第十一話 シェイラの憂鬱
少年期です。エル七歳。
この世界では、職業は星の数ほどあれど、それを受け持つのは魔法使いか剣士か識者の三つ、そのいずれかである。
それ以外の者はすべて『一般人』にすぎない。
よって、教育もまたそれに応じたものに形が整っている。
五歳程度になると、魔法の才能がある子は大抵魔力量が突出し始めるため、魔法の勉強に専念するのが一般的だ。優秀な者は騎士や術導教師になり、それ以外は魔法使いとして開拓者になったりする。
優秀でなくても、魔法使いは数が少ない上に、戦闘・生活その他様々な場面で活躍する職業であり、少なくとも食いっぱぐれることはない。
他の者は、語学・算術などを学びつつ剣を振り、文官か武官の騎士を目指すか、または剣士として開拓者となるか。
商人や鍛治師も進路の一つだ。
そういった専門職の場合は、毎年術導院で行われる試験で任意の資格を取る。いずれにせよ、その者たちも一種の識者であることに間違いはない。
魔法使い、剣士そして識者。
それらは独立した立場の存在であり、共存させるという考え方は少なからず一般的とは言えない。
例えば……ある少年が考えた、剣と魔法と知識の相互補完によって合理化を試みる考えなどは、異端とすら言えるだろう。
その道のエキスパートになるのが普通なのだ。
あれこれと手を伸ばし、多種多様な技能を習得するジェネラリストなど存在しない。
その役割分担の明確化こそが、この世界のほぼ全土に渡って染み付いた一種の価値観であり、常識でもあった。
だが、過程は違えど、その多元的な思考に辿り着いた者がいないわけではない。
シェイラがその一人だ。
孤児院では、十歳になるまでは剣も魔法も学問も習い続けることになっている。
男女問わず。
強い魔力を持つ子でも剣の才能のある子でも関係なく、全ての者に魔法と学問と剣術を叩き込む。
いくら魔力が少なく、魔法の才能の一片も見出せなくとも。
いくら体力が少なく、剣の才能の一片も見当たらなくとも。
下級魔法全位と、各流派の剣術を三の太刀全段まで最低限習得させ、また文字と言葉と四則演算もよく覚えさせた。
魔法使いでも体力が必要な時がある。
剣士でも頭を使う場面がある。
頭だけが回るより、剣や魔法の心得がある識者の方が、冷静で正しい判断ができる。
シェイラは口をすっぱくしてそう言い聞かせた。
開拓者、騎士、それより上の組織にも彼女の人脈は広がっている。
そういった者たちの話から得た、実際的で現実的な理論。
剣術や体術の道理に通じ、あらゆる魔法に習熟し、人を導く才気に恵まれたシェイラは、もはや教師として完成の域にあった。
何よりシェイラには、子供の優れた能力を見出す天賦の才があった。
そして、それを引き出すために力を尽くすことをいとわなかった。
そんな女性に育てられた子供が優秀でないわけがない。
自分を見てくれている、そう思えば子供は応えようとするものだ。
彼女の言うことをよく聞き、それが正しいものだと頭に刷り込み、己が持ち得る才気を伸ばしながら、的確に弱点を克服する。
無論、反抗期や思春期に入り、情緒不安定であったり自分の力に自信が持てなかったりする子供もいる。シェイラは根気強く相手をし、乗り越えさせた。
こうして世の中に出たシェイラの息子や娘たちは、孤児院育ちとは思えないほどの高い能力と精神性を備えていた。
***
朝。
シェイラは、コツコツと羽ペンの先で机をつつきながら窓の外を見ていた。
外では、午前中の剣術訓練を終えた子たちが水浴びをしている。
先に浴びているのは女子だ。
男子は囲いの外で順番を待っている。
数人の男の子が中を覗こうとしていたが、すぐに一目散に逃げ出す。ほぼ同時、女子がぶん投げたと思しき木桶が飛んできて、彼らを追撃する。
その光景を話の肴にしながら、何やら談笑している年長たちの姿も見える。
数刻前まで、真剣そのものの表情で剣術に撃ち込んでいた子供たちは、今はリラックスして心身を休めていた。
___しかし。
「……とっ」
「うぐ!」
ガッ、と大きな打撃音が響く。
シェイラが目を向けると、庭の端で一人の少年が無様に地べたを転がっていた。
艶のないくすんだ色合いの黒髪、淡い水色の瞳。
