73.帰宅までの道行き
翌早朝。さすがに早すぎるかと思ったが、アリアは食堂に下りた。厨房では、マシューが調理の真っ最中だった。
「おはようございます。マシューさん、早いね~」
「おう、おはようお嬢さん。今日は少し早いが、大抵こんなもんさ。もう出来るぞ。──ただなぁ、入れ物の事を考えてなかったんだよ。さて、どうするか…」
マシューは稜真の体を考えて、栄養バランスの良い料理を作った。さっぱりした味付けの料理や汁物。体調が戻った時の為のがっつりした肉料理もある。とにかく種類も量も多い。
「どうしようかなぁ。料理の入れ物とかは、全部稜真が持ってるんだよね」
稜真に貰うのが1番だけど、マシューから内緒にしておいて驚かせて欲しいと頼まれている。
「汁物以外は包んで渡せる。持ち帰り用の入れ物を使えばいいからな」
「あんた、考えていても仕方ないじゃないのさ。お嬢さん、出来た分から包んでお渡しするから、アイテムボックスにしまっておくれよ」
「了解~」
アリアはデリラが包む料理を、受け取ってはしまう。
「それにしても女将さん。お料理の量、多すぎない? 私、2~3日分って言わなかったっけ?」
「リョウマの為となったら、張り切り過ぎたんだよ、あの人。受け取ってやっておくれな」
「ありがたいけど、稜真、絶対気にするんだよな~。どうしようかしらん」
う~んと、アリアは考え込んだ。
「クルルゥー」
「おはよう、そら」
稜真は窓を開け、そらを外に出してやる。その間にそらの朝食の準備をしていると、扉を叩く音がした。
「稜真、起きてる?」
「起きてるよ。──おはよう、アリア。今朝は早いね」
「おはよう。あのね、稜真。お鍋を出してくれる?」
「……どうして朝から鍋?」
「内緒~。大きめのと中くらいの鍋がいくつか欲しいの」
「良いけど…」
稜真は言われるがままに鍋を取り出し、アリアに渡した。
「これでいい?」
「うん。ありがとう。あ、朝ご飯は1時間後ね。それじゃ、後でね!」
「──何に使うんだ?」
稜真は首を傾げた。
朝食をすませて宿を出発した。
出発の時、マシューは厨房から手を振り、デリラは軽く稜真を抱きしめてくれた。
「あんたは、息子みたいなもんだ。またおいで。待ってるよ」
「ありがとう…ございます。お世話になりました」
稜真は鼻がつんとして、涙が出そうになるのをこらえた。
食堂には他にも客がいた。その客もアリアを知っているし、先日稜真が手伝っていた時の客もおり、一緒に見送ってくれた。
「おうアリア様。また来いよ!」
「リョウマだったか? また美味いもん、マシューに教えに来てくれよ!」
食堂の出口で、稜真は頭を下げた。アリアはデリラに小さな包みを渡し、元気良く手を振って別れを告げた。
屋根に止まっていたそらが稜真の肩に止まる。
「アリア。ギルドには行かなくてもいいの?」
「大丈夫! 昨日の内に挨拶をすませてあるもん」
「そうか、それじゃあ帰ろう」
町を出て、人目のなくなった場所で稜真は石笛を吹いた。山にいたきさらと空間が繋がる。
きさらは寝そべっていたが、すぐに呼ばれた事に気づき、こちらに飛び込んで来た。
「クォン!!」
嬉しそうに稜真にすり寄るきさらを、がしがしと撫でてやる。
「そういえば、どの方向に向かえばいいんだ?」
「地図あるよ~」
アリアは地図を広げた。メルヴィル領の地図である。
中央に領主町のバインズ。北には山脈。
山脈の西峰、その少し下方にある町がアストン。旅の途中で寄った村、行った事のない町や村、農地、川等が細かく書かれている地図だ。
