明衣晰夢の此方彼方
「…………ここは」
また夢の中。もういい加減にしてくれ。今度の夢は意識こそ確かなのはいつも通りとして景色がおかしい。人物の殆どは影のように黒く塗られており、俺だけが唯一顔を持つ人間だった。いや、そんな筈がないと言おうにも、真っ先に目についたのは明衣の姿。彼女もまた影になっており、髪の毛先から足のつま先までもれなく真っ黒だ。
「ねえ、乃絃君。みんなの顔忘れちゃった? 貴方が殺したくて仕方なかったような人達だよ。どう? その顔は見える?」
「お前の顔も見えないから、殺したくて仕方ないのは当たってるかもな。という訳で死んでくれ、明衣」
「オッケー。じゃあ殺すね」
影の明衣は黒いナイフを取り出すと自らの喉を掻き切ってその場に倒れた。首を切り裂いて出る液体すらも黒く、だがそれは影からみればきちんと血に見えるようだ。和気藹々としていたグループに突如とした惨劇が襲い掛かる。首の千切れた明衣は生首のまま俺の足元に転がってくると、残念そうに溜息を吐いた。
「あーあ、行っちゃった。自分のNGも分からないの? そんな事したら死ぬのは貴方なのにさ」
「頼むから夢の中まで毎度毎度出てくるのは勘弁してくれよ。いつもいつも遥を殺しかけてる俺の気持ちにもなってみろ! ああ!? お前なんかよりアイツの命は大切なんだよ! 出てくんな、まだお前を殺す瞬間がないんだ!」
「命って不平等だよね。見せかけの平等には人ぞれぞれの価値がある。それは社会的地位や性別など関係なしに誰かにある。自分さえ良ければいいという人も、それは自分に対して重きを置いているだけ。何も悪い事じゃないよ、それがあるべき姿なんだから。でも乃絃は無理だよね、そういうの」
「何だと……?」
「貴方のNGは不平等性を認めない。人間ってね、自分を大切にしない人からは離れていくんだよ。それが早いか遅いかの違いというだけで、居心地のいい場所を探すのが生き物の定め。貴方は誰かを特別に出来ない。切り捨てられない。いつか切り捨てた人が離れてしまえば、もう止められない。倍々ゲームに人が離れていけば、もうだーれも傍には居てくれない!」
「…………」
「貴方の傍には、誰も居なくなっちゃったね」
明衣の生首を踏み潰して、周囲を見て回る。楽し奧な笑い声が何処か遠くから聞こえるものの、どちらへ進もうとも近づく事はない。子供たちの喧騒が、或いは俺を嘲笑しているようだ。
「…………笑うなよ」
俺が不愉快だから。
「笑うなって!」
俺の知らない所で。
「何でそんなに……楽しそうなんだよおおおおおおおおおおお!」
俺も仲間に入れてくれ。悲痛な願いは届かず、身体が崩れていく。走り出した次の瞬間には足元が崩れて、身体が倒れ込んだ。足先が腐ったのだ。腐食は瞬く間に進んで腰から先を蝕んでいく。神経が死んで何も感じない。
「私を殺したいんだっけ?」
目の前を横切って現れたのは、シルエット状態から脱した彩霧明衣の姿。
「だったらまずは思い出してみようよ。自分がどんな奴だったか。大丈夫、私はどんな乃絃君もだーいすきだよ♡」
「…………兄。兄」
「う…………うう」
「離してくれないと動けない。お腹苦しい」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う…………」
「う…………ちょっと、本当に、やめてッ!」
『妹』から後頭突きを食らって、俺の意識はようやく現実世界に帰って来た。自分でも異常だと分かるくらい体温は上がって、発汗している。遥を守るように離れると、先程まで見ていた夢が夢であった事に安堵した。毎度悪夢に悩まされなければ分からないだろうこの気持ちは。夢だと分かっていても、見ている最中は現実と相違ない。夢だと分かっているのに。
夢だと思い込みたいだけなんじゃないかって。