取り立てて特徴のない容姿の少年だ。
激しく肩で呼吸し、大量にかいた汗で服が肌に張り付き、見るからに疲労困憊の状態であることが窺える。
手に持っている二本の棒切れもあちこちがひん曲がり、酷使された跡がシェイラの位置からでも見て取れるほどだ。たったの二年でここまで使い込まれた木刀は中々見たことがなかった。
おそらく、彼の手も傷だらけだろう。
何度も何度も剣を振り、摩擦で皮がむけた剣士の手をシェイラは知っている。
一方で、少年の前には、実にきれいな芯の通った姿勢で立つ白い獣憑きの少女がいた。
呼吸の乱れもほぼ見受けられない。
剣士の理想とも言える構えだ。
手にした木刀は、少年のものと同じぐらいボロボロになっているが、不思議と彼女の手が少年のように血まみれになっているようには思えない。
剣の柄が少女の手に完璧に馴染んでいて、体と一体化しているように見えるのだ。
それは一種の天稟だった。
少女は、こと剣においては、人並み外れた才能を秘めている。
たまに剣を教えにやってくる騎士の友人の一人も、それは認めるところだった。
その騎士も、少年の剣才については微妙な顔をしていたことから、彼に剣士として大成する見込みはほぼ無いようだが、
「はぁ……ふっ、ぐ……ぜぇ、はー」
今にも吐きそうな顔で、しかし少年はふらふらと立ち上がり、木刀を構え直して再び少女に突進していた。
もう剣術稽古の時間は終わっているはずだが、彼らはまだ練習を続けている。
シェイラは眉を寄せ、唸りながら羽ペンをくるくる回した。
___机上に広げられた紙には、まだ何も書かれてはいなかった。
シェイラは子供一人一人に対して、最も効率の良い教育方針を取るようにしている。
普通ならその構想を練ることからすでに苦痛と取れる作業なのかもしれないが(実際、教師時代の同僚は、シェイラのやり方を真似ようとして三日も保たなかった)、シェイラにとっては趣味、苦しさより楽しさを感じるものであり、今では日課にすらなっていた。
一種の人間観察のようなものだ。
今日は週末、授業も訓練もない休日だが、孤児院の子は意識が高く、休日でも剣術や勉強をサボったりはしない___続けなければ衰えるとシェイラが教え込んだからである。
こういう日に、シェイラは自室から子供たちの生活を眺め、癖や偏りを観察・把握し、授業方針を決めていく。
そのことは子供たちも知っている。
だからこそ、母親である彼女に少しでも良く見られようと、休日であっても稽古は欠かさないようにしよう、という『意識』が自らの中に生まれるのだ。
信頼していない母に良く見られようとがんばる子供はいないわけだから、少なくともこの点でシェイラは子供たちの信頼を獲得していると言えた。
シェイラもその信頼に応えるべく努力している。
相互的な信頼関係がそこにある。
しかし、時には、そうした真っ向勝負が一切通じない子供がいる。
我の強いレイチェルや、表情や感情が掴みにくいガストンなどが曲者だった。
ルクもある意味ではそうだったと言えるだろう。
あいつは才能がありすぎて周りから浮いていたのだ。
それでもあれこれ手を尽くして、どうにか育ててきた。方向性を見出し、才能を開花させることができた。
だが、最近になってまたしても猛者が姿を現した。
誰あろう、トゥエルである。
「……」
ガガガッ、と木刀同士が激しく撃ち合う音。
シェイラは、少年と少女の動きを細かく観察しつつ、頭の中でそれらを部分的に分解、再構築し、改善点を見出そうとする。
修正すべき点などいくらでも見つけられる。
だが重要なのは、その指摘されたことを子供が感覚的にでも理解し、直そうと試みて、実際にそれが達成できるかどうかだ。
修正しようという意欲が湧かないような教え方は論外。
そして、体格差などから生じる『今は修正できない』部分を自覚させることも重要だ。
実践するのは言うほど簡単ではないのだが、シェイラもベテランの教師である。
成功も失敗も幾度となく経験し、要領は心得ていた。
問題なのは、あの二人の才能が(特に少年の方が)シェイラの手の届く範囲から少々はみ出した域に存在しているという点だ。
