飛沫は模様を地面に描く〈掃除が大変だわ〉
奪って
瞬間的な光のきらめきは、防御の音を残して塵の中に溶けて消えて行った。
あまり太くない腕、あまり大きくない手の平の中で武器が持ち替えられる。
先端の丸みのある刃が怪物の腕へピッタリとあてがわれる。
ルーフに落とされるはずだった拳は、強力な腕力によって操られている長い武器によってその軌道を大きく阻害されていた。
細い腕が武器を振り上げる。応援旗のように立ち上げられた武器は、先端の刃に引っ掛けていた怪物の腕を、上昇しながら圧迫する。
あれだけ硬いと思っていた、思い込んでいたヌメヌメでツヤツヤな腕が、一人の人間の力如きに切られようとしていた。
皮ふを裂き、肉を抉り、骨を割って、まるでスーパーに陳列されている食用肉を包丁で切るみたいに、怪物の腕が切り取られたのだった。
硬質で重そうな音をたてて、怪物の腕だった肉片が落石のように地面に転がる。
ほのかに赤っぽい、黒色の体液が切り口から溢れ、飛び散って地面の上に飛沫の模様を描いた。
新鮮さを急激に失う、生臭い香りがほんの少し立ち込め砂塵に吸い込まれ、溶けて消失した。
いつまで待っても自分の脳天が水まんじゅうに圧殺されないルーフは、震える呼吸で恐る恐る目を閉じたままで顔をあげる。
若干の涙に湿るまぶたを、深呼吸と同時に勇気を出してこじ開ける。
「大丈夫ですか! 仮面君!」
見るとキンシが槍を携えたままの姿勢で、すっかり体をちぢこませているルーフの無事を確認していた。
想定外に急激で急速な移動をした影響なのか、若干の呼吸の乱れと汗の粒が顎と首の境界に、所々滲んで光っている。
その場しのぎによって生み出された安心感にルーフがようやく温度のある吐息をしていると、
「uaaa11 aiuunnnaaa11 」
怪物が明らかに分かりやすすぎる不快感を示し、悲鳴なのか怒号なのかいまいち判別できない叫び声を唇から発した。
「eee,eeeee1111」
耳をつんざく声のままにもう一本、残された三本のうちの一本を再び成長させる。
再び形成された急ごしらえの腕が、キンシの胴体にまっすぐ伸ばされる。
「!」
土埃と瓦礫をかき分け、キンシ目がけて突進してくる怪物の腕に、ルーフは反射的な叫びをあげそうになる。
「避けろ!」
だとか、
「危ない!」
と言った感じのことを言いたかったのかもしれない。
どっちにしてもまだ恐怖から完全に立ち直っていなかったルーフに、それらの言葉を発する気力を捻りだすことは出来なかったし、たとえ叫び声をあげることができたとしても意味はなかった。
「せいやああ!」
なぜならキンシはルーフの叫びよりも早く、慣れた様子で怪物の動きを察知し、戦闘行為を再開していたからだ。
その動きにルーフは、若者がやはり灰笛にいる「魔法使い」であることを瞬間的に深層意識の中で確信していた。
残された三本の腕と、一本の槍が互いに激しい衝突を繰り返す。
三本のうちの一つ、再びの急成長をなした腕がキンシ胴体目がけて指先を伸ばしてくる。
爪の生えていない、丸くてブヨブヨな指先が若者の肉体を掠め取ろうと、
するより先にキンシは呼吸音とともに高く跳躍し、怪物の腕から逃れた。
つい先ほど、ルーフの妹が襲われるより前より既に使用していた、現実離れをした異常なる跳躍力。
ルーフはいったん怪物のガラス玉から目を離し、宙を舞うキンシへ視線を釘付けにした。
ルーフが生理的な瞬きをする間にもキンシはふわふわと、自転車で立ちこぎをするぐらいなんでもなさそうに宙を漂う。
そしてふわりと、怪物からわずかに距離を取ったところで綿埃のように着地した。
「oo,ooo/ ii,aaa,iiii///」
怪物がガラス玉の内部をかき乱しながら、不揃いな三本足でぴょんぴょんと胴体をひねる。
ガラス玉の輝きが、全身に緊張をみなぎらせているキンシに向けられる。
「a1 ii,uuueeee,,aaaaa111」
怪物は叫ぶや否や、長く伸ばしてある腕をキンシに向けて叩きつけた。
ルーフが息をのむより先に、若者がいた地点に水まんじゅうの拳が撃ち込まれた。
その柔らかそうな印象をことごとく裏切る、重厚な衝突音が周囲に響く。
ルーフは最悪の事態を再び予期しそうになり、言葉のある叫び声をあげそうになる。
だがその前に、見開かれた乾燥気味の眼球が別の状況をとらえた。
ゲル状の拳は地面と強く激突した影響で、その形を微妙に平坦にして周囲に正体不明の、体液なのか肉片なのかよくわからないゼリーを飛び散らせている。
人間味が全くない、しかし人間以上の凶悪さによって繰り出され振り落された拳。
「ae/」
だがそこに、攻撃の対象であるはずの子供の姿はなかった。
怪物がガラス玉をぐるぐると乱して、握りしめていた拳を開放する。
がっちりと組み合わされていた四本の指がねっとりと開かれ、何かを求めるかのように誰もいない地面をさする。
怪物が、あんなにも気持ち悪くて意味不明で危険そうな怪物が何を考えているのか、今までルーフは全く解らなかったしこれからも解り合いたいなんて、微塵も望んでいやしなかった。
ルーフが言葉を、あるいは肉体の反応によって答えを怪物へ安易に教えるよりも先に、怪物は己の力のみで疑問に対する答えを導き出していたということも、彼の反射神経は理解していた。
怪物がぎろりと眼球っぽくガラス玉を上方に、天井の照明の金具にカエルの如くへばりついていたキンシに向ける。
居場所を速攻で見つけられたキンシは鋭い叫びをあげると照明から手を離し、足で天井を蹴り武器の穂先を怪物のガラス玉へと突きつけようと試みた。
隠して。




