39. 那古野城 三の丸戦(4)
天文18年(1549年) 12月那古野城
雑賀 孫六郎
三の丸の方角からかすかに聞こえる鬨の声。大路の先にはゆらゆらと篝火に照らされた大手門。辺りを闇に包まれた櫓の上で、雑賀孫六郎は一人静かに手元の火縄銃を磨いていた――
清州勢を引き込む囮役を引き受けた我らが大将・滝川彦九郎。その護衛のため、俺は大手門から三の丸に続く城の大路を見渡せる櫓に居る。
だがしかし、今夜はあいにくの曇り空。月が陰ってしまっては自慢の狙撃もできやしねぇ。それにこの暗闇で火縄に点火してしまっては敵から位置が丸見えだ。
火縄銃を使えぬ鉄砲衆など、糞の役にも立たん。
そうとなれば火縄銃は諦めて彦九郎のところへ加勢に行ってやりてぇが、いつこの雲が晴れるかわからぬし、三の丸から取り逃した者がいた場合に備えて鉄砲衆は城の回廊の至る所に潜んだままだ。
この闇夜が続くようでは意味はないがな……。
どれだけ目を凝らそうとも何も見えぬ闇夜に包まれた俺はやることもなく、滝川式の狙撃銃を磨いていると、はす向かいの暗がりから人が現れる気配がした。
「暇そうですね、雑賀殿」
「雲霧助五郎か。隠密衆のお頭自らやって来るってぇと、彦九郎は無事囮の役目を果たしたってことか」
筒を磨く手を止め、視線を向けるとそこには黒装束の見知った男――彦九郎が兄弟子として慕う甲賀忍びの雲霧助五郎が立っていた。
俺が紀伊を出た後、この男に初めて会ったのは志摩の争乱でのことだ。その時は足軽雑兵に変装していたが、戦場をするりと渡り歩き、敵に反包囲された九鬼弥五郎への伝令を軽々と果たすなど、忍びとしての実力は折り紙付きだ。
そして――、今宵も相変わらず惚れ惚れするような気配の消し方をしていやがる。
此奴に俺が気付けたのは味方への伝令ということであえて存在感を露わにしたからだ。その気になれば俺に勘付かれることなく背後に立つことも可能なんだろう。
「殿は坂井甚助を生け捕りにする手柄を上げ、その身に傷一つ負ってはおりませぬ。森様、前田様とも合流し、じきに三の丸を制圧するかと」
「それでいてあんたがここに来るってことは俺になにか役目が? この真っ暗闇じゃあ、あんたと違って夜目の効かない俺は、なんにも出来ねぇが……」
雑賀郷でも鉄砲撃ちなら一番を自負する俺は遠くのものを見る目には長けている。実際、数町先でも標的の顔を見分けることだってできるんだが、こいつら忍衆と違って夜目は効かない。
一度、雲霧にどう鍛えたらよいのか聞いたことがあるが、返ってきたのは「幼いころから慣らすしかない」というどうしようもない答えだった。
「此度の標的、坂井大膳とそれを追う平手中務丞様がもうじきこの大路へやってきます。平手様に加勢すべく、鉄砲衆には大膳の配下たちを減らしていただきたい」
「無茶を言いやがるな。さっきも言ったが俺たち鉄砲衆は夜目が効かないって……」
「それは承知しています。故に……、我ら忍衆と協力しませぬか」
同じ彦九郎に仕える者として忍衆に含むところはないが、あくまで鉄砲衆と忍衆は別組織。いったい何をしようと言うのか……。
「忍衆で排除できねぇのか? この闇で火縄を使えば敵から位置が見えちまう」
「忍衆はほとんどを殿の護衛と城の外に布陣した織田大和守の監視に付けております。それに我らばかり手柄をあげてしまっては、鉄砲衆も面白くありますまい。たしか、今代の孫一殿は弓が達者なのでは? 火縄が使えなくとも貴殿なれば弓が御座いましょう」
そう言って雲霧助五郎は挑戦的な笑みで俺を見つめ返してきた。
弓の名手として畿内で名を馳せた雑賀衆の親父・鈴木三太夫の後継であるお前ならそれくらできるだろうといった不敵な笑みだが――、面白い。
