38.アストン到着
翌日の朝にはカルロスが待っていた村人も戻り、無事に品物を渡し、出発する事が出来た。
ドルゴ村からアストンまで、距離はそう離れていない。昼食を食べてから出発しても夕方には到着出来るのだが、ノーマンのたっての願いで稜真が昼食を作る事になった。
今日アストンにつけば、この旅も終わってしまうのだ。思いのほか楽しかった馬車の旅。次にこんな旅が出来るのはいつだろうか、と稜真は思った。
稜真はこの旅の間に、乗馬にもある程度の自信が持てるくらいに上達した。そして今は、おさらいの為に馬車を御させて貰っている。
「リョウマ君、上手くなりましたな」
「カルロスさんのお陰です。ノルもいい子でしたしね」
実はノルは、3頭の中でリーダー的な存在である。気に入らない者の言う事を聞かない気難しい馬だが、稜真には最初から懐き、そのぎこちない指示にも嬉しそうに従っていた。
稜真の肩の定位置には、そらが乗っている。そらも馬車の旅に慣れ、時折アリアにちょっかいをかけに行っては、ノルの背に移動していた。ノルも嫌がる事なく、そのまま歩みを進めるのだ。そらがノルの上でバランスを取る姿が愛らしく、稜真とカルロスは笑いながら、その様子を眺めた。
「くくっ、今回ほど楽しい旅が出来たのは、初めてですわ。これも坊ちゃんのお陰ですかな」
「今頃どうしているでしょうね。俺もピーターのお陰で、カルロスさんやノーマンさんと知り合えました。とても楽しかったです」
思い出しながら微笑む稜真の横顔を、カルロスは見つめる。そして、躊躇いながら切り出した。
「リョウマ君。良かったら、うちの商会の専属になりませんか? お給料は弾みますよ。何しろ料理は出来る、腕はたつ、魔法が使える、おまけに気が利く。専属になって貰えると、私はとてもありがたいのですよ。いかがですか?」
「とてもありがたいお話だと思います。でも俺はアリアの専属なので、申し訳ありません」
即座に返された返事に、カルロスは空を見上げた。
「そうですか…。残念ですなぁ。本当に、残念です」
カルロスは稜真との出会いを思い起こした。
ネヴィルが怪我をして、どうしたものかと考えていた時だ。友人の孫であるピーターに出会った。彼がメルヴィル領に行く話は聞いていたが、まさか出会うとは思わなかったし、聞かされた失敗談には青くなった。
そして、ピーターを助けてくれた少年と少女に興味を持った。
アリアが冒険者で伯爵令嬢である事は、ピーターが話した訳ではないのだが、話の辻褄の合わなさから推察するのは簡単だった。メルヴィル領に毎年来ているカルロスは、アリアの噂を聞いた事もあったのだ。隠そうとしているのが分かったので、ピーターにはそれとなく釘を刺しておいた。
2人が護衛依頼を受けてくれないだろうか。駄目で元々と思いつつ持ちかけてみれば、あっさり受けてくれた。
アリアという腕利きの冒険者を雇えた安心感よりも、どことなく息子に似た少年が気になった。
カルロスは流行病で、相次いで妻と子供を亡くしていた。
妻の黒髪黒目を受け継いで、好奇心旺盛で優しい息子だった。馬車の扱いを教え、商売にも伴おうと考えていた矢先に亡くなってしまったのだ。
──長年、思い出さないようにして商売に打ち込んできた。
友人の孫を見ると、息子を思い出した。生きていれば、自分にも孫がいたのだろうか。そんな思いを抱き、抱いた事に罪悪感を覚えていた。
その思いがこの旅で晴れて来た気がする。
息子と妻の事を思い出しても辛くない。亡くなった時の辛い思い出よりも、楽しかった思い出が蘇るようになったのだ。
それが、どこか不思議な雰囲気を持つ、少年のお陰だと分かっていた。
自分がする旅の話に、楽しげに聞き入ってくれる。質問をしてくれる。普段の雰囲気はどこか大人びているが、図鑑を広げて質問して来る時は少年らしい表情を見せる。
