87.きさらとの遊び
午前に用事をすませて午後の時間を空けた稜真は、雪が積もる外の練習場にやって来た。幸い天気は良い。
今からきさらと遊ぶ。どんな遊びをするつもりなのか見当もつかないが、遊ぶならば広い場所がいいだろう。きさらは足取りも軽く浮かれている。
「さて、きさら。遊ぼうか」
グリフォンの遊びとはなんだろう。
稜真に思い付くのは、『取って来い』や『ボール遊び』くらいだ。どちらも犬が喜びそうな遊びである。グリフォンは獅子の下半身だから、猫に近いのかも知れない。──巨大猫じゃらしは存在するのだろうか。
『いいの? 遊んでいいの?』
きさらは尻尾をピンと立て、期待に満ち溢れた顔をしている。
『きさらは、兄妹達とやってた遊びがやりたい!』
「兄妹と? 何して遊んでいたの?」
『んっと、こうやってね~』
きさらが頭を下げたかと思うと、真っ直ぐに突進して来た。稜真は慌てて避ける。きさらは雪だまりに突っ込んで止まった。頭に付いた雪をぶんぶんと振り払うと、きょとんと首を傾げた。
『主、なんで避けるの?』
「避けるわ!」
『きさらね。いつも兄妹達と取っ組み合ってた。楽しかったの』
不思議そうに首を傾げる様子は可愛らしいが、言っている事は可愛くない。
「……つまり、俺と取っ組み合って遊びたい、と?」
稜真が言うと、きさらは目をキラキラと輝かせて、思いっきり頭を上下に振る。
(…マジか。……グリフォンと取っ組み合い…ね)
稜真はこの冬16歳になり、身長も伸びた。160センチを超えたくらいだろうか。
対するきさらは馬よりもひと回り小さいが、地面から背までの体高は150センチ。お座りした状態で地面から頭の先までだと、稜真が軽く見上げるくらいはある。体重は稜真の5倍はありそうだ。
それでも約束したのだから、叶えてやりたい。
「──分かった。準備して来るから、ちょっとだけ待っていて」
稜真は1度屋内に入ると、インナーを重ね着した上に軽鎧を装備した。マントや外套は邪魔になりそうなので、身につけない。これが遊ぶ準備だろうか…、そう思いながらも軽く柔軟してから外に出た。
深呼吸をし、覚悟を決めて練習場の中央に立った。
「いいよ、きさら。おいで」
しっかりと身構えた稜真は、『わ~い!』と飛びかかって来たきさらの前脚を掴むと、その勢いのままに投げ飛ばす。中学、高校の授業で習った柔道を試してみたのだが、思いのほかうまく行った。
きさらは飛んで行った先で、雪まみれになってコロコロと転がる。
(……やりすぎた、かな? あ…大丈夫だ。嬉しそうな顔しているし…って、また来るのか!?)
きさらは雪を蹴立てて突進して来る。
稜真は飛びかかられては投げ飛ばし、時には跳び箱のようにきさらを飛び越えた。きさらは何度雪に突っ込んでもめげず、いや突っ込む程にテンションが上がり元気になる。何度も何度も稜真目掛けて走って来るのだ。
(ははは…。気分は闘牛士だよ…)
「何かしら? 外が騒がしいですね?」
ちょうど練習場の真上辺りに位置しているのが、クラウディアの部屋だ。クラウディアは手に持った針と布を机に置くと、窓から外を見おろし、軽く目を見開いた。
「アリア、こちらにいらっしゃい」
「どうしたのですか、お母様?」
アリアも針と布を机に置いて立ち上がった。
今日もアリアのお目付け役をしているそらは、止まり木からアリアの肩に移動する。アリアがクラウディアが指差す方を見ると、きさらが稜真に向かって突進して行く所だった。
「なっ!?」
『あるじー!?』
アリアとそらは、稜真が綺麗にきさらを投げ飛ばすまでを見た。
「ねぇ、アリア。止めた方がいいのかしら?」
母付きのメイド長は、恐ろしそうに身を震わせる。
「あのグリフォンは、リョウマを襲っているのでしょうか? 魔獣とはやはり恐ろしいですね」
「違うわ。きさらのあの嬉しそうな顔ったら。稜真に遊んで貰って、喜んでいるのよ」
「あれが遊びでございますか? とてもそうは見えません」
きさらは遊んでいるのだろうが、病み上がりの稜真は大丈夫なのだろうか。アリアとそらは心配でならない。
『おねえちゃ、はやく、した、いこ!』
そらは落ち着かない様子で、アリアを急かす。
「アリアは下へ降りて、皆に説明してくれるかしら? きっと心配しているわ」
「行って参ります!」
『いって、くる!』
「戻ったら、続きをしましょうね」
「…はい…お母様…」
コツが掴めてきたと言っても、ずっと布に向き合う事に苦痛を感じるアリアだった。
練習場に面した窓には、心配そうな人々が集まっていた。
中でも料理長は、止めに入るべきか迷って、うろうろしていた。それをスタンリーが止めている。
「落ち着け。リョウマの顔に余裕があるから、心配ないと思うぞ」
「そうは言うがな…」
近くで見たアリアとそらは気が抜けた。
突進してくるきさらを、稜真は仕方ないなぁという顔で投げ飛ばしている。きさらも力加減をしているのが見て取れた。
「やっぱり大丈夫だった」
『そら、しんぱいした、のに』
「お嬢様。リョウマ君は大丈夫なのですか?」
