063.魔女の真実
パフィ──魔女 パシュパフィッツェは、僕にとって、母さんのようであり、姉さんでもあり、師匠でもあった。
七才の時に自分のスキルを決められて、皆のように立派なスキルもなくって、悔しかった。
村に住む魔女はなんでも解決してくれたから、僕の悩みも解決してくれる、勝手にそう信じて、魔女の住む庵を訪れた。
パフィはいつものように二日酔いで、面倒くさそうに僕の相手をした。
僕が願いを口にしたら、愚か者め、と罵られた。
それから、棚にある薬を取って来いと命令された。二日酔いの薬だった。
毎日毎日、スキルを強くして欲しいと願う僕を、いつも面倒そうにしながらも相手してくれた。
"よし、おまえを今日からこのパシュパフィッツェ様の弟子にしてやろう"
「アシュリー、少し寝たほうがいい」
ノエルさんが僕を心配して声をかけてくれる。ノエルさんだって顔色が悪いのに。
パフィの身体は城の中に運び込まれた。キルヒシュタフ様の身体も一緒に。細かい破片は無理だったけど、冬の王──パフィの父さんの魂が入っていた核の破片も。
いつの間に来たのか、使い魔の黒猫はパフィのそばにやってきた。すぐそばに座ると、丸まって動かなくなった。
黒猫までいなくなってしまう気がして、胸が痛い。
僕はパフィのそばから離れたくなかった。
「やはりこうなってしまったわね」
白と黒の大きな蛇の頭に座った女の人と、雪のように真っ白な、おでこから角を生やした馬に座る女の人。
蛇に乗ってるのは、アマーリアーナ様。
「秩序の魔女 アマーリアーナ様と、予言の魔女 ヴィヴィアンナ様……」
真っ白い髪に真っ赤な目をしたヴィヴィアンナ様は、馬から降りると、パフィのそばで屈んだ。アマーリアーナ様もその隣に座った。
「キルヒシュタフはね、北の国の第三王子と恋に落ちたのよ」
昔話を語るように、アマーリアーナ様が話し始めた。
「人の身には多すぎる魔力と、魔法使いのスキルを与えられた王子は、己の力試しに世界を旅してまわって、キルヒシュタフと出会ったの。
人とはほとんど接点をもたなかったキルヒシュタフの孤独を王子が埋めて、パシュパフィッツェを身籠ったのよ。
でも、幸せは長く続かないわ。人と、私たち魔女は生きる時間が違うから」
同じ時間を過ごせても、同じ長さを生きることはできない。パフィがキルヒシュタフ様に言った言葉。
「王子が死んだことをキルヒシュタフは受け入れられなかった。そして、あることを思い付くのよ」
冬の王の魂を核に入れて、魔力のある人間にいれること……?
「……キルヒシュタフの計画は上手くいかなかった。魔力を多く持つ人間はかつてほどいなくて、その数が減っていたの。彼女はこの大陸の南側の国々から魔力を奪うことを思いつく」
そこまで話して、アマーリアーナ様はため息を吐いた。ヴィヴィアンナ様はずっと、パフィの髪を撫でている。子供にするみたいに。
魔女の中で一番下のパフィを、妹みたいに思っていたのかもしれない。
「キルヒシュタフが王子を生き返らせるために奔走している間、私たちはパシュパフィッツェを育てたの。新たな魔女に、魔女としての生き方を教えなくてはならないから」
アマーリアーナ様の手が、パフィの頰を撫でる。
パフィはいつも口紅を塗っていて、唇は真っ赤だった。今は塗っていないから、寝ているように見える。
寝起きは、塗ってなかったから。
「多くのことを学んでいく中で、少しずつ狂っていく母親をパシュパフィッツェがどんな思いで見ていたのかは分からなかったのだけれど……父と母を一緒にさせてあげたかったのね……」
それきり黙ってしまったアマーリアーナ様の代わりなのか、ヴィヴィアンナ様が口を開いた。
「私の予知は、いつも同じことを指し示していた……幼き魔女が、大きな魔女に滅ぼされてしまうというものだった」
馬がヴィヴィアンナ様の髪に頬擦りする。
慰めているように見えた。
使い魔は魔女と同じ時を生きる唯一の存在だとパフィは言った。心もつながってるのかもしれない。
「そうならぬように手を尽くしても、見える未来は変わらなかった。けれどある日から、未来を見ようとすると邪魔が入るようになった。
キルヒシュタフが邪魔をしていたのはすぐに分かった。私を上回る力を持つのは、ダリアかキルヒシュタフのどちらかしない。
ダリアがそんなことをする必要はない」
「……あの……それほどの力の差があるのに、何故パシュパフィッツェ様はキルヒシュタフ様と、その、刺し違えることが出来たのでしょうか……」
言いづらそうに、ノエルさんが質問した。
「……ある時からパシュパフィッツェは薬草の研究を始めた。薬になるものから、毒になるものまで」
少し離れた場所に置かれた棺には、キルヒシュタフ様が眠ってる。その棺をヴィヴィアンナ様が見る。
「魔女は確かに膨大な魔力を持ち、魔法を操り、永遠の時間を生きるけれど、身体は人よりも少し丈夫なぐらいなのよ。まぁ、毒は効きにくいわね」