「まっすぐ東に向かってから、バインズに向けて南に向かえばいいと思う。空を飛んで行くから、街道の事考えないでいいもんね。きさらの速さが分からないから、細かい事は飛びながら考えようよ」
「大ざっぱだけど、それで行こうか」
山脈を左に見て飛べばいいのだから、迷う事はない。スピードはきさらに任せた。きさらが辛くない、無理をしない程度の速さで飛ぶように頼む。
「クォルル?」
稜真には、きさらの言葉が伝わって来た。以前アリアに、魔獣使いとランクの高い従魔は、念話で会話出来ると聞いた事がある。これがそうなのだろうか。
きさらは『無理しない速さでいいの?』と言っていた。
「ああ。速さはきさらに任せるよ」
「クォン!」
任せて! ときさらは飛び立った。そらはアリアが懐に抱えている。
「稜真、速くない?」
「この間よりも速いよね。きさらにとっては、これが普通なのかな?」
前回乗った時と同じく、全く風を感じないのだが、スピードが違う。
アリアは地図を見た。
「え~っと、あそこがソレク村…かな? あの川がここだよね…。という事は……え!? もう、ここまで来たの!?」
アリアの声に心配になり、きさらに声をかけた。
「きさら、本当に無理してないのか?」
きさらの返事は、『無理はしてないけど、張り切っちゃった~』と言うもの。
「無理してないならいいけどね…」
ぽんぽん、とその体を軽く叩いてやった。
それでも気になったので、1度下に降りて休む事にした。川辺にちょうど良さそうな場所があったので、そこに降りた。
そらは、周囲に魔物がいないか確認に行ってくれた。きさらは川で水を飲んでいる。
「アリア、地図見せて。今どこだって?」
「ここら辺…」
最初に言っていた行程の、3分の1に到達していた。
「……速いね…」
水を飲み終わったきさらが、『何々?』とのぞき込んで来る。
「きさら、全力ではないんだよね?」
んん?と首を傾げてから、きさらはこっくりと頷く。
全力だと長い時間は飛べないけれど、倍の速さで飛べるらしい。グリフォンがすごいのか、それともきさらがすごいのだろうか。
「のんびり行っても、明日には帰れるね。もっとゆっくりでも良かったのに、ここまで早いとは思わなかったよぉ……」
叱られるのはなるべく後が良かったと、アリアはがっくりとうなだれた。
「早い方がいいさ。ずっと手紙だけだったんだ。旦那様も心配なさっているよ」
「分かってはいるんだけどね~」
「ここでお昼にしよう。何を作ろうかな?」
「作らなくてもいいよ! マシューさんに色々と作って貰ったの」
「色々って、いつの間に…」
「稜真を驚かせようってね~」
アリアはそう言うと、敷物を敷いて次々に料理を出す。
「鍋はこの為だったのか……」
稜真は呆れたように、鍋ごと出て来た煮込み料理やスープの鍋を見た。今の時点でも結構な量なのに、アリアの手は止まらない。
「って、アリア!? 何日分頼んだんだよ!?」
「うん。私は2~3日分って、お願いしたんだよ? 女将さんが言うには、マシューさんが稜真の為だからって張り切ったんだって」
「ありがたいけどさ…」
「大丈夫! ちゃんと多めにお金払って来たよ」
アリアは中身が見えないように包んだお金を、宿代を含めて多めに渡して来た。急に無理を言った自覚もあったし、お礼を渡さないと稜真が気にするのが分かっていた。抜かりはない、とばかりに胸を張った所で、きさらが目に入った。
「……稜真。グリフォンって、雑食性だったっけ?」
「図鑑によると、肉食性だった筈だけど」
「…あれあれ」
アリアが指さした方を見ると、きさらが鍋の中に頭を突っ込んでいた。空っぽになった鍋がいくつか転がっている。
「こら! きさら!」
ビクッ、としたきさらが顔を上げるが、どうして怒られたのか分かっていないようだ。
