16 行進訓練(田園風景と中休止)
稲葉軍曹率いる先遣隊は出発。
ホッと一息つける、休止点におけるお話です。
出発から既に3時間が経過している。
博人の分隊は駅前から続く市街地を抜け、一帯を田畑に囲まれた地域を通る国道を一定の速度でペダルを漕ぎながら、次の休止点に向かっていた。
4月も下旬、正午も過ぎれば、日差しもそよぐ風もどことなく暖かく、心地がいい。
土の香りがして、ふと周辺の田圃を見やると、農夫たちが田植え定規を転がして、水田表面に方眼の目を刻んでいた。
別の田圃では、方眼の目に足を突っ込み、腰を曲げて線の交点に苗を植え付ける農夫の姿がある。
そんな農夫に混じってちらほらと、少年たちの姿が見えた。小学生低学年くらいの小さな子供から高校生くらいまで年齢層は幅広い。
(そうか……そういう時期か)
今度の休止点は、そんな田園風景が見渡せる、古く寂れた神社の中にある公園だった。
周辺の農道に小阪兵長率いる三組を誘導員として配置し、博人は残りの分隊を連れて公園内を全周警戒隊形で索敵、安全化していく。
周辺には民間人もいるため、銃口は下げたままで公園と境内を巡っていく。
危険の無いことを確認し、博人は無線で誘導指揮の小阪兵長と教育隊本部にその旨を伝えた。
「三組は主力先頭を誘導したら、報告、分隊に戻れ。主力は中休止のため、分隊は主力先頭到着から30分後に出発する。各人、今のうちに食事をとっておけ」
しばしの休憩時間を設け、博人は周辺の田園風景を見渡す。
田植えの終わっていない土色と、田植えされた薄緑の境界線が、列を組んだ農夫と子供たちによって構成されている。
視点を変えると、農道の土手に腰掛けて昼食をとっているグループもあった。
そんな風景を見ながら、博人はここまでの経路上で感じた違和感に納得した。
ここに来るまでの休止点の一つに小学校があったが、そこには子供が誰一人いなかった。経路上から見えた中学校も、人の気配がなく閑散としていた。
4月も終わりを迎えるこの時期が、この地域の田植えシーズンのようだ。
この国には、富国強兵における方針の重要項目の一つに「食料自給率の向上」がある。
政府は段階的に農業従事者人口を増やし、その基礎を作る目的で義務教育での農業体験が必修となっている。
それに便乗して市町村や教育委員会が指定期間や制度を設けて、だいたいこの時期になると稲作農家の密集する地域は学校が休校になり、子供たちは実家や地域の田植えに駆り出される。田畑の少ない地域では、人手不足な農村に手伝いにいかせることもある。
今となっては、子供が田畑で土にまみれ土をいじるのは、この国では当たり前の風景だった。
自動車が全盛だった頃なら、田植え用の農耕機械で農夫たちだけでどうにでもなったが、燃料統制でガソリンが手には入らない現在では手作業が当たり前になっている。 一部の農家ではソーラー発電や蓄電池で動く農業機械を使っているが、製作コストや発電コストの問題から一部の豪農が持っているくらいであまり広まってはいない。
博人も子供の頃は田植えと稲刈りシーズンには、祖父の田圃や近所の農家の手伝いに行ったものだ。
小学生の頃なら、勉強が嫌いで学校が休みになると喜んだものだが、軍籍を志した中学以降はトレーニングだと思いながらも、将来の下士官試験のためにもっと勉強したいと思ったものだ。
ちなみに博人の同級生たちはといえば、農家の跡取りのような使命感の高い者を除けば、遊びたい盛りやお洒落したい年頃になると、土まみれでほぼボランティアなこの期間は、文句と不満が飛び交った。
そんな思春期時代を過ごし、中学を卒業した博人は地元の進学校を受験したのだが、陸軍を志す博人と違い、高い学歴で都会にでて農業と縁のない生活をしたい学友たちとの熾烈な受験戦争に発展したのは言うまでもない。学業重視で農業実習がないのも競争率に拍車をかけていたが。
そんな過去を回想しながら、博人は公園入り口付近に背嚢を下ろし、周辺警戒は分隊員たちに交代で任せて食事をとる。
フスマとオカラ、米糠を原料に造られた糖液を練り込んで造られた、出来損ないのソフトクッキーのような携帯口糧をかじり、ボソボソとした食感のそれを水筒の水で流し込む。
栄養価が高く、腹持ちも良く、お菓子のように手軽に食べられるのだが、美味しいものではない。
しばらくすると、小阪兵長から無線で教育隊主力先頭の到着の知らせが届いた。
「了解。誘導しつつ、こちらに合流せよ。なお、先遣隊出発は1335とする」
『了解』
無線通話を終えると、博人は数人の農夫と子供たちがこちらに近づいてくるのを確認した。
「どうもお勤めご苦労様でございます」
グループの中でもとくに年配な初老の男性が、博人に深々と礼をした。
