68.女神の加護
ゆっくり歩いて村長の家に着くと、アーロンが出迎えてくれた。稜真の手を引いて、椅子に座らせてくれたのには閉口させられたが、心配してくれての事だから文句が言えない。にまにま笑っているアリアには、後日たっぷりお返しすると心に決めた。
稜真の隣にアリアが座る。部屋には村長と巫女もおり、村長の奥さんがお茶を運んでくれた。
お昼を食べるのを忘れていたのを思い出したアリアが、お菓子を取り出した。アストンで買い込んでおいた物らしい。色々な種類の焼き菓子だ。
村長の奥さんが、お菓子を乗せるお皿を用意してくれた。その場を離れようとした奥さんに、アリアは袋に入った焼き菓子を渡す。
「あらまぁ。ありがとうございます」と、押し頂いて下がって行った。
しばらくして落ち着いた所で、アリアはドラゴンの棲む山で魔猿の群れを倒した事を伝えた。
「そこまでして頂けたとは…。この度は本当にありがとうございました」
これで家畜が襲われる事はなくなると、村長が頭を下げた。
群れを倒したのは成り行きである。稜真は自分の怪我で村の人達に迷惑を掛けてしまい、申し訳ないと思う。
「こちらこそ。色々とお手数をお掛けしてしまったようで、お陰で助かりました」
「ええ。村の人達が頑張ってくれたから、稜真が助かったの。ありがとう。──でも、お礼を言い合うのは、ここまで。皆が助かったんだから、もう良いでしょ?」
そう言って笑ったアリアは、お菓子を追加した。そらには稜真が手で持って食べさせてやる。
「クゥ、ルルゥ」と、そらは嬉しそうについばむ。
「リョウマ様、体調はいかがですか?」
巫女が心配そうに稜真を見ている。不調を見透かされているようだ。
「本調子ではありませんが、だいぶん良くなりました。ご心配をおかけしました。──ただ、巫女様。せめて巫女様は、俺に様を付けないで貰えないでしょうか?」
村人達から言われるのも気恥ずかしいが、恩人にまで言われるのは心苦しい。
「メリエルとお呼び下さい。あれ程までに高位の神の加護を得ておられる方を敬うのは、巫女として当然の事でございますよ」
メリエルはにっこりと微笑んでいる。全く取り合ってくれないメリエルに、稜真はため息を吐く。
「…アリア。あれ程って何があったの?」
「えっとね。巫女様の祈りで光が稜真を包んだ後に、もっと明るい黄金の光が重なったのよ。それがなかったら、回復にもっと時間がかかったらしいよ。あれって女神様だったのかなぁ」
「女神さん? ああ、そうかもな」
ルクレーシアは、稜真には『回復の術が色々あるのだから、神の加護はない』と言った。
「結局、治療の助けもしてくれていたのか」
ありがたいな、と心から思う。そんな感謝の思いがあふれ、「ルクレーシア様、ありがとうございます」と小声で呟いた。
その呟きを耳ざとく拾ったメリエルが、ハッとして聞き返した。
「今、ルクレーシア様とおっしゃいましたか?」
聞かれてしまったのなら仕方がない。
「はい。眠っていた時、ルクレーシア様とお話しする夢を見たので……って、巫女様!? どうして俺に跪くんですか!?」
ルクレーシアの名を出した事を稜真は後悔した。メリエルは立ち上がると、稜真の足元に跪いたのだ。
「癒しの女神を上回る程の暖かい黄金のお力。ああ! 今思えば、あのお力は創造神様だったのです!」
「単に夢を見ただけかも知れないでしょう!?」
「いいえ、いいえ! 間違いございません! ああ、今まで気づかないとは、私もまだまだです。リョウマ様は直接癒やしの力を送って頂ける程に、創造神様から愛されていらっしゃる。きっと創造神様の加護を得ていらっしゃるのでしょう!」
「そ、それは…」
「創世の頃より、創造神様の加護を得た者はおりません。唯一の方に首を垂れるのは、巫女としての務めです」
「…勘弁して下さい…」
今度はメリエルに聞かれないように、極々小さな声でアリアに耳打ちする。さっきもあんな小さな呟きが、まさか聞かれるとは思っていなかったのだ。
「アリア。神様の加護ってそんなに珍しい物だったのかな?」
