71.栄養剤
宿に戻った稜真は、そらの食事を用意してから風呂へ向かった。
風呂に入るのは、記憶から消し去りたいドラゴンとの入浴以来だ。余り長湯して体調が悪化しても不味いから、そこそこで上がった。
食事はどうしようか迷ったが、報告書が難航しているのか、アリアはまだ戻らないようだし、先に食べる事にした。
食堂に行くとデリラが迎えてくれ、厨房側の席へと案内される。
何も聞かずにマシューが出してくれたのは、細かく切った野菜が何種類も入った、優しい味の卵雑炊。
(…美味しい)
ドラゴンの屋敷で出された料理は、こってりしたものが多かった。心配させないように、無理に食べていたが、後で胸焼けがして苦しい思いをしたのだ。
卵雑炊は体に染み渡るように感じた。稜真は無理する事なく完食した。
「マシューさん、ごちそうさまでした。美味しかったです」
マシューは、軽く手を上げる事で答えてくれた。
「リョウマ。ゆっくりと休むんだよ」
「女将さん、ありがとうございます。お休みなさい」
「ああ、お休み」
部屋へ戻った稜真はイルゲの薬を出し、水差しからコップに水を入れた。造血剤と栄養剤をひと包みずつテーブルに置く。
まずは増血剤からだ。白い包みを開くと、中も白い粉薬だった。口に入れると、いかにも薬といった味が広がり、慌てて水を飲む。
次は栄養剤だ。コップの水は半分残っているし、もうひと包みを飲むのには足りるだろう。
稜真は茶色の包みを開くと、中から出て来たのは色鮮やかな青い粉薬だった。あり得ない色に感じるが、異世界の薬だしな、と自分を納得させて口に入れる。
「…ぐっ」と、余りの不味さに思わず声が漏れた。
アリアはようやく報告書に目処がつき、宿へ戻って来た。現在時刻は、夜7時半。まだ寝てはいないだろうと、食事の前に稜真の部屋にやって来た。
(つっかれた~。ものすごく頭を使ったよ。こんな時は稜真様の声に癒されないとね~)
ふふっと笑って扉をノックした。
「稜真、ただいま~」
返事がない。眠ってしまったのかと耳をそばだてると、中から聞こえたのは慌てたそらの声。
「クウッ!? クルルゥ! クウウッ!!」
幸い部屋の鍵はかかっておらず、アリアは中へ飛び込んだ。すると、真っ青な顔をした稜真が、口を押さえてしゃがみ込んでいるではないか。そらがバタバタと周囲を飛び回っている。
「稜真!? ──ど、どうしたの!? 気分悪い? わ、私。お医者様呼んで来る!!」
部屋を飛び出そうとしたアリアを、稜真は服を掴んで引き止めた。
「え? 何?」
引き止められたアリアが稜真を見ると、何かを身振りで伝えようとしていた。
稜真が指を指しているのは、水差しと空のコップ。よく分からないが、アリアはコップに水を注ぎ、稜真に手渡した。
受け取ったコップの水を一気に飲み干し、稜真は「はぁ…」と息をついた。
「ありがとう、助かったよ……」
稜真の顔色は、幾分ましになっている。アリアはバクバクとうるさい心臓を押さえ、安堵で床にへたり込んだ。
「もう、びっくりしたじゃないのよぉ…」
「クルルゥ…」
そらもアリアの隣に降りて、くたっとした。
「ごめん。心配させて悪かったね。イルゲさんに薬を貰って来たんだよ。増血剤と栄養剤なんだけど、その栄養剤が不味くて、不味くて……。苦味とえぐみがもう…ね。なんと言うか、不味い青汁の何倍も不味い物を、濃縮して粉にしましたって、感じ?」
慌ててコップに残った水を飲んだが、口に広がった味を消すにはとても足りない上、水を含んだ事で口中に薬の味が広がった。こみ上げる物を必死で我慢する。水が欲しい。だが、水差しからコップに水を注ぐ、その動作すら危ない気がした。
