95.体術の鍛錬
領境に近づくにつれて雪は減って行った。
道の両脇に積まれた雪が残る程度だ。それでもまだ寒いこの時期、歩きで旅をする者は少ない。稜真は領境近く、人目がない街道で地面に降り立った。
領地以外の者に、きさらの存在を知られたくはない。
本当なら王都まで送りたかったが、白いきさらは目立ち過ぎる。屋敷に戻る時も、人目は避けたつもりが、しっかりとギルドに報告されていたのだから。
「ここまでで充分助かったよ」
ユーリアンは笑う。
1時間も歩けば町に着く。そこからは、乗合馬車に乗って王都へ向かうのだ。
稜真はアイテムボックスに預かっていたユーリアンの荷物を取り出した。
ユーリアンは腰に剣を佩き、荷物を背負う。年に何度か帰省するユーリアンは旅慣れており、荷物もそれ程多くはない。稜真は屋敷を出る前に準備しておいた、お弁当を渡した。
「おにぎりと、ユーリ様のお好きな唐揚げです」
唐揚げと聞き、ユーリアンの頬が緩んだ。お弁当と汁物用の容器に入れた味噌汁とお茶を風呂敷状の布に包み、下げて持てるようにしてある。
なるべく冷めにくいよう、布で巻いて入れてある。町へ着くまでにお昼が過ぎるだろう。町で食べるにせよ、途中で食べるにせよ、温かさを保ってくれればいいと思う。
「重たくて申し訳ないですが」
「いや、ありがたいよ。──これからしばらく、リョウマの料理も食べられないな」
「帰って来られたら、お好きな料理を作ります」
「楽しみにしているよ」
「こちらに帰る時は連絡を下さい。きさらと迎えに来ます」
「それは助かるな。早いし、馬車代も浮く。ふふっ、まさか2日で来られるとは思わなかったよ。その時は頼む」
最初は飛ぶのを怖がっていたユーリアンだったが、2日目には慣れて景色を楽しむまでになっていた。
「次に帰った時は、アリアに勝とうな」
「鍛錬しておきます。ユーリ様にも勝てるように」
「言ったね? 僕だって、早々に負けるつもりはないさ」
お互いに顔を見合わせて笑いあった。
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
「むぅ! 2人共、やっぱり仲がいいの」
アリアはユーリアンに抱きついた。
「お兄様、行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくる」
ユーリアンはアリアを抱きしめ返して、片手を上げると去って行った。
2人は姿が見えなくなるまで見送った。
「──さて、帰ろうか」
「うん」
『かえろー』
『主のご飯~』
帰ったら、まずはきさらに料理を作らねばならないようだ。
「稜真。きさらって本気で飛ぶと、どのくらい速いのかな?」
「…試してみようか。きさら、本気で飛んで見てくれる?」
『は~い!』
どのくらいの速さか分からないので、そらには稜真の懐に入って貰い、出発した。
屋敷の庭に降りた時、まだ夕方にもなっていなかった。
「……は、速かったね。びっくり」
「きさらの本気がここまでだとは、ね…」
まさか2日の距離を、半日で飛ぶとは思わなかった。
「ああ~っ!? ゆっくり帰れば、稜真と2人っきりでお泊まりして、のんびり出来たのに~!」
『ふたりきり、ちがう! そらも、いるの!』
『きさらも!』
「そうだね。皆いるのにね」
稜真はそらときさらを撫でる。
「元はと言えば、アリアが言い出したんだよ」
「分かってるけど~。少しでも刺繍から離れて休める、チャンスだったのになぁ」
「誕生日プレゼント、作ってくれるんでしょ? 頑張って」
「頑張るけど、分かってるけど~。失敗したよ~っ!」
ユーリアン用のプレゼントも増えたのだ。早く帰れた分、頑張ろう。アリアは気を取り直して、母の部屋に向かった。
もうすぐアリアの外出禁止も解けるだろう。解ければすぐ、冒険者活動に飛び出して行くのは分かっている。
少しでも実力を上げたい稜真は、今日も練習場でスタンリーと鍛錬である。今日は体術を教わっている。
体術の訓練時は、体の動きを妨げないように軽装で行う。稜真がスタンリーに教わっているのは、打撃や足技での攻撃をする、ムエタイのような格闘技だった。
これまでに基本は教わったので、実戦をしながら技の組合せを試し、新たな技を教わっていた。
「お前に教えていると、俺の鍛練になるな」
「まだまだ、師匠には敵いませんけど…」
「早々に追い越される訳にはいかんからな」
何度か打ち合っていたが、スタンリーには全く技が決まらない。稜真は隙を見てスタンリーの懐に入り、投げ技を仕掛けようとしたが、反対に腕を取られて投げ飛ばされた。
「うわっ!」
稜真は宙で体勢を整え、受け身を取る。
