笑顔の破壊力 lv.14
「いらっしゃいませ!」
魔道具屋に入ると、既に10人程の客がおり、店内は賑わっていた。
前回来た時にも思ったが、魔道具の店といえば、怪しい雰囲気の店内に、店主は怪しい老婆のようなものを想像してしまうが、この魔道具屋は広くて明るく、店主は50代くらいの大男だ。
店員は若く、男女が1人ずつ。接客が丁寧で好感が持てる。
私はまず、歯磨きの代わりである、口腔ケアの魔道具『キュイン』を手に取った。
これは、見た目は元の世界でいう、お金持ちが吸っているイメージの『パイプ』に似ている。
取り扱い方法が書かれた、小さなパネルが、商品の近くに置かれている。
『キュイン』を5センチ程くわえて、10秒待てば、口の中にある汚れのみを全て吸い取ってくれる。
使い終わった後は自動クリーニングされ、清潔を保てる素晴らしい魔道具だ。
フレーバーを選ぶと、好みの香りをつけられる。
色や匂いも沢山あり、自分でカスタムでき、1ヶ月用・6ヶ月用・1年用が選べる。日数が増えると値段も上がる。
いずれも使用期限が過ぎる5日前に、『キュイン』をくわえたタイミングでピピピピっと音が鳴り、知らせてくれるそうだ。
1ヶ月用が3000ラル、6ヶ月用が6000ラル、1年用が12000ラルだ。使用期限が長いからと安くなるわけではないらしい。
使用期限の切れた『キュイン』はお店で引き取ってくれる。
前回来た時に買う物は決めていた。
桜の花びらのような薄いピンク色にジャスミンの香りのキュイン。
鎖骨下くらいまで伸びた黒髪のセミロングに、髪と同じ黒い目、前髪は常に目にかかっていて、鏡を見ても陰気な印象を受ける私は、ピンク色の物を所有した事がなかった。
どうせ持っても似合わないし、誰に見られる訳でもない。
ずっと自分に自信がなく、持ち物にこだわった事も無かったのだが、この世界ではやりたい事、好きな事を見つけ、自由に生きようと決意した。
その第一歩が、薄いピンク色の『キュイン』だ。
ピンク色のキュインと、ジャスミンのフレーバーの入った容器を手に取った。
すごく……女の子みたいだ……。
むず痒い気持ちが湧き、ドキドキした。
こちらの心情を理解しているのか、ルルは何も言わずに私を見つめてにこにこしている。
あとは、裸眼で文字の勉強をする時の為に、インクの代わりに魔力がこもっている『スライドペン』も欲しい。
『スライドペン』も色々な色や模様がある。花や草、空に雲、星など女性に人気が出そうな物も数多くある。
この店は魔道具屋だが、外観も内装も白基調で、店内にも入りやすく、品物も手に取りやすい工夫がされているように思える。
字の練習をするだけで、特に外に持っていく事もないだろうから、ここもピンクを選びたい。
キュインと同じ色のペンの1番上に、白い花の飾りが付いている物を選んだ。
前に、ルルが使っていたスライドペンが、1番メジャーで紙を30枚塗りつぶせて2000ラル。
私が選んだのは、薄いピンクのペンに花の飾りがついていて、機能はルルの物と同じ。
代金は……5000ラルか。まあまあする。
スライドペンは、もし、魔力が切れて使えなくなった時に、まだ同じペンを使いたければ、店に持って行くと専用の魔力を入れてもらえて、また使えるようになるらしい。もちろん有料だ。
永遠に使えるボールペンのような感じかもしれない。気に入った物を数本持っていると、毎日わくわくしそうだ。
とりあえず、『キュイン』と『スライドペン』の2つを買う事にした。キュインはお試しで1ヶ月用だ。
2つを店長がいるカウンターへ持っていく。キュインが3000ラルで、スライドペンが5000ラル。合わせて8000ラルの買い物をした。
私は今手元に80万ラルを持っている。持っていると言っても、この国には硬貨や紙幣が無い。
以前クロエから貰った40万ラルも、お金ではなく、2つ折りの財布のような物を渡されただけだった。
財布といってもポケットや、カード入れは無く、硬い革で出来たものが2つ折りになっており、開くと中は革ではなく、よくわからない材質になっていて、そこに自分の名前と、金額が浮かび上がっている。