脂汗が出て血の気が引き、耐えきれずに床に膝をついた時、アリアが来てくれたのだ。
「…アリアが来てくれて…本当に助かったよ」
アリアは、稜真が目を潤ませている姿に萌えかけたが、なんとか押し殺した。
「この薬を1日3回……。アリア、オブラートって、ないかな?」
粉薬を包んで飲む為のオブラート。稜真が子供の頃、祖父が使っていたのを見た記憶があるし、自分でも使った経験があるが、この世界にあるのだろうか。
「オブラートって、何?」
「粉薬を飲む時に使う、薄いフィルムみたいなものなんだけど…」
「う~ん。知らないなぁ」
「お菓子にも使われていたけど、それも知らない? キャラクターのグミがくっつかないようになっていたり、飴を包んであったりして。口の中で溶けるんだけど…」
「あ、そっちは知ってる! へぇ、オブラートっていうんだ。明日イルゲさんに聞いてみようよ」
あちらでもこちらでも健康優良児だったアリアは、オブラートで薬を飲んだ経験がなかったらしい。稜真はアリアとの世代の差を感じた。
「──それじゃ、報告書の内容を説明するね!」
「まず村の魔獣被害をまとめたの。残りは、要点を読み上げるね」
子供が行方不明と聞き、手分けして捜索を行う。
稜真が襲われた子供を助け、魔獣のおとりになって子供を逃がした。
そこへアリアが合流。協力して魔獣を倒したが、稜真が怪我をした。
隣村に滞在していた巫女メリエルを、村人が呼んでくれた。
稜真が治療を受ける。
魔獣の正体が魔猿と分かった。魔猿は群を作る魔獣である。稜真は意識がなく動けない為、アリアは群れの調査に山へ向かった。
以前知り合ったドラゴンに出会い、魔猿の話を伝えると、怒ったドラゴンが群れに制裁を加えた。
回復した稜真が、アリアが調査に向かったと聞いて無理を押して山へ向かい、アリアと合流。魔猿に怪我を負わされた稜真に、ドラゴンがお詫びとして剣をくれた。
アリアがいたのに稜真が怪我をした点が微妙だが、特に追求はされないだろう。
「こんな感じ。後は、お姉さんがきちんと報告書にしてくれるって。私が関与してるから、多少の不審点は誰も気にしないだろうって言われちゃった~」
あはは、とアリアは笑った。
「お疲れ様。ところでアリア。どうして、主さんに刀を貰った事にしたのかな?」
「迅雷は目立つでしょ? 私もこっちで刀を見た事ないし、お姉さんも見た事ないって言ってた。この世界にあるのかどうかも分からない。珍しい剣で通すにしても、出所を聞かれたら困るじゃない? 女神様に貰いました、なんて言えないもん。その点、出所がドラゴンなら、不思議に思われないと思ったの」
「…そう…か」
稜真はなるべく目立ちたくない。目立つアリアがいるのだから、せめて自分だけでも目立たずにいようと思うのだ。
「なぁ、アリア。普段使うのは、普通の剣にすべきじゃないかと思うんだ。迅雷はアイテムボックスに入れておいて、いざという時に使えばいいんじゃないか?」
「駄目だよ、稜真。女神様は迅雷の事、なんて言ってた?」
「俺の分身だって言っていたな…」
「分身なら一緒にいなくちゃ。それに剣と刀では、振るい方も違うんじゃないかな。普段から使って慣らしておかないと、いざという時に使いこなせないかも知れない。目立ちたくないなんて、使わない理由にならないよ」
真面目な顔でアリアは言う。──その言葉は本心だが、ルクレーシアに貰った刀なら、稜真のスキルを使っても壊れる事はないだろう。稜真を心配する気持ちも強いが、スキルが見たいという下心が大きかったりもする。
「そうは言ってもなぁ」
