93.3人乗り
「お兄様、昨日、私から逃げようとなさっていたんですって? ……私、悲しいですわ」
練習場を訪れたユーリアンは、アリアに出迎えられた。悲しいと言いながら、にこやかな表情だ。その表情に寒気を感じ、逃げようとしたが、退路は稜真に断たれていた。
「リ、リョウマ…?」
「申し訳ございません。お嬢様から協力しろと命じられました」
「アリア、僕は本当に準備があってだね…」
「うふ。今日はお兄様に、たくさんお相手して頂きますね!」
稜真はユーリアンの肩に、そっと手を置いた。
「俺も付き合いますから、頑張りましょう…」
「……ああ」
ユーリアンは、がっくりとうなだれた。
結局、この日はユーリアンが主に狙われ、昨日の稜真と同じ状態になったのだった。
就寝前にそらが話してくれた。
『おねえちゃ、ずーっと、ごきげん、わるかったの。まいにち、こんなかお、してた』
そう言って、そらは頬をぷくぅっとふくらませた。
「ぷふっ!」
稜真は噴き出した。そらはアリアの謹慎中も、ずっとアリアの刺繍レッスンに付き合っていたので、よく知っているのだ。
「それ、もう少し早く聞きたかったなぁ」
例え聞いた所で、何も対応出来なかっただろうが…。
『いまは、ね。にこにこ、してるの。がんばってる』
昨日と今日で、ストレスが吹き飛んだのだろう。力尽きていたユーリアンの姿を思い出し、何かお好きな料理を作って差し上げよう、と稜真は思った。
ユーリアンが王都に戻る日が近づき、家族揃ってお茶を楽しんでいた。
「お兄様。もう少しこちらにいらっしゃいませんか? もっと王都のお話を聞きたいですし、次にお会い出来るのは、まだまだ先ではありませんか。寂しいです」
次の長期休暇は夏だろう。最上級生になるユーリアンは、もしかしたら忙しくなり帰って来られないかも知れない。アリアはぴとっ、とユーリアンにくっついていた。
そんな仲の良い兄妹2人を、伯爵夫妻は微笑ましそうに見ている。
「寂しいと言ってくれるのは嬉しいし、僕も寂しいよ。だけど新学期が始まるまでに帰らなくてはね。領地を抜けるのに時間がかかるんだよ」
こちらに帰った時は雪が積もる前だったから、領地の端から屋敷まで1週間で帰って来られた。
今は雪が残っているし、倍の日数はかかるだろう。危険を避けて旅をするなら、もっと時間がかかる。寂しいのはユーリアンとて同じだったが、余裕を持って出発したい。
「それなら、領地の端まではお送りしますわ! 馬車で1週間だったなら、きさらならば3日もかからないでしょうし」
「きさら?」
「グリフォンです」
「……グリフォンって、リョウマが時々相手をしているあれだろ?」
稜真ときさらの遊ぶ様子を何度か見たが、とても遊びには見えず悲鳴を飲み込んだのだ。
「あれに乗る? いや、やっぱり馬車で帰るよ」
初めは断っていたユーリアンだが、アリアの「お兄様ともっと一緒にいたいです…」との上目づかい付きの言葉に負けてしまった。
「師匠。きさらが行きますよー」
「次はお前がやれよな!? くそ!」
ぼやきつつ身構えたスタンリーが、突進して来たきさらを投げる。きさらは楽しそうに雪に転がる。
稜真に投げ技のコツを教わったスタンリーは、きさらを投げ飛ばす事が出来るようになった。体力が無尽蔵なきさらの相手をして貰え、稜真は助かっている。
今日はアリアとそらも一緒だ。とは言え、きさらの遊びには参加しない。鬼ごっこをしながらの雪合戦だ。そらは木の上に積もった雪に体当たりして、アリアに落とし、アリアはお返しに雪玉をそらに投げる。
アリアとしてはきさらを投げてみたかったが、もし母に見られようものなら、確実にマナーレッスンの時間を増やされる。
ひとしきり遊んできさらが満足したのを見計らい、アリアがきさらの首に抱きついた。
「もっふもふ~。ねぇ、稜真。きさらに3人乗るのって無理かな?」
「3人とは、ユーリ様の見送りですか?」
稜真は、スタンリーもいるので丁寧に聞き返した。
「そう。私も行きたいな、って思って」
「どうでしょうね。──きさら、3人乗せて飛べる?」
『3人? 大丈夫だと思う。やってみる!』
きさらはそう言うとスタンリーを見る。
「どうしてきさらは俺を見るんだ?」
「会話の流れで分かるでしょう?」
「スタンリーはお兄様より重くて大きいもんね。うふふ。スタンリーを乗せて飛べるなら、長距離も大丈夫よね~」
