明衣神探偵の後追い事件簿
「…………ここが死体の目撃場所か」
「占い師、やっぱり凄い」
「いや、単に死体が騒がしくしたんだろ。それにしてもこんな……居酒屋の裏口かー」
口調が乱暴なだけで至って親切だった占い師によって導かれたのは商店街でもまずまずの客足のある居酒屋だ。現在も営業中で表に出ればそこそこの喧騒が聞こえてくる。裏口からも聞こえない事はないが建物が縦長で営業スペースが前方に収まっているせいか実際よりも小さく聞こえる。
「ここなら沢山の人に見つかるのも分かる様な気がするな。裏口だけど、この居酒屋に通おうとするならここは十分表の通りからも視える範囲だ。それに裏口なら店員が気づく可能性もある。騒ぎになれば人も集まるな。周囲に人が居ても不自然じゃない場所で死体が見つかった。これは重要だぞ」
「どうして」
「墓地の端っことか誰も知らない神社の中とか、故意に人を集めなきゃ集まらないような場所だったら何か意図があると思うだろ。別に何処で見つかってもNGを踏まされたかそう視えるように誰かが隠したかってのはハッキリしないが、大切なのは状況だよ」
「状況……」
「全然人が居ない場所で殺したら隠すのなんて簡単だ。NGで殺したなら勝手に消える。目撃されようがない……何処のどの場所でも可能性としてどちらも排除出来ないなら考え方が違う。いずれにしても犯人は、死体を目撃させたかったんだよ。それもある程度タイミングを操作出来るようにしたかった筈だ」
ただ見せるだけなら商店街の大通りで同じ事をすればいい。十中八九捕まると思うので、タイミングを操作したい理由は単に自分が逃げる時間を稼ぐ為だろう。まだ詳しく現場を見た訳じゃないので、最初の所見はこんな所か。
「遥。調査開始だ。気になる事があったら呼んでくれ」
「…………ふふ」
「いや、面白い事は言ってないけど」
「明衣さんも、案外素直に面白がってたりして」
笑えない冗談を『妹』から言われた時、兄はとても反応に困る。悪態を吐こうにも可愛い妹にそんな真似はしたくない。いつも寝相で散々首を絞めているせいで負い目がある。反応しないまま話を勧めようとすると遥は腕を掴んできて、それすら許してくれない。
どうしても反応が欲しいようだ。
「…………明衣が楽しくても、俺が楽しい訳じゃないからな」
「―――ふふ。探すのはこの辺でいい?」
「取り敢えず現場を調べたいよな。裏口から居酒屋には直に入るなよ。お互い未成年だから話がややこしくなる」
気を取り直して、調査開始だ。
足元をライトで照らして血痕が残っていないかを確認。警察は明衣の存在を見て他の目撃者を怒ったらしいからろくに現場検証も証拠の確保もしていないと思われる。この国の警察は優秀かもしれないが明衣が絡むと途端にゴミだ。警察内でアイツには関わるなという圧力が動いているのは間違いない。
NGで死んでいるなら死体があった痕跡など存在しようもなく、死体が存在しないなら殺人事件は成立しない。傷害事件は自傷なり事故なりで偽装する事は可能だが死は『ある』か『ない』かだ。死体のフリなんて簡単にバレるから殆ど意味をなさない。どころか警察に通報しておいてそんな真似をするなら逆になにかしらの罪で逮捕される筈だ。公務執行妨害? 虚偽告訴? その辺りは詳しくないが。
「…………やっぱり、何もな。ん?」
換気扇の足元に何かが落ちている。地面に膝をついて手を伸ばせば届くだろうか。横からライトを入れても良く分からない。この手の機器の隙間は例外なく汚れ塗れで虫の跋扈する状態だ。手を滑り込ませるだけなのにこの不快感。中に苔が生えているようだ。
「うぅ……気持ち悪いなあ」
だが手に金属の感触が触れた。それを取って手の汚れをズボンで叩く。俺が入手したのは鍵だ。平たくて小さな鍵。扉の鍵には思えないから、もっと何か別の小さな入れ物だろう。どうしてこんな所にあるかは分からない。普通に考えれば居酒屋の落とし物だ。
「兄。これ見て」
「見つけたか?」
遥の声に応じて向かいの住居とここを隔てる壁の隙間にライトを当てる。ガラス片が中に散乱しており、それは酒瓶の物だろうという事が直ぐに分かった。裏口にはゴミ箱があって、空になった酒瓶が袋に纏められたまま壁に立てかけられていたからだ。近くに他の硝子製品が無い事も考慮するとこれで間違いない。
「血痕がついてたりしたら話は早いんだが、見えるか?」
「うーん分からない……ていうか手が届かない」
