1 町の禁域
月曜日の朝――千秋と別れ、いつもどおり中通りを独り進んだ。
――禁忌に触れた気がする。
灰色の雲が空に飛び交っていた。冷たい潮風が防波堤を越えてくる。厳しい寒さが迫りつつあった。
紅い布のなびく通りには、二、三体ほどの人影が彳んでいる。
やがて、顔の削られた車が現れた――傾きつつ地面に埋まり、残骸を散らす姿が。近づくにつれ、それは透けて消えた。一方、手前の花屋には、彼岸花や菊が竝んでいる。
――大体いつも同じ。
先日の調査を思い出す。
美邦は、不審死も失踪も二件しか見つけていない。だが、仲間たちが上げた声から、異様な数に昇ることは判った。今日、それらの結果を芳賀がデータ化してくる手はずだ。
鞘川を越えてしばらくして、炭化した家が現れる。
――幻視は幻視でしかないはず。
脳が作る錯視でしかないはずなのだ。その説明に美邦は安心してきた――漠然と感じる事実から目を逸らすために。しかし。
――もしも調査結果と一致していたならば。
遠く彼方――港に建つ燈台が目に留まる。ろうそくに似たその姿が不思議に感じられていた。強い紅が、海に突き出した処に浮かんでいるのだ。じっと眺めていると、何かを思い出しかけてくる。
――⬛︎⬛︎なきゃ。
何か――大切なことがあるはずだ。
学校に向かう路地に差し掛かった。消火栓の前には、由香と幸子が待っている。転校して以降、ここで二人と合流することが日課となっていた。
「おはよう、美邦ちゃん。」
声をかけた由香の前に、固まる。
由香の顔は明らかに蒼い。声にも、いつもの力が入っていなかった――まるで、体調を崩し始めた頃の父のように。
「うん――由香、体調は大丈夫なの?」
「平気だよー、熱もないにぃ。どうして美邦ちゃんもそがなこと言うかいなぁ。」
「――も?」
ふちなし眼鏡の端が輝く。
「いや――私も、ちょっと顔色が悪うなっとらんかって訊いただが。でも、由香は何とも感じとらんみたいだに。」
「私は元気だで? そがなこと何で言うかいなぁ? このあいだから、ちょっと変でないかえ?」
「様子が変なのは、あんたのほうだけん。」
「そうだよ、由香――学校を休んで病院に行ったほうがいいよ。」
「そがなこと言われても――」
それから、健康を気遣う言葉を代わる代わるかけていった。しかし暖簾に手押しだ。押し問答を続けていても遅刻してしまう。仕方なく学校へ向かうこととした。
木製電柱と地蔵尊の前を通り過ぎる。由香の横顔はやはり蒼い。心配に思いつつ眺めると、ふっと、あることに思い当たった。
――お父さんは自然死だったんだろうか。
学校へ着いた。
下足に履き替え、ショウケースを横目に廊下を進む。木製の階段を上り、二年A組の教室へ這入った。学習連絡帳を事務机に置き、ロッカーへ向かう。岩井は先に来ていた――席に着きつつ顔を上げてくる。
「おはようございます、みなさん。」
おはようと三人は答えた。
そして、由香の顔を幸子は指さす。
「それより岩井さん――見てな由香の顔色。何だか、えらい悪げでない? それだのに、自分は大丈夫だって言って由香は聞かんくて。」
岩井はきょとんとし、由香の顔を観察した。やがて目を瞬かせる。
「私は――別に悪そうには見えませんけど?」
予想外の言葉に肩を落とす。
にこりと由香は笑んだ。
「ほら、岩井さんもこう言っとるが? みんなちょっと考え過ぎでないの? 私自身、体調が悪いなんて感じられんだけど――」
本当に――と思ってしまった。
「そう――かなぁ。」困惑が声となる。「むしろ、病院へ行ったほうがいいと思えるくらいだけど。」
顔色や声色と、由香自身の訴えが噛み合わない。いや、岩井が理解できないことも妙だ――誰がどう見ても心配するような顔なのに。
鞄を置いたあと、美邦と由香の席へ幸子はすぐ来た。そして、美邦と揃って由香の体調を心配し続ける。
やがて、冬樹と芳賀が教室に現れた。学習連絡帳を共に置き、ロッカーへ向かう。ふと、こちらに冬樹が顔を向けた。直後、怪訝な表情が現れる。
鞄を置いた後、二人は近寄ってきた。
中性的な顔が、近づくにつれ曇る。
「実相寺さん――大丈夫かえ?」
「もうっ、芳賀君までそがなこと言うだけぇ。」
今までのやりとりを、不満そうに由香は説明する。
「みんな気にしすぎだぁが。顔色なんて、何とでも取れるにぃ。」
芳賀が冬樹と目を合わせる。
やはり、冬樹も釈然としていない。
「そう――なのか?」
これが普通の反応なのだろう。岩井の方が妙なのだ。
話は終わったとばかりに由香は尋ねる。
「で――芳賀君、データベースはできたん?」
「え――ああ。」芳賀はうなづいた。「もちろん。でも――とんでもないことになったな。」