『美味しいよ?』と、きさらは不思議顔だ。
「アリア…。何が入っていた鍋か分かる?」
「う~ん。野菜の煮込み、シチュー、ロールキャベツ…だったかな?」
残った鍋に入っている料理は、煮込みハンバーグ、鶏肉のトマト煮込み。どうやらきさらは、野菜料理の鍋を選んで食べたようだ。肉食性ではなく、雑食性だったのだろうか。
「──きさら」
稜真が怒っているのを感じてか、きさらはシュンとして俯いている。その顔を両手で上向かせ、目線を合わせた。
「言っておかなかった俺も悪いけど、食事は食べていいよと言われるまでは、口をつけちゃ駄目だ」
稜真が厳しい声で言うと、その目が潤んだ。
「クォンルルゥ…」
きさらは、『ごめんなさい』と鳴いた。
「それともう1つ。知らない人から貰った物には、絶対に口をつけない事。分かったか?」
「…クォン」
「俺と一緒にいるなら、人の世界のルールも覚えないといけないんだよ。今回は仕方がないけど、教えた事は忘れないでね」
そう言って、稜真はきさらの頭を撫でた。きさらは反省したようだ。
「稜真、空いたお鍋は私が洗っておくから、瑠璃を呼んであげて。皆で一緒にご飯食べようよ」
「そうだね。そらも戻って来たし」
稜真はその前に、せっかく温かい料理が冷めないように、なんの料理が残っているのか確認しながら、アイテムボックスに片付けた。
『瑠璃、お昼を一緒に食べないか?』
稜真が瑠璃に念話で話しかけると、喜々として返事が返って来た。
『すぐに参りますわ!』
「主! お昼はなんですの?」
一瞬後に瑠璃が現れた。
(本当にすぐだね。最近、瑠璃が食いしん坊になってるなぁ。もっと早く呼んで上げれば良かった)
どれだけ楽しみにしているのか、瑠璃は全開の笑顔を見せている。精霊である瑠璃は食事を食べなくてもいいのだが、稜真の料理を食べてから、食べる事に目覚めたのだ。
「きさらはどうしたんですの? しょんぼりしていませんか?」
「ああ、先に食べちゃってね。叱った所なんだよ。さすがに鍋ごと食べられるとは思わなかった」
「……鍋ごと? どんなお料理だったのですか?」
「野菜の煮込み、ロールキャベツ、シチューだったな」
「……私が…食べた事のないお料理もありますわ……」
瑠璃はきさらの前で仁王立ちになった。
「いいですか、きさら。仲間は分け合うものです。独り占めなんて、許されません。主は優しいから、きつく言わなかったでしょうけれど、今度やったら私が許しませんからね!!」
しょんぼりと俯いていたきさらが、伏せをして震える。
「クォルルルゥ」
「瑠璃。今度俺が同じ料理を作ってあげるからさ。それぐらいで許してやって。きさらはまだ、人の世界の事を何も知らないんだ。今回は仕方ないよ」
「主が作ったお料理でしたの?」
「いや、宿のご主人の心尽くしでね。俺が作らなくていいように、アリアが手配してくれたんだよ」
「そうでしたの」
瑠璃は宙に浮かんできさらを見下した。そしてきさらをキッと睨むと、冷たく言い放った。
「主のお料理じゃないから、このくらいで許してあげるのです。主のお料理だったら、私どうしていたか分かりませんわよ?」
「クォン!?」
「稜真、鍋洗い終わったよ~」
騒動の隣で鍋を洗っていたアリアが戻って来た。瑠璃に説教されて、ガタガタ震えるきさらに目を瞬かせた。
「うわぁ…。ねぇ、稜真。うちで1番怖いのは、瑠璃だと思わない?」
「アリアが1番お姉さんなのに?」
「私はほら、色々とやらかした所でしょ? 瑠璃には頭が上がらないの……」
「俺も瑠璃には叱られたからなぁ……」
そらだけが、きょとんとした顔で皆を見回していた。




