ですね」

「だから、なんとなく眺めて伝わる情報じゃなきゃいけないんだ。顧客視点でチェックする場合は熟読しちゃいけないの。さらっと見た印象が一番大事」

「へぇー」

「こういうポイントもね、誰かにちゃんと教えれば仕事が振れるんだけどね」

そう言って渡辺は一旦キーボードから手を放し、背伸びをした。


(凄いな)

 と世良は思った。渡辺は仕事をしながら会話をしつつ、割り込んできた質問にしっかり答え、自然に中断した話題に戻した。

 一見目立たないが、実際に組織を回しているのはこういう人だったりする。所沢もこういう所を見習えと後で教えておこう。そう思いつつ、せっかく渡部が話を戻してくれたので、世良はそれに乗っかることにした。


「それですよ。その『教えれば』ってのも言葉の武器だと思うんです」

「ああ、なるほど」

「会社の組織なんてゼロから自分で全部立ち上げることなんて、ほとんどないでしょ。だいたい引継ぎなわけで。そんで人手足りなくて困った時に『教えてれば出来たはずだ』って言われてもね・・・今まで誰も教育をしてこなかったか、教育をしても成功しなかった事実があるわけで、その部署で新たに教育するのは簡単じゃないですよ」

「まぁ、普段からそれを想定して教えておけってことだろうね」

「理想はそうですけど、そんなヒマあります?」

「無いね」

「でしょ」

「まぁ、これも作業を効率化して時間作れってことでしょ」 

「出た!『効率化』ってのも自分、嫌いです」

「そうなの?意外だね」

 渡辺は一度キーボードを打つ手を止めて言った。世良は基本的にはロジカルなタイプなので、むしろ効率化とかは好きなのかと思っていたからだ。


「だって『効率』とか、『やり方』とか、『根本的には』、『本来こうあるべき』とかの話をしたがる人と組むと、仕事進まないことありません?逆に仕事早い人って、あんまりそういう話しない気がするんです」

「ああ、そういうことか。世良君は1周回ったんだね」

「えっ、どういうことですか?」

 所沢が不思議そうに言った。彼はこういう言葉はまだビジネス書で触れ始めたばかりだから、今渡辺と世良が話しているような実体験に基づく話には、あまりついていけていないようだ。

「だって、効率化を検討してる間に、非効率に力技で作業を進めた方が早い場合って多いんだよ」

 世良が答える。

「そうだね。効率化をする為には『効率化できるようにする』という作業が発生する。その後何回も繰り返す作業ならいいけど、1回限りの作業なら効率化しない方が早い場合は多々あるね」

「ですね。ましてや『本来こうあるべき』なんて議論は、そもそも答えがあるかすら怪しいし、単発の仕事は余計なこと考えずにやった方が早いですよ」

「なるほど」

 所沢は自分のPCのキーを叩いた。何かにメモをしているようだ。こんなことをPCにメモしても絶対見返さないだろうなと思いつつ、世良はそこは触れなかった。


「とにかく、仕事を人に振れないのには、それなりの理由があるんです。マネジメントとか教育にも限界はあります」

「確かに」

「例えるなら、箱根駅伝の部員が足りない時に一般人を連れてきて、『彼を活かせないのは育成スキルが低いからだ』なんて言います?」

「ははははは」

「一般人でも出来るように、普段から作戦考えておけって言います?」

 世良は調子に乗って来た。

「一般人でも出来るように、育成方法マニュアル化しとけなんて言います?」

「そう言ってもらえると救われるね。それを高田常務にも言って欲しいな」

 渡部がそういうと世良は深くため息をついた。


「それは自分も言えません。。。」

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