全員自認の最弱パーティー ~アルカナの勇者たち~
登場人物
リオ:20歳、男性配送スタッフ(アルバイト) 自認勇者
エレナ:20歳、女性図書館司書補 (パート) 自認賢者
カズマ:19歳、男性夜勤のコンビニ店員 自認忍者
全員漫画好き、喫茶店「アルカナ」で漫画の話をよくする仲間
喫茶店「アルカナ」の角席は、三人の「作戦会議」と称する雑談の聖域だった。窓の外では祭りの準備が進み、提灯がぶら下がるたびに店内の影が少しだけ踊る。コーヒーの湯気がテーブルの上で輪を描き、三人はその輪を見つめながら漫画の話をしていた。最新刊の主人公の決め台詞、コマ割りの妙、そして「ここで一歩踏み出すかどうか」の微妙な間合い。言葉は軽く、しかしどこか真剣だった。二十歳の夜は、そういうものだ。
リオは傘の柄を剣に見立てて振る。振るたびに鞘(傘のカバー)が外れて床にコロンと落ちるのが定番のギャグだが、本人は真剣そのものだ。エレナはノートの端を折り、ページの隅に小さな丸印をつける。丸は彼女の魔法の詠唱呪文だ。カズマはポケットから小麦粉の小袋を取り出し、ふざけて煙玉のつもりで振る。白い粉がふわりと舞い、三人は一瞬だけ忍者めいた姿になる。常連が「またやってる」と呆れ顔で通り過ぎるのも日常だ。
「今日の作戦は?」とエレナが訊く。
「焼きそばを二人前で分ける。あと、最新刊の伏線について議論する」リオが答える。
「俺は煙玉の改良案を考えた」カズマは真顔で言い、三人は笑う。肩書きは冗談だ。だがその冗談が、彼らの連帯を作っている。
祭りの昼、屋台の列は音と匂いの層で満ちていた。鉄板のはじける音、綿菓子を巻く棒の軋み、金魚すくいの網が水を切る音。ソースの甘さ、焼き鳥の煙、揚げ物の油の焦げる香りが鼻腔を満たす。リオは屋台の列を歩きながら、主人公が決め台詞を叫ぶ場面を真似してみせる。子どもが笑い、隣の老婦人が微笑む。エレナはそれを冷静に分析して、「ここはコマを三分割にして、真ん中で間を取ると効果的」と言う。カズマは小麦粉を指でつまみ、ふっと吹きかけて忍者のポーズを取る。三人のやり取りは軽やかで、祭りの空気にすっと馴染んでいた。
夕暮れが来ると、提灯が一つずつ灯り、影が長く伸びる。光は柔らかく、影は確かに重い。屋台の一つで油がはじけ、小さな火花が紙に触れた瞬間、笑い声が止まった。火は赤い舌を伸ばし、提灯の光を飲み込む。匂いが鋭くなり、空気が重くなる。群衆の動きがぎこちなくなるその間に、リオは立ち上がった。勇ましさではなく、確かな指示を出す声だった。
「こっちだ、逃げ場はあっち!」
声は大きくはないが、群衆の中で道を作る力があった。人は声に従い、動きが整う。
「みなさん、転ばないように、急いで非難してください。ご協力いただける方は、消火の手伝いもをお願いします!」
リオはすぐさま火事の現場へ急いだ。
エレナはスマホを取り出し、裏通りの地図を示して短く道順を告げる。「二本目を左、そこが安全だ」。言葉は冷静で、周囲はそれに従う。彼女は同時にメモ帳に要点を書き留める。記録することが、彼女にとっての救助の一部だった。
カズマは裏口へ回り、懐中電灯の小さな光を頼りに暗がりを探る。煙はまず匂いを変え、次に視界を奪う。視界を奪われると、人は声に頼るしかない。カズマは耳を澄ませ、小さな足音やすすり泣きを拾い上げた。人々が逃げている中に、母親とはぐれたのだろうか、そのようなそぶりを見せる子どもが一人いた。抱き上げると、子どもは驚いて目を見開き、やがて肩に顔を埋めて泣き止んだ。カズマはにやりと笑い、子どもを外へ運んだ。
三人の動きは、まるで漫画のコマ割りのように噛み合っていった。リオが「コマの一つ」を作り、エレナが「説明の余白」を埋め、カズマが「動線」を作る。能力はない。だが彼らの演出は現実の人々を動かす力を持っていた。
消火の初動は、プロが到着する前に町の人々が始めた。バケツリレーが自然発生的に起こり、濡れた布が火に投げ込まれ、消火器の白い泡が光を反射する。三人は中心に立って指示を出すわけではない。むしろ、彼らの軽いノリと即興の動きが、周囲の尻込みを解いた。リオの声、エレナの地図、カズマの素早い動き。テンポと気配りで火は抑えられていった。
