第四十三話〜日記の成立と物語の萌芽〜
○-○──枕に侍る日記──○-○
「…………なるほど、これが例の……」
「そう伺っております。真偽はその眼にてお確かめ頂ければと」
長保三年頃。私の屋敷でさも闇取引のように受け取ったのは、とある本であった。その数数冊。届主は源経房、この時のために私が頼忠や懐親などに頼み込んで任官させた人物である。父親は安和の変で流された源高明だが、史実なら藤原道長が昇進を助けたところだ。
「では拝見…………ふむ……確かに。苦労を掛けたね」
「とんでも御座いません、貴方様無くして私は御座いませんから……」
そう、召し上げの目的はこの本を手に入れること。この本こそ、日本文学の一角を成す大作である。
(これが枕草子原本……流石に古い形態で書かれているが、さて……)
「時に、これを書いていた女房は退いたと伺っております。何かご存知では御座いませんか?」
「ん、ああ、そんな時期か。生憎女性の人事には疎くてね……」
「そんな時期……?」
「なに、戯言よ。また今度もよろしくね」
史実では、昨年頃に宮仕えから退いている清少納言。しかし此方では中宮定子がそもそもいないので、誰に仕えていたのかも私には分からない。皇后が誰を召したかなんて、知ろうとしても情報源限られるし。
「……で、これって本物なんですか? 旦那様」
「書かれてから数年で偽物が出るってことは無いだろうけど、写本の内容が違いすぎて判別し難いのよね……」
取り敢えず、目の前にあるこれを私も写していこう。出来るだけ正確に、後世でも読みやすく……
○-○──平安の同人誌──○-○
寛弘五年、陣定の結論を一条帝に奏上した時の出来事である。
「……して、陛下、蔵人を排してまでしたいお話とは?」
「うむ、まずはお前の昇進よ。内大臣、良くぞそこまで昇られた。来年か再来年には他の大臣位にも手が届こうぞ」
「お褒めの言葉、恐縮で御座います。これも皆主上の御慈悲に因りますなれば──」
「世辞は良い。本題に入ろう、お前は『源氏の物語』とか言うものを知っているか? なんでも、お前が推挙した女房が書いているとかどうとか」
「あれですか。ええ、噂には」
紫式部を探し出すのには些か苦労した。が、その苦労の甲斐あってか、源氏物語も執筆が始まっているようだ。此方も本来なら藤原道長が召し上げて書かせるものだが、道長の役を私がやることで史実に沿わせた。
「そうかそうか。いやなに、お前のことだから分かってて推したのだろうと思ってな。実はここに、当人から貰った写本がある。まだ未完成らしいが、これを含め逐次渡してやろう」
「……有難き幸せ、ですが宜しいので?」
「…………お前の眼は幼児のようでな、これが欲しかったがためにあの女を仕えさせたように見えるのだ。そうであろう?」
流石は一条帝、どうやら全てお見通しらしい。あと3年で崩御を迎えるのが口惜しいばかりである。ここは有難く、写本を頂戴しておこう。
*>────<*
「また本ですか。歴史家から蒐集家になったのですか?」
「言い返せない……」
絶賛、写本の真っ最中である。紙の類はどうせ劣化するし、さりとてコンクリート作るわけにもいかないし……などと試行錯誤した結果、写本は全て石板に彫らせることにした。完成次第屋敷の地下か寺の周辺に埋め、碑文や縁起含めてあらゆる形でそのことを残すつもりである。
「なかなか仕事熱心ですね。数十年もお変わりなく、よく続けられますね」
「もはや性だからねぇ。それに、私だって長くないし……」
「…………」
平安時代に飛ばされてから、もう48年。私は満年齢で68歳となり、同時代の貴族からしても天寿間近である。なお、化け物じみた長寿でお馴染みの安倍晴明さえも3年前に世を去ってしまった。もはや初期の私を知るのは美月君だけであり、公卿の出家願望も理解出来るようになった。
「……その、まあ、あれよ。最期まで宜しくね」
「…………言われずとも、です」