そんな稜真は、余りに知らない事が多かった。カルロスは不思議に思ったが、教えてやれる喜びの方が大きかった。
稜真とアリアがお互いを大切に思っている事は、これまでの旅で伝わって来た。専属になってくれる筈がない事も分かっていた。──だが、言わずにはいられなかったのだ。
「……残念ですなぁ」
カルロスはもう1度つぶやいた。
途中の河原で馬車を止め昼食にする。
稜真がノーマンに、もう1度料理を作ってくれと頼まれたのは昨夜の事。宿の厨房を借りて、ざっと下拵えはすませてあった。
後は、混ぜ合わせて火を通すだけだ。メニューは炊き込みご飯と鳥肉の包み焼きである。
出汁と醤油、人参、キノコを入れて米を炊く。アリアが前に穫ってくれた魚の残りは、小さな魚が多かったので焼いてほぐして準備をしておく。
以前採っておいた葉を取り出し、玉ねぎを敷いて鳥肉を乗せて包んだ。今回は、焚き火のすぐ横に埋めてみた。
しばらくすると、炊き込みご飯の炊ける匂いが辺りに漂い始めた。
「うわぁ、すっげえいい匂いがする」
「お腹すいた~」
「いやはや、食欲をそそりますなぁ」
「クルルルゥ」
「もう少し待って下さいね」
ご飯が炊けたので、ほぐしておいた魚を混ぜ合わせた。美味しそうなお焦げも出来ている。
包み焼きは、葉は真っ黒になっていたが、中からは美味しそうに焼けた肉が顔を出した。そらの分に鳥肉はどうかと思ったので1つは魚で作り、薄味の包み焼にしてある。
人数分の皿に、炊き込みご飯と肉を盛り付けた。
──多目に作った料理は、今度こそ足りるだろうと稜真は思っていた。
「この間、肉巻きおにぎり譲ったじゃない! 今度は私の番でしょ!?」
「それとこれとは話が別だ。この間と同じ事言わせて貰うぜ。俺は次にいつ食えるか分からん。ここは可哀想な俺に譲るべきだろうよ。この先も食べられるお前は、快く俺に譲れや」
「可哀想? 私の方が可哀想だし!」
やり合う2人に稜真はため息が出る。包み焼きは、特に多めに作ったのに、自分の分をたいらげたノーマンが、次から次へと食べたのだ。そして最後の1個に手を伸ばしたアリアと衝突しているのである。
「あの2人は…。ノーマンさんは、いくらなんでも食べすぎじゃないかなぁ…」
「ほっほっほっ。それだけ、リョウマ君のご飯が美味しいのでしょう。さてさて、お茶でも飲みませんか」
カルロスは、紅茶とはまた違う茶葉を取り出した。
「リョウマ君。お湯を用意して貰えますかな」
稜真が熱くしたお湯でカルロスが入れてくれたお茶は、香ばしい香りがするほうじ茶のような味だった。
「俺、このお茶好きです。美味しいですね」
「それは良かった。バノ茶と言って、私がいつも飲んでいるお茶なのですよ。茶葉を分けてあげましょうね」
「ありがとうございます。そうそうお茶菓子代わりに食べませんか?」
料理長に分けて貰った食材に入っていた芋を、火の側に埋めていた。いい具合に焼けている。
芋の見た目はサツマイモで、少しだけ焼いて味見したら、味もサツマイモだった。こちらでの名前は何と言うのだろう。
稜真が困っているのは、食材の名前をそのまま口にして良いかどうかだ。今のところ、あちらと同じに見える物は同じ名前だったが、先程の茶のように知らない名前の食材もある。
「ほうほう、焼き芋ですか。頂きます」
焼き芋を半分に割ると、ほこほことした黄色が現れた。甘味があってとても美味しい。おねだりするそらと、稜真は分け合って食べる。
「あ~、焼き芋だ! 稜真、稜真! 私の分は!?」
最後の1個争いに負けたアリアが、甘い匂いにつられて飛んで来た。
「はい、どうぞ」
「わ~い、焼き芋久しぶり~。うん、甘くって美味しい!」
「……うっ、さすがに入らねぇ」
「ノーマンさんは食べすぎです」
稜真は、火の反対側に埋めた包み焼きを取り出した。嫌な予感がして、2つ隠しておいたのだ。
