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神送りの夜  作者: 千石杏香
第三章 寒露
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5 聞こえそう

――まただ。


詠歌は(ふすま)を開けて廊下を見た。街灯から漏れる光のほか何もない。雨音の木霊(こだま)する無人の廊下だ。


――それでも。


何か居た気がする。


美邦と同居し始めてから、同じ感覚を何度も抱いていた。ないはずのものがある――何もないのに何かがある気這(けは)いを。


喉の渇きを思い出す。


暗闇の中、台所へ向かった。廊下は冷たく、雨音が響き続ける。海鳴りに似た音だ。夜雨(よさめ)に紛れて、何かの立てる音が聞こえそうだった。


コップを出し、水道水で満たす。


洗うべき食器も、食事の量も、洗濯物も増えている。女の子が一人、増えた。それは、「慣れ」の問題のはずだった。しかし、何日か経っても慣れない。


増えたのは、感覚的には一人だけではない。


そんなはずないじゃない――とは思う。


だが――昨夕(ゆうべ)の「あれ」は何だったのか。


まだ啓が帰っていない時のことだ。千秋は居間で勉強をしていた。手洗いから出たとき、階段を降りる者がいた。なので、声をかけたのだ。


「美邦ちゃん。洗濯物を畳んであるから持って上がっといて。」


しかし、反応はない。


怪訝に思っていると、背後で襖が開いた。


洗濯物を抱えた美邦と間近で目が合う。


褐色の右眼と鉛色の左眼。右眼は自由に動くが、左眼は常に正面を向いている。右眼が正面を向く時を別にして斜視だ。不揃いな瞳は、間近で目にするとぎょっとしてしまう。


美邦は顔をそむけた。


「どうか――しましたか?」


使用人のような卑屈さに詠歌は苛ついた。


「いや――今、階段を下りて来んかった?」


「いえ、ずっと居間でした。」


そう――と言ったものの、釈然としない。先ほどのあれは何だったのか。


美邦に対する異物感を拭い切れない。


美邦と千秋は似ている――姉妹のように。だが、こんな娘を詠歌は産んでいない。しかも、異様な目元をしている。それが、詠歌の日常を浸透していた。


いや――と、詠歌は思う。


やはり、「あれ」は夏美に似ているのだ。あれと千秋も似ているが、千秋と夏美は似ていない。ならば――やはりあれは他人の子なのだ。


それが――詠歌の家で、まるで家族のように暮らしている。


部屋へと戻り、詠歌は布団へ入った。闇の中、夜雨が続く。海鳴りのようで厭だ。詠歌は海が嫌いだった。家から出ることを戒められ、怯えて過ごした夜のことが頭の中に蘇る。


――あの神社の娘。


詠歌は――夏美を憎んでいたのだ。


その日はあまり寝られなかった。


だが、どれだけ眠くても朝は来る。しかも、専業主婦のすることが待ち構えている。詠歌は朝一で起き、軽く掃除し、朝食を作り始めた。


やがて、階段を下りる音が聞こえてきた。


跫音(あしおと)は洗面所へ這入る。美邦だろう。あの長い髪を結うためか朝は早い。そのせいで、掃除のときも長い髪が目立つ。


洗面所へ足を向ける。やはり美邦がいた。それ以外の者がいるはずもない。ここ何日か詠歌を不快にさせている気這いは、やはりこれなのだ。


美邦は、詠歌に気づいて顔を向けた。左眼はそのままに、右眼だけが詠歌を正確に捉える。


苛立ちが声になった。


「美邦ちゃん、昨日、夜遅くに起きてこんかった?」


美邦は首を横に振る。


「いえ?」


――違うわけがないだろう。


「そう? かなり夜(おそ)ぅに、廊下から音がしたやに思っただけど。」


ふっと、美邦は何かに思い当たった顔となる。


「私も昨日、何かの跫音を聞いたように思ったんですが――ひょっとして千秋ちゃんですか?」


――娘のはずがない。


「あの子はそんな遅ぉに起きんに。」


ため込んでいたものが口を出た。


「言っとくけど、ここは自分の家でないだけん遠慮しないよ。何かあって降りる時も静かにするやに。」


美邦は顔をそむける。


「ええ。」


「くれぐれも迷惑はかけんでな。」

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