不思議と俺を見つめる雲霧の笑みに嫌味は感じなかった。
「……、誰に聞いてやがる。俺はあの孫一を継ぐ男。火縄も弓も、当代随一よ」
「ふふっ……。やはり殿が認めた御仁だ。雑賀郷にどんなに弓・火縄の名手が多くとも、貴方がいずれは孫一を継ぐことになりましょう」
彦九郎のことを常々、「殿は人の才を見抜く」「見出されたものは必ず成功する」と言って憚らない雲霧は、俺の答えを聞いて満足そうに頷いた。
俺も、次代の雑賀孫一と言って高く評価してくれる彦九郎の期待は裏切れねぇ。
「では、某が的を示してみせましょう。あとは"あの"雑賀孫一を継ぐべき貴殿の弓にてそれを射るのみ……」
「おめぇさんが俺の目の代わりか……。いいだろう。俺はお前の指示通りの場所へ寸分たがわず射ってやる。ただし、もし外れたとしたら……、それはおめぇさんの指示のせいだからな? 」
俺の弓の腕ならばこの大路の端から端まですべて射程の内。幼いころから畿内随一の名手・親父に教え込まれた俺にかかれば、目隠ししたって指示通りの場所を狙うことなど造作もない。
そんな俺の自信を知ってか知らずか。雲霧は、俺の言葉などどこ吹く風といった具合で、櫓から闇夜の大路に目を向けた。
「そこはお任せを。殿が立てた策、必ずや成就させましょう」
「……、あったり前よ」
俺の言葉に少しも動じた様子を見せない雲霧を尻目に、俺は磨き上げた狙撃銃をそっと櫓の隅に立て掛けた。
冬の寒さでかじかんだ手を動かし、白む吐息を吐き掛け、手指の感覚を確認する。
「雑賀殿、的がやってきました」
闇夜を凝視する雲霧がそう小さく呟いたのを聞いた俺は、構えを取り、何も見えぬ暗中に向かって弓を引き絞った――。
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天文18年(1549年) 12月那古野城
滝川 左近将監(一益)
「おいしょっ!! 」
「さすが殿。見事な太刀捌きございます」
「あれだけいた清州勢も、これで最後かな? 」
「ははっ。どうやら森様、前田様のほうでも片付いたご様子……」
最後まで幾人かの足軽達を率いて抵抗していた頭を倒した俺に、片時も離れず槍を振るっていた木全又左衛門が辺りを確認してそう答えた。若いのにこの戦場でも落ち着いた様子で、俺の周囲を警戒する様は立派な若武者だなぁと関心する。
三の丸広場には名のある武将も居なくなり、もはや烏合の衆と化した清州勢に俺が一騎打ちのスキルも使うこともなく、武力ステータスの差で暴れたことで、広場はあらかた片付いた。人数的に劣勢だったなかでこの結果は上々といえよう。
「あとは御家老が追ってった坂井大膳のみかな? 」
「さすが殿。これだけ雑兵どもを打ち倒してもまだ物足りませぬか!! 」
又左衛門と俺の会話に割って入ったのはうちの家老・平右衛門。戦が始まった当初は雑兵相手にぜぇはぁと息をしていたのに槍衆と合流したことで負担が減って途端に元気になった。
「では、早速我らも平手様を追いかけましょう!! 」
平右衛門が腰に紐でつないだ坂井甚助を引き摺りながら、槍を大きく振り回してそう言った。幾人かの槍衆もそれに賛同するかのように頷いている。
普段は優秀な家老の平右衛門も戦の気に当てられて、ハイになってるな。今回の一番手柄は平手さんに挙げてもらわないといけないってことを忘れているようだ。
俺がどうやってこの戦闘狂達を宥めようかと考えていると、大手門の大路に続く道から雑賀孫六郎と雲霧助五郎がやってくる来るのが見えた。
