されど僕は誰とも離れられない
「イジめられ……てた? 先輩が?」
「イジめられるような性格に見えないか? まあ、今はそうだろうな。実際当時の俺に聞いてもあれはイジメじゃないって言っただろう。お前にも教える訳にはいかないが、俺にも勿論NGがある。そのNGはな、とても重たいんだ。NGを破らない為にも俺はみんなと一緒に居ないといけなかった。一緒に行動したかった。その為なら多少何をされても動じるべきじゃなかったんだよ」
「…………そ、そうしないと守れない?」
「ただ生きるだけなら必要ないけど、それは本当に生きてるのか? 朝起きてご飯を食べて寝るだけの生活は充実していると言えるか? 難しい話は何にもない。子供の頃、少なくとも俺にとっては学校と家の中が世界の全てだった。その内一つを完全に切り捨てるような真似、したくないに決まってる」
NGを望んで生まれた訳じゃない。こんな物を望む人間が何処に居る。日入のNGは分からないが、彼女も望んで限定条件など持ちたかった筈はない。
イジメが嫌なら離れればいい。だが離れてしまったら死ぬ。家族が居るから世の中そう極端に結果は変わらない。しかし、確実なリスクは存在する。可能性がゼロでないならいつかは踏んでしまうだろう。そして、踏んだら最期、待ったはない。俺は死ぬ。
「イジメ、とは言ったがお前が受けたような暴力でもなければそれ自体が命の危機に関わるものでもない。トイレの時に置き去りにされるとか、水をかけられるとか、後ろから蹴られる、物を盗まれる、鬼ごっこは決まって鬼にされる、かくれんぼをしたら絶対に見つけに来ない、悪戯に関わってもないのに主犯にされるとかか。今思い出したのはそのくらいだな」
「た、大変じゃないですか! も、物事の大小で判定するのは良くないと思います……せ、先輩は……どうしてイジメられてたんですか? NGを守る為は分かりますけど、なんか失敗したとか……」
「失敗……失敗か。しいて言えば死にたくなかったくらいだな。俺のNGは意識して守らないと何処かで破る可能性が高いんだ。だからしつこかった。友達の距離感ってのは個人差があるだろうけど、必要以上に接近してくる奴って……正直、気持ち悪いだろ」
「な、仲が良かったら多少は……」
「顔見知り程度でもやるか?」
「それは…………」
「家族のNGを当然知ってる。俺だけが何でこんな重いんだって子供ながらに泣いたよ。死にたくなかった。死なんて考えるような年齢でもないのに、人と少し距離が離れるだけで背中に感じるんだ。今にもルールを破った俺を殺そうとする刃がぴったり張り付いているんだよ。控えめに言って昔の俺に手段を選ぶ暇はなかった。とにかく人目を惹きたくて、色々な事をした。馬鹿をやった。笑われようと構わなかった。とにかく注目されていればどうにかなると信じて、ただそれだけを徹底した。こんな陰気になる前はこれでもクラスじゃ明るい方だったんだぞ」
「…………」
何をされても受け入れれば、みんなもきっと受け入れてくれる。目には目をとも魚心あれば水心とも言うが、そんなことわざを知らないような時から俺の考えは一貫していた。自分は敵じゃないと相手に示せばいつか分かってくれる。分かってくれたら手を繋いでくれる。友達になってくれる。
「駄目だったんですか……?」
「ある時までは駄目じゃなかったさ。上手くやってると思ってたから俺も続けてた。ところが、好きでもない奴にべたべたされるのは相当ストレスだったらしい。NGを破らないために従順だった俺を何とか痛い目見せようと、ある事をさせようとした。俺はNGの内容を教えてなかったから嫌がらせのつもりだったんだろうが、そいつはピンポイントで破らざるを得ないものだったんだ。分かるだろ。NGは知られたらおしまいだ」
破ると駄目なのに破らざるを得ない。そしてそれを説明すれば命の手綱を握られたも同然である。日入の顔色が徐々に蒼くなっていく。NGで人を殺してしまったからこそ、俺の言いたい事は分かるだろう。自分がやってしまった事を他人にされるリスクがある。そこに実感が伴うならこれ以上の説明は要らない。
「…………結果はご覧の通り、俺は助かってるけどな。それからはいつ殺されるか分からないまま、付き合いの距離感を見極めるようになったよ。ただ、とにかく機会は逃さなかった。グループを作るような必要があったら先に声を掛けるとかな。誰かと話すようにしてた。間違っても誰も口を利いてくれない状況だけは作らないように」