「加護を貰った人は珍しいって聞くけど、いない訳じゃないよ。火の神様とかね。ルクレーシア様の加護持ちが創世の頃からいないなんて、私も知らなかったし。これ、否定しても無駄っぽいね~」
メリエルが稜真を見る目は、確信に満ちている。稜真としても恩人に嘘は言いたくない。
「……アリアの方が俺より先に加護を貰ってたよね。唯一じゃない事を教えてあげよう、ね?」
「嫌。ふふん、隠しといて大正解!」
「…ずるいよ。──巫女様、お願いですから俺に跪かないで下さい。はっきりとルクレーシア様の力かどうか、分からないではありませんか」
「巫女様だなどと! どうかメリエルと呼び捨てになって下さいませ!」
稜真がなんと言っても、祈るようにこちらを見上げるのを止めてくれない。
「お隠しになりたい気持ちは分かりますが、癒しの女神エドウィナ様よりも高位の神は、何柱もおられません」
「あの…アリア様。私共も跪いた方が良いのでしょうか?」
先ほどから、困ったように固まっていた村長が尋ねた。アーロンは我関せずとばかりに、お茶を飲んでいる。
「稜真が困るから止めてあげて。巫女様も。立ち上がって貰えないと、稜真が困っています。普通にして下さい」
メリエルが神殿に報告を、と言うのをなんとかなだめ、話が広まらないように説得する。稜真の気持ちに背く事は、創造神の意に反するとまで言うと、ようやく諦めてくれた。村長とアーロンも話さないと約束した。
夕食まで時間がある。疲れた稜真の顔を見て、アリアは散歩に誘った。
「オルソンさんの所に行こうよ」
アリアは、オルソンがメリエルを呼びに行ってくれたのだと話した。
「そうか。オルソンさんにお礼を言わないとね」
「放牧の山羊を集めている頃だな。行くぞ」
アーロンが稜真と並んで歩き出した。
「あ、あれ? アーロンさんに稜真取られちゃった…」
2人でのんびり散歩をしようと思っていたのに、いつの間に来たのだろうか。
「クゥ…」
そらはアリアの肩に乗っていたが、慌てて稜真の所に飛んで行く。稜真の肩には乗らず、地面に降りて、ちょんちょんと跳ねるように地面を行く。稜真は楽しそうにアーロンと話をしている。
アリアはアーロンの背中を恨めしそうに見つめた。
(アーロンさんずるい…。ん? でもこの位置って、妄想に最適かも~)
アーロンと稜真が、仲睦まじく並んで歩く姿が見られるではないか。アリアがにんまりした途端、稜真が振り返ってじろっと睨んだ。
(あわわわ…。さ、最近、稜真の勘が鋭すぎる気がする…)
放牧場に着くと、オルソンが目を潤ませて、稜真の無事を喜んだ。ずっと心配してくれていたのだと、稜真はありがたく思う。
「オルソンさん、巫女様を連れて来て下さって、ありがとうございました」
「いいえ。わしが少しでもお力になれて、良かった。お元気になられて何よりです」
そう言って恐縮するオルソンに、アリアもお礼を言う。
「稜真が助かったのは、あなたのお陰よ。お礼が遅くなって、ごめんなさいね」
「アリア様、もったいないお言葉でございます」
その後、稜真はすっかり元気になった山羊達に囲まれて、メリエルとの会話の疲れを癒したのだった。
オルソンに、山羊と存分に戯れさせて貰った礼を言うと、散歩の続きに戻る。稜真の隣には、相変わらずアーロンがいる。
村をひと回りし、そろそろ村長の家に戻ろうとした所に、サージェイが通りかかった。しょんぼりと歩いていたが、こちらを見て目を輝かせた。
稜真を見て駆け寄る姿は、まるで子犬のようだ。
「兄ちゃん! あ、しまった…。リョウマ様だったっけ」
「サージェイまでリョウマ様は止めてくれ…」
「…でも」
両親に『リョウマ様』と呼ぶように言われたのだそうだ。稜真が説得し、兄ちゃん呼びに戻して貰った。
「兄ちゃんは明日、町に戻るんでしょ? その前にカレンに会って貰えないかなぁ。カレンがね、兄ちゃんにお礼を言いたいんだって。あ、アリア様にも会いたがってた」
「いいけど…。サージェイ、なんだか元気ないね」
「カレンに滅茶苦茶怒られて、大泣きされた…」
サージェイはうつむいた。