遥は懸命に腕を伸ばしているが、肩まで入ったとしてもその胸のせいで体は入りようもない。期待するだけ無駄なのは明らかだったが、「あと少しで取れる」と言って聞かない彼女にそれを言うのも野暮な気がして、ずっと眺めている。
「やあ不審者兄妹。公園で遊んでるかと思えば今度はゴミ漁りとは感心しねえなあ」
「!?」
上の方から声がして、何事かと見上げると隣の低層ビルの鉄骨階段から鬼姫さんが降りようとしている所だった。一つ上の踊り場の手すりに腕を置いて俺達を見下ろしている。
「鬼姫さん!」
「また会う前提だったな、郷矢君よお。事実また会えちまったし、生きててくれて嬉しいぜ私は」
スーツを着てネクタイを締める彼女は一般的な社会人にしか見えないが、初めて会った時と違って煙草も吸っていなければ服装にも一切の乱れがない。第一印象が見た目に反した粗野な女性だっただけに少し意外で、本当に同一人物かと脳が理解を拒んだ。
遥はいつも通り、他人が来たので口を閉ざす。鬼姫さんは手すりから身を乗り出すと、俺の目の前まで軽々と跳躍してみせた。
「で、何してるんだ? こんな所で。まさか公園みたいに遊んでたとは言わねえだろ」
「実は昨日、ここで死体が見つかったって話を聞いたから調べてたんです。そのNGで死んでたって話を聞いて、貴方が言ってたNG殺人かなって。でも学生じゃないから良く分からなくて……」
「成程な。言いたい事は分かるぜ。気になるのは……パンピーのお前がどうしてそんな事してるのかって事だな。や、興味本位で調べるってのも理由としてはいいんだぜ? ただ、そんな奴には見えねえ。何でだ?」
「…………」
明衣の事を教えるべきか悩む。
こちらから聞きたい事は沢山あるが、先に仕掛けてきたのは向こうだ。質問に質問を重ねるのは人付き合いとして失礼だし、まるで後ろめたい事があるみたいに捉えられるのは本意じゃない。鬼姫さんは出会ったばかりで信用も何もなにが、明衣の事…………いやあ。
信じるとか信じないとかではない。NGについて意欲的に調べる姿勢があるこの人にあの性悪女の存在を教えたらどうなる? 関わろうとしない? いいや、そんな人には見えない。明衣について調べようとする筈だ。アイツは探偵の癖に探られるのを嫌がるから、鬼姫さんをNGで殺そうとするのでは?
『私以外にNGについて調べようとする人がいたんだねーびっくり』
とか何とか言って。
「…………ッ」
奥歯を噛みしめる力はやがて限界を迎えそうだ。言い出しにくい。騙したい訳でもないのに真実を説明出来ない。明衣に一度狙われたらどうやって助ければいいのだろう。これは不本意にも長い付き合いになってしまった俺の勘だが―――明確に敵意を持った明衣からは絶対に逃げられない。
「き、鬼姫さん。一つ聞きたいんですけど……質問に質問するのは悪いと思ってます。でもこれを聞かないと説明したくても出来ないんです」
「おう。何だ?」
「この世に存在するどんな悪人よりも性質の悪いクソ女につけ回されても……自己責任っていうか。俺もサポートしたいですけど、自分の命が危なくなりそうなんで。貴方みたいな人は初めてだから」
「ほう。訳ありみたいだな? よし分かった、君の手は煩わせないよ。私も君の事は良く知らないが、そこまで人を悪し様に言うような人間じゃないとは理解してる。そんな君にそこまで言わせる女は、一体どんなクソ女かな? 私も大概その認識だが」
「俺は煙草吸ってるからクソだとか口調が荒っぽいからクソだとかそんな事は言わないです。マジで性格がゴミクズなので言ってます。俺の知り合いに彩霧明衣っていう、自分を名探偵と自負して憚らない正真正銘のゴミ女が居て―――」
もう後には引けない。
明衣の悪口を言えると分かったら堰を切ったように語りだせた。鬼姫さんは黙って相槌も打たずにそれを聞いている。こうなってしまったら信用を得るのが大事だ。彼女の質問のターンが終わったら今度はこっち。NG殺人について詳しく教えてもらおう。それ次第で、もしかしたら今回俺達が調べようとしていた事の正体も分かるかもしれない。
「―――本当にアイツときたら産業廃棄物を煮詰めたみたいな性格のゴミで、俺が裁判官だったら更生の余地として即刻死刑を言い渡すくらいの異常者で、天は二物を与えなくても毒物は好きなだけ与えたみたいな生命神秘のエラーみたいな女で……」
「……ああ、郷矢君。ちょっといいか?」
「はい?」
「君が滅茶苦茶嫌ってるのは分かったが、あれだな。悪口を言い慣れてないだろ。心底嫌いなのに罵倒になれてないから精一杯貶してるって感じがする。ちょっと萌えてくるからやめろ」
―――――――はい?