「カルロスさん、これをアイテムボックスに入れて下さい。もう1人の護衛の方と、カルロスさんの分です。次の野営の時にでも、食べて下さいね。」
「これはこれは、ありがたいですな」
こちらもこっそり取り分けておいた炊き込みご飯は、なんとか2人分はありそうだ。おにぎりにすると、お焦げ混じりで美味しそうだ。アイテムボックスに入れてあった食材用の紙で包み、それもカルロスに渡す。
明らかに2つずつしかない包みに、ノーマンがおずおずと聞いて来た。
「あー、リョウマさん。俺の分は?」
「ある訳ないでしょ? あれだけ食べておいて…。きっとノーマンさんは保存食ですね」
ノーマンはがっくりと膝をついた。
アストンには夕方前に到着した。この町はバインズよりも少し大きな町だった。カルロスはひと晩泊まり、明日店を開いて昼に出発する予定だと聞いている。
宿の部屋割りはいつも通りかと思っていたら、カルロスが言った。
「リョウマ君、年寄りのわがままを聞いてくれますかな?」
「なんでしょう?」
「今日は、私と一緒の部屋にして貰えませんかな。この先、いつ会えるか分かりませんからなぁ。名残惜しいのですよ」
稜真も同じように感じていたので、にっこりと笑って答えた。
「喜んで。ご一緒させて下さい」
そらをいつものように部屋に残して宿の食堂に行くと、ノーマンに見知らぬ男を紹介された。
「おう、2人に紹介しとくな。こいつが、うっかり怪我して護衛出来なくなっていた、俺の相棒のネヴィルだ」
「ひと言余計だ!」
ノーマンの腹に容赦なく拳を入れたのは、細身で長身の男性だ。背中にかかる長いこげ茶の髪を、1つに束ねている。
「痛てぇって…。そんで、こっちがアリアと従者のリョウマだ」
ネヴィルは、まずカルロスに頭を下げた。
「カルロスさん。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「いえいえ。ネヴィルさん、軽い怪我ですんで何よりでした。明日からまたお願いしますよ」
そして、アリアと稜真にも頭を下げる。
「アリアさん、リョウマ君。お2人に護衛を引き受けて頂いて助かりました。ありがとうございます」
「ノーマンさんの相棒とは思えないくらい、丁寧な人ね~」
「アリア失礼だよ。俺達もアストンに来るつもりでしたから、助かりました」
ネヴィルは何日か前に到着して、この宿で待っていたそうだ。
夕食後に入浴し、アリアのお手入れをすませてから部屋へ戻った。
「お帰りなさい、リョウマ君」
「ただいま戻りました」
「そうそう。これを差し上げますよ」
そう言ってカルロスはアイテムボックスから杖を取り出した。
稜真はまだ、こちらの魔法使いが使う杖を見た事がない。カルロスがくれたのは、いわゆる長杖ではない。かと言って有名な映画シリーズの少年魔法使いが持っている細い短い杖でもなかった。40センチ程の長さの、先端が丸く渦を巻いている木製の杖だ。シンプルだが頑丈そうな杖だった。
「あまり良い品ではないのですが、魔法を使う時はこれを使うようにして下さい。何しろ杖なしでは、魔法は発動出来ませんからなぁ」
「──そうだったのですか。ありがたく頂きます」
アリアはまだ、ノーマンから聞いた話を稜真に伝えていなかった。杖を手に入れてから話すつもりだった。
稜真はそれ以上の事を何も聞かないカルロスを、心からありがたく思う。
「私は昔、子供と妻を流行り病で亡くしていましてな。息子はリョウマ君に似ていましたねぇ。息子を思い出させてくれて感謝しているのですよ。──リョウマ君、私に出来る事があれば頼って下さい。私は普段王都の店にいます。力になりますからな」
そう言って店の住所を書いた紙をくれると、目を細めて優しく頭を撫でてくれた。
頭を撫でられるような子供ではないつもりだったが、料理人だった祖父の事が思い出された。そっと優しく撫でてくれる手に、稜真は胸が温かくなったのだった。