スタンリーはきさらとの遊びで、投げ技のコツを掴んだ。問題は、力いっぱい投げ飛ばせばいいと思っている点だ。
「今のは良かったぞ。投げ技が来るとは、普通思わんからな」
「…返されましたけど…ね。それに普通は人間相手に、あそこまで力任せに投げようとしませんよ」
「お前なら大丈夫だろうが」
「大丈夫でしたけど…」
「投げ技以外に、どんな技があるんだ?」
「足技、締め技、関節技……でしょうか」
遠い昔、授業で習っただけの柔道だが、鮮明に思い出せて体も動くのは、女神の加護だろうか。柔道部の部員役もやった記憶があるが、今は基本だけなので、授業の記憶で充分だろう。
スタンリーが1度見てみたいと言うので、順番に技をかける。練習場の床は堅いので、投げる体勢には気を使う。
「本当なら、柔らかい床でやるものですよ…」
「はは。雪の上とかか? 柔らかい床ねぇ」
「草を分厚く編んだマットとかが、あればいいんでしょうけれど」
ない物は仕方がないので、受け身の取り方を念入りに覚えて貰ってから、技をかけた。
足払いをかけて体勢を崩し、床に転がす。一本背負い、押さえ込み、関節技等々。記憶に残っている技を、順番に披露する。中でもスタンリーが興味を持ったのは、関節技と押さえ込みだった。
特に押さえ込みがしっかりと決まると、小柄な稜真の力なのに逃れられない。スタンリーがどれだけ力を振り絞って逃れようとしても、上手く行かなかった。
返し技の見本を見せる為、スタンリーに同じ技をかけて貰い、体を捻るようにして、体勢を入れ替えた。全身を使って押さえ込む。
「おおっ!?」
「こんな感じですね」
「なんとなく分かった。お前がいない間に、練習して物にしておくか。色々と応用が利きそうな技だしな」
「1人で、ですか?」
「オズワルドに相手して貰うよ」
「へ? オズワルドさんに、ですか?」
「あいつ、俺と冒険者活動していたんだぞ。俺並みに強い」
「……ただ者ではないとは思っていましたが。師匠並みですか…」
敵わないと思っていたが、あらゆる面で太刀打ち出来そうにない存在だった。
「──よく分からんが、程々にしといてやれよ」
そう言い残してスタンリーが出て行った後、稜真は隠れている人間に声をかけた。
「お嬢様。こちらにいらして頂けますか?」
「ふえっ!?」
「まさか、私が気づいていないとでもお思いでしたか? ずっと、見ておられましたよね」
スタンリーもアリアがいた事に気付いていたが、稜真が何故怒っているのかは分かっていない。もちろん稜真が怒っているのは、にまにました熱のこもった視線を、ずっと感じていたからに他ならない。
「……さっさと来い」
怒気を込めれば、アリアはおずおずと入って来た。そらはアリアの肩で首を傾げている。静かに見ていたので、問題ないと思っていたのだ。
「さて、お嬢様。正座して下さい」
「えっと…。床が板だし、ここで正座は……」
稜真はにっこりと微笑みながら、声に凄みを効かせる。
「正座、して下さいますよね?」
「……はい」
──アリアはそのまま小一時間程、説教された。
稜真としては、そこまで長くする予定ではなかった。アリアが、真面目に聞いてくれていたならば。
(──はぅ~。凄みの効いた低めの声。ずっと私に向かって話しかけて貰えてるの、萌え萌えする~。これで内容が私に対するお説教でなければ、もっと堪能できるのになぁ…。あ、足が痺れて来ちゃった…)
「……アリアお嬢様。私の話を聞いておられませんね?」
「へ? き、聞いてたよ? 稜真様の声を聞かないなんて、あり得ないし!」
「声ではなくて、な、い、よ、う、ですよ?」
「……………え、えへへ」
声だけに集中していたアリアの頭に、内容は入っていなかった。
そんな訳で、小一時間のお説教となったのである。
今回の一件だけですますつもりだったのに、ユーリアンを送って行った時まで遡ってのお説教となった。
足が痺れ限界を迎えたアリアが、平身低頭で謝った事でようやく終了した。
「足の感覚がないよぉ…。じわじわするぅ~~」
『おねえちゃ、あし? じわじわ?』
不思議そうなそらが、アリアのふくらはぎを嘴でつついた。
「ひぃっ!! やめて、そら!!」
立ち上がれないアリアは、匍匐前進で逃げようとするが、面白がったそらはアリアの足の上に乗った。
「~~っ!? り、稜真ぁ。助けて~~!」
「うん。俺が助けると思う?」
「ううぅ~。稜真の意地悪~!」
稜真は苦笑しつつ眺めていたが、半泣きになったアリアがさすがに可哀そうになり、そらを止めたのである。
作者は柔道&格闘技に詳しくないので、おかしな表現があっても目をつぶって頂けると有り難いです…。




