笑顔の破壊力 lv.9
店主は頭を上げ、
「このお品物は、見たこともない形状をしており、使われている素材も私の知らない物でした。どこで手に入れられたのか、お伺いしても宜しいですか?」
相変わらず丁寧で柔らかい口調で言った。
どこまで話して良いのかわからない……。
私はルルに助けを求めようと思い、ルルを見た。するとルルは、任せてください!と元気に言うと、立ち上がった。
「こちらの方は、この世で唯一『神力』を扱えるお方、レイル様です!何を隠そう!このお方こそが!異世界より我らの国、【オルカラ王国】を救いに参られた救世主なのです!」
ルルは、片膝をつき、私の方に両腕を伸ばし、両手の指をひらひらさせて、私の存在を店主へ存分にアピールした。
終わった……。
助けを求める相手を間違えた……。
間違えたと言っても、私にはルルしか頼れる相手がいないのだが。
私は両手の平を店主に向け、左右に振りながら、
「この子は、私をどうしても英雄にしたいらしくて、よくこういう事を言っちゃうんですよ。全く事実ではないので、忘れてください」
しどろもどろになりながら誤魔化した。
それを聞いた店主は、優しい笑みを浮かべながら、
「お客様。そんなに警戒されなくても大丈夫ですよ。私はこんな仕事をしておりますので、お客様の事を他の誰かに話したりなど絶対に致しません。信用が無いとこのような店はすぐに潰れてしまいますからね」
ふふっと上品に笑って、また、時計に向き直り、
「このお品物は本当に素晴らしいです。数字が書かれている所を見ますと、やはり、何かを数える為に作られた物なのでしょうか? それにしても、この素材、何で出来ているのでしょう。こんなに魅惑的で好奇心が刺激される物を見るのは初めてです。こちらをお売り頂ける、という事でお間違いございませんでしょうか?」
店主の笑った目元が鋭く光っている。
この世界では、元の世界と同じ数字が使われているようだ。文字に関しては、お店の看板を見ても、元の世界と同じものは見かけなかった。
ところどころ元の世界とも似ている部分はあるらしい。眼鏡をかけている間は文字の翻訳ができるとはいえ、数字が同じ、というだけで少し安心する。
ルルが言った、演説のようなアピールも、気にも留めていないという風にすんなりと聞き流してくれた。
珍しい品を見せたからこそ、逃さないよう考えた上での態度なのかもしれないが。
「それは時計といいます。時計は1から12までの数字と、その数字の上を、動く2本の針で今が何時なのか、時間を簡単に教えてくれる道具です。1番細い針で今何時で、何秒なのかが知れます。素材は殆どの部分がプラスチックです。色々あって動かなくなってしまったので、買い取ってもらえたら嬉しいのですが」
私は店主に、それぞれの部分を指さしながら時計についての説明をした。
店主は今の説明を理解したのか、
「なるほど、これは時計、というのですね。1日を12分割にして、より細かい時間を知る事が可能になっている、と。私は、時星での時刻の確認に疑問を持った事はございませんでしたが、こちらの時計を見ますと時星の刻む時刻が、どれだけ大まかだったのかが思い知らされます」
メモを取りながら、時計と時星の違いについて語った後に、
「素材のプラスチック、というものは恐らく世界中を探しても見つからないでしょう。これ程貴重なお品物ですと、お値段をつける事が難しいかもしれません」
笑顔の店主は心なしか悲しそうに見える。
この時計は、元の世界では1000円もしなかった、ただの目覚まし時計だ。デジタルでも無く、プラスチックの本体にプラスチックの針のどこにでも有る物。
店主は12分割と言っていたが、実際は、12時間で短針が文字盤を一周し、それを1日に2度繰り返す。細かい説明は買い取ってもらってからにしよう。
貴重だから値段をつけることが難しい、という事は、相当な価値があるという事だ。ルルも価値があると言っていたが、そんなに価値があると思って持ち込んだ訳ではない。
売れたらラッキーくらいの軽い気持ちで来たのが、大事になりそうで不安だ。
とりあえず今は現金が欲しい。
このままじゃ、この世界にあるのかわからないが、博物館行きになりそうな気がする。現金化を優先してもらわなければ。
「私は、時計を売って当面の生活費に充てたいと思って、今日ここに来たので、値段が付けられないというのは困るんです。どうにか買い取って頂けませんか?」
お金が無いという事を遠回しに伝え、店主へお願いをした。
買い叩かれても良い。ただ、色々な魔道具を買えるだけの現金が欲しい。
「では、こういうのはどうでしょうか?こちらのお品物は本当に貴重で、お値段はつけられません。ですので、1ヶ月に1度、決まった金額をお客様にお支払いします。それは、もし、私がこの世を去った後にも銀行を経由し、必ず継続するとお約束します。もし宜しければ契約書を作成いたしますが、どうなさいますか?」
店主は私の目を真っ直ぐに見て言った。
確かに、これなら半永久的にお金が手に入る。店側の負担も最小限で済む。この店主は、やり手かもしれない。