火が落ち着いた瞬間、時間は別の質を帯びた。焦げた匂いが空気に残り、屋台の骨組みが黒く光る。人々は互いの顔を確かめ合い、無事を確認する。誰かが笑い、誰かが泣き、誰かが呆然と立ち尽くす。三人はそれぞれに小さな役割を果たし、やがて片付けが始まった。濡れた布を絞る手、焦げた皿を拭く手、提灯を外して新しい紙を当てる手。町は自分たちの手で日常を取り戻すことを選んだ。
祭りの夜は長く、細部が濃く刻まれていった。屋台の片隅に残された串の焦げ跡、子どもの靴に付いた灰、濡れた紙コップの縁に残るソースの跡。そうした小さな痕跡が夜の記憶を形作る。リオは濡れた毛布を抱え、店主に手伝いを申し出る。毛布の重さが彼の腕に伝わり、その重さが安心を作った。エレナはメモ帳に「必要:新しい提灯紙、布数枚、消火器講習」と書き込み、掲示板に貼る文面を考える。カズマは子どもたちの遊び相手になり、彼らの笑い声が戻るのを見届けた。
夜が深まるにつれて、三人の会話は祭りの出来事から漫画の話へと戻っていった。だがその会話の端々には救助のテンポが染み込んでいる。リオが「ここでこう叫べば盛り上がる」と言えば、エレナは「いや、ここは間を取って」と返す。カズマは小麦粉をつまみ、ふっと吹きかけて忍者ごっこを再開する。笑いは緊張を溶かし、軽さが人々を日常へと引き戻した。
翌朝、祭りの残り火は遠くで煙を上げ、街は片付けの音で満ちていた。屋台の骨組みが朝日に黒く光り、提灯の残り火が風に揺れる。人々の顔は昨日の恐怖を越えて、感謝と安堵の色を帯びている。喫茶店「アルカナ」の前には、子どもが描いた三人の似顔絵と小さな花束が置かれていた。町の掲示板には「アルカナの勇者たちへ」と書かれた紙が貼られ、写真が何枚も並ぶ。写真の中の三人は泥と煙と笑顔で光っていた。
三人はその光景を見て、ぎこちなく笑った。リオは「勇者って呼ばれると照れるな」と言い、エレナはノートに「救援:偶然多め」と書き込み、カズマは駄菓子を分け合った。だがその夜、彼らの肩書きは冗談でありながら、誰かの安心を作った事実を否定することはできなかった。漫画のコマ割りのように刻まれた時間が、現実の小さな奇跡を生んだのだ。
祭りの後、三人はそれぞれの日常に戻りながらも、町の片付けや小さな修復に関わり続けた。リオは配送の合間に屋台の主人の手伝いをし、焦げた鉄板を磨き、次の祭りに向けた話をした。エレナは図書館の端末を借りて地域の防災講習の資料を調べ、店主に配布する簡単なパンフレットを作った。カズマは夜勤の合間に近所を回り、子どもたちの遊び相手になって笑顔を取り戻す手伝いをした。
彼らのやり方は地味で時間がかかった。だが町の人々はその手間を見て、少しずつ安心を取り戻していった。屋台の主人は新しい提灯紙を貼り直し、子どもたちは「アルカナの勇者ごっこ」をして走り回る。常連は三人に小さな感謝状を手渡し、店主は新しいメニューを試作して振る舞った。町は自分たちの手で日常を取り戻すことを選んだ。
祭りから一週間ほど経った夜、三人はいつもの角席に戻った。窓の外には静かな街灯が並び、アルカナの中はいつも通りの温度を保っている。店主が新しく作った小さなクッキーを三人に差し出し、常連が「また何かやらかしたのか」と笑う。三人は肩を寄せ合い、漫画の最新刊の話に戻る。だが会話の端々には祭りの夜の余韻が残っている。リオがふと、「あのとき、俺たち意外と役に立ったな」と言うと、エレナはページの端に小さく「救援記録」と書き、カズマは懐中電灯をポケットにしまった。
彼らは相変わらず「最弱パーティー」を自称する。剣は落とすし、呪文は意味不明だし、煙玉は小麦粉だ。だが三人は知っている。能力がないことは欠点ではないことだと。人の声を聞き、手を差し伸べ、時間をかけて日常を戻すこと。そうした小さな行為が町の輪郭を守るのだと。
喫茶店「アルカナ」の窓は今日も外の光を受け止める。湯気はゆっくりと立ち上り、やがて消える。三人は角の席で笑い、また歩き出す。漫画のページをめくるように、彼らは日々の小さなコマを重ねていく。弱さを抱えたまま動くことが、誰かの夜を守る最も確かな方法だと、彼らは静かに確信している。灯りの下で、彼らは笑い、そしてまた歩き出した。




