或いは、一つの奇跡
戸籍がないのは十分におかしな事だろ。
心の中で愚痴りながら三人で帰路につき、電車に乗った。山の中で過ごした筈の時間は現実とは違うらしい。携帯で確認したところ、経過した時間は二日ちょっとの真夜中だ。これは奇跡的に動いていた最後の電車。
死装束の乗車なんて一歩間違えれば幽霊か何かと見間違われそうだが、幸いこの電車に乗客はいない。俺と明衣と千夜さんの三人だけなら、共に因習を生き残った者たちとして何の違和感もない。
「こ、これは…………電車ですか?」
「流石に知ってるんだねっ!」
「陛太から……話を聞いておりました。合っていますか?」
「電車を合ってるかどうかなんて聞かれたのは初めてですけど、合ってますよ。こりゃ大変だな。未就学児に物を教えるようなものか……」
「だそうだから、千夜ちゃん! うちの助手の事は知育教材だと思ってくれていいよ! 何でも聞いたら答えてくれるから!」
「……こいつの言い方はムカつくけど、あんな村に居てまともに馴染めるとも思ってないんで助けますよ。ただその、本当に教材扱いはやめてくださいね。俺はこいつの助手なもんで、常識は教えられるけど自分が常識的な行動を取るとは限りません。そこは全部こいつが悪いので、幾ら恩人でも注意してほしいですね。それが知育教材からの最初の教えです」
「彩霧様は危ない人でいらっしゃるのですか?」
「名探偵の行く所に事件ありと考えるとあながち嘘じゃないねっ。でもこの世に安全な人なんているのかな? NGを踏ませれば誰だって殺せちゃうのに」
「その……えぬじいというのは? 申し訳ございません。陛太からも聞いたことがなく」
「聞かないのは当然ですよ。NGは本来人に教えてはいけない死亡条件ですからね。家族にも教えるべきじゃない……あー、村ではNGなんて呼ばれてなかったんですね。だとしたら破ったら死ぬ決まりがNGです」
「……破ったら死ぬ」
本当は教えるべきじゃなくても教えないと成り立たないのが人間関係だ。うっかり相手のNGを破らせたなんて洒落にならない。だからもし千夜さんが俺の家で保護出来るならその時教えてもらうが、それまではなんとしても死守してもらわないと。
「NGは村でも話を聞きませんでしたね。全く正しい挙動です。無闇にNGを明かしちゃダメだし、人に聞くのもダメですよ。聞くのは貴方を殺したいって予告してるようなもんですから」
「千夜ちゃんの村は平気で人を殺せちゃったけど、外じゃそれは許されないよ! まあでも、NGで死んだ場合は別なんだけどね! 殺人っていう犯罪の要件を満たせないから!」
箱入り娘を飛び越して本当に赤子に物を教えてるみたいだ。彼女はずっと釈然としない表情で曖昧に頷いている。後でまたゆっくり時間を取ろう。これは命に関わる事だから。
電車は俺達も気づかない間に動き出しており、時間が経てばそのうち着くだろう。時間帯が時間帯だから、この際細かい注文はつけない。俺達の町に帰還出来たらそれでいい。学校は勝手にすっぽかしたがその間クラスメイトは平和に過ごせた筈だ。また厄災を持ってきたのは申し訳ないと思うが、明衣のNGが判明しない以上、殺害は不可能だ。
「電車は、揺れるのですね。落ち着きません……」
「ジェネレーション……違うな。明衣。こういうのはなんて言うべきだ?」
「えー。知育教材がわかんないなら私もわかんないばぶー。おぎゃーおぎゃー」
「てめえ今すぐ降りろ。その窓から降りろ。誰がてめえの知育教材だよ」
窓を開けて明衣を放り投げようとするも、手すりに捕まって動かない。必死さは全く感じられず、むしろ顔の表面を過ぎる風を気持ちよさそうに浴びていた。時間の無駄だと思い直し、窓は閉めた。