「それだけ心配したんだね。大事な人に心配かけたら、怒られるのは当たり前かな。怒ると言うよりも、叱る、だね。心配して叱ってくれる人がいるのは、ありがたい事だよ」
そう言うと、稜真はサージェイの頭をくしゃっと撫でた。稜真に撫でられ照れくさそうにするサージェイは、少し元気が出たようだ。
「へへへ。そうだ、兄ちゃん。俺、皆に馬鹿にされちゃったよ」
なんの事か尋ねると、稜真が言った『赤っぽい金髪のアリアってお姉ちゃん』が、『アリア様』だと気づかなかったのがおかしいと、笑われたらしい。髪色と名前で分かるだろうが、と両親にも笑われたのだと言う。
自責の念に駆られていたサージェイが、気づかなくても仕方ないと思うが、それだけアリアの知名度は高いのだろう。
「自分でも馬鹿だと思うけどさぁ。…なんだかこの先、ずっと言われそうな気がするんだなぁ」
その予測は当り、サージェイは大人になっても言われ続ける事となる。
明日の朝、一緒にカレンの家へ行くと約束を交わし、サージェイと別れた。
アリアは稜真とアーロンの後ろを歩くと、どうしてもよこしまな事を考えてしまうので、並んで歩く事にした。そらはアリアの肩に乗っている。
「稜真は山羊だけじゃなくって、サージェイにも懐かれてるよね。ふふ、私、おまけみたいに言われた」
「サージェイは弟みたいで可愛いよ」
アーロンはそう言う稜真の頭を、さっき稜真がサージェイにしたように、くしゃっと撫でた。
「弟ね。俺にはお前が弟みたいに思えるよ。何をやらかすか気になって、目が離せない」
村長の家が近付き、アーロンは手を振って自宅へと戻って行った。弟みたいと言われ、稜真は嬉しく思う。
「な~んだ、弟みたいに思ってたのかぁ」
「……どうして残念そうに言うのかな?」
「よ、夜ご飯何かなぁ。早く行こうよ」
アリアはそそくさと村長の家に向かう。稜真はため息をついて後を追った。
翌朝。サージェイと共にカレンの家へ行くと、サージェイよりもひと回り小さな少女が待っていた。
「アリア様。リョウマ様。この度はサージェイを助けて下さって、ありがとうございました」
そう言って、丁寧にお辞儀をしてくれる。
「カレン、起きて来て大丈夫なのか」
サージェイが心配そうに聞いた。
「うん。昨日プルムの実を食べたら元気でた。ありがとう、サージェイ。それに、ベッドの中からのご挨拶なんて、お2人に失礼だもの」
「こんにちは、カレン。俺もサージェイに助けて貰ったんだよ。無理した事は怒られるべきだけどね。君も、無理しちゃ駄目だよ」
「大丈夫です。今日は本当に調子がいいの」
カレンはそわそわしてアリアを見た。
「あの…アリア様にお会い出来て嬉しいです。私、ずっとお会いしたいと思ってました」
「私に?」
「はい! アリア様は村の女の子達の憧れなんです。あの、お姉ちゃんもお会いしたいと言ってて。家にお招きしてもいいですか…?」
「あんまり時間取れないけど、いいよ。喜んで」
「ははっ、アリアは人気者だね。女の子同士の話なら、俺はどうしようか」
カレンにとっては、稜真の方がおまけだったようだ。
「それじゃあ、兄ちゃんは家に来て! 母さんも会いたがってるんだ」
「そう? それじゃ、お邪魔しようかな」
「クルルゥ?」
そらが、自分はどうしよう?といった風に首を傾げた。
「そら様も俺を助けてくれたんだ。一緒に来てよ!」
「クゥ!?」
稜真はクスッと笑った。
「そら様と呼ばれて、びっくりしているよ」
「へへっ! 兄ちゃん! そら様! 早く行こうよ!!」
アリアと稜真が、それぞれのお宅で持て成されている頃。
ある冒険者が村にやって来た。
「冒険者が立て続けにこんな小さな村に来るとはな。なんの用だい?」
「この村の依頼を受けて来た冒険者がいるだろ? どこにいるか教えてくれる?」
「ああ、アリア様とリョウマ様かい? 村長の家に泊まってるさ」
やって来た冒険者はニッキーだった。軽く言う男の様子から、最悪の事態は免れていたと分かり、体から力が抜けた。
「ギルドから伝言を持って来たんだ。村長の家、教えてくれるかい?」