「魔女の身体にも効く毒をパシュパフィッツェは作り出した。それがあったからキルヒシュタフを滅ぼすことができたのだ」
自分の目の前までやってきたキルヒシュタフ様の胸を突き刺すときに、その毒を……。
母さんと父さんを一緒にさせるために、母さんを殺す毒を作らなくちゃいけなかったパフィの気持ちを考える。
いつもなんでも分かってるという顔をして、僕に色々教えてくれたパフィ。自分の決めたことに、迷いとかなかったのかな…………きっと、悩んだよね。
他に方法がないのかとか、調べたんだろうな。でも、そうすることに決めた。それしか、見つけられなかったから。
止まっていた涙がこぼれてきて、目が熱い。
「魔力を持つ人に何度王子の核を埋め込んでも、人でしかなかった。どれだけ魔力のある人間が北の国に生まれるように呪いをかけても。
……王子の核を埋め込まれた者は、体内の魔力を食われて正気を失う。
いつしか、魔力がもっとも身の内に篭もる冬に活動するためか、冬の王と呼ばれるようになった。
人の身が持つ魔力はそのまま減り続けた。王子の核は常に魔力を必要とする。魔女の魔力を元は人である王子の核はうけつけなかった。
丁度良い人がいなくなり、魔物に埋め込むようになる。
そうしてるうちに稀代の魔術師 クロウリーが生まれた」
クロウリーさんの身体に核を埋め込んだ。
「魔力水晶を通せば魔女の魔力を与えられることが、クロウリーの研究により判明した。
あともう少しで魔力水晶は完成し、クロウリーは王子の核に取り込まれる筈だった」
それを、ダリア様が止めた……。
「クロウリーは死に、魔力水晶も壊した。王子の核に傷もつき、ここまでくればさすがのキルヒシュタフも諦めるだろうと考えた」
「……キルヒシュタフは、既に壊れていた」
壊れていた。
その言葉に息が詰まる。
長い長い時間を生きて、やっと見つけた大切な人が死んでしまって、必死だったんだと思う。
「未来は変わらない。パシュパフィッツェがキルヒシュタフに滅ぼされる未来は。
それならば、その先の未来に干渉することを考えた」
その先の未来に干渉?
「魔女は人よりも少し丈夫な程度の肉体な強度と言ったが、その身体が何故永遠に生きられるのかといえば、その膨大な魔力にある」
「無限に魔力を溜め込むことが出来る肉体なのよ、魔女は。時を経れば経るほど、体内に魔力が増えていくの」
「魔力を体内で循環させることで再生を果たせるということですか?」
ヴィヴィアンナ様が頷く。
ノエルさんが驚いた顔でヴィヴィアンナ様たちを見ている。
魔法使いとしても優秀で、人の身体、魔力のこと、魔法のことをよく知ってるノエルさんからすると、魔女の身体は驚くべきものなんだろう。
「パシュパフィッツェが作った毒は、直接的に命を奪うものではないの。魔力の循環を阻害して再生を止めるもの」
「怪我を負ってなければなんともない。命に関わるような深い傷を負った時にあの毒を体内に入れられてしまえば、我ら魔女でも滅ぶ」
気になることがあって、質問する。
「パフィは、自分の身体にもその毒を入れたんでしょうか?」
もし入れていないなら、パフィは再生するんじゃないだろうか。
……でも、パフィはきっと、自分の身体にも毒を入れている気がする。
「呪いをかけたのよ。とても複雑な呪い。パシュパフィッツェに分からないようにするの、大変だったのよ?」
アマーリアーナ様が悪戯に成功したような顔をする。その横でヴィヴィアンナ様が頷いた。
「アシュリーのダンジョンで作られた物を口にするたびに、アマーリアーナの持つ時間がパシュパフィッツェの身の内に入るように」
魔女の力の源の時間をくれたのは、そういうことだったんだ。
「少しずつ私の力を注いで、パシュパフィッツェの中に蓄積させていったの。
今のパシュパフィッツェの中には、魔力はもう残っていないわ。あなたたちを守りながら、冬の王の核をキルヒシュタフに気付かれないようにして奪うのは、二人の力量差を考えたら無茶なことなの。それでも死んで欲しくなくて、私の魔力を少しずつパシュパフィッツェに移していったのよ。
魔力が枯渇すれば、魔女は死んでしまうから」
ノエルさんが頷く。
「パシュパフィッツェ様に命じられて、僕たちはキルヒシュタフ様の魔法を防ぐのではなく、力の流れを逸らすことに全力を尽くしました。あれだけパシュパフィッツェ様にご助力いただきながら、それでも多くの魔法使いたちが倒れました」
「仕方のないことよ。人の身で魔女の力を受けようだなんて、身の程知らずなことだもの」
「はい。ですが、おかげさまでキルヒシュタフ様から国を守ることも、冬の王を滅ぼすこともできました。……ですが……」
空気が重くなる。
「私たちは、幼き魔女を失うつもりはないの」
「我らの妹ともいえるパシュパフィッツェを、私もアマーリアーナも、ダリアも」
ダリア様?