「……新しいパターン。寝相悪すぎだから」
「ごめん。したくてしてる訳じゃない……本当に命の危険がありそうだから嫌ならいつでも部屋を変えるんだぞ。多分家の中だったら多少離れても大丈夫……とも言い切れないけど」
「じゃあ駄目。昨日の夜に別れて朝起きたら兄が死んでたなんて事になったら…………私も死ぬから」
「は。は!?」
今度は遥の方から距離を詰めてくる。俺は壁に背中をつけているのでこれ以上逃げられない。あんな事をした手前法律とか無関係に何を仕返しされても文句を言う筋合いはないと思っていたが、彼女から来た反応はいずれの暴力も該当せず、抱擁だった。
覆い被さるように膝立ちになって、その胸で顔全体を包んで。
「兄妹は一心同体。特に私はNGを兄だけに絞ってる」
「…………」
「どんな目に遭っても、兄が死ぬよりいいから。傍に居させて」
物理的に口を開けない状況はさておき、『妹』の細やかな願いにノーを突き付ける事は出来なかった。単にいつか幸せになって欲しいからでもあるが、やっぱりさっきまで見ていた夢を覚えていて―――恐ろしくなったから。
そろそろ窒息するので体を押しのけてベッドから立ち上がる。やるべきことを忘れた訳ではない。明衣を抜きにして、俺達が探偵と助手を務める。昨日の夜に起きた殺人。明衣がNG由来の死に方を見間違えるとも思わないので、焦点はその死体が『NG殺人』のせいで生まれたモノなのかどうか。まあ明衣は途中で離れたそうだから本当にNGが死因かどうかも一応調べる必要がある。
と言ってもNGで死んだら死体は残らないから、少しやり方は工夫しないといけないが。
「それじゃあ行くか、調査。帽子は被ったか?」
「虫メガネもバッチリ」
「それは……あんまり要らないかもしれないな」
形から入るタイプの探偵助手を引き連れて階段を下りると、父親とバッタリ遭遇した。
「おう二人共……乃絃、何処へ行くんだ? 晩飯はもうすぐだぞ」
「あー悪いけど。ちょっと調べたい事があるから遥と一緒に出掛けるよ。すぐ戻ってきたりはしないけど、夜遊びしに行く訳じゃないから安心してくれ。明衣の事で、ちょっとな」
「そ、そうか…………いつもの事だが、何かしてやれなくてすまんな。お前のそういう行動には何も言わないつもりだが、遥の事はくれぐれも守ってくれよ」
「分かってるよ、大切な妹だ。俺がちゃんと守る」
「それでこそ男だ! よし行ってこい!」
気持ちのいい後押しを受けて夜の町へと踊り出す。夜風はお世辞にも気持ちいいとは言えず、どちらかと言えば蒸し暑いが、先程の悪夢に比べたら扇風機に吹かれているようだ。寄り道をするだけ時間が長引くので出来るだけ最短距離で。一応、鬼姫さん達とまた会えたら話を聞けるので公園を進行ルートに入れる。目的地は商店街で、そこのいずれかの場所に死体があったという話を聞いた。
「私、色々言ったけど。調べ方まではちょっと」
「まずは大前提。NGが死因かどうかだな。明衣がその辺り見間違える可能性はないと思ってるが途中で離れたからな。どういう判断をするべきかイマイチだから調べるか」
時刻は夜の九時を少し回った頃。商店街の人気は年齢層的にも死滅しつつあるが、それでもまだ人通りはある筈だ。居酒屋から居酒屋を渡り歩く人とか、散歩が趣味の暇人とか、犬の散歩をしているとか。死体の目撃までは期待していないが死体が何処にあったかという情報だけなら出回っていると信じたい。
ここは目下戦争中の国ではない。死体が出たら、それは異常な事態だ。誰かしら話のタネとして使っている、使っていて欲しい。そうじゃないと現場を絞り込めない。
「兄。いい方法思いついた。現場特定の方法」
「お? 早速助手が有能だな。さて、その方法とは?」
「占い師に頼ろ。居るじゃん、当たるって人」




