Ray of Light(3)
(1)
テラスとなった中庭にうららかな陽射しが降り注ぐ。
左右対称に設置された広い花壇は花々の鮮やかな色彩に染まっていた。
同じ元帥府の敷地内でありながら漂う穏やかな空気は別世界のよう――、ある一点だけを除いては。
花壇の傍で上官の切れ上がった瞳に睨み上げられ、エドガーは大きな身体を萎縮させている。
実際はフリーデリーケよりエドガーの方が上背もあり体格も良いけれど、さながら猛禽に肉薄された小動物のよう。
エドガーは頬を引き攣らせ、暑くもないのに額には汗の玉がポツポツ浮かべている。
『ヤスミンとカシミラだけを元帥府へ』という上官の命令に違反したのは覚悟の上とはいえ、やはり恐ろしいことには変わりない。
「あ、あの……!ゲッペルス少尉は悪くないんです……!私が、皆と一緒じゃなきゃ嫌だ!って、我儘押し通したから……!」
エドガーの背後より、二人の間にヤスミンが割り入り、彼を庇い立てた。
そのヤスミンですらフリーデリーケは冷たく一瞥したのみ。
緊張感漂う三人を、カシミラを乗せた乳母車を引いたズィルバーンが不安げに見守っている。
職務中、更には緊迫した事態の最中ゆえ『鉄の女』の顔を崩さない彼女に怯むも、ヤスミンは尚も言葉を重ねようとした時だった。
抱えていたバスケットの中でガサゴソと何かが動く音が聞こえてきた。
すると籐の蓋が開き、ルドルフがひょこりと顔を見せたのだ。
ルドルフはフリーデリーケを認めるとにゃあと甘え鳴きし、彼女と同じ深い青の瞳できゅるんと見上げてみせる。
数秒の沈黙の後、ふぅ、と小さなため息がフリーデリーケの唇から零れた。
「……仕方ないわね。連れて来てしまった以上今更帰す訳にはいかないもの。ズィルバーンはエヴァ殿の士気を維持させるためにも、どのみち別の者に保護させるつもりだったし」
「では……!」
「とはいえ、命令違反には変わりないわ。今回は口頭での注意勧告に留めておくけど、以後気をつけるように」
「はっ……!申し訳ありませんでした!!」
「この件についてはもう終わらせて、次の行動に移って頂戴。ゲッペルス少尉、早速だけどズィルバーンをエヴァ殿の元へ連れて行って」
「え?!エヴァ様が元帥府に?!」
「あぁ、暗黒の魔法使いとの決戦に備え、府内西棟最上階の一室に身を置かせている」
同時に叫んだヤスミンとズィルバーンに、エドガーが補足する。
「え、じゃあさー、じゃあさー!俺、エヴァ様と一緒にいていいの?!」
ズィルバーンの大きく丸い茶目が輝きだす。
嬉しさの余り、黒々とした尻尾が現れ、ふっさふさと大きく揺れる。
「ズィルバーン、尻尾を隠しなさい」
「え、あぁ、わりぃ!」
「まぁ、四六時中一緒という訳にはいかないけど。なるべくは共にいられるようにするつもりよ」
「マジで?!やった!!」
「だから、尻尾を隠しなさい。ゲッペルス少尉、案内してあげて」
「はっ!」
尻尾をぶんぶん振り回しながら、エドガーに連れられて先に中庭を後にするズィルバーンの背中を見送っていると、ルドルフ入りバスケットが腕の中から持ち上げられる。
「ヤスミンさん、貴女は私についてきなさい」
「は、はい!」
バスケットを抱えたフリーデリーケに促され、ヤスミンは乳母車を押して慌てて彼女の後に続いた。
(2)
緊張と疲労が身体を蝕んでいる。
高級長椅子の座り心地の良さにはホッとさせられるが、ローテーブルに並べられた紅茶や菓子類を口に付ける気には到底なれない。
カップだけでなくティーポットの紅茶もすっかり冷め切ってしまっただろう。
昨夜、医療刑務所から刑務所へ送還されたばかりなのに夜明けと共に突然保釈され――、元帥府の一室に身を置く事になるなんて。
暗黒の魔法使いの復活は国にとっての脅威であり、狙いを定められた自分を護る為――だと、頭では理解できている。
それでも消えては沸き起こる不安を取り除くことはできない。
狙われたのが我が身だけなら、まだ良い。
己を手中に収めるために家族までもが狙われる。
大切な者達を奪われる――、シュネーヴィトヘンにとって何にも耐え難いことだ。
知らず知らずの内にスカートを両手できつく握り締めていた。
白いワンピースの膝辺りに深い皺が寄ってしまっている。
出産で落ちた体力と崩れた体型はエヴァの回復魔法で戻ったものの、自らの魔力はまだ封じられたまま。
本来の力を取り戻したい。
国と家族を護る為に――
ふいに扉を叩く音がして、深い思考の海から意識を引き上げられた。
顔を上げて扉を振り向けば、入室の許可を求めるフリーデリーケの声が扉越しに届く。
許可を短く告げると扉はすぐに開いた。
「……ヤスミン」
「……ママ??」
事前に知らされていなかったのか。
ヤスミンは青紫の双眸を目一杯見開き、扉の向こうで固まっていた。
あの乳母車にはカシミラがいるのだろう。
シュネーヴィトヘンとヤスミン、母子共に困惑気味な視線をフリーデリーケに送る。