「それはこちらとしてもありがたい提案です。ぜひ、よろしくお願いします」
私が言うと、店主の表情が明るくなった。
店主は「では、契約書を作成して参りますので少々お待ちください」
と言って、「失礼します」と丸テーブルに置かれたポットやお皿を片付け、また新たに良い香りのするポットとカップを用意してから、店の奥へ消えていった。
あの店主もルル同様、完璧超人の匂いがする。
ルルを見ると、紅茶の良い香りによだれを垂らしている。私がルルのカップに紅茶を注ぐと、よだれを垂らしていたとは思えないくらい、上品にゆっくりと味わって飲みだした。
紅茶の味と香りを楽しんでいると、店主が戻ってきた。
「お待たせ致しました。では、改めて自己紹介させていただきます。私は、クロエと申します。お気軽にクロエとお呼びください。お客様の事はレイル様とお呼びしても宜しいでしょうか?」
と聞くクロエに私は頷いた。
それを見てクロエは小さく頭を下げた後、話を続けた。
「では、先程のお品物をお売り頂くにあたっての契約書を作成して参りました。隅々までお読みいただき、その内容で宜しければサインをお願い致します」
と言って、クロエは高そうな装飾が施された、例の魔道具のペンを細長い布の上に寝かせて置いた。
私は、契約書を受け取り、内容の確認を始めた。ルルにも一緒に見るよう声をかけ、契約書に視線を落とした。
契約書には、時計を買い取るにあたって、支払いは一括ではなく、毎月決まった金額を売主に支払うと言う事が難しい言葉で書かれている。
金額は、毎月初めに40万ラル。私がどのような状態になっていても、生きている限り生涯支払われるということらしい。
この金額をルルに確認すると、この世界では単位が違うだけで、お金の価値は元の世界とほぼ同じなのだそうだ。
そして、40万ラルは、この国で働く人々の毎月の給料の平均より少し高いらしい。
月40万、1年で480万、もし私が100歳まで生きるとしたら、よ、4億越え!すごい……。
先程、中心街を見て回った時に確認した、『スライドペン』はルルが使っていた1番メジャーな物で、2000ラルだと書かれていた。一度買うと長持ちする事を考えると良心的な値段だ。
昼食に食べた、パスタのような麺料理にスープがついたものは、3000ラル程だった。
と、いうことは、働かなくても普通に生活できてしまう。やはり、異世界から持ってきた物を売るというのは、どこの世界でも絶対的なセオリーなのだ。
父が継続的な収入を見込めるようにと、沢山の植物の種を持たせてくれたが、それらは、自分で食べるだけに留めても良いかもしれない。食べたい物を植えて育てよう。花は観賞用に範囲を広げて植えてみようか。
一気に異世界での生活がイージーモードになった。
元の世界で1000円もしなかった、安物の目覚まし時計が月40万になるなんて予想できない。
この店ではなく、違う店で変な店主に会っていたら、二束三文で買い叩かれていたかもしれない。それでも良かったのだが、価値を知るとやはり惜しい。この店に連れてきてくれたルルに感謝だ。
契約書の続きには、売主から買い取った商品の権利は買い主のものになる。という事、買い主は今後、売主からのどのような要求でも呑み、有事の際には売主への援助を惜しまず、全面的に協力するという、とんでもないことも書かれていた。
あまりにも、クロエに不利な契約に見える。
私は恐る恐るクロエの方を見て言った。
「あの、クロエ。月に40万ラルももらえるのに、この、どのような要求でも呑み、有事の際には私に全面的に協力ってどういう事ですか?」
クロエは驚いたような表情を一瞬見せた後、ふふっと笑い、時計を持ち上げて言った。
「レイル様は時計の価値がまだおわかりになっていないようですね。先程も申し上げました通り、この時計に値段をつける事はできないのです。プラスチックという未知の素材、12分割で時星より細かく刻まれる時刻。このように素晴らしいお品物をお売り頂けるだけでも驚くべきことですのに、ひと月40万ラルだけでは、レイル様に申し訳が立ちません」
時計のプラスチック部分を触りながら、クロエは続けた。
「もちろん、ひと月の金額を増やせば解決できる事ではあるのですが、実は、私はこの国で少々顔が利きまして、お支払いする額を増やすよりも、私とのパイプを繋ぎ、私がいつでもレイル様を無条件に優遇できるようにしておいた方が、レイル様にとって、この先良いのではないかと考えたのです。魔力を持った者は寿命が長いとはいえ、私はもう若くはないですので、いつまでレイル様をお助けできるのかはお約束できかねますが、精一杯レイル様をお支えしようと思っております」
そう言ってクロエはこちらに頭を下げた。
貴族の風格を感じるクロエ。只者ではないのだろうとは思っていたが、実際、とても偉い人なのだろう。なぜこの店を営んでいるのかはわからないが、この話に乗らないのはありえない。
「40万ラルが不満というわけでは無かったんですけど、こんなに破格の条件で大丈夫なのかと心配になったんです。でも、そういう事なら、クロエ、これからぜひ宜しくお願いします」
と言い、私は契約書にサインした。