「どうやら滝川家の出番はもうないようだ。大路に配していた孫六郎に助さんも戻ってきたようだし……」
「なんですとっ!! 」
「大路に備えていたはずの鉄砲衆頭目に隠密衆頭目が来たということは、そこに向かった平手様がお役目を果たしたということ。じきに大膳の首級を持って戻ってくるでしょうね」
「新助の言う通りだ。だが平右衛門よ、手柄が挙げられないからといって気落ちするでないぞ。では、俺は二人を迎えに行ってくる。新助よ、平右衛門とそこの坂井甚助を頼んだぞ」
俺はガックシと項垂れた平右衛門と縄につながれた坂井甚助を新助に預け、今回は裏方として働いてもらった孫六郎と助さんに歩み寄った。
「助さん、孫六郎。平手様の助太刀ご苦労。その様子では、御家老様は無事ということでよいかな? 」
「ははっ。平手様が無事、坂井大膳めの首級挙げましてございまする」
「俺には暗くてさっぱり見えなかったがな」
俺の問いに力強く答えた助さんと対照的に、やや納得がいかないといった具合で答えた孫六郎。
どうやら夜目の効かない孫六郎は見えなかったようだが、助さん曰く、平手政秀さんはしっかり役目を果たしたようだ。
だけど真っ暗闇の城内を一人で坂井大膳を追いかけるなんて、平手さんはかなりの脳筋だよね。滝川家が助さんや孫六郎達を手配してなかったらどうなっていたことやら……。
「大膳の周りには数名の武者が居りましたが、暗中にもかかわらず、すべて雑賀殿の弓にて討ち取りましてございまする」
「ほぉう。やるねぇ、孫六郎」
「雲霧にあれだけ完璧に方角を指示されちゃあ、外すわけにもいかねぇからな」
助さんの報告に少し照れたように答えた孫六郎。
家臣同士であまり絡みのない2人だけど、今回の作戦で同じ滝川家頭目として仲が深まったようでなによりだ。
「残すは城外に布陣した大和守だけだな」
「大和守の陣には隠密衆を幾人か配置済みでございます」
「これから城を出て更に戦うのか? 」
孫六郎が怪訝な表情でそう聞いてきた。孫六郎の疑問は尤もで、もともと居留守役ということで少数の城詰め要員しかいない俺たちで、城外の大和守と戦うには部が悪い。
「いや、俺たちはこのまま城の守りを固める。大膳の策が失敗したと分かれば大和守はじきに清洲に退くだろう」
「みすみす返していいのか? 」
「大和守の件については守護様に任せる。今川と密約を結んでおることを三郎様名義で密告しておいたからな」
「いつの間にそんな事を……」
孫六郎が呆れた表情で俺を見つめてきた。とにかく今回の件で大和守を確実に守護代から引き下ろすためにいろいろ仕掛けたからな。
信秀さんが倒れた今、なるべく弾正忠家の敵を減らして信長さんに家中の統制を握ってもらわなければならない。ただし、今川や斎藤といった周りの強豪国に睨まれないような形で進めなければいけないのだ。
「守護様には我らが隠密衆より今川との密約についてご報告済みです」
「孫六郎よ、そういうことだ。おそらく守護様は清洲手前で大和守の帰りを待っているであろうな。どう処分されるかはわからぬが、守護代として清洲に凱旋させはしないだろう」
「大和守は見事に嵌められたってわけか」
「すべて三郎様と計画したことさ。あの方はただのうつけではないってことだ。念のため、守山城の孫三郎様に幾らかの手勢を率いて庄内川沿いに潜んでもらっているしな」
「うまくゆけば守護代はく奪。大和守家の権勢は尾張南部から排除されるな。目論見通りになるといいが……」
守護代と言う権威は大きく、どれだけ弾正忠家・信秀さんが強くとも清州奉行家という家格からは逃れられない。なんとかしてこの構造に風穴を開けたいのだが、果たしてどうなることやら……。




