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根性の作り方 根性は相対的

「そもそも根性とは何かという話ですが、これは評価者に依存したものになります」

 そう言うと世良はホワイトボードに次のように書いた。


 根性:評価者の予想を超えて苦痛に耐える能力


 ここは水沢が所属するジムの、応接室兼ミーティングルーム。

 ロードワーク後、世良の提案により一旦はみんなで外食しながらミーティングという形にまとまりかけたが、安部が待ったをかけた。

 外食しながらだと雑談になりやすい。どうせやるなら、しっかり話した方がいいと。ただ、時間帯的に食事をしながらというのも悪くないので、全員が自分用の夕食を調達してから集まることになった。

 安部が会長に交渉し、MTG費用として一人500円まで補助が出ることになった。それを超えるものは自腹で出してもかまわないが、トータルのカロリーは700kcal以下で調達する条件が課せられた。栄養の自己管理の勉強も兼ねている安部の提案に、世良も文句なく賛同した。


「つまり、根性とは絶対的なものではなく、評価者あっての相対的なものと言えます。みなさんの場合、対戦相手の予想を超えることが大事になります。これは逆に考えると分かりやすい。相当いいパンチが入ったのにケロっとされてたり、何ラウンドも激しく動いているのに一向に相手の動きが鈍らなかったら嫌でしょ?」


 食事をしながらではあるが、みなが頷く。


「しかしラーメン多いな・・・」

 世良が周りを見ながら言った。


「世良さんがあんなこと言うからですよ」

 水沢が答える。彼はノンフライタイプのカップの味噌ラーメンに、サラダチキンを追加していた。

「それ旨いよね。オレも迷ったらそれ買う」

「はい。コンビニでラーメンといったらこれが最強です」

「世良さん、根性」

 世良と水沢が脱線しかけた話を所沢が戻す。


「ごめん。。。だから、相手の予想を裏切りやすいポイントに絞って鍛えると、相手から『根性がある』と思われる効果が高いわけです。逆に言えば、そういうポイントを外してしまうと、相手から舐められやすい。そうなるとそれだけで心理的に不利になります」

「お前じゃん」

 何人かが水沢に突っ込んだ。

「だから色々やってるんだよ!」

 水沢が答える。

「うるせぇぞ」

 という安部の言葉に全員が黙る。


「ありがとうございます。じゃあ、具体的にどういうポイントがあるかというと・・・」

 そう言って世良は板書した。


 ・強いパンチを顔面に食らっても倒れない

 ・強いパンチをボディに食らっても倒れない

 ・連打を食らっても倒れない

 ・どれだけパンチを食らっても気力が落ちない

 ・後半ラウンドでも手数が減らない

 ・後半ラウンドでも脚が止まらない

 ・後半ラウンドでも脚腰が弱まらない(押し合いが強い)


「こんなものでしょうか。後はこれらをどうやって鍛えるかですが、いくつか書きますね」


 ・強いパンチを顔面に食らっても倒れない

   →慣れる(打たれる)×

 ・強いパンチをボディに食らっても倒れない

   →慣れる(打たれる)

 ・連打を食らっても倒れない

   →慣れる(打たれる)×

 ・どれだけパンチを食らっても気力が落ちない

   →総合力

 ・後半ラウンドでも手数が減らない 

   →慣れる、心肺機能、筋持久力、無駄の無いフォーム

 ・後半ラウンドでも脚が止まらない

   →慣れる、心肺機能、筋持久力、無駄の無いフォーム

 ・後半ラウンドでも脚腰が弱まらない(押し合いが強い)

   →慣れる、体幹、相撲技術


「×を書いたのは理論上はそうなのですが、現実的ではないものですね。わざと顔を殴られるようなトレーニングは脳にダメージが残るので、とても推奨できません。こういうのは諦めも肝心です」

「そりゃそうだ」

 何人かが言った。


「ただ、多くのものに慣れるというのが入っています。これは絶対に避けては通れません」

 世良は周りを見る。

 頷いているのは安部だけだった。


「これはマラソンのあるあるなんですけどね。レースの直前まではいつも考えるんですよ。『今日は死ぬ気で走って自己ベスト出す!体なんかぶっ壊れてもいいから全力出し切る!』って」

 この話には何人かが頷いた。


「でもね、スタートして無理してペース上げて2kmぐらい走ると思うんです。『今日は調子悪いな。なんか力が出ない。どこか故障しているかも?こんな状態で無理して故障したら元も子も無い。今日は次に繋げるレースにしよう!』って」

「わかるなー」

 何人かが言った。


「結局人間って、過去に経験した苦痛を大きく超えるものは耐えられないんですよ。これはもう生存本能だからしょうがない。未知の苦痛は最悪死ぬかもしれないので、生物として逃げたくなるのは正常なんです。だから練習で『これぐらいじゃオレは死なない』という経験をするこが大事なんです」

