根性の作り方 エピローグ
水沢の復帰第一戦。
ゴングと同時に前に出る対戦者。
サウスポースタイルで、右に回って右フックを引っ掛けるのが、これまでの水沢の常套手段。相手もそれは警戒している。
それゆえ、左に、即ち、相手の懐に踏み込んでの右ストレートが綺麗に入った。
すかさず左足を寄せての左ストレート。
たまらず尻餅をつく対戦者。
バランスを崩した所に貰って倒れた形なので、まだ余力はある。カウント8で立ち上がる。
しかし、想定外の事態による心のダメージは回復していなかった。
追い討ちの連打になす術無く、戦意喪失のレフェリーストップ。
1R開始47秒でのKO勝利となった。
復帰2戦目。
前々回の試合でKO負けした因縁の相手とのリマッチ。
もっとも因縁と思っているのは水沢だけで、相手はイージーと思っているだろう。
「調子を上げているみたいだが、前回と同じにやれば問題ない。ラッキーパンチだけ気を付けろ!」
と対戦者のセコンド。
「好きなようにやってこい」
安倍は水沢にそれだけ言って送り出した。
第一ラウンド。
予想通り前に出てきて接近戦を挑む対戦者。
水沢は、やはり、回り込んでの右フックを封印し、突進を体で受け止める。
そして、押し返しつつ左足を踏み出し、左構えから右構えにスイッチした。
水沢は元々右利きである。
右フックが上手いことから、アマチュア時代の指導者から左構えに矯正することを提案され、以来、そのスタイルのままにしている。
しかし、せっかくフィジカルと耐久力を強化したので、接近戦では右構えにして、がっぷり四つの真っ向勝負も戦略に加えようという安部の案で鍛えてきた。
「やっぱり、これで勝負に出ましたね」
所沢が言う。
「ああ。今のところ負けてない」
世良が答えた。
二人はリングサイドの席に招待され観戦していた。
お互い、ほとんど足を止めての接近戦。互いの頭が交差する距離の為、ガードをしっかり固めていればなかなか顔面への有効打は出ない。ボディ中心の削り合いになる。
そのまま1ラウンド終了。
「受けてきたな。望むところだ。消耗戦に持ち込んで打ち勝て!」
対戦者サイドのセコンドが激を飛ばす。
「覚悟決めたな」
安部が言う。
「はい!」
水沢は短く答える。
「この展開になったら練習量と、諦めの悪さで決まる。諦めなければ勝てるぞ!」
「はい!任せてください!」
水沢は力強くコーナーを後にした。
(『任せてください』か)
安部はその言葉を噛みしめていた。水沢からは初めて聞く言葉だった。
2ラウンドから4ラウンドともに全く同じ展開。
そして、前回水沢がKOされた5ラウンドになった。
「このラウンドを乗り切れれば勝つ可能性はぐっと高まる」
世良が言った。
「前回倒された苦手を克服するからですか?」
と所沢。
「それもあるが、相手の方が辛くなる。前回と同じことをしても倒れない、むしろ押されているという現実に気づいて、打つ手が無くなる」
水沢は耐えた。
顔面への有効打こそ無いが、互いにボディは相当数貰っている。
消耗していないはずはない。
既に、いつ均衡が崩れてもおかしくない状況だった。
いや、少しずつ均衡は崩れ始めている。
水沢が前に出る場面が目立ち始めてきた。
「すごい。まるで別人だ」
所沢が感嘆の声を上げる。
「まったくだ。元々良い物は持ってたんだろうな。安部さんの指導がハマればここまで変わる」
世良が頷く。
「世良さんは、いつからそこに気づいてました?」
「そこって?」
「安部さんと水沢の関係です。自分は、正直、当初は安部さんに良いイメージ持ってなかったのですが」
所沢がバツが悪そうに聞く。
「話したからだよ」
世良は、何を当たり前のことをというトーンで答えた。
「そんなの、最初の電話で分かるよ。キチンと礼を尽くして相談した時の相手の対応で、相手がどんな人かはだいたい分かる。そんでアポ取って打合せすりゃ、安部さんがちゃんとした人で、スキルも高いなんて分かるだろ。というか、お前の悪印象は全部水沢君からの一方的な話が根拠じゃん」
「返す言葉もありません」
「だから、そのプロセスを端折っちゃいかんのだよ。礼儀を身に着け、相手に説明し、アポ取って、打合せする。これでだいたい解決するのに、若い者はここから逃げて、小手先のことばかり力を入れるから話がこじれるんだ、ん??」
レフェリーが試合を止めた。
どうやら水沢が目の上を出血したようだ。
試合が一時中断する。
偶然のバッディングとの説明が場内アナウンスであった。
相手の頭がぶつかったようだ。
水沢に一旦止血の機会が与えられる。
「大丈夫か?ダメージは?」
安部が止血しながら確認する。
「クラクラしましたね。今は大丈夫です」
水沢は意外にも笑顔を見せた。これが強がりなのか、それともハイになっているだけなのか、それともダメージによるものなのか安部は一瞬迷った。最悪、頭がぶつかった衝撃で意識が混濁しているのであれば、すぐに試合を止めなければならない。
しかし、水沢の次の言葉で確信した。
「相手、だいぶ焦れてきましたね。これ以外やることが無いんだろうな」
水沢は自分の傷を指して言った。
「気持ちが折れてる側の心境は良く分かるんですよ」
そう言ってもう一度笑顔を見せた。
「お前が言うなら間違いない!行ってこい!」
「はい!」
試合が再開された。
水沢は、安部には強がったものの、言うほど余裕はなかった。
しかし、それと同時に相手にも余裕が無いことが分かる。
だからやることは分かっている。
ただ前に出て手を出すだけ。
世良にシゴかれた筋力トレーニング、レベルを上げられた800m走、疲労困憊の中のミット打ち、あえて苦手な接近戦限定にして行ったたスパーリング、それらの疲労感を水沢は思い出していた。
これぐらいの疲労では体はまだ動く。
これぐらいは経験済みだ。
水沢は、疲労を苦痛ではなく、身体の破壊度の情報として客観視するようになっていた。
もう何十発目か分からない左フックが相手のボディに軽く入った。
手ごたえは無い。
しかし、レフェリーが間に割って入った。
倒したのか?
自分のコーナーを見る。
安部が何かを叫んでいる。
世良と所沢らしき人がリングサイドに駆け寄ってきているのが見えた。
相手は?
まだ倒れているようだ。
レフェリーが手を交差する。
勝ったのか?
カウントは?
タオル投入かな?
相手のセコンドがリングに入って来た。おそらくタオルかレフェリーストップだ。
改めて自分のコーナーを見る。
安部が世良とガッチリ握手をした。
タオルで顔を隠している。
泣いてるのか?安部さん?
そこで水沢は意識がハッキリした。
そして自分のコーナーに駆け戻る。
右足のハムストリングスは攣った。
何、こんなの経験済みだ。
「安部さん!」
水沢は叫びながら、駆け戻った。
――根性の作り方 了――
お読みいただきありがとうございます。
この後も連作短編の形で続きますので、よかったらご覧ください。
◼️内容について蛇足
自分が長距離をやってたもので、よく「根性ある」という扱いをされます。
そんなことないよ・・・というのがこの話を考えた発端だったりします。
実際自分は10km走るより1分スパーリングする方が嫌ですから。。




