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第四十一話〜長徳の闘乱〜

 結論から言おう。長徳二年一月十六日(996年2月7日)、花山法皇は史実通りに襲撃された。襲撃犯は美月君子飼いの随身によってその場で捕縛され、然るべき部署へ護送された。この段階で史実と異なるのは花山法皇のお供だけで、それ以外は全く文献の通りに推移した。今後の中関白家処罰の流れも、きっと同じようにいくだろう。


「それにしても、よく法皇が従者の変更を認めましたね」


「そこはまああれよ、信用と権限のゴリ押しよ」


 大納言ともなれば、ある程度朝廷中枢から外れた位置の人事権に介入出来ないこともない(無論あまり望ましくはないが)。もとより花山法皇の随身については律令官制に則るものとは言い難かったが、大納言としての口添えと当人への直奏でなんとかねじ込んだ。


「それで、犯人はどうなるんですか?」


「史実通りなら、主犯格の隆家が出雲権守に左遷かね。あとは伊周とかまで及ぶかだけれど……」


 最悪そっちまでいかなかったとしても、強力な後ろ盾もない連中が1人でも処罰されれば、自然と瓦解するだろう。実際、隆家が連行されたという話で既に動揺しているようである。


「花山法皇は体裁上この事件を口にする気はないだろうけど、それとて史実のまま。不安な点は無いさ」


「フラグですか?」


「やめて」


 *>────<*


 フラグはへし折ったぜ。

 伊周に対し「私兵保持の疑いあり」という噂がかねてより立っていたが、隆家が彼の名前を出したこともあり、一条帝の勅許により伊周邸及び関係者宅の強制捜査が行われた。結局兵士数人と武具が僅かながら押収され、さらに兵士数人が逃げ去ったらしい。また、国家独占の呪法を私的に執り行った旨の告発が寺の僧からあったこともあり、大宰権帥への左遷が決定した。

 ここまで史実通り、ここからも史実通り。


 以上の出来事により、遂に兼家ファミリーの残党も排除出来た。以降は小野宮流が政権中枢を担い、帝が一応は親政を行う時代が到来するだろう。今上が徳政を行えたなら、きっと延喜・天暦の治と並び称されるに違いない。

 摂関政治も院政もともすれば消失し、武家政権にも大きな影響を及ぼすかもしれない。そうだとしても、私は私のしたことを誇りに思う。この家を、そして美月君と子供たちを守るために採った行動は、過たずその通りに働いたのだ。後世の歴史家がなんと書こうが、これは私の功績なのだ。



 もう私も若くない。気がつけば還暦も近く、公家の中でもお迎えが来かねない歳になってきた。どんなに長くても、もって数年だろうか。

 戦国の古狸──もとい、徳川家康は、人生を旅に例えたらしい。真偽は不明だが、その例えに乗るのなら、私の旅は終わりが見えてくる頃合いだろう。私の後を進む妻や子供たちに、何か残せていれば良いのだが。

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