トゥエルとセレスティナ、双方真逆の意味で。
シェイラは今までに、天才と呼ばれる子を何人も見てきた。
生まれながらに圧倒的な魔力量を誇る者、十歳にして最高位特級魔法を体得した者、初の実戦でドラゴンを斬り殺した者、最年少で新しい剣の流派を拓いた者、成人にして騎士の高官試験に合格した者。
エルやセレナもまた同じように、才気に溢れた子供なのだろう、と、シェイラはそう思っていた。
そして、予想通り、最近になってセレナは際立った才能の片鱗を見せ始めている。
だが、エルは___彼が七歳を迎えたころになって、シェイラも否が応でも認めるわけにはいかなくなった___人並み外れていると言えるような才能がない。
もちろん、どんなことも才能一つで決まるものではないことは、シェイラもよく知っている。
それを踏まえた上で、しかしエルは余りに先天的な能力から見放されていた。
子供の美点を見抜くことに長けたシェイラからすれば、呪われているとすら言えるような菲才っぷりだった。
たとえば。
エルは、小さい頃から魔法を練習していたようで、魔力の扱いにかけては、今の時点で並の魔法使いを凌駕している。
魔力制御の巧拙は、才能やセンスより練習量が物を言う。
相当な練習を積んだに違いない。
しかしそれにしては、あまりにも魔力量が少なすぎる。
魔力量もまた練習によって伸びるものではあるのだが、こちらは練習より先天的な要素に大きく左右されるのだ。
一般に、この魔力量が多ければ多い者ほど魔力発現力が高く、大規模な上級・特級魔法を発動できる、所謂『才能ある』魔法使いと定義付けられている。
その一般論から論じれば、エルは必ずしも才能ある魔法使いであるとは言い難い。
どれだけ魔力の操作技術に長けていても、絶対的な『量』の差は覆らない。
実際に、エル程度の魔力量では魔法使いの道を断念して、剣士の道を歩もうとする者がほとんどだ。
だが、エルの剣の腕は、とてもではないが優れていると言えるものではない。
根本的な運動神経が低い。
セレナのように、感覚的に体の動かし方を把握する能力は皆無であり、何度も何度も何度も何度も反復練習をして体に叩き込み、ようやく様になるレベルだった。
はっきり言って、剣士には向いていない。
では識者の道はどうか?
そう、エルは幼い頃から異常に知性が発達している。
とりわけ暗算能力が常軌を逸して高い。
普通なら、何千何万と使ってようやく身につくような短縮詠唱を、五歳にして自由自在に操って見せたし、四則演算など生まれた時から知ってましたと言わんばかりだ。
頭の中で数式や回路を組み立てる能力ならずば抜けている。
また、ユニークな発想力も特筆すべきものがある。
以前には、その優れた暗算能力を生かして既存の魔法技術を何かに応用しようと試みている姿を見たことがあった。
多重魔法とやらを見せてもらった日には、シェイラも大いに驚いたものだ___勝手が悪すぎて全然使ってませんけど、とも苦笑していだが。
……しかし。
一見輝かしく見えたエルの才能は、識者としても役に立たないものばかりである。
例えば短縮詠唱は、元々、生活の中で何度も使う魔法を片手間のようにこなせるようになった主婦が用いる技だ。
魔物との戦闘などでもさして重要視されていない。
魔法使いの強みは大火力による一撃必殺にあり、高威力の魔法は概して複雑な魔力回路を築かねばならず、そうした魔法を詠唱短縮で使えば少なからず暴発を招く。
もちろん、弱い魔法でも早く発動できるに越したことはないだろうが、それにしたって優先度は低い技術だ。
なぜ身につけようと思ったのだろうか。
それに、暗算能力や発想力があるといっても、どうもシェイラはそれを『エルの才能』と見なすことができなかった。
何と言うべきか。
天才が使う算術とは、百桁同士の掛け算を瞬時に計算したり、難解な公式を見ただけで応用までやってのけたりするものだ。
神童が考えつく発想とは、常人には理解も及ばないような理論を元に生まれる、突飛さの塊のようなものだ。
エルは違う。
彼の思考の根底にあるのは、愚直なまでに積み重ねられた既存の知識と技術のみ。
つまりは才能ではなく『努力』の累積である。