「それにね。迅雷は、アイテムボックスに入りたがらないと思うんだな~」
「入りたがらない? だって、さっきも風呂に行く時は入れていたよ?」
寝る時にはベッド横の、手の届く所に出しているし、起きている時は身につけている。これは師匠のスタンリーに厳命されていた事だ。普段から武器は手放すな、と。今はベッド横の机に置いてある。
「これまでは、でしょ? 今の話聞いてからじゃ、どうかなぁ。試しに入れてみて」
「聞いて? やってみるけど…」
迅雷を手に取り、アイテムボックスに入れようとした。すると、カタカタと震えて光を放つ。
「えっ!?」
もう1度入れようとすると、パシンパシンッ、と宙に小さな稲光が走った。
「ね~、嫌がるでしょ? 私なんて最初、触らせてもくれなかったもの。小さな雷落とされてね~」
「…女神さん、つい加護を多くしすぎたと言っていたけど、意思を持つ刀って……」
結局、稜真は普段から迅雷を使う事になった。どうしてもアイテムボックスに入ってくれないのでは、どうしようもない。
国宝である迅雷の拵えは、一見豪華ではない。その点で目立たないのは幸いだった。見た目は地味な、黒一色の刀なのだ。
だが、手にとってみれば、鍔には繊細な彫りが施されている。鞘は黒漆塗りで、金で精緻な模様が描かれている。あくまでも目立たず上品な刀だ。その美しさは、さすがは国宝と言える。
「それにしてもさ。主さんには、色々と押し付けているよね。1度行って、了解貰っておかないとなぁ」
黙っていても分からないだろうが、それでは稜真の気がすまない。
「うふふふふ。絶対に歌わされるよね。楽しみ~~」
「………きさらと行ってくるから、アリアは留守番して──」
「却下します!」
「クルル!」
アリアとそらは同時に言った。
「だよ、ね…」
──稜真の説得の結果、風呂の間はアイテムボックスに入ってくれるようになった。女神の加護が多い刀。まだ何かやらかされそうで、不安な稜真であった。
翌日。朝食をすませて薬屋に向かった。
今日の店番はジルだ。挨拶を交わしてイルゲを呼んで貰う。
「──イルゲさん、昨日は薬をありがとうございました。それでその…栄養剤が飲みにくくてですね。オブラートってないでしょうか?」
「…リョウマ。あんた、あのまま飲んだのかい?」
イルゲは呆れたように言った。
「へ?」
「うっかりオブラート渡すの、忘れちまってねぇ。とうとう、あたしもボケたか」
「え~! おばあちゃん、栄養剤売る時は、必ずセットでオブラートも売る事って、最初に私に叩き込んだ癖に! リョウマさん、可哀想」
「だから、うっかりしたんだよ。──あ? なんだって? 夜と朝、2回も飲んだ? ……勇者だねぇ」
稜真は朝の分の薬を飲む時は、水を入れたコップを2つ用意した。それはもう、決死の覚悟をして飲んだのだ。
「皆さんは、あれを普通に飲んでいるものだと思って、頑張ったんですが…?」
「はっ! あんな味の薬、そのまま飲む奴なんて、いるもんかい!」
「……イルゲさん」
薬をくれた事に感謝している稜真だが、あんまりではなかろうか。アリアとジルの、同情に満ちあふれた視線が突き刺さる。
「不味い薬だが、効き目は保証するさ。ほら! これもオマケしといてやるよ。……悪かったね」
そう言って、イルゲはオブラートを渡してくれた。
「悪かったね」の言葉は、かろうじて聞こえるくらいに小さかった。
主人公のモデルの一人が、肺炎になりまして…。
しっかり薬飲んで、とっとと治せ馬鹿~! と言う気持ちが溢れました(^-^;
卒業前のこの時期にねぇ……。早く治るといいな。