「ダリアは、姉妹のように育ったキルヒシュタフを大切に思っていたの。
キルヒシュタフの孤独を助けたくても、相反する性質を持つが故に、どうしても共に生きることは出来なかった」
アマーリアーナ様の指がパフィの髪を撫でる。
「それでも助けようと動いた時にはもう遅かった。王子が死に、キルヒシュタフは壊れてしまっていたから」
「だから、キルヒシュタフの娘だけは絶対に助けようと決めたのよ」
二人の魔女は立ち上がり、頭を下げた。
どうしたんだろうと思っていると、ノエルさんが身体を震わせた。
辺りを見回していたら、真っ赤な髪の女の人がいた。七色の尾羽を持つ、人が乗れるぐらい大きな鳥に乗っていた。
「遅くなった」
「偉大なる始祖の魔女 ダリアよ、ようこそお越しくださいました」
「我らが親愛なる姉よ、あなたをお待ちしておりました」
アマーリアーナ様とヴィヴィアンナ様が挨拶をする。そうか、焦熱の魔女 ダリア様。
パフィやアマーリアーナ様たちと違って、いるだけで空気が重くなった気がする。
「加減出来ているか?」
ダリア様は自分の身体の周りを見る。
アマーリアーナ様が僕とノエルさんを見て、「ある程度抑えきれていると思うわ」と答えた。
ノエルさんの額に沢山の汗が浮かんでる。
「ノエルさん、大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ、ありがとう、アシュリー」
ダリア様は僕たちを見た。
「早々に済まそう。人の子を傷付ける趣味はないのでな」
鳥から降りたダリア様はパフィのそばに座り、髪と頰を撫でた。
「我が盟友キルヒシュタフの子 パシュパフィッツェよ。そなたが命を賭してキルヒシュタフを止めてくれたこと、礼を言うぞ。本来ならば、我がせねばならぬことであった」
立ち上がったダリア様はノエルさんを見る。
「そなたたちはミズルの花を作り替えたであろう。その種をここに持って来るのだ」
「はい」
ノエルさんは僕を見た。
僕を置いて行くことを心配しているのだと思う。
「大丈夫です、ノエルさん」
「すぐ戻るから」
ノエルさんは部屋を出て行った。
「さて、パシュパフィッツェの弟子 アシュリーよ」
「はい」
「ミズル草を作り出したのは我だ」
魔素を好む草。あれをダリア様が?
「魔力を多く持つ人が生まれぬように、魔物に分散されるようにしたのだが、あれはそなたたち人の子に迷惑をかけた」
キルヒシュタフ様を止めるために。
「我ら魔女は何のために生まれ、何のために生きるのか、万の時を生きても答えが出ぬ。
アシュリーよ、おまえはどう考える」
パフィから質問されているみたいだった。
アマーリアーナ様はパフィを魔女として育てたと言ってた。ダリア様もパフィを育てたのかもしれない。そう思うぐらい、二人の聞き方は似てる。
「魔女も、人も、魔物も動物も、何かのために生まれるのではないと思います。
意味が欲しくなってしまうかもしれません。でもきっと、ないと思います」
「ほう?」
パフィは言ってた。
スキルに頼るなって。それはただの才能で、ないとしても死にはしない。
なくても好きになっていい。
やりたいことをやれ。
楽しめ。
「生きるためです」
パフィはいつも面倒そうだったけど、何かをすると決めた時は全力だった。
「生きればいいんだと思います。理由なんてなくて、自分を生きればいい、僕はそう思います」
「実にパシュパフィッツェの弟子らしき答えよな」
ダリア様はにやりと笑う。
「その通りだ、人の子よ。
あるがままを受け入れよ。流れるもまたよし、逆らうもよし。だが、奪うものは奪われる。傷付けるものは傷付けられる。それが道理だ。
己の選択により未来は作られるのだ。変えられない未来はある。神が干渉した場合はな」
神。
「神様はどうして人にスキルを授けるのですか?」
「ただの祝福にすぎぬ。人は愚かにも与えられたものに優劣を付けるがな。
スキルはな、弱き人の子の人生に、少しでも幸いがあるようにとの願いが込められたものなのだ。運命を決めるものではない」
運命を、決めるものじゃない。