明衣を挟んだまま。
「よ、よろしいのですか?」
「あ、気にしないで! 助手なりの愛情表現みたいな物だからっ、うふふ♪」
「よろしくないけど、アイツなら気にしないでください。愛情なんてこれっぽっちもないですからね」
「……よく分かりません」
押し上げ窓に挟まれ足をばたつかせながらはしゃぐ明衣と、露骨に加害性を見せる俺の関係が千夜さんには理解出来ないらしい。話は単純で、『嫌い』だ。
「郷矢様が彩霧様を好いていらっしゃらない事は分かります。しかしどうも私には、不可解な信頼……信用? のようなものが、あるような、ないような」
「……明衣の方は?」
「それは」
「千夜ちゃん。同じ女の子だからって人の気持ちを軽々見透かすのはやめようね」
その真意が、俺にはわからない。窓の外、景色の暗闇に隠されて探偵の顔は見えなかったから。
「名探偵はミステリアスなくらいが丁度いいと思わない? 人の謎は解き明かすくせに自分がいつまでも未解決だったら魅力的なだよねっ!」
「誰が探偵の謎を解き明かす?」
「筆頭助手にその可能性があるとは言われてるよ。でも探偵の謎に挑む前に、気付いたかな? この電車が、時刻表にない運行をしてるって」
「え?」
「それの何がおかしいのですか?」
「時刻表にない運転なんてあり得ないんですよ。これは仕事ですからね」
電車が来たので最終ダイアだとばかり思っていた。時刻表なんて確認するわけない。二時間も真夜中に歩いていたら精神的にへとへとだ。
運転席に向かうと、異常は火を見るより明らか、運転手がいない。電車が勝手に動いている、ライトも出さず、行き先も伝えず。
「いやーさあ! ずっと景色を見てておかしいとは思ってたんだ。この辺電信柱があった筈だから私の身体が千切れる筈なのに、なくなってたし!」
「……俺たちは帰りの電車に乗ったんじゃなくて、何か違う物に乗ったのか? オカルト的な、何か」
「ひょっとしたら千夜ちゃんが死装束だから勘違いされたのかもねー。まあまあ、丁度あの村は味気なくて困ってたんだ。目立たなかったら普通に過ごせちゃうし」
「……お前まさか、知ってて乗ったのか!?」
「んふふ、冒険はまだ終わらないよ! いざ異界!」
電車が止まったのは……いや、もういい。体感的な時間なんて何の意味もない。もしここが現実世界なら深夜三時頃だ。普段から悪夢にうなされると言っても流石に眠くなる。
「うーん。ちょっとまずいかも、乃絃君、今日は外出ない方がいいかも。とりあえず朝になるの待とっか」
明衣は挟まれるのをやめると、しっかり窓を下ろしてロックをかけた。
「まずいのはお前の倫理観とスタミナの方だよ。一言この電車がおかしいって言ってくれたらこんな事には」
「うんうん。ずっと外を眺めてたんだけどあんまり会話とか出来なさそうな存在が見えたから、出るべきじゃないよ」
「人の話を聞けよ!」
「今日はここで寝るという事ですか?」
当然だが布団など存在しない。座席に横になるしかないだろう。柔らかいかもしれないが、電車は寝る場所じゃない。早く家に帰らせてくれ。
「……ああもう、何でもいいよもうわかった。じゃあ寝よう。俺は向こうの座席で寝るから二人はそっちな。じゃあおやすみ」
眠い時にこんなクソバカアホマヌケの相手なんてしていられない。適当に会話を切り上げて赤いシートの上に横たわる。風呂にも入れないし夜食も食べられないし散々だ。明衣の思いつきにいつも振り回されるのは俺で、俺以外誰も関わっちゃいけなくて。俺以外苦労しない方が良くて。
嫌いだ。クソ野郎が。