そこに、今までにない斬新な考え方や発想などは一切存在していない。
そんな彼は、おそらく、識者にも向いてはいない。
それが善であれ悪であれ、今までの知識や技術に変革をもたらすのが識者の役目だ。
何かを応用するだけでは足りない。
識者にとって最も重要なのは、新しい何かを生み出す力なのだ。
エルには、その力が決定的に欠けていた。
彼はあくまで菲才だった。
天才などではない___あくまでも凡人が辿り着き得る試行と模索の境地にいる。
一般人の極致とでも言おうか。
___そうだ。
敢えて、彼の『天性』を挙げるとするならば、まさにその点であろう。
自分の才能のなさを自覚した上で、努力を継続し、才気溢れる子供たちにも食らいつく意志の強さ。
分からないことがあっても、最後には必ず理解する。
自分で何度も復習し、様々な本や文献とシェイラの言葉を照らし合わせて、多岐に渡る見地に立ち、分かるまで時間をかけて。
大人でも諦めるような莫大な労力を費やし、完璧に理解するまで止めようとはしなかった。
魔法でも、勉強でも、剣でもそうだ。
絶対に途中で投げ出さない。
何か、固い覚悟すら感じ取れそうなほどのひたむきさで、少年は努力を続けた。
七歳の子供にしては、あまりに異常すぎる行動原理である。
シェイラの経験上、この年頃の子供は、主に『褒められたい』『負けたくない』という思いを原動力に突き進むものだ。
この辺りで、子供も自分で『これは自分に合わない』といった向き不向きを感じられるようになる。
なので、やっても無駄だと思ってしまうと途端にやる気を失って『休みたい』にシフトする。そこで鞭を使うか飴を使うか、教師の腕の見せどころなのだが。
そこのところ、エルはどうか?
剣の技ができるようになって、シェイラに見て見てと披露してきたりするだろうか。
覚えた魔法を見せつけるように、そこら中に乱射したりするだろうか。
否だ。
彼の『努力』は、どこまでも自分のためにあるものだった。
今までの子供とは、まさにモノが違う。
あまりにも違いすぎて……困る。
(……どうすればいいのよぅ)
シェイラは羽ペンを放り投げ、髪をぐしゃぐしゃにした。
一度、エルに聞いてみたことがある。
『エルは何のために努力をしているの?』
五歳の誕生会の翌日、地理に関する書物を片っ端から読み漁っていた少年は、少しだけ考え込んでからこう答えた。
『今しかできないことを、今やってるだけです』
そこには、およそ七歳児とは思えない重いニュアンスが含まれていた。
エルはすでに理解していた___時間に対する後悔という、絶対に取り返しのつかない非可逆性の存在をも。
こんな子供に何を教えればいいというのか。
挙句にはシェイラが見たこともない独自の学習法を編み出したりするものだから手に負えない。
彼が毎朝やっている妙ちきりんな『らじお体操』とやらは、今や孤児院で小さな流行となりつつある。
エルが何を見据えて自分を高めているのかも分からない。
剣士、魔法使いとしても、おそらくエルは中途半端な存在として終わるだろう。しかし彼は、全ての分野で、ただ黙々と経験を累積させていく。
それでいて闇雲にも見えない。
おそらく彼には、自分自身が向かう未来のビジョンがぼんやりと見えているのだ。
いっそそのビジョンを見せてはくれないだろうか。
「……はあ」
シェイラはばたりと机に突っ伏して、窓枠に飾った髪飾りをつついた。
まあ、悪いことばかりではない。
五歳の誕生日を境目に、エルのあの極端に温順恭順な姿勢は和らいでいる。
特に、セレナの存在が大きいようだ。
彼女は生まれたての雛が如く、常にエルにくっついている。
今だってそうだ……エルとセレナが練習を切り上げて、一緒に手を繋ぎながら水浴びの囲いの中に入って___
「!!?」
ガタンと椅子をひっくり返し、シェイラは慌てて部屋を出た。
不純異性交遊に対する反射的行動であったことは言うまでもなかった。
___この後。
彼女は、また長い時間をかけて他の児童のあれこれを思案していく。
エルの時と同じくらい悩むこともあるし、悩まないこともある。
ただ、シェイラは一貫して、全ての子供に対して自身の全力を注いでいた。