前にルルにこの国の通貨について聞いたことがある。
財布を開けて、浮かび上がる名前の上には、小さな黒い丸があり、そこに魔力が流れているらしく、ラルを払う時には、物を買った店にある小さな四角い水晶に黒い丸を当て、払う金額がいくらかを考える、もしくは言うと自動で入金される。
相手が金額を確認し、『完了』と言うと決済終了だ。
逆に、ラルを受け取る時には、受け取るのがお店側なら水晶で、個人的ならば財布でのやり取りになる。
昔は貨幣が発行されていたようだが、今は魔法の発達により、廃れたようだ。
完全なるキャッシュレス決済。すごく使いやすそうだ。現金が無いからといって、いくらでも使える訳ではなく、上位の魔術師達により、通貨の流れはしっかりと管理されているらしい。
この世界には銀行が無く、財布を手に入れるタイミングは人それぞれだ。財布を売っている店で手続きをすれば、簡単に自分の財布が手に入る。
殆どの場合は親からプレゼントされるようだが、私の場合はこの世界の通貨を初めて手にしたのが、クロエが経営する雑貨屋で目覚まし時計を買い取ってもらった時だったから、クロエが用意してくれた高級感のある赤い財布を使っている。
1ヶ月ちょっとの間、家の敷地内から出ていなかった私の残高が80万ラルになっているのは、クロエが振り込んでくれたかららしい。
クロエが用意した財布だから口座番号のようなものがわかっているのだろうか。
どうなっているのかはわからないが、自動的にラルが増えていくのはありがたい。
「完了! ありがとうございました!」
私は、魔道具屋のカウンターでキュインとスライドペンを合わせた8000ラルを払い、ルルと店を出た。
しばらく歩いていると、
「まだお昼を食べるには早いですよね? ご主人様が嫌じゃなければ、髪を切りに行きませんか? ご主人様はせっかく目が大きくて可愛らしいのに、いつも髪で目が隠れているのがもったいないとルルはずっと思っていたのです! 前髪だけ、少し切ってみませんか?」
ルルが様子を伺うような表情をして言った。
髪か……。私は今までずっと自分の目を見たくなかった。鏡を見ても、鏡の中の自分と目を合わせることは無かった。それは今も同じ。
異世界に来ても変わらない自分に嫌気がさす。魔法のある世界でまで、自分を否定しなくても良いのかもしれない。
変わりたい。
「前髪切ろうかな。目が見えるくらいまで切ってみようかな」私が言うと、ルルは、では行きましょう! と言い、私の手を引いて歩き出した。
中心街は、中心というだけあって、お店も人も多い。
見た事もないお店や食べ物、皆が笑顔で、人間が他の種族と共存して良い関係が築けているのがわかり、歩いているだけで、楽しい気分になれる。
ルルは見覚えのあるお店の前で足を止めた。そこは、クロエが経営する雑貨屋だった。
「え? ここ? ここで髪を切るの? てっきり美容院に行くのかと思ってた」
美容院という、ハードルの高い店に行く事を考えていた私は拍子抜けした。
「そうですよ! この世界にも美容室はありますが、ご主人様にはなんとなく足を踏み入れるには早いかと思い、こちらのお店を選びました!」ルルは笑顔で言った。
私にはまだ早いか。なんてストレートに言うんだろう。傷つくけど事実だから何も言えない……。
「でもここって雑貨屋だよね? 雑貨屋でどうやって髪を切るの? 」と私が言うと、「まあまあ」と言いながら、ルルは店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ、レイル様。今日は何かお探しですか?」
クロエが出迎えてくれたが、この反応は、髪を切りに来ただなんて知らないんじゃ……。
すかさずルルが
「今日はご主人様の前髪を切るので、お店のスペースを借りようと思って来ました! 30秒程お店の隅の方を貸してください」とお願いした。
30秒って言った?スペースを借りるって言った?