「それがさっき言ってた免疫ってヤツですか?」

「そう。だから自分が今スパーリングをやるとして、『どんなパンチを食らっても構わず前に出る!』って覚悟を決めたとしても、そんな覚悟はパンチ1発食らえば消えてなくなるでしょう。未経験ですから」

「なるほどね」


「しかし、こう見ると当たり前ですね」

 誰かが言った。

「どこが当たり前と思った?」

 安部が聞いた。一瞬質問者が緊張したので、安部は別に怒ってないから思ったまま言ってみろと促した。

「はい。鍛え方の方なんですけど、具体的なメニューを考えたら結局、普段練習でやっていることばかりだなって」


「そうなんです!素晴らしい!」

 世良が声を張って言った。


「ボクシングの練習ってのは、ボクシングを強くなるために先人が工夫したものですから、基本的にその練習をやっているのが一番だと思います。しかし、それで何故差が出来るかというと、練習によって得意、不得意、好き嫌いが出来るからです」

「本当にその通りです」

 安部が賛同した。それを受けて世良は続ける。


「これは得意だから良いというわけではないから難しい。例えば先ほどのランニング、何も知らない人が見たら水沢さんが一番いい練習しているように見えるでしょう。でも一番効果の無い練習していたのは水沢さんでした」

「そうなの?」

 誰かが言った。

「はい。800mの選手を目指すわけではありませんからね。あれは心肺機能を鍛えるのと、酸素が足りない状態の苦痛に慣れる練習です。だから800mを余裕で走っても意味がない。足の速い人は適度に負荷を上げる必要があります」

「だから水沢の設定タイムを上げた」

「そうです。逆に走るのが苦手な人は、3分を越えて無理やり800走る意味も無いとは言いませんが、こだわる必要もないでしょう。800は目安であって目的ではないので」

「質問いいですか?」

 一人が手を上げた。

「どうぞ」

「それなら800と定めず、3分全力で走って1分休むでもいいのでは?」

 何人かが頷いた。


「お前の質問が答えだよ」

 安倍が言う。

「そんなこと聞くってことは、800が嫌なんだろ?そう思ってるヤツが距離を定め無いと800より楽な練習になる。自分のペースでやるならシャドーと一緒だよ。距離と目標タイムを定められると人のペースで動かされることになる。こっちの方がキツい。キツい経験を重ねることが後々自信になる。そういう練習だ」

「なるほど」

 皆が納得した。安倍を恐れているなは相変わらずではあるが、これに関しては安倍の指導に裏付けがあることの驚きもあった。


「あっ」

 水沢が言った。

「だから安部さんは世良さんには『自信をつけるトレーニング』って言ったんですね。オレ達には『スタミナをつけるトレーニング』って言ってるのに」

「おう。良く分かったな。スタミナの方が分かりやすいが、世良さんみたいな人に伝えるにはそれじゃ曖昧だからな。実際、800でも心肺機能は鍛えられるがボクシングで使う心肺機能とは少し違う。あれの効果は苦しい中動き続けることに慣れること、そして動き続けられたという経験を得て自信に繋げることなんだ」

 そこまで話すと安部は一旦世良を見た。 おそらく、もっと話したいことはあるが、世良に気を使ったように見える。

「ありがとうございます。他に何か補足あります?」

 世良は意図を察して聞き出した。

「はい。ボクシングの練習ってのは結局スパーリングガンガンやるのが一番強くなります。でも先ほど世良さんが言った通り、スパーリングは体に負担が大きすぎる。だから、こういう別のアプローチで追い込むんです。それが時にはシゴキのように見えますけどね。脳にダメージを蓄積させるよりはマシだと思ってやってます」


 安部の言葉を聞いて、水沢はロードワーク後の疲労状態でのミット打ちを思い出していた。

「なるほど。ということは自分が今鍛えている押し合いに関しては・・・」

 水沢は意図を完全に理解したようだ。それを見て世良が言った。


「水沢さんが今やっているようなデッドリフトやベンチプレスで全身強化するのも一つの方法です。後は、ここで書きましたが相撲をやるのも一つの手ですね。ボクシングの練習なら、あえてインファイトでラフに押し合うような条件をつけたスパーリングとか、シンプルに大きなサンドバッッグを誰かに押さえてもらいながら全力でストレートパンチを打つってのも必要な筋肉を鍛えるのに効果的かと」


「理解しました。ありがとうございます」

 水沢が世良と安部に向かって言った。

 そして、次の言葉を探った。

 結局、安倍の練習で正しかったのだ。それを調子に乗ったり、反感を持って真剣にやらず効果を落としていたのは自分だ。やはり、世良と安倍に詫びを入れてパーソナルトレーニングは中断しジムワークに集中するべきだろう。しかし、今さら何と言ったものか。


「鍛え方は色々あるからな」

 口を開いたのは安倍だった。


「お前はしばらく今のトレーニング続けて見ろ」


 水沢は無言で深く頭を下げた。


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