「…………せ、先輩は。みんなの事、恨んでますか?」
「恨む? 恨まれてる可能性はあると思うな。生き残ったのは俺だけだ。俺は死人を恨んだりしない。当時は生きる事に精一杯で、そんな事を考える余裕もなかった。それに恨むと言っても……昔の俺が鬱陶しかったのは事実だ」
時計を見遣ると、もうすぐ授業が始まりそうだ。ここはあまり人が寄らないから先に帰ると言ったような真似は出来ない。日入についてきた貰う方が安全だ。気持ち的には、今すぐ逃げ出してしまいけれど。
「お前の苦しさを軽視する訳じゃないが、まだお前はこうならなくて済むんだ。出来れば元気を出してくれ―――よく考えたらこんな暗い話で元気なんて出ないな。済まない。楽しい思い出がないんだ。あったとしても思い出せない」
「い、いえ。先輩は…………自分が思ってる程酷くはないっていうのと……そ、そんな話をしてくれたのはきっと私を信用してくれてるからで……それが分かっただけで、嬉しいです……!」
「俺が優しいっていうのは改めた方がいい。俺はただ責任を取ってるだけだ……ああ、そうそう。そんな風に笑顔を見せてくれると、俺も安心出来る」
少しでも元気になってくれたなら、自分のクソミソな過去を掘り返した価値がある。日入の元気には代えられない。
バスケ部に顔を出したのは、放課後直ぐの事だった。
明衣は何か理由があるらしいので遅れてくるらしい。幸い、部活が始まろうかという人の流れに乗じればアイツが居なくても移動は可能だ。難儀する所と言えば一度舌が最期、昇降口から体育館までの通路に人が居る保証はないので身動きが取れなくなるという事くらいか。
練習をしている全員が知らない。俺の命を握っている事なんて。
「…………」
調査の為に来たが、極力邪魔をしないように動くつもりなので練習内容次第で動きを変えないといけない。例を挙げるなら試合前の準備運動や走り込みなど、体育館全体を使うような動きの際に地窓を調べる事は出来ないだろう。今はキャットウォークの方へ移動して、窓から外を眺めている。
「………………」
地窓と違って、ここからなら不審者の姿を一望出来るか。幾ら背が高くても関係ない。体育館よりデカい存在ならばいざ知らず、そんな奴は怪異確定な上に二階から目撃証言があるだろうから。しかし女子の部活動に男子が紛れているのはやはり当事者達から見れば異物なのだろう。先程から視線を感じている。というかたまに目が合っている。明衣が居ないと気まずい瞬間は数少ないと思われたが、これからも似たようなシチュエーションなら同様の感情を抱くのだろう。そう思うと途端に憂鬱になって調査を打ち切りたくなる。
ステージ横の倉庫に身を隠すと、以前に調べた窓に改めて触ってみた。何か見つけた訳じゃない。ただ、なんとなく。
「―――あん?」
ふと窓から奥の景色に目を移すと、明衣が有刺鉄線越しに何か作業をしている様子。持っている道具からして痕跡を探っているのだとは思う。あれは警察の鑑識から強奪した道具だ。やりたい事とはそれだったか。
声を掛けるべきか逡巡していると、ちょんちょんと肩をつつかれて振り返ってしまう。ユニフォームを着た朱砂野真千子が不安そうな表情で胸の前に拳を作っていた。
「ご、郷矢先輩! 調査お疲れ様です! その……進展は?」
「……練習の合間に聞く事じゃないだろ。帰る時に聞いてくれ」
「身が入らないんですっ。だって、その。えっと。夜に電話がかかってこなくなったんです! その代わり、昨日―――やだ、怖い! いやあああああ!」
「ちょ。おいおい」
思い出すだけで錯乱するなんて、中々見られない状況だ。あまり人の顔を見たくはないが、目の下にうっすらとクマが見えている。よく眠れなかった事は間違いない。練習と進捗を聞くのと錯乱と、優先順位がごちゃごちゃになっている所から、精神的に参っているとみた。
どうすればいいか、さっぱり見当がつかない。
抱きつかれてしまったけれど、とりあえずノータッチで。
―――何かあったのが確実なのは、いいんだけどな。
何やら、気を抜けるような雰囲気でもなくなってきた気もしている。