ルルが切るのか……。それなら家に帰ってからでも良かったんじゃ……。
思い立ったら動かずにはいられないのだろうけど。
「クロエ申し訳ないんですけど、少しだけお店の隅を貸してもらっても良いですか?クロエの邪魔はしないのでお願いします」私もお願いした。
クロエは穏やかに笑いながら、
「このようなお願いをされたのは初めてです。以前言った通り、レイル様のお願いを断る事はありませんので、店内のどこでもご自由にお使い下さい」と言ってくれた。
そういえば、時計を売った時の契約書に
『売主からのどのような要求でも呑み、有事の際には売主への援助を惜しまず、全面的に協力する』などという、破格の条件が書かれていた。
こんな変なお願いも聞いてもらえるんだ。申し訳ない。
私は、「ありがとうございます。できるだけ早く退散しますね」と言い、お店の隅に行き、クロエが用意してくれた椅子に腰掛けた。
「では!ご主人様の目と眉の間くらいで前髪を切りますね!」ルルはいつの間にか、ハサミを持って私の前に立っていた。
そこからは速かった。数えてはいないけれど、30秒もかからずに前髪が切れており、切った髪も片づけられていた。さすがルルとしか言いようが無い。
「終了しました! ご主人様やっぱりすごく可愛いです! ルルの目に狂いはありません!」ルルは満足気に鏡を渡してきた。
鏡を受け取り、意を決して自分を見る。
思ったよりも自然で良い。長すぎず、短すぎずで自分じゃないみたいだ。こんなに雰囲気が変わるのか。
「なんか恥ずかしいけど、気に入ったよ。ありがとうルル」
心なしか鏡に映る私の表情が明るい気がする。
「喜んでいただけて嬉しいです!どういたしまして」
ルルは嬉しそうに笑った。
クロエは温かい目でこちらを見て、
「レイル様が前髪でお顔を隠しているように見えていたのには、何か理由があるのだろうと思い、あえて何も言うことはないと思っていましたが、髪を切って、何かが吹っ切れたような、そんな明るい雰囲気になりましたね」と言った。
気のせいじゃなかったんだ。このままゆっくりとこの世界で前向きに変わっていけたら良いな。
「クロエありがとうございます。そうかもしれません。気持ちがすっきりとした気がします」
私は自分の頬が緩んでいるのを感じていた。
クロエは優しい笑みを浮かべながら、口を開いた。
「レイル様はお若いので、これから沢山の事を経験されるでしょう。辛い事もあるかと思います。ですが、今日のような小さな幸せを積み重ねる事で人は強くなるものです。人が強くなれるのは逆境ではなく、[順境]だという事を覚えておいて下さいね」
順境……。幸運、恵まれた境遇。
大体の物語では、主人公は最大の敵を目の前にして覚醒する。
自分を超える強者と対峙した時に真の力を発揮する。
逆境こそ人を強くするのでは無いのか。
クロエは順境で強くなった人を知っているのだろうか。
何にせよ、前向きで幸せに暮らすに越した事はない。
「わかりました。肝に銘じます」私は笑顔で言った。
はい。と言った後クロエは窓の外に浮かんでいる時星を見た。
「申し訳ございません。もうそろそろ息子がここに来る予定ですので、本日は閉店させていただきます」そう言って頭を下げた。
クロエには息子がいるのか。クロエは歳を取った今でも整った顔立ちをしており、若い頃はさぞ美しかったのだろうと思わされる。
そんなクロエの息子なら、見目麗しく、優秀で非の打ち所がない人間なのだろう。
「そうなんですね。今日は、変なお願いをしてしまいすみませんでした。では、私達も帰りますね。また来ます」
私はルルの手を引き、店を出た。
クロエは店の外まで見送りに出てくれた。私はクロエに小さく手を振り、ルルと歩き出した。