男性によると、田植えの休憩をこの公園と境内で過ごしたいらしい。
「わかりました。もうすぐここには、中隊規模の部隊がきますので、あちらの隅でよろしいですか?」
「はい。どうもありがとうございます」
男性はまた深々と頭を下げ、博人に礼を述べると、一行を連れて指定された場所に茣蓙を広げて、弁当を囲み始めた。
地域にもよるだろうが、農家の人間は兵隊に対してこちらが申し訳なるほどに腰を低く接してくる。
農本思想に基づいたこの国の教育と社会制度の賜物といえるのだろうか、「国家の富の財源は農業にあり」という理念の下に、農業従事者は社会保証や税制面での優遇がされるなど、社会的に高い身分を保証されている。彼らは土着して作物を育て、食料自給率という国の生命線を左右する存在だからだ。
政府は半世紀も前から、燃料枯渇で輸入コストが高騰していくのを受けて、海外から食物の輸入を段階的に制限してきた。
同時に勤労農村制度や農業従事者や第一次産業従事者の優遇措置を実施し、強制的にかつ段階的な食料自給率向上に一定の成果を上げてきた。
それによって、輸入食料への依存を局限し、自国内での地産地消を推進、国際競争から脱却した自己完結国家への道を歩み始めた。
しかし、そんな国家を支える実質社会的最高位にあたるべき職業農夫たちには、もっぱらの不安があった。
彼らは財産であり生命線である田畑という土地から、容易に離れられない。
彼らは自らの土地が、戦火や災害晒され、大規模なテロや犯罪に巻き込まれることを非常に恐れているのだ。
そんな彼らの平穏を守り、非常時の安全確保や救命が出来るのは、“軍隊”という組織しかあり得ない。
そんな彼らにとって、自分たちの土地を含めて国土を防衛する使命を持った軍隊は、守護神以外の何者でもなく、兵士に対して腰が低くなるのも当然といえた。
ちなみに、商売人や職人は土着する必要はないし、蓄えた財産を持ち、仕入れや製作した商品を売り歩き、持っている技術を売りにして、いくらでもって河岸を変えられるうえに、海外に脱出も出来る。そんな彼らは直線的な商売相手(客)でない限り、軍人には冷たいところがあった。
教育隊主力の誘導が完了し、教育隊銀輪係と次の経路についての再確認と調整を終えた博人は、分隊を掌握させた小阪兵長から報告を受けた。
「副分隊長以下9名、人員、武器、装具、銀輪車異常なし。健康状態、鈴木懲罰兵が両大腿部筋肉痛、処置済みで行進に影響なし。その他、健康状態異常なし。なお、全員食事は終了しております」
命じなくても細部を把握する有能な副官に、博人は感心しながら分隊に指示を出した。
「分隊は予定通りの時間に現在地を出発する。1分前には道路上に隊形をとれ。……鈴木、いけるか?」
「衛生兵から鎮痛剤をもらいました。平気です」
「よし。時間まで引き続き待機。脚をしっかりほぐしとけ」
「「了解」」
出発時間まで、まだ10分あった。
博人は再度地図を見やる。
経路はまだ3行程(約40Km)が終わったところだ。
視線を周囲に移すと、筋肉痛や疲労を訴える懲罰新兵たちがチラホラと見え、博人は溜め息が出る。
ここまではまだ平坦な道だからいいが、残る距離約160Kmの途中には、自転車を押して登るような山道も待っている。
目的地到着は、深夜になる予定だ。疲労で眠くなる上に、視界の悪さから事故の危険も考慮し、速度も落とさざるを得ない。
博人の分隊は慣れているからいいが、つい先月まで一般人だった懲罰新兵は大丈夫だろうか?
(まあ、本意も不本意も限らず、誰でも通る道か。せめて、経路の安全だけは確保してやらんとな)
博人は自身が新兵だった頃を思い出し、なんとかなる……はずと結論づけて、地図上の経路にまた目を移したのだった。
用語の解説
・フスマ=小麦の籾と粒の間、米で言うところのヌカに該当する部分。栄養価は高いが、味はイマイチ。よしたに氏の著書「僕の体はツーアウト4」によると、これで造られたフスマパンは、ボソボソの食感でプレーンタイプは新聞紙を食ってるみたい……とか。
・米糠を原料に造られた糖液=現在では安い日本酒の原料等にも使われ、そうしてできた酒は“米が原料だから純米酒”として扱われるとか? 本作の携帯口糧では、甘味付けとして使われている。ちなみに米糠は栄養価が高く、明治期は脚気予防に注目を浴びた。
・オカラ=説明はいらないよね? 食品に転用の他、飼料や肥料など利用されているけど、実際殆どが産業廃棄物で棄てられちゃう。美味しいのに。
「国家の富の財源は農業にあり」
金があっても、食物がなければ人は生きていけないよ? 改めて、農家の人には感謝の心を。
ちなみに現在の日本の食料自給率は40%そこそこ。なのに飽食の時代って……この作品読んで、少しは考えてもらえると嬉しいです。