エルシーは半泣きの表情だ。ラリーとマイケルの顔も青ざめている。
「心配しなくても大丈夫よ。きさらも稜真に怪我をさせないように気を使っているし、あれは遊んでいるだけね」
「あれが遊びですか…。ハードな遊びもあったものですね」
料理長の言葉に人々はただ頷いた。
「今度から、前もって連絡するように言っておくわ。皆に心配かけたんですものね。──ふふっ、良い事を思いついちゃった。明日のお昼は、稜真に作って貰いましょ!」
「リョウマの料理か。この間差し入れして貰った鳥の唐揚げ、美味しかったよな」
ラリーが言う。他の面々も同じく差し入れを思い出したのか、食べたそうな表情だ。
「よぉし! 稜真が作れそうな料理を紙に書くから、皆どれが食べたいか言って。全部作って貰っちゃおう!!」
アリアは料理名と、簡単な料理の説明を箇条書きにする。
和風おろしハンバーグ、鳥の唐揚げ、とんかつ、さば味噌、茶わん蒸し、だし巻き卵、生姜焼き、各種丼物、お好み焼き、うどん等々。途中で作れるのかな、と思ったが、まぁいいやと思いつくままにあげる。
そして、各自が食べたい料理の横に名前を書く。
そんな事になっているとは露知らず、稜真は疲れてタイミングを見誤った。きさらに抱え込まれる形で、ゴロンゴロンと雪の中を転がる。少々目は回ったが、痛みはない。
(きさらの腹毛が、もふもふで気持ちいい…)
遊んでいる時のきさらは、爪をたてないように、稜真に怪我をさせないようにと、気を使ってくれていた。それでも体格差がありすぎる。全力で相手をした稜真は、心地よい脱力感に襲われている。
(……疲れた)
稜真はきさらにもたれて、空を見上げた。
『楽しかった。また遊んで!』
綺麗な赤い目を輝かせて、嬉しそうに頭を擦り付けて来るきさらは可愛い。稜真も疲れてはいたが、グリフォンと全力で遊んだのは楽しかった。
スタンリーとの鍛練以上に体力を消耗している。
「毎日は無理だから、たまになら…ね」
ごろごろと喉を鳴らす生きたソファに体を預けていると、このまま眠ってしまいそうだ。
「おい、お前ら。いい加減にしとけよ、ったく!」
雪を踏みしめてスタンリーがやって来た。
「何をしていたんだ?」
「きさらが遊んで欲しいと言うので、遊んでいました。師匠もやります?」
「やらん! リョウマ、向こうを見てみろ」
顎で指された方向を見ると、腰に手を当てて仁王立ちのアリアを筆頭に、心配そうにこちらを見ている人々が見えた。
「あ、ははは…」
「お嬢様が遊んでるだけだから、大丈夫と仰ったがな。見ていて怖いんだよ。──と言うかリョウマ。その体格差で、どうやってきさらを投げたんだ?」
「相手の勢いを利用するので、力は余り使いません。タイミングですね」
「今度教えろ」
「いいですけど、きさらとの遊びに付き合って下さい」
「……あれにかよ。しゃあねぇな」
「いつまでそこで話してるの!? 早くこっちに来て!」
業を煮やしたアリアが窓を開けて叫ぶ。
「お嬢様がお怒りだぞー。お説教されて来い」
「いや…。俺はきさらを厩に戻して、体を拭いてやりたいので……」
「俺がやっといてやる。来いよ、きさら。おやつもやろうな」
「クォン!」
スタンリーは嬉しそうなきさらを連れて、厩に歩いて行った。
「稜真、まだ!?」
(仕方ない、素直にお説教を賜って来るとしますか…)
稜真はアリアにこんこんとお説教をされたが、体調が完全に戻ったのは納得して貰えた。
「でも、心配したんだからね!」
『そらだって! しんぱい、したの!』
「悪い。今度から遊ぶ時は声をかけるよ」
きさらと遊びは、雪のある間だけと約束する。稜真も雪のクッションがない時にやりたくはない。
ふふふふふ…と、アリアが笑う。何やら不穏なものを感じた稜真は思わず後ずさった。
「……何かな?」
「これ。稜真にプレゼント」
アリアは何枚もの紙を稜真に渡す。
「明日のお昼ね~」
「………待って。これを全部作るのか?」
「うん。心配した皆さんからのリクエストだもん」
断れないよ、とアリアは言う。
「何種類あるんだよ…って、うどんも作るのか!?」
「作れる?」
「一応、じいちゃんが作るのを手伝った事があるけどさ。もう少し、種類を減らせなかったのか?」
「えへへ。和食を思い出せる限り書いちゃった~。無理なのある?」
「……なんとかなりそうな物ばかりかな。だけど、種類がありすぎるんだよ」
うろ覚えの料理も多い。
「仕方ない。作ってみるよ」
「それじゃお父様達にもリクエストを聞いてくるね~」
「旦那様達の分、も…?」
この上まだ量が増えるとは、1人でどうしろと言うのか。おまけに明日は、筋肉痛になりそうな気がするのだ。稜真は助けてくれそうな人物を見つめた。
「はは。そんな情けない顔で見るな。手伝ってやるよ」
料理長は、くしゃくしゃと稜真の頭を撫でた。暖かい大きな手が心地いい。
「ありがとうございます」
稜真は料理長と目を合わせ、ふわりと微笑んだ。
「──はっ!? もったいないものを見逃した気がする!」
突然立ち止まったアリアの肩で、そらは不思議そうに首を傾げたのである。