フリーデリーケは二人の視線を気にすることなく、「ヤスミンさん、さ、早く入って」とさりげなくヤスミンの背中を押した。
刑務所での金網越しの面会を続けていたせいか、母子どちらとも一定の距離を保ち無言で互いをちらちらと見つめ合う。
気まずい沈黙を破るようにフリーデリーケが口を開いた。
「私に気兼ねする必要はないから。母娘のふれあいを咎める程狭量じゃないわ」
「フリーデリーケさん」
「ポテンテ少佐」
意外な発言に、ヤスミンはともかくシュネーヴィトヘンは少なからず驚かされ、まじまじと見返した。
相変わらずフリーデリーケは眉一つ動かさない。
バスケットから顔を覗かせたルドルフが小さく、にゃ、と鳴く。
フリーデリーケがバスケットを床に下ろすと、待ってましたとばかりに中から飛び出していく。
「折角だから、カシミラちゃんを抱いてみたら」
「え……」
生後三十分弱で引き離されたもう一人の娘。
あれから約一か月、健やかに過ごしているだろうか。
ヤスミン共々気に掛けなかった日など一度足りとてなかった。
ヤスミンが、乳母車からカシミラをそっと、そぅっと、首を支えながら抱き上げる。
慣れた手つきに舌を巻きつつ、近づいてくるヤスミンに緊張が増していく。
「はい、ママ」
「…………」
怖々と、ヤスミンがしたものと同じ手つきでカシミラを抱き取る。
ヤスミンの動きとは違い、随分とぎこちなかったが。
「最近は起きている時間も増えてきたし、顔付きも可愛くなってきたのよ??ぱっちりした黒い瞳はママそっくりでしょ??きっとママに似てすっごい美人に成長しそう、って私は予想しているわ」
腕の中に収まったカシミラは大きな瞳で母をじっと見上げた。
まだ笑顔を見せるには表情が発達していないが、不快には感じていなさそうだ。
カシミラからほのかに漂うミルクの甘い匂いを嗅ぐ。
ひょっとしたら再会を喜んでくれているのだろうか、と非常に都合の良い願望が薄っすらと擡げてくる。
まるで我が事のように、誇らしげに妹の成長を語るヤスミンも愛おしくて堪らない。
ヤスミンとも自らの身体をぴったりと寄り添わせる。
娘達の持つ温かい体温を肌に感じながら、目線だけをフリーデリーケへと向けた。
「ポテンテ少佐、娘達に会わせていただき、ありがとうございます」
「いえ、礼を言われる程のことではありません」
改まった口調で礼を述べてもやはり表情は変わらない――、と思いきや。
力を抜くように、フリーデリーケの唇がふっと微かに緩んだ。
「ヤスミンさんは私にとって年の離れた妹同然ですし、それに――、貴女には個人的に恩がありますから」
「少佐が私に、恩??」
訝しげに眉を寄せれば、フリーデリーケの笑みは深まっていく。
貴重ともいえる笑顔に戸惑うシュネーヴィトヘンに、とうとうクスリと笑い声まで漏らした。
「あの時、私と両親を助けていただき、ありがとうございました。――『魔女のお姉ちゃん』」
「……え、って――、あ……!」
派手に線路から脱線し、横転した汽車。
薙ぎ倒された森の木々、空に濛々と流れる黒煙。
突然の事故の恐怖で混乱する乗客達。
ほとんどの者が血を流し、中には自力で動けなくなった者も――
「まさか、あの女の子が……??」
ダークブロンドの長い巻毛はほつれて絡まり、軽傷だったとはいえ自身も怪我を負っていたのに。
事故のショックと痛みを、群青の瞳を吊り上げて必死に堪え、大怪我を負った両親を案じ続けていた、幼い少女。
「どういうことなの??ママとフリーデリーケさんは元々知り合いなの??」
「知り合い、というか……」
当時の鉄道事故の話、幼いフリーデリーケについても、シュネーヴィトヘンは記憶にある限りのことをヤスミンに語り聞かせた。
フリーデリーケも口を挟むことなく話に耳を傾ける。
「もしかして……、フリーデリーケさんが魔女になったのって」
「そう、他ならぬ、貴女の母君の影響よ」
「…………」
返す言葉が見つからず、黙り込んだシュネーヴィトヘンにフリーデリーケは静かに続けた。
「ロッテ殿、いいえ、リーゼロッテさん。本来の貴女は、人々の幸福の為に尽力できる方だと信じています。ですから」
フリーデリーケの切れ上がった瞳の奥が鋭く光る。
決して怜悧なものではなく、確固たる意志に基づくものだった。
「貴女自身も貴女の大切な者も、リントヴルム国軍とギュルトナー元帥閣下の名の下、全力でお守り致します」
凛としたフリーデリーケの敬礼姿に、同性でありながらもシュネーヴィトヘンは一瞬見惚れてしまった。
しかし、彼女の覚悟に触れても尚、魔力を取り戻したい想いは変わることはなく。
どうにかしてイザークの襲撃が始まる前には魔力封じを解いてもらわなければ、と、焦ってすらいた。
魔力を取り戻せばいざという時、命と引き換えであの男に死の呪詛を仕掛けられる。
あの男に解呪のキスを施す伴侶がいない、今なら。
イザ―クが伴侶を必要とする理由を、リザは勘づいていました。
彼のことなので他にも理由がありそうな気もしますが。