じりじりと後ろに下がるスタンリーを、稜真はガシッと捕まえた。
「師匠。付き合ってくれますよね? この間、模擬戦に誘った時は断ったんですから」
「お前、こんな時にそれを言うか!?」
「スタンリー、付き合ってね~」
アリアの言葉には逆らえない。
「……はぁ、分かりましたよ」
少しでも軽くしようと、スタンリーと稜真は軽鎧を脱いで身軽になり、防寒具を着込む。
アリアが1番前。その後ろに稜真、1番後ろにスタンリーが乗った。なんとか3人乗れたが、スタンリーが大柄なので狭い。なるべく隙間をなくそうと、稜真は左腕でアリアをギュッと抱き寄せ、右手だけで手綱を掴んだ。
「はわわわぁ~~っ!?」
アリアが悲鳴を上げる。
「ごめん、痛かった?」
「い…痛いとか、痛くないとかじゃなくって…。だ、だ、大丈夫……」
いつも2人で乗る時は、ここまで密着しない。今はぴったりと密着している。稜真の体温がじんわりと伝わって来るのだ。アリアは大きな心臓の鼓動が、稜真に聞こえてしまうのではないかと心配でならない。
首まで真っ赤になっているが、アリアのマフラーで稜真は気づかない。
スタンリーは、稜真の腰の剣帯に掴まった。
「きさら、行けそう?」
『うん。飛んでみる』
きさらはバサッ、バサッ、といつもよりも羽を大きく羽ばたかせ、地面を少し走って助走をつけて飛び立つ。
「うわぁっ!」と、スタンリーの悲鳴が上がる。
「きさら、大丈夫?」
『ふふ~ん。きさら力持ちだもの!』
その余裕のある返事に安堵する。
屋敷が小さく下に見える。
「リョウマ、飛べたからもういいだろう? 降りないか?」
「様子を見たいので、もう少し付き合って下さい」
「……分かったよ…」
今日は青空が広がる暖かい日だ。
デルガドの上空を飛ぶと、きさらに気付いた人が手を振ってくれる。稜真は両手が塞がっているし、スタンリーの震える手は稜真の剣帯から離せない。そしてアリアは、飛び立ってから全く反応がない。きさらが代わりに手を振った。
「うおわっ!?」
またスタンリーから悲鳴が上がった。
デルガドの上をゆっくりとひと回りして、屋敷に戻った。
地上に降りると、スタンリーは真っ先にきさらから滑り降り、雪の上に座り込んだ。
「はぁ~。地面はいいなぁ」
アリアは未だに黙り込んだままだ。何度も飛んでいるから、今更怖がってはいないだろうし、どうしたのだろうか。
「アリア? 大丈夫?」
「はわわわ!? だ、だ、大丈夫!!」
稜真は純粋に心配して声をかけたが、まだきさらに乗って、アリアを抱き締めたままなのだ。耳元で優しく言われたアリアは、我に返ってから慌てふためいている。
「…本当に大丈夫?」
「ホントダカラオロシテ~」
「どうして片言?」
稜真はアリアをひょいと横抱きにすると、きさらから降りた。
「~~~っ!?」
声にならない声を上げ、地面に降ろされたアリアはスタンリーの隣にへたり込んだ。そらが心配してアリアに寄り添う。
「リョウマ…お前も大概だよなぁ」
復活したスタンリーに言われたが、稜真には意味が分からない。それよりも、きさらの状態を確認したい。
「きさら。ユーリ様はあんなに体が大きくないけど、乗る時は長距離を飛ぶよ。行けそう?」
『大丈夫。行ける!』
「そう? それじゃ、ユーリ様を送る時はよろしく頼むね」
『は~い!』
「──お嬢様はいつまで雪の上に座っていらっしゃるのですか? お風邪をひきますよ?」
(誰のせいだと思ってるの~~!?)
「リョウマ。きさらは俺が厩に連れて行ってやる。お嬢様に温かい紅茶でも飲ませて差し上げろ」
「あ、はい。お願いします」
スタンリーはきさらを連れて行った。
「それじゃ、行こうかアリア。…どうしてそんな顔をしているのかなぁ」
(もう! 稜真ったら鈍感なんだから!)
アリアはムスッとしたまま、わがままを言ってみた。
「甘いココアが飲みたい…」
「了解」
「稜真が作ったお菓子も食べたい…」
「今すぐに作るなら、パンケーキかな」
「果物付きで…」
「はいはい」
「歌…」
「どうしてそこで歌が混じる!?」
「ぶ~っ!」
『あるじー。そらも、ここあとおかし』
「いいよ。そらの分もね。作って来るから、アリアは部屋で着替えておいて。部屋に持って行くから」
「うん。そらも一緒に行こう。体拭いてあげる」
『はーい』
すっかり機嫌の直ったアリアとそらを見送り、稜真は厨房へと向かったのだった。




